« 宍道湖の夕陽 | トップページ | 長旅をしてきました »

70年目の終戦記念日、そして靖国

今年5月に靖国神社に参拝したときのことを書いてみる。

何故靖国に参拝したのか、そもそもの動機は不純と言えば不純だ。数年前から私は『出雲国風土記』に載っている神社399社全部に参拝しようと思ってそれを少しずつ実行しているのだが、それらの神社に参拝したときと靖国神社に参拝したときの自分の感覚の違いがあるのかないのか、違いがあるとすればどういう違いなのか、それを確かめようと思ったのだ。

明治以降日本が経験した戦争で亡くなった方々に対する畏敬の念がないわけでは決してない。しかし靖国という神社が持つ特殊性によって、私が何らかの(出雲399社に参拝するときとは別種の)雰囲気を感じ取ることがあるのかないのか、それを体験してみたかったという理由が第一だったのである。

余談だが、私は各地にある護国神社や戦没者慰霊碑などを拝むたびに、背筋が寒くなるような息苦しいような感覚を味わう。それは霊を感じたりしているわけではなくて、流された血の生臭さを無理やり白砂で清めて「ここでは絶対に畏敬の念を感ぜよ」と、祀られている人々ではなく明治以来の政治的権力者に命令されているような、そんな冷やかさを感じるからである。

そういう場で「よくぞ日本のために戦ってくださいました。ありがとうございます」とは思わずに「もっと生きていたかったでしょう。さぞご無念だったでしょう。どうか安らかにお眠りください」と思う私は、「顕彰派」ではなくて「慰霊派」なのであろう。

さて、そういう私が靖国に参拝したときに何を感じたかというと、「これは神社ではない」という一言に尽きる。神社というのはもっと古さびて神威を感じるところであるはずなのに、靖国はあまりに生々しすぎた。神ではなくて明らかに自分と同じ人間を感じるところなのであった。結果、私は「人間は神にはならない」という思いに至った。少なくとも、終戦からたかだか70年のいま、戦没者の妻や子供がまだ存命のいま、いわゆる英霊を神とするには早すぎる。あと何百年か経ってからなら考えられないこともないが、そのころにはまた新たな戦争で靖国に祀られる英霊がいるに違いないから、やはりその時点でも人は神になっていないはずだと考える。

出雲の神社に祀られている神々も元々は実在の人間だっただろうとは思う。少なくとも誰かモデルはいたと思う。しかし、彼らが神として祀られるまでには、彼らが既に伝説上の存在となるまでの長い年月が経っていたと思われる。例えば出雲の神々について『出雲国風土記』で言及されている事柄といえば、やれ誰々の神がこの場所で葉っぱを頭に挿して踊っただの、やれ誰々の神がこの石は滑らかだなぁと言っただの、やれ誰々の神がこの場所はいい景色だなぁと言っただの、そんなどうでもいいようなことばかりなのである。そんな些細なことでさえもが有難く語り継がれるような、でもその当時の人でさえ実際には誰も見覚えていないような大昔に生きた人々が神になっているのだ。決して出自や生年月日が明らかでましてやその身内がまだ生きているというような人々が神になったわけではない。そして祀られる理由も決して鎮魂という意味ではなく、信仰の対象としてである。

私にとって靖国は神がいる場所ではなかった。悲惨な状況の戦地で死んでいかざるを得なかった人々が弔われている場所だった。弔うならそれぞれの遺骨の収められている菩提寺でよい。戦没者の功績をまとめて顕彰するなら彼らを神と名づけるべきではなく、相応の別の施設を作るべきだ。そう思った。

死んでも神となって愛する人々を守るのだと信じて散っていった英霊の気持ちがわからないわけでは決してない。そういう意味で、死んでいく者にとって靖国の存在は意味があっただろうと思う。ただ、戦死者の家族に「靖国の英霊となられました」と告げて、一個人としての死者を悼むどころか有難く立派なことだと思いこませようとしたやり方はなんとも気にくわない。

明治以降、アマテラスを祖とする天皇家のありがたい系譜を前面に押し出して、皇国日本として大国への道を邁進してきた歴史的思想に、大戦当時の日本もどっぷりと浸かっていたのだと思う。敗戦の気配が濃厚になるにつれ、徐々に人々の思考も神がかってきて……。日本は神国である、兵隊さんは戦死したら神様になる、そう思うことはただ一つの救いだったのかもしれないと思う。

