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『魏志倭人伝』覚書(180201)

去年から『魏志倭人伝』がマイブームなのであるが、研究は遅々として進まず。わからないことだけがどんどん増えていき、そもそも何がいちばんの謎なのかそれすらもわからなくなってきた(笑)。いや、それでも、めっぽう楽しいのだが。

『日本書紀』が『魏志倭人伝』を下敷きにして記されていることはほぼ間違いのない事実であるらしい。その上で、紀を記した人々は神功皇后を卑弥呼と同一人物としたいらしい。だったら、卑弥呼は神功皇后であると一言、はっきり紀に書いておいてほしいものだが、それはない。自分たちで作ったフィクションであるがために、そこまで書くのは良心が痛んだか(笑)。そもそも、卑弥呼は生涯夫も子もいないのに神功皇后と同一人物とするには無理がある。卑弥呼はアマテラスであるとする説のほうがまだ納得がいく。

神話というものは歴史を整備する上で必要欠くべからざるものであろう。都合の悪いことはみな神様の仕業にしてしまえばよいのだから。で、記紀に描かれる日本神話と『魏志倭人伝』を比べてみると、漠然と日本神話のほうが古いと思っていた私の認識が間違っていることに気づく。記紀にスサノオがアマテラスを高天原に訪ね、そこで乱暴狼藉を働くエピソードがあるが、彼は皮を逆剥ぎにしたウマを神聖な機織りの部屋に投げ落とす。ところが、『魏志倭人伝』には当時の倭国にウマはいないと書かれている。スサノオの神話より卑弥呼の時代のほうが古いことがわかる。ヤマタノオロチやら何やらの神話は赤壁の戦いなんかよりずっと後の時代なのだね。

『魏志倭人伝』の記述は正しいか、記紀の記述はどれくらいフィクションか、そんなことを考えているとまったく先が見えなくなる。そこが面白い。

そんな中で、両書にちらりと書かれているいわゆる悪役にはとても興味をそそられる。歴史なんて勝った方の歴史なのだから別に触れなくてもよさそうなことだが、さすがにまったく触れないのは良心が痛んだか(笑)。私はここに真実味を観る。『魏志倭人伝』において邪馬台国と敵対する狗奴国の狗古智卑狗(くこちひこ)と、『日本書紀』に出てくるまつろわぬ神・香香背男(カカセオ)である。「ひこ(彦)=お(男)」の意と考えれば、「ku ko chi」と「ka ka se」の音はよく似ている。私は同一人物ではないかとにらんでいる。カカセオが祀られている神社を調べると北関東に多い。よって、邪馬台国と敵対していた狗奴国(くぬこく)は「毛の国(毛野国)」ではないかと考えている。

その他、いろいろ疑問なこと。
・『魏志倭人伝』の内容が、風俗だったり政治形態だったりごちゃごちゃしている。断簡をつなぎ合わせたもののように思われる。
・鯨面文身の記述がやはり紀と合わない。いつ頃まであった風習なのか。
・『魏志倭人伝』で男性の髪型を「みずら」と解するのは間違いじゃないかと思う。

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コメント

吉川英治の三国志は読んでも、裴松之の注釈なんかは読む気にもなりません。だから当然、魏志倭人伝もまったく読んでいません。わかばさん、よく読む気になりましたよねぇ。(^^;)

馬の話ですけど、きっと高天原には馬もいたんですよ。もしかしたら羽が生えていたり、角があったりしたかもしれませんが。

・・・あー、そんな話じゃなくて。魏志倭人伝の中に出てくる言葉がネックになっていて、邪馬台国の位置が不明になっていたという説を聞いたことがあります。「いたる」という言葉なんですが、これが2種類使われているんですね。「至」と「到」です。この二つの意味が違うんだとか。

どっちがどっちだったか記憶があいまいなんですが、片方は移動したあとに起点となり、もう片方は起点にはならないという違いなんです。AからBへ至る、の場合は次にBが起点となります。でも、AからBへ到る、のときはただ単にAからBへ行けるというだけで、自分は動いていません。

Aから西へ百里余りでBに到る。東南に進み二百里余りでCに至る。

この場合、AからBへ行き、そこからCへ行くと解釈しがちですが、実際にはAから西へ百里余りのところにBという国がある、という事実を述べただけで、次の行程の起点はAのままなんですね。

この二つの「いたる」をキチンと読み分けると、邪馬台国は鹿児島県にあることになるのだそうです。(^.^)

私個人としては北部九州説が判りやすいかなと思いますが、さて実際にはどこにあったんでしょうねぇ? 
 

