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2019年11月

人生会議

厚生労働省は、人生の終末段階でどのような治療やケアを受けたいか事前に医師や家族と話し合っておく「人生会議」の普及・啓発ポスターを製作した。しかし患者団体などから抗議が相次ぎ、ポスターを自治体へ発送するのを中止したそうだ。

批判や抗議の内容を調べてみると、死を茶化している、死を連想させて不安感・不快感を煽る、啓蒙ではなくて脅しである、患者にも家族にも配慮がない、医療費削減したい厚労省が吉本興業に製作を依頼するのが間違い、等々が挙がっていた。

何事にも100%の出来というのはないし、何事にも賛成と反対の意見がある。私個人の感想を言えば、そんなに悪いポスターではないと思ったし、「人生会議」という言い方を初めて知ったという益はあった。(ちなみに、嫌悪感を持たれる人があるといけないので、件のポスターをここに挙げるのは避ける。)

「人生会議ではなくて死に方会議のポスターだ」という批判もあったのだが、いや、それは厚労省の意向そのものだから、批判には当たらない。厚労省としては無駄な延命治療をやめさせたいのだろうから、批判するとすればそこのところでなくてはならないと思う(ポスターの出来ではなくて、ね)。

このポスターで言っている「人生会議」というのは、もう快復の見込みがないときの処置をどうするかということにすぎないように思う。人工呼吸器をつけるかどうかといったような。私自身の経験から言えば、父の最期に際して医師から人工呼吸器をつけますかと問われたときに、家族で話し合って「つけなくて結構です」と結論を出したのだが、それ以前に父の意思を聞いていたわけではない。意識のない父にいまさら尋ねるわけにもいかない。家族にとっては苦渋の決断であったのだが、そういうときに、事前に本人自身の考えを聞いてあったならそのとおりにしただろうと思う。最期のときをどう迎えるかということは、確かに、話せるうちに話しておいたほうがよいと、家族のためにもそう思う。

誰かの死に際し、あるいはいつか訪れる自分の死に際して、しかし、いったい何を聞いておけばよかったとか話しておけばよかったと思うかな。上に書いたように、もう際々の瀬戸際に関しては言い残しておく方がお互いに楽かと思うが、それ以外にはいったい何を? 遺産がいっぱいあれば遺言書を書いておく必要はあるだろうが、私には縁がないだろう。そもそも遺産も子もない。わずかに残せるものがあったとしても法に則って誰かが適当に処理してくれると思っている。しかし、死はいつ訪れるかわからない。明日かもしれない。いや、明日の朝に目覚めるかどうかもわからない。死はたぶん思っているより身近なものなのだろう。

どんなに懸命に看病したとしても「もっとやってあげればよかった」という悔いは残る。やり切ったと胸を張る人を私は知らない。どんなに家族を愛していても、見送ったり見送られなくてはならない。その日のためにお互いが何を話しておけばよいのか。

私が見送った人々は皆、淡々と亡くなっていった。格別に何かを言い残していったということはない。生前言っていた「兄弟仲良く、ケンカするな」とか「きちんと挨拶をせよ」とか「人の悪口を言うな」とかの断片的な言葉を覚えているだけだ。そしてそれで充分だと思っている。大切なことを教わったと思っている。そして最期のときにはこちらから「ありがとう」と言い、もう喋れない人からの「ありがとう」の声を聞いたと思っている。

家族が一堂に会して「人生会議」をすることは、今はの際のことを決めるだけでよい。それ以前の、家族のあらゆる場面から伝わるべきことは伝わっているのだと思う。淡々と日常を生き、いつか当たり前のこととして死ぬ。死は忌避するものではないと思う。

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日程調整

神無月のことを出雲地方では「神在月(かみありづき)」という。全国八百万の神々が出雲大社に集まり「神議り(かむはかり)」と呼ばれる会議を行われるからだ。ここで日本全国の男女の縁とか、目には見えない様々な事象の縁が決定される。今年は稲佐の浜に神々をお迎えする11月6日の「神迎神事(かみむかえしんじ)」から、神々をお送りする13日の「神等去出祭(からさでさい)」までの一週間、「神在祭(かみありさい)」や「縁結大祭(えんむすびたいさい)」などさまざまな神事が滞りなく行われたようだ。

私はいまから1週間前の10日に出雲大社に参拝したのだが、お日柄もお天気も良く、一般の参詣客の上に結婚式やら七五三やらで訪れる人も多く、まるで初詣でのときのように人でごった返していた。ちょうどその日は天皇ご即位の祝賀御列の儀の日でもあり、私はその映像を出雲大社からの帰途に道の駅のテレビで観たことも忘れ難い。

さて、神々が全国へお帰りになった後の14日には皇室行事として大嘗祭が行われた。天皇は大嘗宮(悠紀殿、主基殿)で新穀を神々に供え、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念する。そのとき天皇が礼拝する方向は伊勢神宮であるという。だから、皇居が京都にあったときには南東の方角になり、現在なら西になる(と、先日行った歴史講座で教わった)。全世界のイスラム教徒がメッカの方角に向かって礼拝するのと同じ感覚だろうなと思う。

このところ天皇陛下もいろいろな行事でお忙しかったことと思うが、天照大神もなかなかのハードスケジュールだったろう。13日午後4時の「神等去出祭(からさでさい)」で出雲を去られ(万九千神社での直会にも参加せず)、翌14日夜には伊勢で天皇の礼拝を受けられねばならぬ。いや、いま伊勢神宮のサイトを見たら、14日午前11時には内宮で大嘗祭当日祭の大御饌(おおみけ)の神事があったようだ。出張から帰って「やっぱりお家がいちばんね」とまったりするヒマもなかっただろう(笑)。

こういうスケジュールは誰が決めているのだろうね。神々が出雲で会議をされるのは毎年旧暦の10月10日~17日(今年は新暦11月6日~13日にあたる)と決まっている。中にはその後も他の神社に移動して酒飲んでる神様もいらっしゃるのだが(笑)、天照大神はそうもしていられないのは上に述べたとおりで、14日の大嘗祭に備えなくてはならない。大嘗祭がもう一日早ければ天照大神はまだ出雲大社にいたか、または移動中だったかもしれないのだ。天皇は主のいない伊勢神宮に向かって礼拝することになる。まさにギリギリのタイミングだね。

大嘗祭が国事行為なのか皇室行事なのかで議論する向きも多いが、私には単に神事として捉えるほうが楽しい。古のむかし、イズモから政権を奪ったとも考えられるヤマトだが、現代に至るもその最高神は毎年欠かさずイズモを訪れ、自分の子孫の行事とはギリギリの日程調整をしていると考えると面白いではないか(笑)。

出雲大社神楽殿上の雲
https://togetter.com/li/1430175

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