« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月

忖度だの慮りだの……┐(´ー`)┌

私は昔、国家公務員だった。辞めた理由はいわゆる家庭の事情。両親にとって娘は私一人しかいないが、私の仕事でのポジションの代わりはいくらでもいるのだ。後任者のためのマニュアル作りには結構苦労したが、私の仕事内容は後任者にそのまま引き継がれたことと思う。

定員も決まっている、最低限の仕事内容も決まっている、してはいけない行為も決まっている公務員の仕事に「忖度」だの「おもんぱかり」だのは、元来存在を許されないものだ。相手が誰であろうと(総理大臣であろうと都知事であろうと、あるいは背後にそういう権力者の匂いがする誰かであろうと、そのへんを歩いているどっかのおっさんであろうと)、その人が受けられるサービスや利益や権限は公平に提供されなくてはならない。また同時に、その事案に当たる担当者が誰であろうと、同じ仕事をし、その結果は同じにならなくてはいけない。手続きに不備がないか念入りに調べて検討する。故に、手続きには時間がかかるのが一般的だ。いわゆる「お役所仕事」というやつだね。

それが、神風が吹いたような異常とも思えるようなスピードで事態が展開していったとすれば、そこには何らかの力が働いたと考えるのが妥当だろう。お偉いさんが「ここの国有地は安くてもいいからあの人物に売れ(彼のバックには総理夫人がいる)」と命じたのなら、それはもうそれで決まり。お偉いさんがその決定の責任はとってくれるわけだから、物事はその方向へ一直線に進む。というか、進まないと叱られる(笑)。

今回の森友学園の件、私は財務省が「忖度」したのだと思う。総理夫人付き職員がちょっと照会しただけでテンパっちゃった誰かがいたんじゃないかな(笑)。もし本当にそれだけのことだったとすれば、それを「関与」と言ってよいかどうかは意見が分かれるところだと思う。でも実際、政治家(もしくは公人)の仕事なんて誰かの陳情を受けて担当各省庁に口利き即ち「関与」することが主たるものなんじゃないかと推測する。たとえ関与するつもりがなくても、ちょっと照会するだけでも、それだけの影響力があるということは昭恵夫人もわかっていなくてはいけなかったと思う。

昭恵夫人は公人ではなく私人だと総理は言っていたが、ただの主婦に講演の依頼なんかする奴はいない(笑)。「総理夫人」の肩書をありがたがって自分の権威付けに利用しようとする有象無象がいっぱいいるってことだね。くだらない……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

BJという共通認識

本を読んでいたら突然「ブラック・ジャック」という言葉が出てきて驚く、ということが立て続けに2回あったので、書き留めておく(笑)。

・『火花』(又吉直樹著)にて。
------
……ゆっくりと眼を開くと、神谷さんが楽しそうにカーテンをひらひらと動かして、僕の顔に朝日を当てていた。
「やめてください」と僕が言っても神谷さんはやめない。
「徳永の顔面にブラック・ジャックみたいな日焼けあと、作ろっと」と言って、神谷さんは笑っている。
「それの、なにが面白いんですか」僕は毛布で顔を隠した。……
------
日焼け痕であれを再現しようと思ったら、夏の海辺で一日がかりじゃないかな~。

・『新しい単位』(世界単位認定協会編)にて。
------
「4万1500Sn ブラックジャックの器用さ」
我々の研究のなかで、もっとも高い数値を示したのは、神業ともいえるメスさばきで、多くの重病患者を治してしまう、医師免許を持たないあの外科医です。ブラックジャックの「器用さ」は、なんと4万1500シンニョーを記録。……ただ、生き方の不器用さが気になります。
------
この世のいろんな現象を新しい単位で表そうとする本なのだが、「漢字の“しんにょう”を綺麗に書きこなす器用さ」を「1Sn(シンニョー)」としたとき、その最高得点を叩き出していたのが、我らがBJ先生の手技だった(笑)。生き方を計測すれば0.1Snくらいかもしれないが……(爆)。

・あと、これはBJ先生の名前が出てくるわけではないのだが、ドラマ『真昼の悪魔』で悪魔のような女医が鏡を見ながらセルフオペをした。器械出しは彼女の婚約者(医療についてはまったくの素人)が行っていた。BJ先生の場合は助手も無しでやっているときがあるから、やっぱり4万1500Snの男はすごいな~(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『真昼の悪魔』

