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出雲国風土記と神話

八雲立つ風土記の丘で開かれた「出雲国風土記と神話 講師:荻原千鶴」を聴講してきた。聴講者は150~160人くらいだったかな。会場ぎっしりだった。

記紀や風土記に描かれる神がどのように人間と関わるかを通して、「出雲国風土記」の特異性を探り、そこに窺える編纂者の意図にまで踏み込んだ内容だった。パイプ椅子に2時間じっと座って資料を読んだりメモを取ったりするのはなかなか大変だったが、とても面白い内容だった。これまで自分がいかに漫然と「出雲国風土記」を読んでいたかを思い知らされたのがかえって痛快だった。あの説話にはそういう意味が……!という感じ(笑)。

以下、興味をひかれた部分を書き留めておく。

・三輪山型神話
神が美しい人間の乙女を妻にしようとする神話は数多くあるが、ヘビやワニ(サメ)がその正体ということが多い。三輪山の大物主は蛇神。またそのヘビは雷、水、刀剣の力と結びついて、水と農耕にかかわる神話となっている。たいてい恋は成就するが「出雲国風土記」の“鬼の舌震い伝説”ではうまくいかないのが珍しい。「したふ」には「慕う」の他に「紅葉する」という意もあり。

・交通妨害説話
荒ぶる神が道行く人間の半数ほども殺してしまう。人や朝廷や天皇がその神を祀ることによって収まる。なぜ神は荒ぶるのかといえば、そもそも「道」は神様のものだから。他国の風土記逸文にはそういう荒ぶる神が出てくるが(出雲の神も他国では荒ぶっているが)、出雲国の中には荒ぶる神は出てこない。「出雲国風土記」においてその役割を担っているのは「鬼」である。神々は神々だけでパンテオンを作っており、記紀や他国の風土記に見られるような人間とのかかわりがない。

・神の御子の異常な言語活動
ホムチワケやアジスキタカヒコネのように、大人になってもしゃべれない神がいる。言葉の持つ不思議さや、神がしゃべることに対する畏れがある。また、それらしゃべれない神がしゃべれるようになる場所がみな「水」に関わる場所である。水が湧き出る、言葉が出る。それは赤子が初めて言葉を発する時に似て、新たな命や世界の始まりである(ここで映画『奇跡の人』のヘレン・ケラーとサリバン先生のワンカットも紹介された。“Water”のシーン)。「出雲国風土記」は神々との仲立ちをする神職・国造が編纂しているが、祝詞を上げるなど言葉を操るプロの世界観や哲学が反映されているのではないかとの指摘がとても興味深かった。

最後に聴講者からの質問。「出雲神話の中の“くにびき神話”で、朝鮮半島などから土地を引っ張ってくるが、当時、領土意識というものはなかったのでしょうか?」。答としては、「領土意識はなかったか、あっても希薄なものではなかったか。国作り神話は神学から発した創作ではないか」とのことであった。

まぁ、いまでも竹島を巡り半島の国とは諍いが絶えないが、神話というおおらかな世界観からすれば、国境線なんてものはあってなきがごとくのものだったのかもしれない。最近「魏志倭人伝」を読み進めているのだが、日本だけのことを考えていてもらちが明かない気がしている。半島や中国本土まで広く視野に入れて、東アジア全体を考えなくてはいけないように思う。出雲神話を作り出した当時の人々の世界観を持ちたいナと、そんなことまで考えることのできた講座だった。

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