カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

(備忘録180925)

中秋の名月は昨夜だったらしいが、満月は今夜。雲間から煌々と光を放つ月を愛でつつ。

お姑さんが急に施設を移らなくてはならなくなり、この1週間はてんやわんやだった。2か所に見学に行き、すぐに入れる方に即契約。(空き部屋だったというわけではなく、前の住人さんが「病院に入っておられたのですが、きょう亡くなられまして……」という状況だった。)グッドタイミングと言えば罰が当たる。ご冥福を祈る気持ちと感謝の気持ちが綯い交ぜである。(-人-)

2日ほどで荷造りをし、3日目の昨日引っ越しを済ませた。引っ越し業者を頼むほどの量ではないと思われたため、知っている「なんでも屋」さんご夫婦に助力を頼んだのだが、1.5tトラックいっぱいになった。今度の部屋はいままでの部屋の半分ほどの広さしかないので、入らない荷物を自宅に運んだりと、なんだか綱渡り状態の引っ越しとなった。冷蔵庫やらキャビネットを運んだりしたので、ただいま全身筋肉痛である。

きょう様子を見に行ってみると、昨夜も寝られたとのことだし、周りの人たちとおしゃべりもしていたので、一安心した。明日は元いた施設のデイサービスに行く予定。

さて、次の話題。

今月のEテレ「100分 de 名著」はウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を取り上げていた。この本については以前にちょっとだけ触れたことがある(→ココ)。要するに私には「理解できなかった」ということを書いたのだが(汗)、番組で和田忠彦氏や中沢新一氏が語っておられたところによれば、肩透かし感、なんちゃって感を感じる読み方で正解(?)らしい。つまりはそれが、我々が抱えている「知」の限界であるということらしい。……ますますよくわからないのだが、知の限界があろうと人は知を求めるのだということだけはわかった。……ということにしておこう(汗)。

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この夏思ったこと

やっと先週あたりから涼しくなってきた。まあなんとも今年の夏は暑かった! かてて加えて猛烈な台風やら大地震やらで日本中が大変な事態になった。被害に遭われた皆様方に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。m(__)m

そんな地球が壊れ始めている中でも、人間はちまちまと悪いことをしでかし、特に多くのスポーツ界のおエライさんが権力を振りかざしていたことが暴露された。ボクシングの「歴史の男の〇〇さん」とか、体操の「女帝」とか言われる人たちを見ていると、この人たちは何か勘違いをしているんだろうなぁと……。本当に偉い人物というのはきっと絶対的に謙虚な人なのだろうと思ったりしたものだ。

と、まあいろいろと腹の立つことは多かったのだが、私がこの夏もっとも関心があったのは、多くの医科大学の入試において女子が減点されていたこと! そんな不正が当たり前にまかり通っていたとは、あきれ果てて物も言えない……┐(´ー`)┌

この場合、不正を正すのは簡単だ。入試要項に「当大学では女子の得点を一律20点ばかり減点します」と書くだけでよい。出来の悪い男子を(裏口)合格させて、将来いろんな医療過誤を起こして問題になればよいのだ。「患者のことなんか考えてません」と追記すればなお良い。ふん。誰がそんな病院に掛かるかい! (-。-)y-゜゜゜

しかし、ね~。入試における不正採点は別にして、これはまったく難しい問題ではある。独身でバリバリ働いていた女医さんも、結婚して子供ができれば一定期間の離職は当然の権利だし、復帰したとしてもなかなか医師として元のようには働けなくなるのも当たり前だと思う。他の職種だって多かれ少なかれそれはあるが、人の命を預かっている医師の仕事の重みは段違いだ。シフトを変えるくらいで解決できる問題ではなかろう。私は医者でもないし子供を持った経験もないのだが、たとえば自分の子供の具合が悪いときなどは、仕事なんか放りだして母親として子供の傍についていたいと思うに違いない。それは誰にも責められないと思う。