靖国は祈りの場であるとは思う。しかしそれは信仰とは性格が違うものだ。「神社」という名称ゆえに日本神道の一つの神社として捉えてしまうと大間違いになる。それが私の感じた「靖国神社」である。

祖母の弟に海軍中佐がいた。1945年4月27日夜フィリピン・レガスピにおいて、指揮官として隊員に米軍への総斬り込みを命じたあと自決したと聞く。当然神として靖国に祀られているはずだが、そんな仰々しいものでなく戦争で亡くなった親戚のおじさんとして、一個人として、冥福を祈った70年目の終戦記念日だった。

|

« 宍道湖の夕陽 | トップページ | 長旅をしてきました »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

皇国のために討ち死にした兵士たちは英霊となる、とか、死して神となり国を守る、などと言うのは、決まって自分は決して死なない場所から兵士に対して死にに行けと命ずる人達です。そういう連中が、自分たちに対する批判をかわすために死者を祭り上げて作った施設ですから、神社仏閣であるはずがありませんよね。(-_-;)

都合良く宗教を利用しただけです。なんとまぁ罰当たりなことか・・・。(>_<)
 

投稿: モトキ | 2015年8月19日 (水) 00時16分

モトキさん
コメントありがとうございます。
「靖国で会おう」と言って散っていった兵隊さんのことを思うとき、彼らを赤紙一枚で戦場に赴かせた人々の責任はどうなるのかと考えてしまいますよね。

そういう人々をいわゆる戦争犯罪人と言ってしまうと戦勝国の理屈になってしまうかもしれませんが、(うーん……やっぱりA級戦犯の問題は避けて通れないですね。)私は同じ日本人の目から見ても、戦争へと舵を切った偉い人たちと否応なしに戦地で戦わされた人々とは区別する必要があると思っています。
そうなると、やっぱりA級戦犯が合祀されているのは納得がいかなくなりますね。

戦後日本が独立を回復したときに、戦勝国側によって戦犯とされた人々の権威を回復しようとする動きがあったそうですが、ここのところの日本人の心の動きというのが、実は私にはよくわかりません。国民の自発的な運動だったのか、誰か扇動する者がいたのか?
ここのところはもっと勉強しなくてはと思っていますが、現在の某首相が以前よく使っていた「戦後レジームからの脱却」のこれが第一歩になっていたのかもしれません。

長くなるのでこれ以上の言及は控えますが……。
靖国を考えることは、私たち一人一人が宗教や戦争や国家をどう考えるかのヒントになりますね。私は今回、靖国をたかだか明治以降に政府の思惑でできた施設であって宗教に絡めて考えるのは間違いだと思うに至りましたが、国民一人一人が一度は真剣に考えてみることが必要ではないかと思います。「祖国のために死んだ英霊に誠を捧げてどこが悪い!」と単純に言えるものではないと、それだけはわかります。

投稿: わかば | 2015年8月19日 (水) 23時11分

終戦70年 もう経験した人たちも高齢になってきましたよね。両親などももう80代だし
赤ちゃんの伯父を背負った祖母と父が逃げているときに目の前に爆弾が落ちてきたという話も聞きましたし、亡くなった姑の弟が戦争で亡くなりそれからは戦争のドラマを見なくなったとか。
靖国神社4年前ぐらいに参拝しました。
今年はいろいろと考えさせられる年になりそうですね。 

投稿: きららののこ | 2015年9月 9日 (水) 15時57分

ののこさん
コメントありがとうございます^^

>今年はいろいろと考えさせられる年になりそうですね。
まったくそのとおりですね。戦争と平和を真剣に考えるためには、安倍氏が総理であることはかえって良かったのかもしれません。考えるいいチャンスであることは間違いないですもんね。私は彼の考えはまったく支持できませんけれども(笑)

戦争経験者の話を聞くにはあと少しの時間しか残されていません。私も父や舅からもっとたくさん話を聞いておけばよかったと、今さらながら悔やまれます。
目の前に爆弾……もう誰一人そんな目に遭わない世界を作っていかなくてはいけませんねえ。

投稿: わかば | 2015年9月 9日 (水) 22時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/141713/61191137

この記事へのトラックバック一覧です: 70年目の終戦記念日、そして靖国:

« 宍道湖の夕陽 | トップページ | 長旅をしてきました »