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清朝のカンニングペーパー

中国の海南省で、清朝科挙のカンニングペーパーが発見されたというニュースがあった。『五経』『論語』などが蝿の頭ほどの文字で32万字書かれており、縦約40センチ、幅約20センチの32ページにもわたるものだったというから、これはペーパーというより本だ(笑)。書きも書いたり、数えも数えたりだ。

科挙については宮崎市定の『科挙』(中公新書)という名著があるが、あれにはたしか自分の下着にびっしり書いたカンニングペーパーの写真が載っていたと思う。科挙の試験は夜通しで、両脇に仕切りのある個室で仮眠を取ったりしながらの長丁場だったらしいから、試験官の目を盗んでカンニングしたものだろう。

このたび見つかったものは、果たして科挙のときに実際に使われたものかどうか疑わしいと思う。試験前には厳重なボディチェックもあっただろうし、見つからずに持って行って持って帰るのは難しかろう。32万字書いているうちに覚えてしまって、結局使わなかったものなのではないかな。それなら結果オーライだ(笑)。

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あの男性を思い出した

USエアウェイズ機がハドソン川に不時着したが、乗客乗務員全員が無事だったとのこと。大惨事にならなくて本当によかった。機長の冷静な判断と技術に拍手を贈りたい。

このニュースを見て思い出したのは1982年に起こったエア・フロリダ90便の墜落事故だ。記録的寒波が襲ったその日、翼に雪や氷が付着した状態で離陸を開始した同機は、離陸直後に失速状態となって氷結したポトマック川に掛かる橋梁に墜落・激突した。このとき、一人の男性の行動が全世界の感動と涙を誘った。

生存していた乗客6人がポトマック川の割れた氷にしがみついていた。事故から20分後に救助ヘリがやってきて命綱を投げる。受け取った男性は2度にわたって近くにいた女性にその命綱を譲ったのだ。3度目にヘリが救助に戻ってきたときには、彼は既に力尽きて水中に没していた……。

彼の名前はアーランド・ウィリアムス。事故現場となった橋は後に「Arland D. Williams Jr.記念橋」と改名された。

自分も生きるか死ぬかという状態のとき、こんな行動が取れるかどうか……。今となっても、忘れ難い事故であり人物である。

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寂聴さん

【身長】ヒミツ(ハート絵文字)
【体重】ヒミツ(ハート絵文字)
【自分が一番輝く瞬間】好きな人といっしょにいるとき
【好きな食べ物】お肉(特にウシ)
【好きなコミック】君に届け
【今一番欲しいもの】ドキドキっ
【最近頭にきていること】世の中のおとな達
【最近凹んだこと】凹むを「クボむ」って読んだら笑われたこと…
【地球があと24時間しかなかったら?】あの人に告白したい(ハート絵文字)
【使っている携帯電話】ピンクのドコモ

上記はケータイ小説『あしたの虹』を書いた「ぱーぷる」ちゃんのプロフィールより抜粋。而してその実体は御年86歳におなりになる瀬戸内寂聴さんだったそうだ。^^;

ケータイ小説(カタカナで書くところがミソなんだろうナ)なんて、今まで読んだことがない。最近はケータイそのものを不携帯だ。意図的ではなく、持って出るのを忘れるだけなのだが……。携帯メールもここひと月くらい打ってないような気がする。一時期どうしても持っていなくてはいけない必要があったが、今は無くても全然支障がない。あ、目覚まし機能だけは毎朝使っているか。こんな調子だから、ケータイ小説なんて、とんと馴染みがない。

『あしたの虹』を途中まで読んでみた。どこの女子高校生が書いているのかという内容で、構成は上手いと思うけれども、寂聴さんの作品だと知らなければまず読まないだろう。最後まで読まなくては批評も何もできないのだが、ちょっと、もう、いい。私が最も苦手な分野だ。

つくづく寂聴さんはお若いと思う。この記事によると、
----瀬戸内は「若い子に読まれているケータイ小説を無視できなかった」と執筆のきっかけについて切り出し「(ケータイ小説は)大人の目から見たら非文学的で、日本語を悪くすると批評されていた。だけど、批評するには(ケータイ小説が)わからなくてはいけないと思い、一生懸命読んでみました」と話した。
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とのこと。

この探究心、プロだなァと思う。そして「ぱーぷる」ちゃんの名で「ケータイ小説」という新境地の作品をものしてしまわれた。若い女性の恋物語を、いかにも女子高校生が書いているような筆致で(「ぱーぷる」とは「紫式部」になぞらえたものだろう)。そんなご高齢なのにこんな作品が書けるなんて、寂聴さんの感性は私なんかよりも遥かに現役の「女性」なのだろうと思う。女性であることが嬉しくて、その喜びを謳歌している人なのではないかと思う。こういう生き方は見習わなくちゃいけないと思いつつ、……でも私には絶対に無理なのだろうな。

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毒吐きます!

このニュースに関して毒を吐いています。ご気分を損ねることもあるかと思いますので、自己責任のもと、お読みになる気がある方だけお読みください。

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自分が荒川区の住民でなくて本当に良かったと思う。荒川区は最終的に野良猫の一匹も道を歩かず、野生の鳥一羽も飛ばない町を目指しているのだろうか。人間の迷惑になる動物は存在することすら許さず駆逐するのか? あらゆる動物は人間の管理のもとでしか生きていてはいけないのか? それがどれだけ異常で不気味なことか想像できないか? 

餌やりだって人間の管理ではないかと言う人がいるかもしれない。微々たる罪滅ぼしなのだと答えよう。街をアスファルトとコンクリートで覆い、緑を無くし、彼らが野良で生き抜いていかれる環境を破壊したのは人間だ。わずかに細々と生き残った彼らに少しばかりの餌をやることのどこが悪い? 

糞尿で街を汚すだって? そりゃあ人間が街から土の地面をなくしてしまったからでしょうに。土なら全部吸い取って微生物が分解してくれるよ。人間が飲み食いして捨てる缶やプラスチックゴミはずっと残るのだけれど、そっちは気にならないのかな? 鳴き声が迷惑だって? 人間が出しているけたたましい騒音ならOKなのか?

この問題、つきつめれば都市と自然の問題だ。住み分けが可能ならば、自然がいっぱいで人間のいないところへ彼らを移してやりたいよ。荒川区がそこまでやるのなら評価してもよい。野良はそうやって生きているのが自然だ。一方で人間は都市のほうが住みやすいからそういう環境を作り出した。そして野生の彼らを駆逐しようとする。しかし、人間が都市から自然を排除しようとすれば、さてどうなるだろうね。都市には都市なりの生態系があるはずで、野良猫が少なくなればネズミは増えるだろうな。鳥が寄り付かなくなれば虫が増えるかも。そうすると次にはネズミと虫を一斉駆除しようとするのかな。害虫ばかりでなく益虫もいなくなってしまったら、花の受粉なんかどうなるんでしょうね。ああ、都市には花なんかいらないのか。無機質で清潔な構造物に人間と鎖に繋がれた動物だけが住むところ。すばらしいね、都市って。

ちなみに「動物愛護」なんて言葉も私は好きではない。人間も動物も同じ重さの命を持っているという考えからは、こんな高みに立った言葉は決して出てこないはずだ。この文章も「動物愛護」などという観点から書いてはいないつもりだ。人間だって何かの偶然でこの世界に住まわせてもらっているのだという謙虚さを忘れたら、いつか途方もないしっぺ返しを食らうと思う。いや、もう食らっているのかも。どこまでも人間中心ひいては自分中心の考え方が怖くてならないから書き留める。

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事故米

事故米の波紋が徐々に広がって、農水省はついに流通先377社の社名を公表した。実に24都府県の広きにわたっている。いったい何人の人が口にしたことやら。考えてみれば、工業用に使えば何の問題もないのに、事故米と呼ばれ、「こんな米を食べていたのか!」なんて言われるお米もかわいそうだ。

今回の事件、そもそもどうして発覚したのか既に忘却の彼方だが、なにも今年に限った話ではないのでしょう? 長年にわたってずっと行われていたと考えるのが普通だろう。お役人との癒着も取り沙汰されていて、それはもちろん論外なのだが、ならばもっと厳格に調査なり検査なりしろといっても、一日中付きっ切りで見張っているわけにもいかず、ましてやそれをあらゆる食品を扱うあらゆる会社について行うことなど不可能だ。結局、それぞれの会社の良識に期待するしかないというのが実情だろう。

それにしてもここ数年の食品偽装の横行には目を覆うばかりのものがある。Y印、F二屋、Mートホープ、Sろい恋人、A福、K兆、鰻に米……。日付や原材料や品質を偽装されたら、食品表示ラベルなど何の意味もなさない。知らずに買った会社も気の毒だが、一番危険にさらされるのは消費者だ。

