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2019年4月

「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」

これが当ブログにおける平成最後の読書感想文である(笑・ただ「平成最後」と言ってみたかっただけ)。「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」(斉藤光政著)読了。

私が最初に『東日流外三郡誌』という文字列を見たのはたぶん30年も昔の新聞紙上、いや、高木彬光の作品でだったかもしれない(タイトルは……何だったかなぁ?)。そもそもこれを何と読むのかわからなかったが「つがるそとさんぐんし」と読むのだと知った。高木氏の作品でははっきり偽書であると書いてあったように思う。当時の私の興味はそこまでだったが、このたびたまたま書店で「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」という何やら面白そうな文庫を見つけたので読んでみた。

---青森県五所川原市にある一軒の農家の屋根裏から、膨大な数の古文書が発見された。当初は新たな古代文明の存在に熱狂する地元。ところが1992年の訴訟をきっかけに、その真偽を問う一大論争が巻き起こった。この「東日流外三郡誌」を巡る戦後最大の偽書事件を、東奥日報の一人の青年記者が綿密な取材を重ね、偽書である証拠を突き付けていく──。事件後見えてきた新たな考察を加えた迫真のルポ。---(文庫版カバー裏表紙より)

読んでいる最中は、なんでこんなのに騙されるかね~┐(´ー`)┌ という思いと、そのあまりの人騒がせっぷりに、被害を受けた当事者同様怒りさえ覚えていたのだが、読み終える頃にはズシリと重いものが胸中に居座っていた。延々と「古文書」を書き続けた和田氏の執念の深さ、そして何より、偽作かもしれないけれどもそれを真書と信じたい人々の様々な想いや思惑の重さにたじろぐ思いがした。私には真偽論争よりもそういう人々の思いのほうが印象に残る一冊だった。

『東日流外三郡誌』自体の内容は Wikipedia に詳しいが、考えてみればわれわれ日本人の最古の記憶は『古事記』『日本書紀』なのであり、それはしかし大和朝廷が自分たちの正当性のために都合よくまとめ上げたものと言えなくもなく、それ以前の「超古代」については遺跡として掘り起こされたもの以外には何もわからない。しかしそんな超古代にも人々はちゃんと生活していた。現代ほど便利な世の中ではなかっただろうが、現代人と同じように生産活動もし、家庭も持ち、ときには戦争もしていたはずだ。記紀には記されていない地方の集落にもきっと人々の栄枯盛衰があったのだ。

そういうことを知りたいという人々の願いにスルリと入り込んだのが『東日流外三郡誌』だった。大和朝廷と同じくらい古くて強力な権力が東北青森に存在したと言われれば、それは「信じたい」「真実であってほしい」と思うのが人情だ。

一体に、歴史は古いほど価値があるとされるようだ。記紀が二千六百数十年も前に日本の初代天皇を設定したのもそういうことだろう。何故か私たちは起源の古いものをありがたがる性向がある。そしてそれが自分に身近な地域のことならばなおさらだ。何だか誇らしい思いがするのは……どうしてなんだろうな?(笑) 純粋な郷土愛のなせるわざだろうか……。たとえばそれは、零細企業の社員より大企業の社員のほうが自信たっぷりに自己紹介ができるというようなことと似ているのではないかと思う。自分が帰属している集団が大きかったり長い歴史を持っていたりすると、自分自身までもその価値が上がったと思ってしまう。きっとそれはプライドの問題で、根本は承認欲求なのだと思う。

だから『東日流外三郡誌』事件は日本全国どこにでも起こり得る。地元民は喜ぶしマスコミも興味本位で取り上げることだろう。だが、そういう個人的な思いや希望や立場を捨象して、純粋に事実だけを積み上げることこそが学問であり、それをできる人が研究者なのだと思う。「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」には、そういう点でちょっと首を傾げざるを得ないような研究者が出てきて問題を大きくしている。けっこう有名な学者なのだが、素人目にも反論が反論になっていないのがわかる。この事件における研究者の責任を思うとともに、学問には真実を見る冷徹な目と真摯な姿勢が必要だということを教えてくれた一冊でもあった。

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追悼 モンキー・パンチ氏

思えば、『ルパン三世』の他には『一宿一飯』くらいしか読んだことがない。とにかくモンキー・パンチ氏といえばルパンだったし、ルパンといえばモンキー・パンチ氏だった。次の元号も発表されて平成もあと20日で終わりという4月11日、モンキー・パンチ氏が亡くなった。

