« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月

『完全保存版 手塚治虫の世界』

大型スーパーの書籍コーナーで『#こんなブラック・ジャックはイヤだ 』を探すも見つからず。行かれる範囲の書店でも軒並み見つからないので、いずれは取り寄せを頼むしかないか……。

代わりに見つけたのが『完全保存版 手塚治虫の世界』(別冊宝島2531)。『BJ』の「木の芽」の原画が全ページ掲載されている。フキダシの切り貼りの痕や、手書きのノンブルや、編集者が付けたであろう赤鉛筆の丸印も生々しい。どうせ〆切を大幅に過ぎてから上がってきた原稿であろうから(笑)、編集さんが必死で作業したのだろうなぁ……と思うと、当時の熱気と緊迫感が感じられて、ゆかしく愛おしい。

9人の「著名人が語る!」手塚マンガの思い出や考察がおもしろい。森川ジョージ氏は、手塚作品の中で特に好きなヒロインとして如月先生を挙げているし、ヤマザキマリ氏は『BJ』を「神作品」と評しているし、概して『BJ』の評価が非常に高いのが嬉しい。

大塚明夫氏が語るBJ像は、さすがに長年BJ役をこなしてきた声優さんだけあって、読み応えがある。
---大塚さんから見て、BJというのは男としてどういう評価になりますか?
---僕はだらしないので、あんなにとんがった人と一緒にいるのはツラいですね。(以下略)
「とんがった人」! もう、ね。この一言だけでBJという男を端的に表現できているようで、笑った笑った。

『鉄腕アトム』や『火の鳥』のファンにとってはちょっと物足りない内容かと思うが、『BJ』ファンなら持っていて損はない一冊。定価は1000円+tax。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

さよならオバマ大統領

あと4時間ばかりでオバマ大統領が退任する。ヒロシマにも来てくれて核をなくしていく勇気を持とうと言ってくれたし、いわゆるオバマ・ケアも弱者の視点に立つものだったし、私の知っている歴代アメリカ大統領の中ではいちばん好きな人物だった。

10日に行われた涙ながらの最後のスピーチは感動ものだった。民主主義とアメリカの信念を示し、かつ次の大統領への皮肉も込めてあった。以下は演説の最後の部分。とにかくカッコよかった!私がアメリカ国民だったなら“Yes We Can.”のところで泣いたと思う(実際、大歓声だったが)。

-------------------------------------
I am asking you to believe.  Not in my ability to bring about change – but in yours.

I am asking you to hold fast to that faith written into our founding documents; that idea whispered by slaves and abolitionists; that spirit sung by immigrants and homesteaders and those who marched for justice; that creed reaffirmed by those who planted flags from foreign battlefields to the surface of the moon; a creed at the core of every American whose story is not yet written:

Yes We Can. 

Yes We Did.

Yes We Can.

Thank you.  God bless you.  And may God continue to bless the United States of America.
-------------------------------------

経済一辺倒、アメリカ万歳な次の大統領が、どんなに品のない就任演説をするのか、見ものだ……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

めぐみさんのアルバム

「如月めぐみのことが気になって、もうどうしていいかわからない」とおっしゃるほど如月めぐみファンであられるヨコさんからのコメントを受けて、久々にBJと如月めぐみのことを考えてみる。

最近いただいたコメントの中で、ヨコさんが次のような疑問を呈しておられた。
「でも、二人は恋人だったと言いますが、本当に付き合ってた期間はあったんでしょうかね?
あのアルバムは何だったんでしょうね?(^_^;)」

最初の疑問に関しては、これはもう読者各人の想像に任せるより他ないところだと思う。更には、何故二人が別れることになったのか? どっちから別れを切り出したのか? あるいは合意の上ではないのか? どういう別れ方をしたのか? 等々、原作に描かれていない事柄については、読者それぞれが様々な想像をしてもよい部分なのだとも思う。

以下は私の想像である(笑)。めぐみさんの手術が終わって後、BJは彼女を献身的に看護する(したに違いない)。その入院期間はどれくらいであったか。めぐみさんは子宮癌だったわけだが、20代で発症している点から子宮体癌ではなく子宮頸癌だった可能性が高く、また子宮だけでなく卵巣まで広範囲にわたって摘出していることから広汎子宮全摘術が行われたと思われる。その際の入院期間は現在では3~4週間となっている(連載時ならもっと長かったかも)。つまり、愛を告げた手術の後、めぐみさんが入院している間、少なくとも一ヶ月ほどは二人は親しく接する時間があったと思われる。

さてその後のことだが、私はめぐみさんの退院と同時に別れが訪れたと思っていた。その際は、別れの言葉も前兆もなく、めぐみさんがBJの前から突然姿を消して行方をくらましたと想像していた。理由はない(爆)。ただ、それが一番想像しやすかったからというに過ぎず、BJはその後風の噂に彼女が船医になったと知ったのだろうと思っていた。