違反したときの罰則を厳しくするしかないのかなぁ……。なんでもかんでも規制したり罰則を強化することには抵抗を覚える。実際そうしようとすれば今以上に役所は監視体制を整えなくてはならなくなってますます公務員を減らすことなんかできなくなるし、それに一部の不心得者の所為で全体がそんなふうに締め付けられることになるのは煩わしいと思う。真っ当に正直にやっていれば問題ないとはいえ……。「罰則があるからしない」という世の中なんて嫌だ、と個人的には思う。でもこの状況はなぁ……。人の良識を期待できない世の中はなんとも殺伐としている。

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きょうのニュースより

北朝鮮が寧辺(ヨンビョン)の核施設の無能力化作業を即時中断すると発表したらしい。アメリカが北朝鮮のテロ支援国指定解除を延期していることがその理由だそうだ。何故アメリカが延期しているかというと、指定解除の条件として核申告の検証手続き案の受け入れを北朝鮮が拒否していたため。「お前が悪い」「お前のほうがそもそも悪い」とキリがない。北朝鮮としては最初から予定の行動だったんじゃないかと思うけどね。

そもそも私はアメリカが北朝鮮に対して核放棄を迫ること自体がおかしいと思っている人間だ。アメリカは自国の核の放棄なんてしないじゃん。自分は持ったままなのに、相手に「お前は捨てろ」ってどういう理屈? 「オレも捨てるからお前も捨てろ」って言わなきゃウソだと思うよ。アメリカも北朝鮮も、どっちも信用できないという点で私には同列。ここで「持たざる国日本」が堂々と「お前らどっちも捨てろ」と発言して世界平和のために貢献すればカッコいいと思うんだけど、福田さんには無理なんでしょうね。

●1億8000万のブログエントリを対象に、どんな心霊スポットが書かれているかが都道府県別にまとめられていた(「ブログでみる、みんなの心霊スポット」)。怖いもの見たさでいくつか読んでみたら結構怖いのもあった。

わが県はどうかといえば、別に心霊でもなんでもない記事が挙がっていた。私も身近では聞いたことがない。ただ松江市内には小泉八雲が『怪談』で取り上げたスポットがあるにはある。その橋の上で「かきつばた」の謡曲を謡うと女の幽霊が出るという「あずきとぎ橋」はわが家から歩いて数分のところにある。産み落とした赤ん坊のために夜な夜な水飴を買う幽霊が出るお話(「水飴を買う女」)で、その幽霊が帰っていくお寺とされた大雄寺にも行ってみたことはある。もちろんどちらの場所でも幽霊に遭遇したことはない。

あ、ひとつ思い出した。松江城の北ノ門近くに馬場池という池があるが、真夜中にこの池を3周すると幽霊が出るという話があった。小学生の頃、友だちといつか試そうと話していたことがあったがとうとう実行できなかった。いまはそんな気はさらさら無い。もし本当に出たらどうするんだ……。

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動物の地震予知

このところ、ミャンマー・サイクロン(あまり『ミャンマー』という呼称は使いたくないが…)、中国・四川省大地震と、アジアで大災害が続発している。ほぼ1日たって大地震の死者は1万2千人と発表されたが、今なお9万人以上の人が生き埋めになっているとか。一刻も早く一人でも多くの人が救助されることを願ってやまない。私も僅かながら義援金を送ろうと思う。

ところで、今回の「大地震の前に、同省の綿竹市で数十万匹のヒキガエルが一斉に移動するという異常現象があった」というニュースを読んだ。日本ではナマズが暴れると言われるし、以前読んだ地震の本には、雪の上を這いずっているヘビが確認された後に地震が起こったと記されていた。冬眠中のヘビを叩き起こすような変化が土中に起こったのだろう。また私の経験では、近所の犬が夜中にうるさく鳴き続けるので目が覚めたら直後に地震が起こったことがある。このような動物の異常行動を「宏観異常現象」と言うそうで、動物達は電磁気や化学物質の変化を感知しているのではないかと考えられている。

現在のところ、これらの宏観異常現象は、地震が起こった後に「ああ、そう言われればそんなことがあった」と思い出される段階にとどまっていて、防災の役に立つまでには至っていない。飼っている犬が突然鳴き出しても、それがただ虫の居所が悪いせいなのか地震を予知したせいなのか判断ができない。しかしせっかくこれだけインターネットが普及した世の中なのだから、「うちの金魚の様子がおかしい」とか「鳥の鳴き方が変だ」とかの情報をリアルタイムで集めて分析できるところがあれば良いと思う。もちろん、変な情報を流してパニックを起こしてはいけないから、それは信用の置ける機関でなくてはならないし、基本データを集めるためには何年もかかると思うけれども。

昔は人間もそんな能力を持っていたのかもしれないな。知能の発達と引き換えに、失くしてしまったのかもしれない。動物達の地震予知能力に期待したいところだ。

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情報流出

日銀松江支店の内部情報がネットに流出した事件が、地元のニュースでも盛んに報道されている。

Winny の暴露ウイルスに感染したパソコンで資料を作成しようとしたために、「2ちゃん○る」を介して閲覧が可能になってしまったらしい。私は Winny などというものの仕組みも使い方もよくわからないのだが、あれだけ以前から問題視されていたのにまたまたこんな事件が起こったということ自体に呆れてしまう。「削除したつもりだった」と話しているそうだが、削除できたかどうかの確認さえできない人間が、そもそも Winny なんか入れるんじゃない!と言いたい。その職員には厳しい処分が下されて当然と考えるが(内部資料を上司に無断で持ち帰っただけでも厳罰ものだ)、日銀としても厳重な再発防止策を講じないと、ただお偉いさんが頭を下げただけでは信用は失墜したままだ。

それより問題なのは、名前を晒された3つ(と言われている)の企業の先行きだ。これだけ大騒ぎになれば有形無形の影響が少なからずあると思う。風評被害というのもあるだろう。最悪、取り付け騒ぎにでもなったら、日銀はどう責任を取るのだろう。お詫びの印として、現在貸し付けをしている某銀行を通じて融資でもするのだろうか。

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東芝がHD-DVD撤退

ブルーレイのシェアが90%を占め、東芝がHD-DVDの生産を打ち切ると、7時のニュースで知った。はぁ~~~(sigh)。わが家は東芝製HD-DVDだ……。

買ったのは3年前だったかな。(←お詫びと訂正:3年前というのは間違いです。3年前にはまだ販売されていません。まっすーさんのご指摘により気付きましたので、この文章は削除いたします。よく確認せずに書いてしまったことを深く反省し、お詫びいたします。m(_ _)m )  当時からブルーレイとの競争になることは判っていたが、海外の映画会社で採用された状況も双方互角だったし、HD-DVDの方がDVDの生産コストが安いとも聞いていたし、少なくとも当分の間は両方の方式が並存すると思っていた。まさかこんなに早く勝敗がつくとは……。

以前のVHS 対 βの競争を思い出す。決してβの性能が劣っていたわけではなかった。βのテープは年月を経ても実に綺麗に再生できた。要は、市場での販売力の差だったのだと思う。今回もきっとそういうような事情だったのではないかな。

栄枯盛衰は世のならいとは言ふものの、記録媒体の移り変わりがめまぐるしすぎる。いずれブルーレイが駆逐される日も来るのだろうが。それにしても、SONY β、LD、HD-DVDのハード及びソフト、全部うちにある。今あるハードが壊れたらど~したらよいのだろう……。

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佐世保・乱射事件

犯罪心理学の先生は「馬込容疑者は仕事や生活でストレスを抱え、自殺願望から他人を道連れにしようと考えたのではないか。教会に逃げたのは自らの魂を救ってくれる場所だと思ったのだろう」と推測した。誰でもが言えるような言葉で目新しさはない。

神が自らの魂を救ってくれると思うのなら、他人を道連れにする前に、自殺願望を起こす前に、教会へ行ってほしかった。

亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

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At Your Own Risk

--運動場のライン引きなどに使用されている消石灰(水酸化カルシウム)が子どもの目に入る事故が、過去2年間に50件以上起きていることが10日、日本眼科医会の調査で分かった。後遺症のケースも報告され、事態を重くみた文部科学省は、安全性の高い炭酸カルシウムの石灰に換えるよう求める初の通知を出した。--

というニュースを見た。へぇ~、この2年間で子どもの目って大きくなったのかしらん? と思ったことは内緒だよ(笑)。そして、人非人と思われたくないので、そりゃあ安全な代替品があるのならそっちに替えればいいよ、とも言っておく。

しかし、いま大人になっている多くの人々は子どもの頃にほぼ例外なく消石灰に触れてきたはずだ。私もライン引きをやった経験があるし、袋に手を突っ込んでかき回したこともあるが、目に入ると危険だという注意なんかされたこともなかった。恐らく日本国中どこでもそうだったのではないかと思う。昔から風が吹けば消石灰は飛んだし、皮膚についたり目に入ったりした生徒もいたことだろう。それで今まで問題にもならなかったものが、どうして今さら問題になるのか、それが不思議でならない。