社会における性差の問題を考えるとき、公正にしてもらいたいとは思うものの(某医科大学はこの点で×)、本質的に男女が公平に(平等に)生きられるかどうかというのは永遠の問題だと思う。社会制度で改められることなどは、所詮は労働時間や賃金に不平等が起こらないことを目指すだけであって、それ以上ではない。目指すべきは両性が平等に幸せを感じられるかどうかということだと思うので、それは一概には言えず、ごく個人的な問題になってしまうと考える。

女性の場合、仕事か家庭かという問題は、いつまでたっても大問題だろうと思う。出産は女性にしかできないし、育児だってどちらかといえば女性に負担がかかる。子供に手がかからなくなれば、今度は親の老いに直面する。そしていずれは自分も老いていく。そういう一生をある程度は視野に入れて、自分が幸せだと思う道をじっくり考えて選んでほしいなと思う。「女性が輝く社会」とか「一億総活躍社会」とか、あんまりそういうのに幻想を持つのはアブナイ。実際、女医の夢を砕かれた人だっていたに違いないのだから。そんな国のそんな世の中で、女の一生、賢く生きたいものだね。自分にしか生きられない、自分の一生なのだから。

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(備忘録180727)

てんで「日記」の体を成しておらず、もはや「月記」ではないかと思う今日この頃……(滝汗)。

いろいろ思うところを書こう書こうと思っているうちに、また新たなショッキングなニュースが飛び込んでくるといった様相の7月だったと思う。

いま思えばあれが梅雨末期だった月始めの大雨災害では、今なお広島や岡山で復旧作業が続く。その大雨のニュースと前後してオウム真理教の麻原彰晃教祖ほか6名の死刑執行のニュースが飛び込んだ。執行は近いと言われていたが、それでも一度に7名もの執行には驚いた。平成の事件を平成のうちに片付けてしまおうという何者かの意志が働いたのだと思う。天皇の譲位や2年後の東京オリンピックをにらんだ配慮だろうが、麻原が何も語らずに逝ってしまったことで、奴はいったい何者だったのだろうというモヤモヤした気持ちは残る。(そして先日残りの6名も死刑が執行されてオウム事件は終わりを告げた。)

そうこうしているうちに、梅雨明けと同時に日本列島を熱波が襲った。太平洋高気圧の上にチベット高気圧がのしかかり、びくとも動かない。熊谷では41.1℃を記録し、ここ松江でも梅雨明け以来全然雨が降らず先日は37℃台を記録した。全国で熱中症患者が多発し、死者も多い。世界的に見ても、中国やカナダなども熱波に襲われているという。これはもう地球が壊れかけているとしか思えない。もう後戻りできないところまで来てしまったのかもしれない。

テレビで熱中症への注意を喚起してばかりいる間に、こっそりといろんな法案が可決された。順番はもはや覚えていないが、働き方改革法案、通称カジノ法案、それと参議院議員の定数を増やす法案だ。熱波と災害で国民が苦しんでいるこのタイミングに大して議論もせずに可決したのは、まさに「寄らしむべし、知らしむべからず」といったところか。言いたいことは山ほどあるが、一言でまとめれば「私はアベが大嫌いだ」ということになる。テレビに顔が映るだけで、ほんと嫌だ!

そして今度は台風が来る。妙なコースを通って、東から西へ抜ける見込みのようだ。これまでの常識が通用しないと言われており、これがどんな災害をもたらすのか見当もつかない。何事もなく通り過ぎてくれることを祈るばかりだ。

ところで、私がいまいちばん不思議に思っていることは、テレビであれだけエアコンを使えと言い、実際多くの人が一日中つけっぱなしにしているであろうのに、電力不足だというニュースがないことだ。どういうことだろう? 総裁選前ということが関係してる? まあいずれにしても、これだけ使っても大丈夫らしいということは覚えておこうと思う。

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「世論」と「空気」

4月22日に再放送されたNHK『100分 de メディア論』がベラボーに面白くて、感想を書こう書こうと思ってはいるものの、なかなか書けないでいる。まあいつかそのうちに。

ところで、番組ではリップマンの「世論」、山本七平の「『空気』の研究」などが取り上げられていたのだが、このたびのTOKIO山口氏の強制わいせつ事件をめぐる動きとメディア(主にテレビのワイドショー)での取り上げられ方を観ていると、これらの本に書かれていることをそのまま辿っていたように思われた。