1967年に『漫画アクション』誌上に登場した『ルパン三世』だが、私が初めて接したのは1971年から始まったTVアニメにおいてだった。たぶん再放送を観ていたと思うのだが、子供心にもなんともオシャレでクールで渋くてバタ臭かった! その後に作られた長尺の劇場版よりもハードだったなぁ。その後もTVでルパンをやるといえば観て、愛蔵版が出たといえば買ったりして、コアなファンではなかったけれどもルパンは常に私の傍にいてくれた。

手塚治虫のように壮大な世界観を描くのではなく、スマートなスラップスティックを描いて、日本のマンガやアニメの層を分厚くしていた作家さんだったと思う。偉大な功績だ。ご冥福をお祈りしたい。(-人-)

アニメには先日火災を起こしたノートルダム大聖堂もたびたび描かれていたと記憶している。不幸な出来事が重なってルパンも今頃は落ち込んでいるかもしれないなぁ……。

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(備忘録190410)

もうほとぼりも冷めた頃なので覚書として書いておく。先日行われた島根県知事選挙の話である。

現職の溝口善兵衛知事の任期満了に伴う知事選挙だったのだが、注目すべきは、自民党の県選出の国会議員と党所属の県議との間で支援する候補者が割れ、44年ぶりに保守分裂選挙となったことである。国会議員サイドはO氏を推薦し、県議サイドは自民党のみならず旧民主党・社民党系会派もM氏を支持した。他に共産党推薦のY氏と元安来市長のS氏の、計4人が立候補した。

普通なら私は自民党が割れようが割れまいが全く関係なく、島根原発再稼働絶対反対のY氏に投票する。しかし今回は少なからず迷った。理由は以下のとおり。

1. Y氏に当選の目はまずない。Y氏に投票すれば死に票になる。
2. 国vs県なら私は県を応援したい。ならばM氏に投票するか?
3. O氏は中学校時代の同級生である。

いちばん大きな理由はやっぱり3.だった。出足が遅れたこともあり苦戦と伝えられていたし、同窓会方面からそれなりの連絡もあった。O氏と同じクラスになったことはなかったが、人柄が悪いとかの噂も聞いたことはない。同級生を応援したい気持ちはもちろんある。

だいたい投票行動というのは自分に近い候補者を選ぶものだろうと常々思っているのだが、その「近い」というのは政治的信条なのか、血縁とか付き合いとかの人脈的なものなのか。ここのところで今回悩んだのだ。もしも1票差で負けたりしたら寝ざめが悪いし……。

結局私はY氏に投票した。O氏は落選、M氏が当選した。M氏とは3万票ばかりの差がついていたことが(こう言っては何だが)私にとっては救いだった。そしてこれはO氏に投票しなかったことの後付けの理由なのだが、O氏を推薦した国会議員が県議サイドをとにかくディスっていたことが挙げられる。自分たちの方が身分が上だと思っているのか、言うことを聞かない県議サイドをボロクソに言っていた。あれは見苦しかった。所詮は自民党内の内輪もめであることが露呈されて、一気に冷めた。あれではO君も気の毒だったと同情する。

しかしまあ、今回のことで私も何やら自信がついた。今後、同級生よりもっと日常的に自分に近い誰かが立候補したとしても、私は自分自身の政治理想論に基いて1票を投じることができると思う。

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新元号決定

新年度の始まり。エイプリルフール。そして今年に限っていえば、新元号の発表の日であった。

予定より10分ばかりも遅れて(どうして遅れたのかしら?)菅官房長官から発表された新元号は「令和(れいわ)」。『万葉集』巻の五が典拠であるという。さっそく『万葉集』を引っ張り出してきて確認した。

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・原文
《于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香》

・書き下し文
《時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす》

・現代日本語訳
《時は初春の令月(すなわち、何事をするにも良き月、めでたい月)、空気は美しく風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花開き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。》

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つまり「令和」とは「めでたく和やか」の意となる。「れいわ」という響きも良いし、穏やかで静かな感じのする元号ではある。

が、「令」という字面がなんとも引っ掛かる。「命令する」という意味があるし、「~せしむる」という使役動詞としての役割もあるからだ。上記の同じ原文から採るとすれば「淑和」としたほうが良いような気がする。ただこれだと頭文字がSとなって不都合なのかもしれないが。

また、初めて国書を出典としたということで評価されているが、それが中国と折り合いの悪い現政権の姿勢と関係するのだろうかと考えると、なんだか複雑な思いもある。しかしまぁ私としては「安」とか「晋」が使われなかったことで安堵したのであった(笑)。昭和が平成になったときと違い、なにやら楽しい雰囲気で新元号が決定したこともまた喜ばしいことだったと思う。

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