もしかしたら、子どもの、危険に対する本能が失われつつあるのかもしれない。本能という言葉が間違いならば、危険察知能力とか危険回避能力と言い換えられるもの。別に消石灰に限らず何でも粉状のものならば、目や鼻や口に入ればよくないと思うのが普通ではなかろうか。思わなくても身体が自然にそのように反応するものなのではなかろうか。例えば、黒板拭きをパンパン叩くときは、できるだけ屋外で、風向きなども考慮しながら、チョークの粉が入らないように自然に口を固く閉じて目を細めてしかめっ面で行うのが普通だ。口も目も全開で黒板拭きをパンパンする人間はまずいないと思っていたのだが、そういう判断能力および身体能力が今の子ども達に欠けているとしたら、これは恐ろしいことだと思う。

もしもそれが正しいとして、何が原因でそうなったかと言えば、まさに身の周りから危険なものを遠ざけ、排除してきたからに他ならないと思う。よく引き合いに出される、「指を切ると危ないから鉛筆を削るのにナイフは用いない」というフレーズに象徴される考え方だ。この考え方こそ危険だと私は考える。危険は危険なものとして、克服したり注意しながら共存することが大事なのではないかな。ついでに言えば、「黄色い線の内側に下がって……」という駅のアナウンスとか、「心臓の悪い人は泳がないでください」という立て看板とか、要らないと思うよ。

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全国学力テスト

4月に文部科学省が実施した43年ぶりの全国学力テストの結果が、都道府県別にランキングされ公表された。昨日来ニュース等では、やれ国語では全国平均より何ポイント上回っただの、やれ平均的な順位だっただのと喧しい。下位にランクされたところの教育委員会はさぞ頭の痛いことだろう。そして総評として、基礎的な知識は定着しているが応用が弱いとのこと。

……で、それだけかい? というのが正直な感想だ。そもそもこのテストは、学力の低下が問題視された結果、その原因がどこにあるのかということを探る資料となるべく実施されたものであったはずだ。地域間格差、生活格差や生活態度等々と学力との関連性は今回の結果からも読み取ることはできるだろう。しかし例えば43年前のテストとの比較はされたのだろうか。問題の難易度は同等だろうか。同等であったとすれば、43年前の児童・生徒と今の児童・生徒の成績はどちらがどうだったのだろうか。

こんなニュースも目にした。小学校の算数に「台形の面積の求め方」「3けた×2けたの掛け算」「小数点第2位までの掛け算」等を復活させるという(今までは教えていなかったのか!と私は逆に驚いた)。他にも、高校に遅らせているものを中学に、中学に遅らせているものを小学校に戻す動きがあるらしい。

どうもこういうニュースを見る限り、いまの教育指導内容自体が昔よりも程度が低い、もしくは量が少ないようだ。ということは、その内容でそこそこの成績だったとしても、以前と比べて学力は落ちているのではないかと思うのだが……。

先日読んだ『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹著)の中に次のような一文がある。偏差値について述べた部分であるが、「30年前の偏差値70と現在の偏差値70は、同じ70であっても、実質的な内容が違います。絶対学力は明らかに低下していますが、当たり前だけど、そのことに中にいる人間は気がつかないのです」。

この学力テストの結果からどんな指針が見出されるか、これから行われるであろう詳しいデータ分析の結果を待つ。

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警察官も大変だ

寡聞にしてさっきまで知らなかったのだが、電車内でやんちゃをした高校生を平手打ちした警察官が逮捕されるという事件があったらしい。事件の概要はこちら

で、それに対して、警察官の行動を支持する声が多数寄せられているというニュースがこちら

詳しい事情はわからないけれど……、いいんでないの、と思う。これが警察官でなく一般の市民が行った行為だったとしたら「よくやった!」と一気に美談(?)になるところではないのか。それが、治安を守る警察官だと問題になるという矛盾。以前『踊る大捜査線』の中で青島刑事がこんなふうなことを言っていたのを思い出した。「警察官であることが邪魔になって、人を守ることができないなんて……」。

先日、とある警察官が所持していた拳銃で女性を殺し自分も自殺するという事件があった。ミもフタもない言い方をすれば、痴情のもつれによる無理心中である。警察官が当事者でなければ、大して話題にもならなかっただろう。これ、拳銃でなく包丁を使っていたら……と思わないでもない(関係者の皆様スミマセン)。いや、一番の問題は警察官が人を殺したという事実であることはわかっているが、これほどマスコミで騒がれて挙句の果てに拙ブログのネタにまでされて、なんだか気の毒だなぁと思う。

警察官はマナーの悪い高校生を平手打ちしちゃいけないのか。警察官は無理心中しちゃいけないのか。「いけない」というのが世論なのだろうが、警察官であるという事実を利用するわけでもなく、職務を離れたところで警察官がこういう人間臭い事件を起こしても、私はそれほど嫌悪感を覚えない。彼らだって警察官である前に一人の人間だ、一人の男だ、と思う。

それよりは、己の職業や権力を使った卑劣な行為のほうによっぽど怒りを覚える。社会保険庁職員による数億円に上る着服とか(人はそれを泥棒と呼ぶ)、教師による生徒へのセクハラとか。たまたまその職業にあることを利用して計画的に悪事を働くほうがはるかにタチが悪いと思うんだけどね。

【追記】

その後、再会見が行われた模様。説明は過不足なく、報道は正確にしなくちゃね。

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君子豹変す

「全閣僚が終戦記念日に靖国参拝せず、首相も行わない方向」だそうで。ほほぉ?

「日本人として、先の大戦で尊い犠牲となった英霊に哀悼の誠を捧ぐのは当たり前のこと」だったんじゃなかったかな? 選挙に負けると、そんな考えまで変わってしまうものなのかな? そんないい加減な想いだったのかな? 英霊が泣くよ。

私は(今までにも何回か書いてきたが)、首相の靖国参拝には反対の立場である。国民を戦争に追い立てて死なせてしまった当時の為政者が共に祀られていること、仏教徒もキリスト教徒も関係なく神道に祀られていること、という靖国神社が持つ特殊性が主な理由だが、ここまで露骨に豹変されると、「参拝しろよ。哀悼の誠を示せよ」と嫌味のひとつも言いたくなる。

翻って考えてみると、これは、選挙で勝っているうちは何をやっても許されると思っていた政治家の奢りのひとつの証明だ。情けない。全人格的に信頼できる政治家というのはいないものか。

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出来レース

集団的自衛権に関する個別事例を研究する有識者会議で、応戦を可能にするため、集団的自衛権の行使を認めていない政府の憲法解釈を見直すべきだとする意見が大勢を占めた」のだそうだ。

周辺事態法、テロ対策特措法、有事法制、イラク特措法、……あと、何がありましたかね? 着々と憲法のなし崩し的改正を画策している自民党政府としては、集団的自衛権の法整備が次の目標であるわけで、これもいずれ強行採決という形で認められることでありましょう。

ところで、ここで言う「有識者」ってのは何なのだろう? 誰が選んでいるのだろう? 少なくとも私は選んだ覚えはない。有識者であると誰かが認めたからには、その人がどういう思想を持っているかも当然わかって選んだに違いないわけで、ならば、政府の基本方針や見解に異を唱える有識者は最初から選ばれるはずがないと考えてしまうのは私だけだろうか? 一方的な意見しか出ない有識者会議なんて、何の意味もない。

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浅草三社祭でお神輿に乗った人がいたそうだ。記事を読むと、神社側は事前にお神輿に乗らないように注意していたというから、確信犯だ。来年は果たして宮出しが行われるのだろうか?

俗に「お祭り騒ぎ」と言うけれど、そもそもは「祭る=祀る」で神仏を崇め敬う儀式だったはずだ。お神輿というのも人が持ち運びのできる神社であって、普段は神社の奥に鎮座まします神様がそれに移られて人々に近いところまでお出ましになるから、皆が喜んで騒ぐわけだ。お神輿は神様の座であって、決して人間ごときが乗ってよいものではないのだ。山車と間違えてはいけない。

祭礼をイベントと捉えるからこんなことになるのだろう。神様そっちのけで、自分達が楽しむことしか考えていない。長い三社祭の歴史に大きな汚点を残したと思う。

ちょうど今夜の『世界の果てまでイッテQ!』では、タイの奥地のロケット祭というのが紹介されていた。恵みの雨と豊作を祈って、長さ1.5メートルほどのロケットを飛ばす。なんと3000メートルの高さまで上がるのだそうだ。その祭に日本からタレントがやってきて、2倍の長さのロケットを飛ばそうと提案する。村人達の会議が行われる。村長さんの言葉が印象的だった。「もし失敗すればこの村の1年間は不安なものになる」(←うろ覚えだが……)。結局は3メートルのロケットを高度5000メートルまで上げることに成功したのだけれど、祭をイベントとしか考えていない日本人と、農耕生活に欠かせない神聖な行事と考えているタイの人々との違いをまざまざと見た思いだった。

いったいどっちが豊かなんだろうね?

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こうのとりのゆりかご

きょうのニュースといえばやっぱりこれかな。「『赤ちゃんポスト』運用初日に想定外の3歳児」。想定外……ね。自分のことしか考えられない人間はたくさんいるのだから、これから先もどんどん想定外のことは起こるかもしれない。子どもだけでなく、大人(動けない老人とか正常な思考ができない病人とか)を置く人間だって出てくるかもしれない。もうこうなれば「預ける」ではなくて「捨てる」だが。

時代劇では貧困のために泣く泣くわが子を捨てる親が出てくることがある。また洋画などでも教会の前にそっと子どもを置いて泣きながら走り去っていく親を観たことがある。いずれからも「自分ではどうしても育てることができない。どうか他の人にもらわれて幸せになって欲しい」という親の思いが伝わってくる。しかし今回のケースからはそんな悲しい親心を感じることができない。なにしろ、誰しもが注目する運用初日、しかもポストが機能し始めてからほんの数時間後に起こったことなのだ。3歳児を連れてきた父親が、今か今かと待ちかねていたのかと思うと寒気がする。この男児はそんな父親をどんなふうに見ていたのだろう。かわいそうでならない。

誰かの庇護を受けなければ生きていかれない者(この場合は新生児を想定していたわけだが)の命を救いたいという思いは、本当に純粋で尊いものだと思う。いろんな問題があることは承知しているが、ポストのおかげで死なずにすむ子どもがこれから出てくるかもしれないし、ポストがあるのだということを最後の拠り所としてもうちょっと自分で頑張ろうと思う親もいるかもしれない。今回の3歳児だって、そんな親に育てられるよりも幸せになれるかもしれない。

それを自分勝手に解釈して保護者の責任を放棄する人間こそが悪いことは言うまでもない。今後はこんな不心得者が出てこないことを切に願う。動物だって、それも種族が違っていたって、小さくて弱い者に愛情を注いでいるのだから。→子犬が子猫を救った話

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ロンサム・ジョージ

世界で1匹しかいない珍種のゾウガメ「ロンサム(独りぼっちの)ジョージ」の「親類」が見つかったらしい。見つかったのは雄だが、探せば雌も見つかるかもしれない。ロンサム・ジョージは推定85~100歳。近い亜種の雌とずっとお見合いをしているらしいが、高齢のためかあまり興味を示さないとか。しかし推定175歳まで生きたガラパゴスゾウガメの「ハリエット」の例もある。ロンサム・ジョージが子孫を残して絶滅が避けられればよいなと思う。

本来、自然界の営みには人間は手を加えるべきではないと考える。自然淘汰されて絶滅する種があるのはやむを得ないことだと思う。しかし、このガラパゴスゾウガメの場合は別だ。Wikipediaによれば「ウチワサボテンの芽や実を食料とする。他のガラパゴス諸島の生物と同様に天敵が存在しなかったことから人間を警戒せず、捕鯨船の食用や燃料の油として大量に捕獲され、一時絶滅の危機に瀕した。」とある。いたっておとなしく生きてきた彼らを、人間が絶滅させかけているという事実があるのだ。

ならば、事実上最後のピンタ島のゾウガメとなってしまったロンサム・ジョージが生きているうちに、彼の血統を絶やさないようにするくらいの罪滅ぼしを、人間はしてもよいのではないのか。その昔、独りぼっちだったアダムのために神がイブをお造りになったように。いや、人間を神に譬えるなど不遜極まりないことなのだけれど、DNAの近い雌を連れてくるくらいのことは許されるのではないかと私は思う。

しかし、自分の仲間が1匹もいない状況とはどういうものなのだろう。もしも、自分が行ける範囲のところに他の人間が1人もいないという状況になってしまったら、私はどうするだろう。1人では食糧の確保もできないかもしれないし、野生化した犬に襲われる危険もある。それよりも何よりも、想像を絶する孤独感で、生きる気力を失うかもしれないなぁ。ロビンソン・クルーソー(これには実際のモデルがいる)はどうだったのだろう。やっぱりフライデーという人間は絶対必要だったと思う。ロンサム・ジョージに幸多からんことを!

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許せん!!

特急車内で女性が暴行されたそうだ。犯人は別の強姦事件で公判中だったとか。もう、この男には懲役刑では足りない。局部を切り落としてやるべきだ! それも錆びてほとんど切れないようなカッターでじわじわと。

それにしても、周りの連中は何をしていたのだ?! 助けるどころか通報もしないで見ていたのか?! それでも人間か?! 信じられない。被害者の女性がどれほどの心の傷を負ったかと思うと暗澹たる気持ちになる。私なら世間の人たち全部を恨み、誰も信じられなくなるに違いない。

男性にはわからないかもしれないが、強姦ならずとも痴漢行為だけでも、女性にとっては許しがたいことなのだ。他のどんな犯罪よりも自尊心を傷つけられる犯罪なのだ。私の経験から言えば、電車やバスの中で、他に席が空いているのにもかかわらずピタッとひっついて座ってくる男はほぼ100%痴漢だ。こちらの足にも掛かるように自分の上着を置き、その下から触ってくる。来た!と思った瞬間に勢いよく席を立って、自分の鞄を男の顔にわざと盛大にブチ当ててから席を移動したことが何度かある。重い鞄の角で顔を張られても痴漢はにやにや笑っていた。身動きのできない電車のときには、思い切り睨みつけてやった。この痴漢もやはりにやにや笑っていて、それでも手は引っ込めた。気が治まらなかったのでヒールで思い切り足を踏んでやってから下りた。骨の1本くらい折れたかもしれないが自業自得だ。足を上げる空間があれば、股間を蹴り上げてやったものを。

痴漢を許してはいけない。女性も防衛策を常日頃から考えるようにしよう。そして、自分ひとりではどうにもならないと思ったら、迷わず周囲に助けを求めよう。恥ずかしがらずに大声を出そう。私が会った痴漢たちは皆、バレたときにもにやにやしているような卑劣で弱っちい常習犯ばかりだった。痛い目に遭わせてやらなくちゃ懲りない奴らだ。周囲の人たちも、か弱い女の子が困っていたら助けてやろうよ。黙って見ているなんて共犯と同じだ。

この事件、犯人が再逮捕されたということは、被害者の女性が立件したということだろう。彼女の勇気に心から拍手を送るとともに、一日も早く心の傷が癒えることを願う。

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脳の活性化

脳科学が花盛りの観がある。いや、脳科学から派生した「How to 本」が花盛りと言うべきか。

脳を活性化するというので大ブームとなった「塗り絵」について、単に塗るだけでは脳は活性化しないということが検証されたらしい。多色を使うのではなくて、単色で濃淡をつけるときに大きく脳が活性化するとか。まあ話のタネとして聞いておこう。

活性化なんて微々たるものじゃなくて、これをやればIQが30上がります、とか、記憶力が格段に上がります、というようなものだったらやっても良いけどなぁ。あるいは、これをやればアルツハイマーが治ります、とか。

経験的に、脳がフル回転しているなぁと感じるのは、「30分後に来客がある、25分で3部屋と廊下とトイレを掃除!!」という切羽詰った状況のときだ。瞬時に計画を立て、いっぺんに複数のことをこなし、あるいは見切りをつけ、あとは野生の勘だ。お客様はここは見ないに違いない、とかね。

塗り絵をするより家事をするほうが脳は活性化するに違いない。

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ティファニー美術館閉館

本日をもって閉館したらしい。毎年2月頃には『市報』に無料券がついていたので、タダで入っていた。今年は忙しくて行かれなかったのが残念だ。今にもアルセーヌ・ルパンが夜会服に身を包んで現れそうに思えるあの雰囲気はけっこう好きだったのに。開館当初から美術館と市の間でゴタゴタがあり、結局それが最後まで解決されないままだったようだ。

閉館に伴って、今まで日本で一番長い駅名だった一畑電鉄の「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅」も変更されることになるそうだ。南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が繰り上げトップになるらしい。
私だったら頭に「元」をつけるけどな。「元ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅」。ほ~ら前より長くなった(笑)。

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道徳

先ごろ聴いた『Knock Out VOICE』でこんな話が紹介されていた。ある小学校で、PTAから「子供達に、給食の前の『いただきます』を言わせないでくれ」という申し出があったという。何故かというと、「給食費は親が払っているのだから『いただきます』なんて言う必要はない」とのこと。学校側が、これは食べ物から命をもらっていることへの感謝の気持ちの表れなのだからと説明すると、「そんな宗教的なことは子どもに教えないでくれ」と言ったという。まことに世も末である。

こういう実情を知ると、「道徳」を小中高校で正式教科に、という動きもむべなるかなと思えてくる。採用された教科書に「ごはんをいただく前には『いただきます』と言いましょう。」と明文化されていれば、少なくともこんなPTAのくだらぬ減らず口を撃破する根拠にはなる(笑)。

しかし、「道徳」を正式教科にするということは、何らかのテストをして先生が評価をするということで、そんなことができるはずはなかろうと思うのである。漢字の書き取りや数学のドリルとは違う。答えはいくつも考えられるはずだ。誰が「これこそが唯一無二の正解だ」と自信を持って答えられるというのだ? また、深く考えていても、それを上手く言葉にできなかったり行動に移せない子どももいることだろう。それをどうやって推し測って評価することができるというのだ? 世界中の誰一人としてそんなことはできまい。