私がこの事件を最初に耳にしたとき、刑事的な処分がどうなるかはまだ不明だったが、被害者との和解は成立しているとのことだったので、大したことにはならないと思っていた。悪い方向へ転がりだしたのは、ここで事務所から出された木で鼻を括ったような声明からだったように思う。リップマンの「世論」で触れられているのは「どんな人でも、自分の経験したことのない出来事については、自分の思い描いているそのイメージが喚起する感情しか持つことはできない」ということなのだが、J事務所に対する印象はグループSの一件以来、非常に悪い(らしい)。山口氏がやったことは確かに悪いが、彼を監督指導すべき(と世間が思っている)事務所の対応があまりにひどかったため、彼に対する風当たりもここで強くなった感があった。

そして山口氏の謝罪会見。事務所サイドの弁護士の弁は、とにかく早く事を穏便に収束させたいという姿勢が見え見えだった。ただ、本人の謝罪の弁は、彼の素直な気持ちが伝わるものだったと思う。戻れるものならTOKIOに戻りたいという言も、思わず本音が漏れてしまったということで、私にはそれほど不謹慎なものとは思われなかったのだが……。

その言葉に反応したのがメディアだった。いまそれを言う?言っちゃダメでしょ、とこぞってワイドショーで叩かれた。そんな言葉は聞きたくなかったと国分氏も翌日に発言。山口氏がいま言っていいのはただ謝罪の言葉だけだ、という空気が広まった。そして5人で持たれた話し合いの席で山口氏は辞表を提出する。

いま思うと、その後に開かれた4人の会見は山口氏の「戻れるものならTOKIOに戻りたい」という言葉を否定するために設けられたと受け取れる。長い付き合いの山口氏を、心情的には見捨てることはできない。彼を失うことはTOKIOにとっても大きな損失である。しかし、既に4人は山口氏を受け入れてはいけないという、メディアが作り上げた世論の空気に支配されていた。そのとき山口氏の言を否定することは、山口氏に対する愛情でありTOKIOの絆の裏返しでもあったと私は思うのだが、それとは別に、彼らには既に最初から、山口氏を擁護する自由、被害者のことを慮る言葉以外の言葉を発する自由などなかったのだと思う。

この4人の会見後、とあるワイドショーで街頭100人アンケートを取っていた。「今後TOKIOはどうなるのがいいか?」という問いに対し、「5人で活動するのがよい」という答えが70%近くに上っていた。「4人で活動」が20数%、「解散」は3%だった。4人の辛そうな姿を観て、同情を感じた人々が多かったのだろうと思う。しかし一方で、これはグループSのときと同様の公開処刑ではないかという世論が生まれた。以前にも増して、J事務所に対しての批判が噴出した。斯くして、J事務所は山口氏の辞表を受け取り、氏との契約を解除した。

この事件によって生じた経済的損失は数億とも数十億ともいわれている。TOKIOはベースギターを失い、音楽活動の予定は白紙となった。長瀬氏が会見で言っていた「被害者探しはしないでください」という意向とは逆に、ネット上ではそういう動きも盛んなようだ。被害者の方にも非がないとは言えないとか、親が悪いとかの意見も多い。

おそらく世の中のたいていの人が望んでいなかった結果になってしまったのではないかと思う。この結末でいったい誰が得をした……、いや、誰か一人でも幸せになれたのだろうかと思う。被害者だけでも「これでよかった」と思っているのならそれは救いだが、果たしてそうなのかどうなのか……。そこのところは誰も知りようがない。

最初に挙げた山本七平の「『空気』の研究」では、戦艦大和の悲劇が取り上げられているそうだ。驚くことに、軍の上層部の誰一人として大和の出撃には賛成ではなかったという。けれども、そこでは不沈戦艦大和が出撃しなければならないという「空気」が支配しており、皆がそういう「臨在感的把握」なるものをした結果、大和は海の藻屑と消えた。