ところが、今回のヨコさんの二番目の疑問である。
「あのアルバムは何だったんでしょうね?(^_^;)」

ここでどうにもわからないことが出てきた。あのアルバムはどういう来歴のものなのだろうか。これまで私はあのアルバムについて、他の医局員(辰巳先生あたりか?BJと如月先生のツーショットもあるのだからBJ自身が撮ったとは考えられない)が撮っためぐみさんの写真をBJがこっそり貰い受けてアルバムにしていたと考えていた。しかし、だ。「めぐり会い」でBJはそのアルバムを如月先生に「思い出を清算するために」「渡す」と表現している。

自分がこっそり作ってきた好きな女性のアルバムを本人に渡すことが、思い出を清算することになるか? はぁあ?! である。考えてみればこれほど不可解な行動はない。とんだトンチンカン野郎だ。自分がこつこつ作ってきたアルバムなら、「さようなら、めぐみ……」とキザにつぶやいて暖炉へポイすれば済むことだ。それをめぐみさんに渡しているということは……。

これはめぐみさんが作っためぐみさんのアルバムだということになるではないか!

いまはどうだか知らないが、ひと昔前は恋人同士が別れるときはお互いにもらったものを返すという風習(?)があった。BJはその伝でアルバムをめぐみさんに「返す」という行動に出たのだと思う。単に「渡す」ではなくて、ここは「返す」だ。つまり、めぐみさんから借りていた、あるいは「もらった」アルバムを「返す」ために、ずっと持っていたということになる。

では、このアルバムがめぐみさんからBJの手に渡ったのはいつなのか? 少なくとも手術以前ではない。愛を告げられる前に、めぐみさんがBJにそんなものを見せるはずがない。だとすると、めぐみさんの退院後だ。入院中に「きみの写真が欲しい」とかなんとかBJが言い、それではとめぐみさんが家から取ってきてBJに渡したのか……。

う~む。話がややこしくなってきた。めぐみさんの方からBJを振ったのだという前提を正しいとすると(というか、そうだとしか私には考えられない)、めぐみさんはいったいどういうつもりでアルバムをBJに「渡した」のだろう? 別れようと思っている恋人に自分のアルバムなど渡すだろうか? あるいは、渡す時点ではまだ別れを考えていなかったのか?

しかし、いずれもしっくりこない。別れようと思っている相手にアルバムを渡すなら、それは「自分をいつまでも忘れないでね」という意味になるだろう。めぐみさんがそんな自意識過剰な人だとは思えない。そしてもしそういう意味だったとしたら、最後にBJがアルバムをめぐみさんに返すという行為はとんでもなく酷い行為になってしまう。だからめぐみさんは別れを前提にアルバムを渡したのではない。ならば、渡す時点ではまだ別れを考えていなかったということになるのだが、めぐみさんはそんなに性急に別れを決めたのだろうか? 私は入院期間中にじっくりと考えてその悲しい決断をしたと考えたいのだが。

あらら~、答がなくなってしまった。┐(´ー`)┌

試しに「めぐり会い」という話からアルバムという要素を取り去ってみるとどうなるだろうか。
 如月先生の電話を受けたBJは即座に会いたいという意思を表明する。
 ついてきたピノコがいなくなり探す。
 ピノコは如月先生と話をして、めぐみとBJの恋模様を聞く。
 BJと如月先生は、たいして話もできなかった。
 後日、如月先生が出航するのをBJが見送りに行く。
これだけの筋である。しかしここにアルバムという要素が加わると、ラスト2ページが実に劇的に変貌する。「え?! 如月先生がめぐみさんその人だったの?!」と、読者はそのトリックにビックリするのだ。ついでに言えば、二人の再会にピノコがついてくるという要素も大事だったのだと気付く。二人きりだったなら、早々に「如月先生=めぐみさん」ということが判ってしまっていただろう。

だから……。「ストーリー展開の都合上」という読み方はあまりしたくはないのだけれども、アルバムという要素はストーリーを劇的に展開するための小道具だったというのが、いちばん破綻のない読み方なのかもしれないと思う。そして、手塚先生の都合上だったとすれば、二人の別れもアルバムの謎もやはり読者各人の想像を膨らませてよいのではないかと思う。いかがでしょうか?^^

| | コメント (4) | トラックバック (0)

平成もあと2年?

ネットニュースより

--- 天皇陛下が在位30年を節目として譲位を希望されていることを受け、政府は、平成31(2019)年1月1日(元日)に皇太子さまの天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。国民生活への影響を最小限とするには元日の譲位が望ましいと判断した。譲位に伴う関連法案は、有識者会議の報告と衆参両院の論議を踏まえ、5月上旬にも国会に提出する見通し。譲位は「一代限り」として皇室典範改正は最小限にとどめる方向で検討を進める。

 複数の政府関係者が明らかにした。譲位の日時に関しては「○年以内に政令で定める」として法案に明記せず、皇室会議を経て閣議決定する方針。

 具体的には、平成31年元日、国事行為である「剣璽(けんじ)等承継の儀」(三種の神器等引き継ぎ)と「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)を宮中で行い、官房長官が速やかに新元号を発表する方向で検討している。

 皇位継承に伴う重要儀礼である大嘗祭(だいじょうさい)は、準備に半年以上を要するため、平成31年11月にずれ込む見通し。皇位継承を内外に示す国事行為「即位礼正殿の儀」は大嘗祭の前に行われるという。(以下略)---

