カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

煽る

8月の「月記」を書く。←居直った。(-。-)y-゜゜゜

・最近目にして興味をひかれたニュースが二つある。一つはコレ。
https://j-town.net/tokyo/news/localnews/293561.html

日本国民なら今月一度は目にしたであろう常磐自動車道で起きた「煽り運転殴打事件」のシーンを描いてあり、私はしばらく笑いが止まらなかった。この中学生のセンスは素晴らしいね♪ もちろんこの事件自体は笑いごとなどではなく、怖いやら腹が立つやらで、わが家もドライブレコーダーの導入を真剣に考えているところである。

気味が悪いのは、この事件の容疑者が警察に連行される際のわけのわからぬ往生際の悪さと(何だよ、手をつなぎたいって……)、その後の妙に弱々しい表情とであった。もっとふてぶてしい輩かと思っていたら、なんだかガッカリしてしまうくらいに弱い人間だったという印象があった。専門家によると、この煽り運転の加害者は非常に被害者意識の強い人間だったようだ。昨年には12時間もタクシーを無理やり走らせ、周りの車に煽られたと110番通報を繰り返したこともあったとか。これはもう被害妄想というものだろうけれども、そんなに煽り運転を怖がっているのなら車を運転しなきゃいいのにと思う。

ワイドショーなどでは、知らぬうちに自分も煽り運転ととられるような運転をしている危険性もありますね、と全てのドライバーに注意を喚起していたが、それはまた別問題と思う。煽られたと感じたら煽り返すほどに怒りを瞬時に爆発させる人間はそんなに多くはないはずだと信じたい。

・もう一つのニュースはコレ。
https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/mainichi-senryu

「台風も日本のせいと言いそな韓」という川柳を仲畑清志氏が優秀作品に選んだことに関して批判が殺到し、掲載した毎日新聞がウェブ版記事を削除したというもの。嫌韓を煽っているのか?!ということで批判されたようだが、「台風も日本のせいと言いそな“文”」だったらOKだったかもしれないなと思う(笑)。

そう思うくらい、なんだか最近、前にも増して無茶苦茶なことを言っている気がする韓国の大統領。「一度の合意で、過去の問題を終わらせることはできない」って何?ケンカ売ってるとしか思えないんだけど。過去の両国がやっとの思いで到達した日韓請求権協定を反故にすることは、当時の韓国の政治家をも虚仮にすることになると思うのだが。

嫌韓はいけないと主張する日本人がいるのと同じく、なんでもかんでも反日に結びつけるのはいけないと言う韓国人も多いと聞く。朝鮮半島統一を悲願とする文大統領の心意気には感じるものもあるが、反日感情で韓国をまとめようとすることは愚かなこととわかってほしい。

そして、腹が立つのももっともだが、日本のマスコミが嫌韓の方向へ煽ろうとしているのなら、それもほどほどにしてもらいたい。どこかから圧力でもかかっているのかと思うほどに、韓国の動きをあざ笑うような論調に終始するのは見苦しい。

| | コメント (0)

フツーの社会の異常性

5月28日に発生した痛ましい川崎殺傷事件から半月ばかり経った。犯人が自殺してしまったので凶行の動機ははっきりしないはずなのだが、事件後メディアはさかんにひきこもりとの関連を指摘していた。そして、6月1日に起こった元農水事務次官が息子を殺害した事件もその文脈で云々された。ひきこもりは犯罪予備軍であるといった考えは飛躍しすぎだし、危険だ。個別に考えるべき事件を一般化して考えてはいけない。なんともやり切れぬモヤモヤした思いを抱いていたのだが、いまはもう世間の関心はその後に頻発した高齢ドライバーの事故や、老後は年金のほかに2千万円必要!などという話題に移り変わっている。毎日毎日、話のネタには事欠かない……。

世間の関心は目まぐるしく変わるが、ひきこもりの問題について当事者の皆さんの状況はそう簡単に変わるものではなかろう。いまは50-80問題と言われているが、次は60-90問題となってしまうかもしれない。ひきこもりのそもそもの原因は人それぞれでごく個人的な問題だったろうと思う。だから十把一絡げにして一様の方法で解決できることではないとも思う。公的な支援も有効な場合とそうでない場合があろうと思うし、それが理想的な形で永続できるとは限らない。