「世論」と「空気」、そして道徳的に決して言ってはならない言葉、そういうものの存在が、事をこれだけ大きなものにしてしまったように思われてならない。

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何も言えないネ……

TOKIOの山口氏以外の4人の会見を、結局全部観てしまった。こういう場を設けたからには何か大きな発表があるのかと思っていたが、山口氏から辞表を受け取ったという事実が明らかにされた以外は、被害者およびご家族への謝罪と、自分たちも現時点では混乱していて大きな決断をなすには至っていないこと、音楽活動の計画は白紙に戻し、いま頂いている仕事に全力を尽くすという内容に終始した。1 for 5, 5 for 1。何があっても連帯責任というTOKIOの姿勢は明らかになったと思う。

発言に重みがあったのは松岡氏だった。「TOKIOに戻りたい、俺にはTOKIOがある。TOKIOに帰れる場所がある。もしそういう彼の気持ち、甘えの根源がTOKIOだったとしたら、自分の意見ですけど、そんなTOKIOは1日も早くなくした方がいいと思います」と言ったのはまさに断腸の思いの発露だったろうと思う。またその一方で、「本当に申し訳なく情けないんですが、ありがたいことに、番組継続、いろんなお仕事継続といういろんなお声をいただいた時に、今僕ら4人ができることって何だろうと。それをしっかり果たすことがプロなんではないかと。その狭間で戦っています。辞めるのは簡単だと思います。与えられたことをきちっとやることがプロだと思っています」という発言が彼の葛藤を物語っていた。

被害者の気持ちを思えばこんな会見もしないほうがいいのかもしれない、という城島氏の発言も重かった。ネット上では被害者を特定したり、NHKの当該番組の出演者に対しての嫌がらせもあると聞く。TOKIOの活動に大きな支障をもたらす事態に発展した“事件”の被害者にしてみれば、もうそっとしておいてほしいというのが正直な思いであろう。一方で、被害者のそんな思いも慮った上で、自分たちからも謝罪しなくてはならないと考えた4人の気持ちもわからないではない。山口氏を切ってしまうことで、被害者への(あってはならない)風当たりが一層強くならないとも限らないのだから、決断できない自分たちをも許してほしいという謝罪の気持ちもあったのだろうと思う。

これがTOKIOの山口氏ではなくて一般人の起こした事件であったなら、(被害者には失礼な言い方だが)こんな「大ごと」にはなっていなかったろうと思う。国民的アイドルTOKIOのメンバーが引き起こした事件であるからこそ、こんな事態になって、私のような全然無関係なおばちゃんまで興味を持ってしまった……。

うん。この件に関しては、第三者はなにも言及しないのがいちばん良いネ。

だから、以下は私が常日頃思っている個人的な意見である。

先ごろ夢中になって観ていたドラマ『アンナチュラル』第6話に、ミコトのこんなセリフがあった。
「女性がどんな服を着ていようがお酒を飲んで酔っ払っていようが、好きにしていい理由にはなりません。合意のない性行為は犯罪です」
正論である。非の打ちどころのない至極まっとうな見解である。同じ女性として快哉を叫びたい。しかし、である。これは相手が「まとも」な男性であった場合のことである。自分が女性であるがゆえに、例えば露出度の高い服を着た女性を見たときの男性がはたしてどういう思いを抱くのかは想像の域を出ない。しかし「誘っているんじゃないか」と思う輩もいるだろうと思う。同じように、誘いをかけたらやってきた女性に対して、男性がどういう心理状態になるのかもまたわからないが、「OKだろう?」と思う輩がいるかもしれないという用心は必要だろうと思う。

男女が平等ではないと私が思ういちばんの理由は、その身体的な力の差である。筋力である。力づくで来られたら女のほうが弱い。だから! だからこそである。何か起こってからでは遅いのだから、女は事前に充分な用心をしなければならない。何か事が起こった時に、将来にわたって長く傷つくのは間違いなく女のほうなのである。先のミコトのセリフで言えば「合意のない性行為は犯罪です」は正しいし、男は処罰されるべきである。しかし、法律的に女性の立場が保証される時代にはなったが、襲われる危険が減っているわけではないことは肝に銘じておくべきだと考える。

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この騒ぎは何なの?