投稿: モトキ | 2018年2月 7日 (水) 00時25分

モトキさん

こんな記事にまでコメントありがとうございますm(__)m
裴松之なんていう名前がすらっと出てくる時点で既にモトキさんの方が私よりたくさんの知識をお持ちであることがわかります。ご一緒に読んでみません?^^ 面白いですよ~♪

漢字で2千文字ほどです。岩波文庫版をノートに書き写したときに、「至」と「到」があることには気づきましたが、違いを調べていませんでした(汗)。ご指摘を受けてノートを見返したところ、「到」は一か所でした(間違いがなければ)。今度図書館へ行ったときにちゃんと『大漢和』をひいて意味の違いをはっきりさせようと思います。ありがとうございます。

鹿児島という説も確かにあるようですね。ただ私は九州の中に納まる話ではなさそうだという感触を昔から持っているので、近畿のどこか、やはりヤマトではないかと思っています。倭国からは「青玉」(たぶんヒスイのこと)が出るという記述もあり、でも九州からはヒスイは出ませんからね。北陸あたりまで勢力下に入っていたのではないでしょうか。

今回いろいろ調べてみて、九州説は本居宣長あたりから出た説で、彼は日本が中国に朝貢するなんていうけしからん話があってはならんから卑弥呼は九州の一女酋長にすぎないと言ったとか言わないとかいう説も目にしました。そんな国粋主義的な考えが先にあって九州だ近畿だという論争になっているとすれば、こんなにアホらしいこともないなと思ったりします。ただただ文献を素直に読むだけでこんなに面白いのに(笑)。

いまは少しずつ中国や朝鮮半島側の文献を調べています。けっこう「倭人がやってきた」なんていう記述があるんです。『日本書紀』にはそんなこと一切書かれていないんですけどね~(笑)。

あ、そうそう、ウマについては、これ結構大きな船で運んできたと思うんですよね(日本古来のペガサスはいなかったとして・笑)。造船の歴史も調べなくてはならないと思っています。果てしなく謎が広がって、めちゃめちゃ楽しいです♪ ねぇ、一緒に調べません?

投稿: わかば | 2018年2月 7日 (水) 22時33分

翡翠でしたら、一応熊本あたりも産出地になっていますよ。(^^ゞ

あまり勉強したことはないので書籍の受け売りばかりですけど、邪馬台国が九州北部にあったとすると、その南に狗奴国があったという魏志倭人伝の記述と合うんですよね。で、この狗奴国が後の熊襲ではないかと。

すると、実在したかどうか不明ですが神功皇后の西征や三韓征伐との絡みが生きてくるように思われます。この時、邪馬台国の台与(臺與)との関わりもあったとされている、という話を聞いたことがあります。神功皇后が卑弥呼であるとかいう話も、もしかしたらこの辺が出所なのかもしれません。

あと、邪馬台国が東征して大和朝廷になった、という説にも興味があります。これですと神功皇后の話とは矛盾してしまいますが、銅鐸と三種の神器との関係性がスッキリと説明できるような気がします。

また、古墳を中心に考えると、「騎馬民族が日本を征服した」という説に分があるかと思えます。色々ありすぎてツッコミどころが満載ですが、謎が謎を呼ぶという展開は大好きだったりしますね~。(^.^)

ちなみにモトキの言ってることはすべて受け売りですので、ツッコまれても返答は多分出来ません。そこんところ、よろしく~。(^^♪
 

投稿: モトキ | 2018年2月 9日 (金) 00時08分

モトキさん

数々の謎の連投、ありがとうございますm(__)m

しめしめ、うまくモトキさんを引きずり込んだゾ(←心の声)^m^

え~と、いまの私の知識ですと、書き込んでいただいた謎のどれ一つにもちゃんと答を見つけることは不可能です(汗)。
唯一、ヒスイについてですが、糸魚川産のヒスイ以外はジュエリーとして加工することは難しいらしいという点と、熊本でヒスイ鉱が発見されたのがいつのことかはっきりしないという点で、モトキさんのご指摘は見なかったことにしたいと思います(爆)。