『真昼の悪魔』(遠藤周作著)読了。いやいや、他に読みたい本はいっぱいあるのに、たまたま観た同名のドラマの面白さに、ついつい原作にまで手を出してしまった(汗)。

---患者の謎の失踪、寝たきり老人への劇薬入り点滴…大学生・難波が入院した関東女子医大附属病院では、奇怪な事件が続発した。背後には、無邪気な微笑の裏で陰湿な悪を求める女医の黒い影があった。めだたぬ埃のように忍び込んだ“悪魔”に憑かれ、どんな罪を犯しても痛みを覚えぬ虚ろな心を持ち、背徳的な恋愛に身を委ねる美貌の女―現代人の内面の深い闇を描く医療ミステリー。---(新潮文庫版カバーより)

中学か高校の頃に『海と毒薬』で読書感想文を書いて以来の遠藤周作である。↑上の内容説明には「医療ミステリー」とあるが、女医が主人公のミステリ仕立てではあるものの医療とはあまり関係がない。『海と毒薬』が生体実験を扱って医者の良心を問う作品だったのとは少し趣きを異にする。最終章まで名前が明かされない「女医」の悪魔的所業に、読者は自分の良心を試され、その良心の寄って来たる根拠の薄弱さに思い至って愕然とする。この作品を興味深くおもしろく読める読者なら(もちろん私も含めて)、多少なりともこの「女医」のような悪魔的感覚を持っているに違いないのだから。

この「女医」はおそらくサイコパスと診断される人間なのだろう。ドラマの方では自分の父親に対して「私はどうしてこんな人間なの?!」と叫び、たびたび教会へ懺悔に行く(その実、神父と闘いに行っているのだが)という行動からも、この状態から抜け出したい、救われたいと思っているような片鱗が見えるが、原作の方ではそういうエピソードはなく、どこまでも自分本位で罪を犯し、それに対する後悔もまた満足も得ていない。原作の方がサイコパスの度合いは高いような気がするけれども、ドラマでの演出の方が恐怖は倍増する。自分が罪悪感を持たぬ人間だとわかっている人間がその異常性にも気付いているほうが、より救いがないではないか。

終盤にかけて、女医の周辺にも怪しい人物が登場……いや、ずっと出ているから「発覚」のほうがいいか。いったい彼は何を考えて行動しているのか。善なのか悪なのか。混沌としてくる。普通に生活している人間と悪魔のどこが違うのか……。現代に起こるいろいろな凄惨な事件と照らし合わせてみても、人の心の均衡の危うさを思わずにはいられない一冊である。

あ、ドラマが始まる。観ます♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仏経山リベンジ

日曜日に仏経山(出雲国に4つある神名火山のうちの一つで、伎比佐加美高日子命が座す山)に登ってきた。昨年に続いて2度目のトライである。昨年は本来見るべき磐座を見損ねて下山してしまったので、リベンジなのである。今年は無事に磐座を拝むことができ、展望広場からの眺めも堪能した。

鏡のように穏やかな宍道湖、昨年末に登った嵩山から連なる北山山地がくっきり見える。山陰本線を走る列車がおもちゃのように走っているのが可愛い。何だかわからないが鳥の声が時折聞こえる他はまったく何の下界の音も届かない。神はこういう高みから人間の生活を、悠久の時の流れを見ているのだなぁと思ったりする。

お弁当も食べ終え、さて下山というとき、もうこの山に登ることもないかもしれないと思い、もう一度景色を見渡す。夫が「また来ればいいじゃないか」と言ったが、ここ10年ばかりは私はどこへ行っても「これが最後かもしれない」と思って景色を見てきたような気がする。若い頃には湧かなかった感覚ではあるが、特に哀しいという感覚でもない。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという悔いを残さないという意味合いでもない。ただ漠然と、いまこうしている自分という事実を、味わい尽くしたいという感じがあるだけだ。「一期一会」ってのはこういう感覚なのかもしれないと思う。

歳をとるというのは、若い頃には簡単にできたことができなくなることでもあるが、若い頃には得られなかった感覚を新たに見出すことでもあるようだ。そう思えば、歳を重ねるのも案外悪くない。本日、めでたく57歳になったおばさんの雑感である。^m^

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »