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2018年7月

(備忘録180727)

てんで「日記」の体を成しておらず、もはや「月記」ではないかと思う今日この頃……(滝汗)。

いろいろ思うところを書こう書こうと思っているうちに、また新たなショッキングなニュースが飛び込んでくるといった様相の7月だったと思う。

いま思えばあれが梅雨末期だった月始めの大雨災害では、今なお広島や岡山で復旧作業が続く。その大雨のニュースと前後してオウム真理教の麻原彰晃教祖ほか6名の死刑執行のニュースが飛び込んだ。執行は近いと言われていたが、それでも一度に7名もの執行には驚いた。平成の事件を平成のうちに片付けてしまおうという何者かの意志が働いたのだと思う。天皇の譲位や2年後の東京オリンピックをにらんだ配慮だろうが、麻原が何も語らずに逝ってしまったことで、奴はいったい何者だったのだろうというモヤモヤした気持ちは残る。(そして先日残りの6名も死刑が執行されてオウム事件は終わりを告げた。)

そうこうしているうちに、梅雨明けと同時に日本列島を熱波が襲った。太平洋高気圧の上にチベット高気圧がのしかかり、びくとも動かない。熊谷では41.1℃を記録し、ここ松江でも梅雨明け以来全然雨が降らず先日は37℃台を記録した。全国で熱中症患者が多発し、死者も多い。世界的に見ても、中国やカナダなども熱波に襲われているという。これはもう地球が壊れかけているとしか思えない。もう後戻りできないところまで来てしまったのかもしれない。

テレビで熱中症への注意を喚起してばかりいる間に、こっそりといろんな法案が可決された。順番はもはや覚えていないが、働き方改革法案、通称カジノ法案、それと参議院議員の定数を増やす法案だ。熱波と災害で国民が苦しんでいるこのタイミングに大して議論もせずに可決したのは、まさに「寄らしむべし、知らしむべからず」といったところか。言いたいことは山ほどあるが、一言でまとめれば「私はアベが大嫌いだ」ということになる。テレビに顔が映るだけで、ほんと嫌だ!

そして今度は台風が来る。妙なコースを通って、東から西へ抜ける見込みのようだ。これまでの常識が通用しないと言われており、これがどんな災害をもたらすのか見当もつかない。何事もなく通り過ぎてくれることを祈るばかりだ。

ところで、私がいまいちばん不思議に思っていることは、テレビであれだけエアコンを使えと言い、実際多くの人が一日中つけっぱなしにしているであろうのに、電力不足だというニュースがないことだ。どういうことだろう? 総裁選前ということが関係してる? まあいずれにしても、これだけ使っても大丈夫らしいということは覚えておこうと思う。

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簡単に事の善し悪しを語るな

6月の『100分 de 名著』はアルベール・カミュの『ペスト』を取り上げていた。講師は中条省平氏で、第4回にはゲストとして内田樹氏も登場。内田氏の読者としては見逃せない回であった(だってテレビで拝見したことないんだもん)。

うん。内田氏は想像したとおりのお人だった(笑)。言葉の使い方がやっぱり秀逸で、熱を込めて語られる内容はカミュをよく知らない私も思わず納得してしまう説得力があった。

さて『ペスト』であるが、あらすじをNHKのホームページから引用してみる。
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舞台は、突如ペストの猛威にさらされた北アフリカの港湾都市オラン市。猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていく。その一方でオラン市は感染拡大阻止のため外界から完全に遮断。医師リウーは、友人のタルーらとともにこの極限状況に立ち向かっていくが、あらゆる試みは挫折しペストの災禍は拡大の一途をたどる。後手に回り続ける行政の対応、厳しい状況から目をそらし現実逃避を続ける人々、増え続ける死者……。圧倒的な絶望状況の中、それでも人間の尊厳をかけて連帯し、それぞれの決意をもって闘い続ける人々。いったい彼らを支えたものとは何だったのか?
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ペストとは私たちの人生にたびたび訪れる「不条理」の隠喩である。内田氏はこの場合は特に第二次世界大戦時のナチスドイツのフランス占領のことであると説明された。望んだわけでもない状態に置かれたとき、人は何をよりどころとしてどう向き合うのか。カミュは様々な人々を登場させてそれを描いている。

結局のところ、「反抗」と「連帯」というのがカミュの描いたことがらの主眼だが、『ペスト』という作品は決して正義感だとかヒロイズムを賛美するものではない。神なき世界において、淡々と誠実に事に当たる人間の姿が何より美しい。

私は原作を読んでいないのだが、番組に取り上げられた登場人物の中ではタルーに共感を覚えた。タルーは聖者になりたいと思っている人間だ。そして彼は死刑についてこう語っている。「こうした死(死刑)は、誰も殺されることのない世界を作るために必要なのだと聞かされていた。そうした考えはある意味では真実だ。しかし、結局のところ、僕はその種の真実を信じ続けることができない人間なのかもしれない。確かなことは僕がためらっていたということだ」。

ペストは人間に不条理な死をもたらす。死刑も人間に死をもたらすことでは同じである。たとえそれが多くの人の安全にとって望ましいことであっても、だ。タルーは被害者の立場に立つ人間ではあるが、加害者を断罪しようとはしない人間だ。それは「赦し」云々の話ではなくて、彼が人を殺すことに「ためらい」を覚える人間であるからだ。

自分はどこまでを受け入れられてどこからが受け入れられなくなるのか、そのボーダーラインの決定に「ためらう」ことの大切さ、そしてその基準となるのが言葉では言い表せない身体感覚であることを内田氏が説いておられたのがおもしろかった。

物事の理非や善悪はそう簡単には決められない……。

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