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仏経山リベンジ

日曜日に仏経山(出雲国に4つある神名火山のうちの一つで、伎比佐加美高日子命が座す山)に登ってきた。昨年に続いて2度目のトライである。昨年は本来見るべき磐座を見損ねて下山してしまったので、リベンジなのである。今年は無事に磐座を拝むことができ、展望広場からの眺めも堪能した。

鏡のように穏やかな宍道湖、昨年末に登った嵩山から連なる北山山地がくっきり見える。山陰本線を走る列車がおもちゃのように走っているのが可愛い。何だかわからないが鳥の声が時折聞こえる他はまったく何の下界の音も届かない。神はこういう高みから人間の生活を、悠久の時の流れを見ているのだなぁと思ったりする。

お弁当も食べ終え、さて下山というとき、もうこの山に登ることもないかもしれないと思い、もう一度景色を見渡す。夫が「また来ればいいじゃないか」と言ったが、ここ10年ばかりは私はどこへ行っても「これが最後かもしれない」と思って景色を見てきたような気がする。若い頃には湧かなかった感覚ではあるが、特に哀しいという感覚でもない。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという悔いを残さないという意味合いでもない。ただ漠然と、いまこうしている自分という事実を、味わい尽くしたいという感じがあるだけだ。「一期一会」ってのはこういう感覚なのかもしれないと思う。

歳をとるというのは、若い頃には簡単にできたことができなくなることでもあるが、若い頃には得られなかった感覚を新たに見出すことでもあるようだ。そう思えば、歳を重ねるのも案外悪くない。本日、めでたく57歳になったおばさんの雑感である。^m^

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コメント

お誕生日、おめでとうございます。(*^O^*)

するとやはり、生まれ年は同じですが、わかばさんのほうが1年先輩ですね~。・・・これから半年はモトキのほうが1歳若いと。(*´艸`)

さて、一期一会の感覚ですが。

私はあまり旅に出ることがありません。だからなのか、わかばさんの言う「これが最後かもしれない」という感慨はほとんど感じたことはないと思います。ただ、一期一会という言葉にはちょっと反応する部分があります。

メルマガを発行して9年目になりました。月2回で通巻200号を超えています。投稿の7割近くは私のものですので、単純に文字数を数えてみただけでもかなりの文章量になると思います。過去話だったり、時事ものだったり、創作だったり、レポートだったりと、書いている中身も種々雑多です。・・・まぁ、中身は置いといて。(^^;)

こうして書き続けてきてみると、自分の変遷がそこに綴られているような気がしています。時々、過去の文章を読んでみますと、その時々の感情が蘇ってきたり、逆に何を考えてたんだ自分、と首をかしげることもありました。そんなこんなで今は、この先自分がどのような文章を書き連ねていくのかを、追いかけてみたいという気になっています。(^^;)

わかばさんが感じる、これで最後かもしれないとの思いとは異なるかもしれません。ただ、今この時点で文章を書いている自分は、多分昨日の自分とは違ってきているでしょうし、明日はまた変わって行くのだろうと思うと、ここに文章を残しておくことが、自分にとっては「写真を撮る」ようなことなのかもしれないと感じます。昨日でもない、また明日でもない今の自分が確かにここにいた、と先々で確かめるすべであるのかもしれません。

その意味では自分自身に、今日のおまえとは一期一会だな、と言っているようなものですねぇ。この感覚、解るかなぁ? 解んねぇだろうなぁ。(^-^)
 

投稿: モトキ | 2017年3月10日 (金) 00時28分

モトキさん

お祝いいただきありがとうございます♪
はい、そうです。私はモトキさんより半年ばかりお姉ちゃんですのよ。(* ̄Oノ ̄*)
これでモトキさんは私のパシリ決定な!(にっこり) 悔しかったら追いついてごらん!
ひっひっひ。^m^

モトキさんがおっしゃっている感覚、わかります! モトキさんが書かれる記事とは比べようもないほど拙いこのブログでさえ、そのときその瞬間の自分をさらけ出していることに変わりはありませんから。読み返してみるとその時々の感情が蘇ってきます。たしかにこれは、あの瞬間の自分との一期一会の記録になっているのかもしれませんね。

私がブログを始めたきっかけにも、そんな思いが(ほんの少しは)確かにあったように思います。自分はこの世に生きた証を何か残すことができるのだろうかと、決して大それた意味ではなく漠然と、でも日々の精神活動の軌跡の一端でも書き綴ることが「自分」という存在の手ごたえになるかと思ってブログを始めた記憶があります。

それは一日前の自分とは何かが絶対に異なっているはず。一分一秒前の自分とも違うはず。まさに一期一会。そしてそれは「これが最後かも」すなわち「今この瞬間しか見られない」と思って景色を見ている私とまったく同じ感覚だと思います。景色を見ているようで、実は私はその瞬間の自分を見ているのですよね。華厳経の「一即多、多即一」の思想にも関係するのかな。自分の内も外も一緒くた……。いや、不勉強のためそのへんのところは判りませんが(汗)。

まあ、この歳になれば、今さらものすごく人間的に飛躍できるとも思えませんし、きょう何かに気付いて感動したとしてもそれは過去に既に経験したことであるのを忘れて新たな感覚だと思っているだけかもしれませんし、何かと衰えていくことが増えていくのは間違いないことでしょうけれども、まあそこはそれ、忘却力だってひとつの能力だと思って前向きに生きていきたいと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね~。^^b

投稿: わかば | 2017年3月10日 (金) 23時35分

お誕生日だったのですね!
遅くなりましたが、おめでとうございました⬅過去形🎊

「また次、来ればいいか」と思ってる所ほど、もう行くことがなかったり、「これは人生で一度きりの事かもしれない」と思ってる所ほど、また行ける機会があったりしますよね。
自分は、まだ二十歳にもなってませんが、自分は何の為に生まれたのか、いつまで生きられるのかとか考えて、1人で不安になったりしてました。いつ、どこで誰に、何が起こるのか分からない。いや、分からないから生きていけるのでしょうね(^_^;)
未来なんて誰にも分からないのだから、とにかく「今」に集中して生きよう!と励んでます。
その「今」の積み重ねが人生ですもんね(^-^)
また、人間には寿命というものがあるから、毎日を一生懸命に生きられるのでしょうねー。
もし永遠に生きられるとしたら、人間は、ダラけた生活を送っていたでしょうね(; ̄ー ̄A

堅い話すみませんね(^_^;) 神様とかスピリチュアルな話には関心があるので😺

投稿: ヨコさん | 2017年3月18日 (土) 22時36分

ヨコさん
お祝いのお言葉、ありがとうございます。嬉しいです~♪\(^o^)/

ヨコさんはまだ10代でいらっしゃるのですね。人生でいちばん純真で多感な時期だと思います。
「今」に集中して生きよう!と考えていらっしゃると伺ってビックリです。私の10代の頃はそんなこと考えもしませんでしたから(汗)。私なんて「今」が永遠に続くような気がしていましたよ(←バカですね~^^;)。

永遠という言葉でいつも思い出すのは『火の鳥』です。死ぬのも怖いですが、死なないというのはもっと怖いということを教えてくれた作品です。命には限りがあるから愛おしいのだと気付かせてくれますね。

>神様とかスピリチュアル
おお、おもしろそうですね。人間が作り出した「神」そのものに興味はありませんが、そういうものを必要とする人間のこころの有り様には興味があります。そういうものに関するおすすめの本などありましたら、教えてくださいね~。

投稿: わかば | 2017年3月20日 (月) 00時11分

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