“I Have a Dream”といえば、人がみな平等で差別のない平和な世界を目指したキング牧師の演説だ。彼の言わんとするところは人種差別の撤廃が主眼だが、彼の死去からちょうど50年たった今日でも世の中には様々な差別が存在している。

ところで「差別」と「区別」は分けて考えなくてはいけないと思う。複数個の事物の間に「違い」を認める点においては同じだが、「差別」には「取り扱いに不当な差をつけること」という優劣の意味合いがあり、「区別」にはそれがない。

さて、最近の日本では男女差別に関する話題が相次いだ。

先般の大相撲の春巡業で舞鶴市長が土俵上で倒れ、女性が救命処置を施した件。この行為に対し、女性は土俵から降りるようにアナウンスがなされ、物議を醸した。女性が土俵に上がってはいけないというのは差別ではないかというものだが、相撲協会が謝罪を行ったことでまずは収まった。まあ、それでよかったのではないかと私は思う。それぞれが正しい行いをしたのだと考える。大相撲の興行を行う相撲協会のルールが「女性を土俵に上げない」となっており、それは神事に基づくからという信念も理由もあるのなら、責務を全うせんとしてアナウンスをした行司を責める理由はないし、目の前の病人を助けようとした女性の行いもこの上なく正しいし、今回の場合は人命にかかわっていたのだからこういう成り行きでよかったとする協会の見解もみんな正しい。

それを女性差別だとか女性蔑視だとか大騒ぎする外野のほうが変だ。宝塚市長が女性であるのを理由に土俵下に置かれた台の上から挨拶したが、それも仕方がないんじゃないの?と思う。大相撲を男だけの世界にしたいと興行主が思っているのだから、はいはいと大目に見てやればよいのではないかと思う。これは「差別」ではなく「区別」なのだから。神事であるということで、女性を血の穢れのある者として観るのが問題だというのなら、それはまたぜんぜん別のところ(宗教とか習俗とか)の問題になってくると思う。

数日前から話題になっている財務事務次官の「セクハラ発言」の件。もう、聞くたびに笑ってしまう発言なのだが、これははたしてセクハラなのか? こんなスケベ親父ははいて捨てるほどいる。世の女性ならこれくらいのことを言われた経験のある人はゴマンといるに違いない。決して良い気持ちのするものではない。いや、殴ってやりたいと思うのがいちばん正しい反応だと思う(あ~気持ち悪っ!>_<)。超絶不快な発言には間違いないが、そういう感情的側面を別にすればこの発言によって相手の女性が個人的に実質的な苦痛を味わったり不利益をこうむったり、不安な状況に追い込まれたというわけではなさそうに思われる。かえって録音を大スクープとして利用しているのは女性のほうなのだから。複数の女性記者に過去にそういう発言を繰り返しているという情報も掴んでいたのだから。上司というわけでもないのだから、腹を立ててぶん殴ればよかっただけの話。

もしも……、と考えてみる。もしも私がうら若き女性記者だったなら、地位のあるスケベ親父にハニートラップを絶対に仕掛けない……とは断言できない(笑)。

財務省が矢面に立たされているいま、こんなアホらしいニュースが駆け巡るというのは、なんだか「セクハラ」「女性蔑視」なら誰もが「こいつ悪い奴だ」と納得するだろうという認識の上に演じられた茶番劇のように思われてならない。こんなことで男女における差別を語られてしまうと、本当に差別に苦しんでいる人たちに対して失礼ではないかとさえ思う。キング牧師の言葉の重みに思いをはせる必要を痛感する。

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『どろろ』アニメ化決定

https://dororo-anime.com


百鬼丸が錨の模様の着物じゃない……。原作絵は重視されないのかなぁ。

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わお♪\(^o^)/

可愛いピノコが祝ってくれました💛

http://tezukaosamu.net/bd/happybirthday_201803.gif

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『魏志倭人伝』覚書(180201)

去年から『魏志倭人伝』がマイブームなのであるが、研究は遅々として進まず。わからないことだけがどんどん増えていき、そもそも何がいちばんの謎なのかそれすらもわからなくなってきた(笑)。いや、それでも、めっぽう楽しいのだが。