ところで、私自身、学校でどんな道徳教育を受けたか、まったく記憶にない。当時は、躾は親の責任であることくらい改めて言うも恥ずかしいくらい当たり前のことだったから、躾以外の何かを教わったのかもしれない。教科書はなかったと思うが(あったかな?)、副読本のようなものがあって、それを読んだかもしれない。つまりそれくらい道徳なんて曖昧模糊とした扱いしかされておらず、しかもそれで充分な時代だった。

「道徳」というのは、生きる上で必要になる 自分の身の処し方の規範なのだろうと思う。それは程度の差こそあれ、誰もが持っているはずのものだ。持っているはずなのだが、大人だって判らないことが多い。というか、判断できなくて迷うことだらけだ。たとえば、多くの人が「人を殺してはいけない」という規範を持っていることだろう。でも重罪を犯した犯人には「死刑にされて当たり前だよね」という判断を下すのは何故だ? その根拠を述べよと言われたら、たいていの大人は困るだろう。人を殺してはいけないはずなのに、何故いつまでたっても戦争という殺し合いがなくならないのか、子どもに明確に答えられる大人がいるだろうか? 宗教ならこれに答えることが可能だと思うが、宗教色を排除しなくてはならない日本の「道徳」ではそれもできまい。

道徳というのは誰かが誰かに教えられるものではなく、生きて様々なことを経験したり本を読んだりしていくうちに漠然と出来上がってくるものなのだろう。それは人それぞれに微妙に違うであろうし、誰かから○×で評価されるべきものでもないと思う。もっともそれがあまりに反社会的な言動に結びつけば、世間から糾弾されるだろうけれども。そして、人の道徳観というのに最も大きな影響を与えるのは、多くの場合「親」だ。経験的にそう思う。だから、まずは躾という道徳のもっとも根本的な部分において、学校よりもむしろ家庭で頑張ってもらいたいと思う。子どもが喋れるようになったら「いただきます」くらいは言わせてほしいと思うのである。

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子どもは誰のもの

向井亜紀さんの双子を、最高裁は実子と認めなかった。とてもデリケートな問題で、向井さんには気の毒だけれど、現行法に従えばやむを得ない結果だと思う。

このケースではそんなことはなかったらしいが、代理母となった女性が出産した途端に子どもを引き渡すのを嫌がることもあるそうだ。十月十日の間自分のお腹の中で育てて出産という大事業を成し遂げたのだから、そういう気持ちになることにも頷ける。

こういう話を聞くと、大岡裁きを思い出す。生みの母と育ての母がいて子どもを取り合う。奉行は子どもの手を引っ張って奪い取れと言う。両側から力の限り子どもの手を引っ張る二人の母。子どもは痛さに泣き出す。それを見て不憫になり手を離したのはどちらの親だったか。手を離した母親の愛情のほうがより強いということなのだが……。

向井さんの場合、法律上で実子であることを認められないだけで、特別養子縁組が認められれば普通の親子関係を育むことに何の問題もない。向井さんも最初の頃は自分達の遺伝子を持った子どもを残したいと言っていたように記憶している。それなら、形式などどうでもよいのじゃないかと思う。子どもさえ幸せならば。

向井さんの主張が通るためには現行法を変えねばならない。立案して国会で審議して可決して……と、長い時間がかかるだろう。それではたして変わるかどうかもわからない。個人的には、変わらなくてもよいと思っている。法律は弱い者を守るためにあるべきだと思っているのだが、向井さんが弱い者だとは私は思わない。どちらかと言えば、自分の希望や権利を主張して実現していくことのできる強い人だと思う。

それに何よりも、子どもは授かり物だと思うからだ。授かればよし、授からなくてもまたよし、と思う。こうでなくてはいけない、ということはないだろうと思う。言葉は悪いが、医学の進歩によって、欲しいときに子どもができるようになったことの是非は問われてしかるべきだと思う。正直に言えば、むかし向井さんが夫・高田延彦さんの遺伝子を残したいのだと語っているのを見て、私はちょっと怖かった。遺伝子の乗り物としてしか子どもを見ていないような気がして。

世の中には子どもが欲しくても叶えられない夫婦がゴマンといる。そのことを思えば、たとえ法的には実子と認められなくても、子どもができた幸せを謙虚に味わってもらえたらな、と思う。

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読み逃げ禁止?!

変な話だ。こういう話を読むと、ますます私にはmixiというものが伏魔殿のように思われてくる。やっていないので、普通のサイトやブログや掲示板とどう内容が違うものなのか、詳しくは知らない。ただSNSは情報の双方向性というものが重視されているのだろうという予想はしている。だからこそコメントがないことを失礼だと思う人もいるのだろう。しかし自分の書いたことが誰かのお役に立っているのなら、コメントがあろうがなかろうがそれで良いではないか。そういうわけにはいかないものなの?

人からの反応がないと寂しいのかな? それとも、自分の書いた内容に対して自信満々なのかな? しかしいずれにせよ、よほど暇のある御仁なのだろう。コメントのやりとりだけで忙殺されていらっしゃるに違いない。

義務でコメントをいただいても、私なら嬉しくない。自分の書いたものに対して、いやそれは違うゾとか、こういう考え方もあるヨとかの、内容を深めるために一筆書いてやろうかという気持ちを持ってくださった方からのコメントだからこそ嬉しいのだ。

もし私のブログを「読み逃げ禁止」なんてことにしたら……。「つまらん」「アナタハ ニホンゴ シャベレマスカ?」「やめれ」「へぇ~」「ひっこんでろ」なんて正直な感想ばっかりになるぞコラ! うわぁ~~~~ん(泣)!!

(注意:来ないとは思いますが、この記事に関してもしも暴力的なコメントをいただきましたら、記事ごと削除することもあります。)

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日本の食

最初、「「正しい日本食」の基準設けず」という見出しだけを見て、「美しい日本」実現を目指す安倍政権がとうとうそんなものまで決めて国民に強制しようとしているのかと思った。「朝は、炊きたてのご飯に生卵または納豆、お味噌汁、塩鮭に浅漬けに海苔3枚を食すべし」なんて決められているのかと思ったらそうではなかった。当たり前だ(笑)。要するに、海外の飲食店で「日本食」として供されているものが日本食とはかけ離れたものであることを憂えて、農水省がそういう基準を設けて店を認証しようとしていたけれど……ということらしい。

それで考えてみたのだが、海外で「日本食」だと言われて出されたものが日本食ではなかったとして、いったい誰がどう困るのだろう? それがたとえものすごく不味いものだったとしたら、現地の人は日本人というのはなんと不味いものを食べているのだろうと思って二度とは食べなくなる。それがひいては日本食への偏見になりかねないということなのだろうか。しかしそもそもそんなことはあり得ない。不味くて誰も食べないような料理なら、最初から店がメニューに載せるわけがない。そうではなくて、現地の人の味覚に合ったようにアレンジしているから一般の日本食とは似て非なるものが供されているわけで、まさにそれが問題にされているわけだ。でも、現地の人が日本食というのはこんなに美味しいのだと思って食べてくれるのなら、それで良いではないか。何か問題があるか?

それにしても、「正しい日本食」とはどういうものなのだろう? 外来のハンバーグやカレーやラーメンは正しい日本食ではないのだろうか。それなら歴史的に見て鎖国時代の食事が正しいとかいうことになるのだろうか。だとしたら明治以降に入ってきたキャベツなんかは食材として認められないことになる。平安の昔からあったチーズやヨーグルトの類(日本語では「醍醐」という)なんかどうなるのだろう。お好み焼きやたこ焼き、もんじゃ焼きなんかは正しくないのだろうか。……なんかもう、どうでもいいや(笑)。

それにこの「日本食」という語感がどうもよくない。「宇宙食」みたいだ。「和食」と言えばどこか凛々しい語感があるが、そうしなかったのにはきっと何かワケがあるのだろうな。私は、和食にはその礼儀作法も含めてひとつの世界観があると思っている。「いただきます」「ごちそうさまでした」は不可欠だ。お箸や食器の扱い方や、咀嚼の仕方だってマナーを学ぶ場になろう。「いただく」ことへの感謝があれば、不味いだの嫌いだのと言って残すなどもってのほかだ。それに、和食はだいたい薄味だから、味覚も肥える。「旨み」という第5の味覚を発見したのは日本人だ(あとの4つは、塩辛さ、酸っぱさ、甘さ、苦さ。辛さと渋さは味覚器官以外で知覚される)。そういう和食の良さを再認識しなくてはならないのは、どちらかと言えば海外の人たちではなくてわれわれ日本人のほうである。子どもが求めるからと言って、ご飯時に甘いジュースなど一緒に飲ませたりしたら、味覚だっておかしくなろうというものだ。それにもともと西欧人とは内臓の作りからして違うのだから、動物性高たんぱく高脂質の食材は日本人の身体には合わない。

