カテゴリー「文化・芸術」の記事

この人を見よ

Photoいささか旧聞だが、キリストがサルのようになってしまった例の修復画の話。話題沸騰となり、教会を訪れる人も増え、教会は入場料を取るようになり、数日間で数十万円を稼いだ。そこで、作者のセシリア・ヒメネスさんは著作権料を受け取る権利があると主張しているという。ほのぼのとした笑い話が一転、何やら世知辛い話になってしまっている。

元の絵の作者はエリアス・ガルシア・マルティネス(1858-1934)で、絵のタイトルは「この人を見よ」という。1910年、マルティネスが休日をこの地で過ごしていた縁で村に寄贈したもので、作者によると「慈悲の聖母(Virgin of Mercy)への祈りの気持ちを込めて2時間で書き上げたもの」だそうだ(出典:Wikipedia)。

もともとの作者の著作権は既に切れている。そして当り前の修復がなされていたのなら、修復したものに著作権は発生しない。ところが、これくらい大幅な改変がなされてしまうと、二次著作物で著作権があるという見方もある。そうなると、既に売り出されている修復画をデザインしたグッズに使用料金が発生することもあり得るという。

なかなか難しい問題で、そもそも教会が入場料を取るようになったのはその収益で絵を元に戻すためだという話もあり、ならばヒメネスさんがそこから著作権料をもらうのはおかしな話だけれども、人を集めて金が取れるほどの絵に仕上げたのはヒメネスさんの手柄だし……と、ますます混迷の度合いを増していくのである(笑)。

ワタクシ的には、ヒメネスさんはマルティネスの絵を損壊したという罪は免れないと思うので、著作権料など申し立てず、ここはひとつ相殺ということにしてもらいたいものだと思う。もともとは善意から出たことだものね。そして願わくは、マルティネスの絵が修復され、ヒメネスさんのあの素晴らしい絵もなんとか別の場所に保存されればよいがと思う。そのときには晴れて著作権料の請求もできるようになることだろう(笑)。

Photo_2あんまりおもしろい絵だったので、思わずニコタで作ってしまった「残念なキリスト部屋」。改装する前に記念に残しておきます。

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常用漢字

この記事によると常用漢字の数が少し増えるらしい。また異字同訓の用法が新たに認められて、「臭い」と「匂い」、「怪しい」と「妖しい」等々の書き分けが可能になるらしい。大いに歓迎したい。

これまで、例えば「におい」を漢字変換しようとすると「臭い」も「匂い」も常用外となっていて、いったいどうしたものかと悩むことがあった。あるいは「斬る」や「伐る」も常用外だから「侍が人を切る」「木を切る」としか書きようがなかったのだが、これではまったく意味合いの違うものになってしまう。「斬る」という表記でしか表せない雰囲気が伝わらない。ということは、大げさに言えば、「斬る」という言葉の持つ文化そのものが伝わらないということだ。共通認識が形成できない。そういう意味で文化の断絶にも繋がる危険があることを憂えていた。せっかく微妙な違いを書き表す漢字があるのだから、使わないのはもったいないと常々思っていた。

いや、もったいないという以上に、単純に非常に読みづらいことがあるのだ。この記事では触れられておらず、このたびの検討作業で改善されるかどうかはわからないが、「表外字」の使用範囲ももっと広げてほしいと思う。例えば以前は「拉致」を「ら致」と交ぜ書きにしていた(←本来は「らっち」が正しいが、最近は大きな辞書でも「らち」が本見出しになっているようだ)。あまりにも読みづらいので今では漢字表記が多いようだが、この他にも「愛嬌」を「愛きょう」、「捺印」を「なつ印」、「改竄」を「改ざん」、「冤罪」を「えん罪」、「毅然」を「き然」等々、ちょっと思い出すだけでも枚挙に暇がない。もちろん各新聞社、放送局等にはそれぞれの表記ガイドラインがあって「毅然(きぜん)」などとされていることもあるが、正しくお上(かみ)の言うことに従うとすれば、表外字はひらがなで書かなくてはならず、交ぜ書きが正しいということになってしまう。

読みづらいし、「改ざん」なんて表記を見るたびに「ざん」の字ってどうだったっけ?などと思うのが煩わしくてしょうがない。こんな字を書ける必要はないと思うが、「かいざん」という言葉の意味は知っていて日ごろよく使っているのだから、漢字表記にしてもよいのではないかと思う。()で読み仮名を書いてもらったら言うことない。学校で習う習わないは別問題として、せっかく漢字文化圏にいるのだから漢字に触れる機会は多いほうが良いと思うのだけれどね。日本語の豊かさに気付くためにも。

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永遠の少女マンガ

「永遠の少女マンガベスト100 ★1992年版」という記事を見ていた。懐かしいな~。

1992年というと私はもう結婚していてマンガとも縁が切れて久しいころなのだが、ランクインしている作品は高校生頃に読んでいた作品が多くて、いやもう本当に懐かしい。『ポーの一族』『日出処の天子』『ベルサイユのばら』というTOP3は誰しも納得のいくところだろう。吉田秋生の『カリフォルニア物語』がランクインしていないのがちょいと不満だが。