『日本書紀』が『魏志倭人伝』を下敷きにして記されていることはほぼ間違いのない事実であるらしい。その上で、紀を記した人々は神功皇后を卑弥呼と同一人物としたいらしい。だったら、卑弥呼は神功皇后であると一言、はっきり紀に書いておいてほしいものだが、それはない。自分たちで作ったフィクションであるがために、そこまで書くのは良心が痛んだか(笑)。そもそも、卑弥呼は生涯夫も子もいないのに神功皇后と同一人物とするには無理がある。卑弥呼はアマテラスであるとする説のほうがまだ納得がいく。

神話というものは歴史を整備する上で必要欠くべからざるものであろう。都合の悪いことはみな神様の仕業にしてしまえばよいのだから。で、記紀に描かれる日本神話と『魏志倭人伝』を比べてみると、漠然と日本神話のほうが古いと思っていた私の認識が間違っていることに気づく。記紀にスサノオがアマテラスを高天原に訪ね、そこで乱暴狼藉を働くエピソードがあるが、彼は皮を逆剥ぎにしたウマを神聖な機織りの部屋に投げ落とす。ところが、『魏志倭人伝』には当時の倭国にウマはいないと書かれている。スサノオの神話より卑弥呼の時代のほうが古いことがわかる。ヤマタノオロチやら何やらの神話は赤壁の戦いなんかよりずっと後の時代なのだね。

『魏志倭人伝』の記述は正しいか、記紀の記述はどれくらいフィクションか、そんなことを考えているとまったく先が見えなくなる。そこが面白い。

そんな中で、両書にちらりと書かれているいわゆる悪役にはとても興味をそそられる。歴史なんて勝った方の歴史なのだから別に触れなくてもよさそうなことだが、さすがにまったく触れないのは良心が痛んだか(笑)。私はここに真実味を観る。『魏志倭人伝』において邪馬台国と敵対する狗奴国の狗古智卑狗(くこちひこ)と、『日本書紀』に出てくるまつろわぬ神・香香背男(カカセオ)である。「ひこ(彦)=お(男)」の意と考えれば、「ku ko chi」と「ka ka se」の音はよく似ている。私は同一人物ではないかとにらんでいる。カカセオが祀られている神社を調べると北関東に多い。よって、邪馬台国と敵対していた狗奴国(くぬこく)は「毛の国(毛野国)」ではないかと考えている。

その他、いろいろ疑問なこと。
・『魏志倭人伝』の内容が、風俗だったり政治形態だったりごちゃごちゃしている。断簡をつなぎ合わせたもののように思われる。
・鯨面文身の記述がやはり紀と合わない。いつ頃まであった風習なのか。
・『魏志倭人伝』で男性の髪型を「みずら」と解するのは間違いじゃないかと思う。

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絶賛風邪ひき中

先週、相方がインフルB型と診断され、しばらく商売を休むように言われ、あらあらと思っていたら、私も突然39度5分の発熱。症状としてはA型っぽいが、相方経由で伝染したとすればB型なのかも。いまさら医者にかかるのも面倒くさく、ひたすら逼塞して養生に勤しんでいる。37度台までは下がったが、たまに体の深いところから出る咳と腰などに関節痛があり、完治まではまだしばらくかかりそう。

で、トロトロとまどろみながら、録画しておいたドラマなど観る。『アンナチュラル』が面白い♪ 死因不明の死を扱う硬派のドラマだが、UDIラボの面々の個性が生き生きと描かれていて重くなっていない。脚本が上手いのだろうと思う。第3回では妻を殺害したかもしれない男の容疑を、ありとあらゆる可能性を調べることで見事に晴らしていた。謎解きが心地よく、今後の展開が楽しみである。

「ん?」と気づいたのが窪田正孝演ずる医学生の名前。「久部六郎(くべ・ろくろう)」とな?! 手塚キャラの「間久部緑郎(まくべ・ろくろう)」とそっくりではないか。ありふれた苗字でも名前でもないのにここまで似ているというのは、偶然とは言えないような気がする。脚本家さん、ロックのファンなのかもしれないね♪

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