神功皇后の西征や神武天皇の東征には興味をそそられますよね。また三種の神器のうち剣は出雲の国でヤマタノオロチから出てきたものが献上されたものですから、これをスサノオと結びつけると卑弥呼の時代より相当後の時代のものになるはず(例のウマの一件がありますので)。そんなこんなを考えていると、日本神話というもの自体が邪魔なものに思われたりもします。でもそれが楽しいのですけどね~(笑)。

卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳とか、あるいは他の天皇陵とか、掘ってみることができれば相当な謎は解明できると思うのですが、諸般の事情でそれができない。これが一番のネックなのでしょうね。祖先が騎馬民族だったにせよ、朝鮮半島からの渡来人だったにせよ、日本民族がどこから来たのかまでを探ろうとすることになってしまいますから…。日本列島に突然ヤマト民族が出現したなんてことがあるはずもなく、いずれはどこからかやってきた民族に違いないのですが、天皇制も絡んでそれを明らかにすることがタブー視される限り、謎は謎として永遠に残るのだろうと思います。

とりあえずは、やはり中国朝鮮半島の文献で倭人の記述を拾い集めるところからやっていこうと思います。謎の解明はモトキさんにお任せ~。\(^o^)/

投稿: わかば | 2018年2月 9日 (金) 22時16分

わかばさんのおっしゃるヒスイの件に関係しているかどうかは判りませんが、縄文時代の九州産ヒスイは実はヒスイではなかった、という発見が10年ほど前にありました。

■九州のヒスイはヒスイじゃなかった
https://blogs.yahoo.co.jp/ekrdnj1974/49901469.html

個人のブログですので信憑性は定かではありません。元ネタを探してみたいところです。(^^ゞ

古墳が調査できない理由って、色々とあるんですよねぇ。学術団体と呼ばれるものが大量にあるため、誰に調査をさせるかによって結果が変わってきてしまう、と言われているのがこの国の考古学なのだとか。

それはすでに学問ではありませんね。

以前どこかの古墳か陵墓の発掘調査が許可されたとき、全部で15の団体がその調査に関わっていたのだそうです。結局その調査の結果がどうなったのかはっきりしませんけど、きっとみんな違うことを主張してまとまらないんでしょうね。(-_-;)

謎が謎のまま、というのは残念なことではありますが、実は解かれてしまうような謎は謎ではありません。謎は謎であり続けることが大事なのですね。・・・自分で言っててもよく判りませんけど。(^^ゞ

・・・あ、風呂が沸いたのでこれで失敬。( ^o^)ノ
 

投稿: モトキ | 2018年2月10日 (土) 21時21分

モトキさん
更なる情報をありがとうございますm(__)m

原文には「青玉」と書かれているのでそれがヒスイを指すのかどうかも実はあやふやです。でもまさかサファイアではあるまいし…ということで、じゃあヒスイかもというわけなのですが、見た目がヒスイのように見えれば当時の人間がヒスイだと思ったとしても筋は通りますね。成分分析なんてやってないですからね~^^; と、どっちの判断もやっぱりできてしまうところが、謎の謎たる所以ですねえ。

学者グループや学閥で研究成果が変わってしまうなんて、なんじゃそりゃですね。まあ他の分野で論文を書くときも都合の悪いデータはなかったことにするのが普通(?)でしょうから、研究の世界もそれほど厳密なものではなく、なぁなぁな部分が多いのでしょうねぇ。

邪馬台国がどこにあったかという問題は、卑弥呼が魏王からもらった金印と封泥が発掘されるのを待つしかないのかもしれません。でも発掘されるまでは、誰もがいろんな夢と謎を追いかけていられる、最高級のミステリだと思います。楽しいですよね~、モトキさん♪

投稿: わかば | 2018年2月10日 (土) 23時59分

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