対する「2008年版」がこちら。わ~、ほとんど知らない……。1位は『のだめカンタービレ』。ドラマはちょっと観たが原作は読んでない。う~ん、気分は浦島太郎だ。

30代以降に読んだマンガの中で印象に残っているのは『風翔ける国のシイちゃん』。魔法が使えるシイちゃんという小さなプリンセスが引き起こす出来事を描くほのぼのメルヘン。風伯だの雷公だの雨師だのをびくびくしながら呼び出すシイちゃんとその召使の少年が可愛くてね。しかしこれがどこを探しても見つからない。縁があればまた読める日もあるだろう。

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『源氏物語』1000年

お昼にたまたまテレビをつけたら瀬戸内寂聴さんが出ておられた。『源氏物語』の話をしておられたのだが、今年は『源氏』が書かれて1000年の記念の年なのだそうだ。そんなにはっきり成立年が判明したのかと思っていたら、根拠となるのは『紫式部日記』だそうで。この日記の中で、藤原公任が「…此のわたりにわかむらさきやさふらふ…」と言ったと書かれているのが寛弘5年(1008年)11月1日。だから少なくとも1008年までには『源氏』の「わかむらさき」の章は書かれていた、ということになるわけだ。

『源氏』五十四帖のうち、「わかむらさき」は第五帖。まだまだ序盤だから、全巻が完成したのはもっと後年のことかもしれないが、1000年も昔の古典に陽が当たる良いきっかけではあると思う。

『源氏』といえば中学高校の古典の授業でサワリを習うけれども、私が最初に読んだのは小学生の頃だった。家に子供向けの絵入りのダイジェスト版があって、どこか遠い外国のおとぎ話を読むような感覚で読んだ。源氏と頭中将が二人で「青海波」を舞っている絵がとても素敵で、お気に入りのページだった。あの本、どこに行ったかなぁ……。

その後、大学で変体仮名の写本をちょっとだけ読み、谷崎、円地、瀬戸内の現代語訳『源氏』を読み、桑田次郎のマンガを読んだ。そしてわかったことは、『源氏』というのはエロ小説(ただし萌えない)だということだった(笑)。日本における高貴な古典文学の金字塔だとありがたがる人もあって、そういう人達に「エロ小説じゃないか」などと言ったら叱られるかもしれないが、それはエロ小説に対して失礼だろうと私は思う。古典の最高峰がエロでもちっとも構わないじゃないか。『千夜一夜物語』だって、暴君のご乱行を止めるために(あるいはセックスを避けるために)シャハラザードが延々と話し続けた末にできたものだ。堅苦しい高尚なだけの古典なら、後世まで読み継がれる確率は低かったんじゃないかと思う。

しかしまぁ、『源氏』には単なるエロというだけには止まらない別の魅力があることも確かで、もうひとつ重要なキーワードがあるとすれば、それは「出家」だと思う。どろんどろんの愛欲の世界で苦しんだ女たちが、出家することで救われる姿もそこには描かれている。……ということも一応書いておこう(笑)。でも、基本はエロだ!(しつこい?笑) だから、奔放な生き方の末に仏門に入られた瀬戸内寂聴さんの訳が一番しっくりきているような気がして、私は好きである。

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コミケ?同人誌?

時節柄、私がよく覗くサイトでは最近「コミケ」の話題が多かった。私はといえば、ほんの2年ほど前までは「コミケ」という言葉の意味すら知らなかった。「コミックマーケット」だと知ったときは、なら「コミマ」じゃないかと本気で思ったりもした。姪っ子がそこで本を売っている(ちなみに先日も東京大阪へ行ったらしい)という話を聞いたときも、ふ~ん、で終わった。このとき私の脳内には道ばたの露天フリーマーケットの情景が浮かんでいたのだった。同人誌を売ってるんだよ、と聞いても、「白樺」とか「アララギ」とかの文芸同人誌がまず思い浮かんで、同人誌とコミケの関係がわからなかった。そもそも一人なのに同人誌とは何ぞや? いやサークルなんだよ。サークルならなおさら一人ではあるまい? え~と……(←もうお互いに疲れた)

先日も某A氏がメールで「コミケを知らない人はかえって新鮮」と驚いてくださったので面映い思いをしたのだが(違)、実際私が若い頃にはそんなもの無かったのだ。いろいろ調べてみたら、コミケの萌芽は70年代後半らしいが、私は地方に住んでいるせいか当時そんなことは聞いたことがなかった。それが今のように参加者数十万人というような一大イベントに発展するとは! これは昨今の「萌え」文化とも連動しているのだろうと思うのだが、私の年代はちょうど端境期に当たっていたのかもしれない。マンガやアニメに縁のない生活をしていた時代に、そういうものがじわじわと発達していたのだろうと思う。そして気がついたときには、今さらコミケとか「萌え~♪」に手を出すのは憚られる年齢になってしまっていた。

『BJ21』でドクター・キリコの声を当てている速水奨さんの日記を読んだのだが、先日のコミケに足を運ばれたとのこと。さすがに声優さんだけあってそういうことにも興味がおありなのかと思ったら「ほんの一かじりだけど、コミケが何となく解りました!」と書いてあった。速水さんは私より一学年上。ほーらやっぱり私達の年代はコミケなんて知らないんだってば!

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