幸いなことに、今の日本には世界中から様々な食材や調理法が入ってきて、それを楽しむことができる。しかし一方では、メタボリックだの何だのとダイエット番組花盛りである。「正しい日本食」かどうかは別として、健康的な食事を心がけることは必要だと思った次第である。

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臨界事故発覚

以前に山岸凉子の『パエトーン』を取り上げたことがあった。パエトーンは父親アポロンの日輪の馬車を操ろうとするが、制御できず、人も大地も灰にしてしまうという物語である。日輪の馬車を原子力、パエトーンを人間に例えてあったのだが、きょうはまた背筋が冷たくなるような事実が明らかになった。北陸電力志賀原発の臨界事故隠蔽である('99)。制御棒が抜けて核反応が始まったが、緊急停止装置は作動しなかった。発電所員が手動で制御棒を戻したが、その間15分間は臨界状態にあったという(その所員さんの健康状態は大丈夫なのだろうか?)。またそのことを日誌にも記載せず、原因究明も行わなかったという。

最近、日本各地の○○電力で様々な事故隠しが発覚している。事故は隠しておいて、どの面さげて「原子力は非常に安全なエネルギーです」などと言っているのか。原子力発電所というのは、それを建設する場合、たいてい地元や周辺地域で賛否両論が巻き起こる。しかし人口が少なく目立った産業もない貧しい地域では、地元に金が落ちることもあって受け入れることが多い。大都市の煌々とした灯りを作っているのは、周辺の人々が危険と隣り合わせに暮らしている地方の原発なのである。そんなに安全で危険がないというのなら、東京湾を埋め立ててそこに建設してみろと言いたい。やっぱり不安があるからできないでしょ、○○電力さん?

隠蔽するというのは何よりも卑劣な手段だ。会社内で処分すればよいという問題ではない。国全体の問題として、厳しく処断すべきである。そして、もっと根本的な問題は、パエトーンには日輪の馬車は扱えないのだということを人間が認めようとしないことである。嗚呼。

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きょうのニュースより

きょうはテレビで全日空機の見事なタッチ・アンド・ゴーと胴体着陸を見た。止まったときには思わず拍手してしまった。大事故にならずに済んで本当によかったと思う。これまでも同機種で多くの不具合が起こっていたそうだが、ほとんどの人はそんな事実は知らなかったことだろう。恐ろしいことだ。これを機に、徹底的に原因を究明して空の安全を保障してもらいたいものだ。

笑えるニュースはこちら。普通、5千万円を埋めて忘れるものだろうか? 私なら5千円のヘソクリのありかだって覚えているが。また更に可笑しいのが、数人が「我こそは」と名乗り出たという事実。そうなるんじゃないかなと思っていたら、やっぱりそうなった(笑)。現実と妄想の区別がつかないとか、なんらかの病気とか、ひやかし(?)でないとしたら、そんなにこの日本という国では5千万円を土中に埋めるのが流行っていたのか? 事が事だけにマスコミに発表していない事実がたくさんあるらしいので、いずれ真実の持ち主が特定されるのではないかと思うが、そのとき、名乗り出ている他の人たちはなんと言うのか、それを是非聞いてみたいと思うのである。

……うちの庭も掘ってみようか……

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図書館の本

こんな記事を目にした。

いや実際、督促しても督促しても本を返さない利用者はけっこういるもので、私も図書館員時代には頭を悩ませたものだった。実際にあった例で一番呆れたのは、卒業して自分は下宿を引き払ってから、「返却していない本が残してあるので、部屋まで取りに行ってください」と連絡してきたツワモノ。実に数十冊の図書館の本が山積みになっていた(らしい)。学生は同時に3冊までしか借りられない規則だったのだから、「返却していない本」ではなくて、正しくは「無断で図書館から取ってきた本」なのである。怒髪天を衝く思いだった。

図書館側としては、ブックディテクション・システム(1冊1冊の本に磁気テープが仕込んであり、そのまま持って出ようとするとゲートで警報が鳴る仕組み。あのレンタルビデオ屋さんにあるようなやつ)などを導入したが、ゲートを駆け抜けて逃げる子もいた。将来医者や看護師になろうとする学生がそんなことするなよと、実に嘆かわしかった。本当はそんなシステムなんか使いたくないのである。何十万冊という本に一々磁気テープを仕込む作業だって大変だし、そもそも利用者を信用していないようで嫌だった。図書館員の気持ちは、利用者には気持ちよく利用してもらいたい、ただそれだけなのである。なのに、ほんの少数の不心得者がいるおかげで、そういう対策を講じなくちゃいけない。情けなかった。今はこういうシステムが当たり前になっていて、利用者も図書館員も特に違和感は覚えないかもしれないが、こんなシステムは本当は無くて当たり前なのだ。

ルールを破る人間がいる。→規制、規則、管理体制、その他もろもろが強化される。→それまで融通が利いていた部分も融通が利かなくなる。→がんじがらめ。

ますます住みにくい世の中にしないためにも、最低限のルールやマナーくらいは守ろうね。

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彼女の幸せを願う

カンボジア北東部のラタナキリ州で19年前に行方不明になっていた少女が18日までに無事に保護された。少女は現在27歳。言葉はほとんど話せず、与えられた衣服を脱いでしまうなど半分野生化した様子だという。全文記事はこちら

これを読んでまず思い出したのが、1920年インドのゴダムリという村で発見された世に言う「オオカミ少女」アマラとカマラのことだった。シング牧師によって発見され、オオカミとともにシロアリ塚で暮らしていたところを、親オオカミたちを殺して保護される。人間の親に捨てられたのをオオカミの親に育てられたものとして有名になった。昼間はうずくまって過ごし、夜になると活発に動き、決まった時刻に3度オオカミの遠吠えをしたという。カマラは推定8歳、アマラは推定1歳半。姉妹とされていたが、この年齢差を見てもおそらく姉妹ではなく、別々の時期にオオカミに拾われたものと推察される。アマラは間もなく死亡したが、カマラはシング牧師のもとで9年間生きた。その間、二足歩行はできるようになったが走るときには四つん這いだったし、わずか40ほどの単語と短い文章を使えるようになっただけだったという。

実はもうひとつ思い出した話があって……。『BJ』ファンならお判りだろうが「山猫少年」のエピソードである。赤ん坊の頃に洪水に巻き込まれたが奇跡的に生き延びて山猫に育てられた少年オプー。洪水のときに頭が圧迫されて小頭症になったと考えられ、知能が発達していない。BJは手術でこれを治し、人間らしい暮らしをさせようとする。片言で喋れるようになったオプーはやがてBJをかつて自分が暮らしていた巣穴へ連れて行く。そこにはオプーを育てた母山猫が銃に撃たれた傷のまま横たわっていた。母山猫を治してやるBJ。オプーはそのままそこに残ることを選択する。

このほどカンボジアで見つかった少女にも多難な前途が予想される。どうやって生きてきたのかわからないが、8歳まで人間社会で暮らした記憶やそこから得た知識が、それほど簡単に無くなってしまうものなのだろうか。サルのようにかがんだ歩き方しかできなくなるほど、危険の多い所で暮らしてきたということなのか。トラのように赤い目って……。まだまだ謎は多い。しかし、彼女が幸せに生きる道はどこにあるのだろう? 人間社会に連れ戻されて注目される生活は、果たして彼女にとって幸せなのだろうか。とにもかくにも、今は肉親の愛情をたっぷり受けてほしいと切に願う。

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Hussein Executed

今年最後のビッグニュースは、イラクのサダム・フセイン元大統領の処刑、ということになりそうだ。罪状はイラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」。裁判で死刑が確定してからわずか4日後の出来事だった。この裁判自体の正当性に対する疑義も取り沙汰されている中でのあまりにも早い死刑執行。これでまたスンニ派の報復テロが過激さを増すのではないかと思われる。それにしても、結局見つからなかった大量破壊兵器を持っているとしてイラクに戦争を仕掛け、イラクの一般市民の命を大量に奪ったブッシュ大統領は断罪されなくてもよいのだろうか? 戦争では何事も解決しない、というのが私の持論である。

ところで先日「憲法9条」を巡る論争をテレビで観たが、そのときに硫黄島での戦いを生き延びた方がゲストで出ておられた。その人は、国を、家族を守るために日本も軍備を整えるべきだと主張しておられた。自分はそのときに亡くなった多くの戦友のためにこの場に出てきたのだ、とも涙ながらに語っておられた。地獄のようだった戦場の有様を知らない私には、その方の思いや意見を否定することなどできないし尊重すべきだ、とは思う。しかしそれでもやはり私の意見は変わらない。戦争への道を開いてはならない、と思う。

こういう問題を考えるとき、私はいつも「国」とは何だ、という問題に突き当たる。お国のため、国を守る…。わからない。以前にも書いたことがあるが、もしも戦争が始まって日本も巻き込まれて、まあ勝ったとする。しかしその戦争で自分の家族や知人友人が命を落としたとしたら、日本が勝ったことなどちっとも喜べないと思う。私にとっての「国」なんて、夫の命ひとつよりも軽い存在だ。夫にそう言ったら、「男と女の違いかもしれない」と言った。そうなのかもしれない。守るべきものがあれば命を懸けて戦ってでも守るというのが男という生き物なのかもしれない。

だから、戦争というのは男のやり方なのだとつくづく思う。フセインも最期は観念して静かに刑に処されたと聞く。負けたのだから仕方がない、というところなのかもしれない。きっと彼の死はひとつの時代の終焉であり、新たな事態への幕開けでもあるのだろう。来たる新年が平和な年になりますように。

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Jack The Ripper

19世紀末、ロンドンを震撼させた殺人鬼「切り裂きジャック」のモンタージュ写真が公開された。少なくとも売春婦5人を惨殺して臓器を切り取るなどし、その他にも彼の手にかかったのではないかとされる被害者は10数人に上る。容疑者は王室関係者をも含めて多数おり、現在に至るも真相は闇の中である。

事件後120年も経ってからモンタージュ公開というのは、役に立つとも思えないのだけれども、イギリス流のジョークかしらん? しかしどうやって作成したのかも気になるところだ。この写真はどう見てもCGだが、犯行当時に手描きのモンタージュがあってそれを元にしたのだろうか。昨年だったか、切り裂きジャックのDNAと、当時の容疑者の子孫のDNAを比較するとかいうニュースも聞いたような気がする。容疑者の子孫がよく協力する気になったものだと思ったが、犯人を暴くための捜査というよりも、イギリス犯罪史上最大の謎を解き明かすという謎解きの趣きが強いのだろう。

切り裂きジャックが現れた時代は、ちょうどイギリスが誇る名探偵シャーロック・ホームズが活躍した時代である。電燈ではなくてガス燈の時代。自動車ではなくて馬車の時代。霧深いロンドンの街で起こる連続猟奇殺人事件。ホームズファンならずとも、ホームズなら切り裂きジャック事件をどう解くのか興味あるところなのだが、残念ながらコナン・ドイルはこの事件については何も書いてくれなかった。これに先立って実際にアメリカで起こった「メアリ・ロジャーズ殺害事件」が、ポーの手によって「マリー・ロジェ」という作品の中で真相が推理されていることを思えば(探偵はもちろんオーギュスト・デュポンである)、ホームズにもこの事件に携わってほしかったと残念に思う。そう思うミステリファンは多いのだろう。パスティーシュとして、M.ディブディンの『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』や、エラリー・クイーンの『恐怖の研究』(←エラリーとホームズの夢のようなコラボ)などがある。

さて、「切り裂きジャック」の正体が明らかになる日は果たして来るのだろうか?

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29年前の拉致事件

米子市に住んでいた松本京子さんが17人目の北朝鮮による拉致被害者と断定された。20日には政府が認定する予定である。

数年前まで私は米子に住んでいた。この拉致が行われたとされる海岸には、夫の釣りに付き合って何度も行っている。私は釣りをしないので、松林に停めた車の中で本を読んだり居眠りしたりしながら夫を待っていたものだった。松本さんが拉致されたのは29年前だが、北朝鮮による日本人拉致はほんの数年前まで行われていたとも聞く。そんなところに一人ぼっちで何時間もいたなんて、なんて恐ろしいことをしていたのかと今さらながら恐ろしくなった。夫が釣りをしている場所からは土手があって直接見えないのである。もしかしたら、工作員が機会を窺っていたかもしれないなんて……(震)。

京子さんの母親は彼女の写真を毎日眺め、拉致されたときに現場に残されていた片方だけのサンダルを今でも大切に保存している。京子さんの兄は、今まで拉致被害者と認められなかったことへの苦渋を語っていた。政府に認定されるのとされないのとでは、周囲の反応はまったく違うのだそうだ。誰に言っても「拉致とは違うだろう」と言われ、外務省に訴えてもけんもほろろだったそうだ。家族でなくては判らない苦しみの末に、やっとスタート地点に立てたのだ。京子さんの母親はもう80歳を越えている。もっと早くなんとかならなかったのかと思わずにはいられない。

それに、もしかしたらまだ他にも拉致事件は存在しているのかもしれない。この松本京子さんの事件、私は当地にいたときでさえ、その場所でそんな事件があったなんて知らなかったのだ。地元の新聞社やテレビ局、どこでもよいが、この際、過去の事件を調べ直して、時の流れに埋もれてしまっている事件を掘り起こしてもらいたいと思った。

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高校履修不足問題

いや~、高校の先生はスゴイね。生徒に「世界史的に地理を学」ばせることができるのだから、たいしたものだ。きっとその他にも、数学的に書道を教えたり、化学的に倫理社会を教えたりしてたんじゃないだろうか? いろんなことを学べて良い学校だと思うが、先生がこんな詭弁を弄しているようでは「恥」だけは学べないだろうな~。あ、最終的に生徒は学ぶことができたのか。この期に及んでこんなことを言うことが「恥」だって。先生が身をもって示したのか。いや~、立派な先生だな~!

なんだかつくづく……なんだかなぁ。呆れて言葉が見つからない。救済措置がどうのこうのと言われているが、それもまたおかしな話ではないかと思う。高校教育で履修すべきものを履修していないのなら卒業できるわけがない。それを大学入試のために温情をかけるというのは、本末転倒だ。高校が単なる大学予備校ということになってしまう。それより、生徒が他の教科を学ぶ機会を奪ってしまった確信犯の先生、学校はどう責任を取るのだろう? 生徒がかわいそうだ……。

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盗作?

松本零士 vs 槇原敬之「ゲド戦記」vs「こころ」。最近立て続けに盗作が話題になっている。映画「ゲド戦記」に使われた「テルーの唄(うた)」は、萩原朔太郎の「こころ」にインスパイアされて作ったことを宮崎監督自身が認めているから、こちらはあまり大ごとにはならないだろう。先人の作品に対しての賛辞がなかったことが問題なだけである。

松本零士と槇原敬之の場合はどうなのだろう。
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」(『銀河鉄道999』)
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」(『約束の場所』)
う~ん。あくまで個人的な見解だが……、そっくりだと思う。私なら100年考えてもこんな特殊な言葉は紡ぎ出せないだろうし、正直、意味もわからない(笑)。槇原は『銀河鉄道999』を読んだことはないらしいが、「どこかで聞いたものが記憶にすり込まれたのかも」とも発言しており、その言葉を信用すれば決して意図的な盗作ではないようだ。本人にさえその発想がどこから湧いたのかわからないのなら、誰にも決着はつけられないような気がする。

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茶髪とピアス

ちょっと前から話題になっていたが、秋田経済法科大学の茶髪・ピアス問題に決着がついたようだ。記事中の「図書カードに替える案も検討したが」に笑った。アホか。

真面目な学生に恩恵がないのはおかしい云々ということで取りやめになったようだが、問題はそんなことではないだろう。どうして茶髪・ピアスがいけないのかということだ。大学側の説明ではこうなっている。

今回の規則の基になっているのは「高等教育を通じて健全にして善良な社会人を育成する」という本学設置の趣旨であり、学則にも制定されている事項です。
(中略)
頭髪に関しては「清潔を旨とし、周囲に不快感を与える特異な髪形や染色及び脱色等は禁止」
装身具については「華美を避け、かつ品位を保つことを旨とし、ピアスは禁止」

まるで茶髪・ピアスの者は善良ではないかのような書き方である。私はもともと髪の毛の色が薄いんですが、不快ですか善良ではありませんかスミマセンね。いや論旨が違うことは判っているのだが。

私は基本的に「身体髪膚之を父母に受く。 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」 (『孝経』)の考え方を支持している。整形したりピアスのための穴を開けることは、少なくとも私はしない。しかし、他人がどういう考えを持って自分の身体をどうしようが、基本的には自由だと思っている。それが美しいと思うなら茶色にでもグリーンにでも染めればよいと思う。さらには、男の子が眉の形を整えようが化粧をしようが(私にはちっとも良いとは思えないが)、本人が断固たる意思を持ってしていることなら止める権利はないと思うし、中学高校での「頭髪は丸刈り」などという校則も人権侵害ではないかとも思っている。

要は、見た目と人格を関連付けることが短絡的であるということだ。紳士的な風貌で悪いことをする奴はゴマンといる。逆のパターンもゴマンとあるだろう。いやしくも教育機関ならば、そんなことより内面の教育に力を入れるほうが良いのではないかな? もっとも大学というところはそういうことを教育する場ではないけれども。

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古い話2題

●松江市にある出雲国府跡で、平安期の道路跡が見つかった(12日発表)。『出雲国風土記』(天平5年・733年完成)にも記されている国府から北に向かうメインストリート「枉北道(きたにまがれるみち)」ではないかとされている。以前に見つかった奈良時代後半の道路跡とも重なり、奈良~平安にずっと使われてきた道らしい。このあたり、今ではのどかな田園地帯。15日には現地説明会があるというので、行かれたら行ってみよう。