私のような下々の者でも天皇制と関係があるとすれば、そのいちばん大きな要素は元号だろうと思う。1960年(昭和35年)というキリのいい年に生まれた私にとって、昭和の時代は西暦と元号と自分の年齢の互換は容易だった。それが1989年が平成元年となってから、算数の苦手な私にはさっぱり計算ができなくなり、以来28年間よくわからないまま過ごしてきた(笑)。

平成31年から新しい元号になるとすると……。
西暦2018年━平成30年━58歳(誕生日以降)
西暦2019年━〇〇元年━59歳
西暦2020年━〇〇2年━60歳
西暦2021年━〇〇3年━61歳
うん。やっぱりビミョー(爆)。2021年から元号が替わってくれれば私的には最高なんだけどな~。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

行列することははたして美徳か

穏やかな日和に恵まれた三が日。元旦には美保神社、3日には出雲大社へ詣でた。で、気になったことをひとつ書き留めておく。

美保神社へ詣でたときのことだ。天気が良かったからけっこうな人出である。イカ焼きやたこ焼きの露店に客が列を作っているのを横目に見ながら、鳥居を潜って参道をしばらく歩く。と、見えてきたのはまたまた長蛇の列。幅2~3人の列がどうやら本殿前まで続いている模様。本殿までには石段を上らなくてはならないのだが、その左側は綺麗に空けて右側に皆さんおとなしく並んでいらっしゃる。

ここは並ぶ必要なんかないじゃないか! と、声を大にして言いたい。

で、私と連れ合いはスタスタと石段の左側を上って列をなす150人ばかりを追い抜き(追い越しではない)、本殿の賽銭箱にお賽銭を投げ入れさっさと参拝を済ませた。横を見ると、最前列の2人がお賽銭を投げてパンパンするのをすぐ後ろの2人がじっと待っている。

お賽銭箱の幅は少なくとも人間5~6人分はゆうにある。だからこそ、我々は賽銭箱の中央でこそないものの中央からちょっとずれたところからお賽銭を入れられたのである。

何故、行列する必要のないところで行列するのだろうなあ? お賽銭箱の中央から参拝しなければならないワケでもあるのだろうか?

いや、ただ単に前の人が並んでいるふうに見えたからそうしたというだけのことだろうと思う。私だって、立錐の余地なしの大混雑のときに行列の必要性を感じればもちろん並ぶ。あるいは、座席数の限られたお店の行列だとか、トイレの行列だとか、災害時に通路を空けておく必要があるときの行列だとか。それは最低限のマナーだと思うからだ。

しかし、これはそんなケースとは違う。2列が4列になろうが6列になろうがまだ余裕があるのだ。そんなときに行列する意味がどこにある? 皆でどっと本殿前に押し寄せて、われ先にお賽銭を投げ、本殿に向かってパンパンすれば、ことはものの1分で済む。それが大人しく行列すると10数分もかかるのだ。急いでいる人間にとってこんな場合の行列は迷惑行為以外のなにものでもない。

結局、これだけの人が並んでいるときに自分がそれに外れた行為をする「勇気」のある人が少ないのだと思う。誰もが、もうちょっと列の幅が広くなれば早く参拝できると思っているのだが、自分がその幅を広くする一歩を踏み出せないでいる。なのに、きっと、いざそれをする人間を目の当たりにすれば、ルール違反だとか言って怒るに違いないのだ(笑)。

3日に出雲大社へ詣でたときには「八足門」内に入って参拝できたが、列なんてできていなかった。因みに、前回参拝したときには、係員の人がともすれば行列しそうになる人々に向かって「列を作る必要はありません」と賽銭箱の脇で連呼しておられた。うん、出雲大社で2列の行列なんて作った日にゃ、参拝は一日がかりだ。

行列するという行為は、ふつう、ルールでもなければマナーでもない。その場その場に居合わせた一人ひとりが考えて、行列するのがよいと判断した人が多い場合に自然に発生するものであればよい。そして時の流れとともに自然に消滅するものだ。他人の迷惑になることはしないほうが良いが、そうでなければちゃんと自分で判断して行動しよう。状況に流されるだけの子羊の行列なんてまっぴらだと、新年早々思ったことである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

明けましておめでとうございますm(__)m

2017年、明けましておめでとうございます。m(__)m
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

さて、昨日の『紅白歌合戦』、なかなかの不思議ワールドだった(笑)。紅白二人の司会は素人さん同然。段取りと間合いの悪さにも周りのフォローは少なく、図らずも手に汗握る展開に……(笑)。構成もたくさんの演出を不必要に挟み込んで、何が何やらわからない安手のコント番組のような趣きになってしまっていた。タモリとマツコの掛け合いは個人的には面白いと思ったけれどもネ。いちばん笑ったのが、圧倒的大差で「白」が勝ったと思っていたのに「紅」が勝ったという結末。思いがけないことがいろいろ起こった一年を象徴していたような感じだった。

さあ、今年はどんな年になるか。少なくとも昨年よりは良い年にしたいものですね♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »