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「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」

これが当ブログにおける平成最後の読書感想文である(笑・ただ「平成最後」と言ってみたかっただけ)。「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」(斉藤光政著)読了。

私が最初に『東日流外三郡誌』という文字列を見たのはたぶん30年も昔の新聞紙上、いや、高木彬光の作品でだったかもしれない(タイトルは……何だったかなぁ?)。そもそもこれを何と読むのかわからなかったが「つがるそとさんぐんし」と読むのだと知った。高木氏の作品でははっきり偽書であると書いてあったように思う。当時の私の興味はそこまでだったが、このたびたまたま書店で「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」という何やら面白そうな文庫を見つけたので読んでみた。

---青森県五所川原市にある一軒の農家の屋根裏から、膨大な数の古文書が発見された。当初は新たな古代文明の存在に熱狂する地元。ところが1992年の訴訟をきっかけに、その真偽を問う一大論争が巻き起こった。この「東日流外三郡誌」を巡る戦後最大の偽書事件を、東奥日報の一人の青年記者が綿密な取材を重ね、偽書である証拠を突き付けていく──。事件後見えてきた新たな考察を加えた迫真のルポ。---(文庫版カバー裏表紙より)

読んでいる最中は、なんでこんなのに騙されるかね~┐(´ー`)┌ という思いと、そのあまりの人騒がせっぷりに、被害を受けた当事者同様怒りさえ覚えていたのだが、読み終える頃にはズシリと重いものが胸中に居座っていた。延々と「古文書」を書き続けた和田氏の執念の深さ、そして何より、偽作かもしれないけれどもそれを真書と信じたい人々の様々な想いや思惑の重さにたじろぐ思いがした。私には真偽論争よりもそういう人々の思いのほうが印象に残る一冊だった。

『東日流外三郡誌』自体の内容は Wikipedia に詳しいが、考えてみればわれわれ日本人の最古の記憶は『古事記』『日本書紀』なのであり、それはしかし大和朝廷が自分たちの正当性のために都合よくまとめ上げたものと言えなくもなく、それ以前の「超古代」については遺跡として掘り起こされたもの以外には何もわからない。しかしそんな超古代にも人々はちゃんと生活していた。現代ほど便利な世の中ではなかっただろうが、現代人と同じように生産活動もし、家庭も持ち、ときには戦争もしていたはずだ。記紀には記されていない地方の集落にもきっと人々の栄枯盛衰があったのだ。

そういうことを知りたいという人々の願いにスルリと入り込んだのが『東日流外三郡誌』だった。大和朝廷と同じくらい古くて強力な権力が東北青森に存在したと言われれば、それは「信じたい」「真実であってほしい」と思うのが人情だ。

一体に、歴史は古いほど価値があるとされるようだ。記紀が二千六百数十年も前に日本の初代天皇を設定したのもそういうことだろう。何故か私たちは起源の古いものをありがたがる性向がある。そしてそれが自分に身近な地域のことならばなおさらだ。何だか誇らしい思いがするのは……どうしてなんだろうな?(笑) 純粋な郷土愛のなせるわざだろうか……。たとえばそれは、零細企業の社員より大企業の社員のほうが自信たっぷりに自己紹介ができるというようなことと似ているのではないかと思う。自分が帰属している集団が大きかったり長い歴史を持っていたりすると、自分自身までもその価値が上がったと思ってしまう。きっとそれはプライドの問題で、根本は承認欲求なのだと思う。

だから『東日流外三郡誌』事件は日本全国どこにでも起こり得る。地元民は喜ぶしマスコミも興味本位で取り上げることだろう。だが、そういう個人的な思いや希望や立場を捨象して、純粋に事実だけを積み上げることこそが学問であり、それをできる人が研究者なのだと思う。「戦後最大の偽書事件『東日流外三郡誌』」には、そういう点でちょっと首を傾げざるを得ないような研究者が出てきて問題を大きくしている。けっこう有名な学者なのだが、素人目にも反論が反論になっていないのがわかる。この事件における研究者の責任を思うとともに、学問には真実を見る冷徹な目と真摯な姿勢が必要だということを教えてくれた一冊でもあった。

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