●大阪市中央区の難波宮跡で、日本最古の万葉仮名が書かれた木簡が見つかった(12日発表)。これまで万葉仮名の成立は7世紀末ごろとされていたが、今回の発見で20~30年さかのぼることになるという。
 

 ちなみに、上で触れた『出雲国風土記』は漢文を基調としているが、神話を語った部分などにはところどころ万葉仮名も混じっている。お役所の公文書は漢文で書き、叙事詩的な部分では日本語の話し言葉のリズムを大事にしたのだろう。

 ところで、万葉仮名といえば『万葉集』だが、未だに読み方が定まっていない難読中の難読歌を挙げておく。

莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
━━━━━ ━━━━━━━  わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと
                 <巻一・0009 額田王>

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吉祥天

出雲市にある山持(ざんもち)遺跡から、奈良~平安時代のものと思われる、墨で描かれた女性像の板絵が発掘された(4日発表)。このうち、頭の後ろに頭光(ずこう)と呼ばれる円形の光が描かれた女性は「吉祥天」ではないかとされている。

061005_223601 「天」が付くのはインド神話の神であるという例に漏れず、吉祥天はヴィシュヌの妻、ラクシュミーである。富と幸運と豊饒の女神とされており、蓮の花を持ち、手の平からは金貨がこぼれ落ちている。泡立つ海から生まれたとされ、そのあまりの美しさに神やアシュラが言い寄ったが、彼女は結局ヴィシュヌの妻となった。ヴィシュヌは、シヴァと並んで強大な力を持つヒンドゥー教の神である。ところが、吉祥天と漢訳されて日本に入ってきた彼女は毘沙門天(インド名:クベーラ、ヴァイシュラヴァナ)の妻とされている。不思議な話である。またこの毘沙門天というのが、多聞天とも、十二神将の筆頭・宮比羅大将(くびらたいしょう)とも、金毘羅(こんぴら)とも呼ばれるからややこしい。音訳意訳の違いがあるだけでみな同一人物である。

よく知られている吉祥天の像としては、京都・浄瑠璃寺の「吉祥天立像」が一番有名だろう。華やかな衣装、煌びやかな装飾で、一見仏像という感じがしない。秘仏だが、おりしも10月1日~11月30日には特別開扉されている。私も近くに住んでいたら行くのだが…。

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敬語細分化

敬語が5分類になりそうだ。現在の敬語は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類だが、これに新しく「美化語」を加え、「謙譲語」を2つに分けるのだそうだ。頭に「お」や「御」がついた表現が「美化語」ということになるのだそうだが、

「お導き」「お名前」などの「お」はこれまで通り尊敬語、「お手紙」の「お」も「先生からお手紙をいただく」なら尊敬語、「先生にお手紙を出す」なら謙譲語となる。

という解説があり、もう私には何がなんだかわからない。(自分が書く手紙に「お」をつけるのは間違いではないかと違うところに反応したり。私なら「先生に手紙を差し上げる」と書いて×になる可能性が大だ。謙譲語の「お」なんてあるんだなぁ。)しかし、敬語を細分化することは何かの役に立つのかしらん? 敬語の種類が増えようが減ろうが、実際に使う敬語が変わるわけではないのだが、例題を読んで敬語の種類を答えなさい、なんて問題を解かねばならない児童生徒諸君は大変だろう。

言葉は実際に使えなければ意味がない。敬語を日常的に使う場面はどんどん少なくなっているように思う。学校の先生に対してさえタメ口をきく子供達が、いったいどこで敬語を使うというのだ? 世代の違う人たちとの交流も少なく、ファミレスやコンビニで使われる変な敬語が当たり前だと思っている若い人たちには、実際、敬語など必要ないとさえ思える。社会に出てから多少の苦労はするだろうが。

敬語は、相手を敬う気持ちの発露である。あるいは最低限、相手に失礼のないように接するための話し方である。話し手にそういう気持ちがない限り、敬語が自然に出ることはない。そんな気持ちもないのに、取ってつけたような定型句の敬語はいっそ寒々しい。だから結局は、言葉の問題は心の問題なのだ。敬語が使えるか使えないかは、「敬う」という気持ちが理解できるかどうかなのだと思う。

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死刑判決

『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(北尾トロ著)を読んでいる。読み終えたら感想を書くこともあるかもしれないが、半分ほど読んだところの感想としては、法廷は人間ドラマの場である、他人事ではない、反省とは無縁の人間がいる、等々である。

おりしも今日、奈良女児殺害事件の小林薫被告に死刑が求刑された。犠牲者が1人で、金品目的でなく、被告に殺人の前歴がないケースでの死刑選択は極めて異例とのこと。おそらくは、これが初犯ではなく、過去に強制わいせつ('89)、強制わいせつと殺人未遂('91)で服役経験もあるのに更生していないという点も考慮されたのではないかと思う。きょうの判決でも「投げやりで、真摯(しんし)に反省しているとはいえない」と指摘されている。

一般的に、飲酒運転と性犯罪は再犯率が高いと聞いた。そういう人たちは酩酊や快楽を求める気持ちが強いということになるのだろうか。自分のものすごく原始的な欲求を抑えることができないという点では弱い人間なのだと思う。

しかし、事後に一応正常に戻った時点で、「反省していない」というのはいったいどういうことなのだろう? 池田小学校事件の宅間死刑囚もそうだった。とうとう一言の謝罪の言葉もないうちに彼は死刑に処された。遺族の思いはどうだったのだろう。犯人が死刑にされたことで、いくらかでも気持ちは楽になったのだろうか。私なら、せめて一片の心からの謝罪の言葉が欲しいと思う。死刑にされてしまえば、そのチャンスは永遠になくなる。憎しみも永遠に消えない。

殺人事件の量刑は、被告の罪の重さを考えるだけではなく、事件後も生きていかなくてはならない遺族の気持ちにも配慮したものでないといけないと感じるのだ。死刑判決を屁とも思わず、反省しない人間に、罪の重さを自覚させる方法はないものだろうか?

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親王殿下ご誕生

紀子さまが男子を出産された。おめでとうございます。

10時にはわが町でも「君が代」を鳴らして街宣車が走ったし、11時には地元の新聞が号外を配った。日本国中、祝賀ムードである。それは、皇室に実に41年ぶりに男子が出生したというだけではない、まさに救世主が誕生した喜びなのだろう。少なくとも、近い将来までの男系の天皇家の存続は約束されたのである。私が生きている間は「皇室典範」が改正されることもないだろう。それにしても、皇室の方々の近年のストレスは相当なものだったのではないかと想像する。下々の者には計り知れないご苦労があったことと思う。それを思うと、天皇家、東宮家、秋篠宮家の方々には心からのおめでとうを言いたい。よかったですね。

1933年12月23日の夜明けにも、待ち望まれた男子が誕生している。今上天皇である。丸ビル、愛宕山、上野博物館などに設けられた18ケ所のサイレンが、2回連続して鳴らされた。内親王ならば1回、10秒後にもう1度鳴ったら親王の誕生、と決められていたという。昭和天皇と良子皇后に、御結婚以来10年目にして初めて男子が誕生したことを知らせるサイレンだった。皇太子誕生のニュースはただちにラジオで伝えられ、日本国中が祝賀に湧いたらしい。それまでに生まれた4人は皆女子だったから、当時の日本も昨日までの日本と同じような、男子誕生を待ち望むムード一色だったのではないかと思う。北原白秋作詞、中山晋平作曲の「皇太子さまお生れなつた」という歌までヒットしたらしい。

日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
天皇陛下お喜び みんなみんなかしは手
うれしいな母さん 皇太子さまお生れなつた
(2番以降は略)

天皇家存続云々、皇位継承云々ではなくて、ひとりの男の子が無事に生まれたことを、喜びたいと思う。

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(備忘録060824)

ちと多忙のため、きょうの記事はお休み。

冥王星、惑星からはずされちゃいました~。でも君のことは忘れないよ!

最後に「水金地火木土天海冥」と唱えてみる。

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Pluto

冥王星が太陽系惑星の地位から格下げされそうだ。17日付けのニュースでは、従来の惑星9個に「セレス」「カロン」「第10惑星(2003UB313)」が加えられて12個になるということだったのだが、きょうのニュースでは、9個から冥王星を除く8個になる方向で調整中とのこと。国際天文学連合(IAU)総会で話し合われており、原案への反対意見や慎重論が多い場合には、3年後の次回総会に決着が持ち越される可能性もあるという。

まあ、惑星から格下げされようと、星自体がなくなるわけではないのだが、占星術などではどうなるのだろう。西洋占星術では12宮と惑星を関係づけて考えており、現在冥王星は天蠍宮を支配している。1930年に冥王星が発見されるまでは、火星が白羊宮とともに天蠍宮をも支配していたそうだから、その状態に戻るのかしらん? ちなみに「プルート」とはローマ神話の冥府の王の名前。ギリシャ神話のハーデスに当たる。日本語名の「冥王星」は天体や星座の研究家として知られる野尻抱影の命名だそうだ。

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