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コロナ雑感200526

安倍首相が5月25日に緊急事態宣言の解除を宣言して日本国内における新型コロナ禍第1波はいちおうの収束を見た。首相は「日本の感染症への対応は、世界において卓越した模範である。まさに日本モデルの力を示したと思う」と述べた。

ここで初めて耳にした日本モデルなるものは、外出を控え三密を避け、マスクを着用し手洗いを励行し、クラスターを徹底的に叩くというものであったと思う。これを法的強制力に頼らず国民の意思でやり遂げたことは、実際誇ってよいことと思う。

また、特筆すべきは医療崩壊を起こさなかった医療関係者の努力と使命感であり、さらには彼らを取り巻く人々の献身的な姿勢である。頭が下がる。心からの感謝を伝えたいと思う。

一方で、外出規制に伴って冷え込んだ経済への対策や、マスク不足への対応、何故かいつまでたっても増えないPCR検査数などなどに対する政府の不手際も忘れてはならないだろう。きっと来るであろう第2波第3波に充分に備えてもらいたいものだ。

さて、日本のやり方で収束したことが海外からはとても不思議に思われているようで、それが私にはとても興味深い。日本人がマスクに対して違和感や嫌悪感を持っていないことや、大声を出したり身体を接触させる風習を持たないこととか、そもそもとても清潔な生活をしていることなどは大きな直接的要因と思うけれども、何かもっと根本的なことが欧米とは違っているように思う。それはつまり「共存」の意識ではないか。

平たく言えば「みんな一緒に仲良く暮らしていこうよ」という意識だ。ロックダウンではなくセルフダウンに邁進していたとき、テレビでよく流れていたフレーズは「あなたが家にいることで、誰かが守られている」という意味合いの言葉だった。家にいることはもちろん自分を守ることだが、それと同時にどこかの誰かの命をも守っているのだというフレーズは、日本人の心の深いところに届いたのではないかと思う。

GWの頃、島根県は「早く会いたいけん、今は帰らんでいいけんね。」という広告を出した。一人一人がいまいる場所で頑張ろう、それが結局コロナを早く収束させる道だというアピールは有効だった。自分だけのことを考えるのではなく他人のことを、全体のことを考えられる能力、それがつまり共存の意識だと私は思う。

さらに考えれば、はたして日本人はコロナに打ち勝とうと思っていたのだろうかと思う。不幸にも感染して苦しい思いをした人は確かにそう思っていただろうと思うのだが、そうでない人々は? 私自身の感覚で言えば、なるべく感染したくないなぁ、コロナ自然に消滅してくれないかなぁ、というようなもので、根底には、まぁこんな厄介なものも時々できるわよね、という思いがあった。人間がこの世に存在するように、犬猫がそのへんにいるように、コロナウイルスなんてものもあって当たり前かもという意識であった。

打ち勝つ、撲滅するというのではなくて、なぁなぁでコロナとも共存していく、受け流すというのが、日本人の考える自然な道なのかもしれないと思う。日本のやり方に違和感を持つ欧米の人々とは、きっとそんなところが違うんじゃないかな。

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