現象として見たとき、ひきこもりというのはいわゆるフツーの社会に馴染めずそこに出ていくことができない現象を云うのだろう。フツーの社会にはまず家族という小さな社会、そして家族より大きな学校や職場や地域という社会がある(もう一つ加えるとすれば、いまはネットというヴァーチャルな社会もある)。

問題点として見たときには、上記のいずれの場合においても生きていくには金がかかるということがある。フツーの社会においては、人は何らかの経済活動をしなくては食べていくことができない。ひきこもっている子を持つ親がいちばんに心配するのはそこのところだと思う。自分たちは先に死ぬ。残されたこの子はどうなるのだろう……。ひきこもっている本人とその家族の将来に対する不安はいかばかりかと思う。

ひきこもりの人の多くは、たぶん他の大多数の人間より繊細で内省的なのではないかと思う。人と交わらないから(いや、ネット社会では交わっているのかもしれないが)、彼らの思いや思想は世の中に伝わらない。でも、彼らの頭の中にはフツーの社会の人には及びもつかない深遠で高邁な思想があるのかもしれない。偉人伝など読むと、たいていの偉人は子供の頃は劣等生だったり、周りの人から理解を得られない性格だったりする。いまひきこもっている人たちの中に、すごい偉人がいないとも限らない。

現代社会は不寛容だと言われる。自分たちと違うものを受け入れようとしない。自分も人に対して不寛容だが、他人も自分に対して不寛容だ。無理して周りに合わせようとしてストレスがたまる。すぐに炎上するSNS。自分はオンリーワンだ、認めろと願うくせに、自分は他人を認めない。自分の立ち位置を確保するために自分より弱い者を決めていじめる。働けど働けど生活は楽にならず、貧富の差はますます拡大していくばかり。将来に夢も希望も持てない。

ひきこもりの人の多くは、そんな現代社会に疲れ果てた人たちなのではないか。ひきこもらせてしまったのは私たちなのではないか。ひきこもりは私たちの問題でもある。こんな異常なフツーの社会では私自身がいつひきこもりになるかもしれないという可能性も含めて、これは他人事ではない。

ここでふと小栗判官の話の一場面を思い出した。浄瑠璃や歌舞伎の題材なのだが……。豪傑だった小栗は策略によって殺されるが、閻魔大王の計らいで生き返る。生き返ったはいいが腹ばかり膨れた餓鬼の姿で、歩くこともできなければ目も見えず耳も聞こえず口もきけない。熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができるということで、餓鬼阿弥と名付けられて台車に乗せられる。「この者を一引きすれば千僧供養、二引きすれば万僧供養」と胸に札をぶらさげられて。東海道を行く人々が少しずつ小栗を引き(途中で彼の妻も夫と知らずに車を引く)、とうとう熊野の湯まで行き着いて元の姿に戻るという場面だ。

道々出会う見知らぬ人々のほんの少しの善意と信心の積み重ねが、小栗を藤沢から熊野まで送り届けるのだ。自力では何もできない餓鬼をひきこもりの人たちになぞらえるのは失礼なことと思うが、ここで私が言いたいのは、こんな八方ふさがりの状況を救えるのは人の善意だけだということだ。家族だけではない、公的援助の人たち、ネットで知り合った人たち、ほんの少しの縁のゆきずりの人でも、小さな力の結集がひとつの方向へ向かえば大きな力になるのではないか。ひきこもりの人たちをいまの社会に出そうと思えば、そういう方法しかないのではないかと思う。

しかし、彼らにとっての幸せはいまのフツーの社会に出ることなのかどうなのかがわからない。上に書いたように、いまの社会は不寛容だ。人は自分以外のものに対してそんなに寛大ではない。

なぜいまの日本にはこんなフツーの社会しかないのだろうかと思う。突き詰めればこの社会には「自分本位」と「経済本位」という尺度しかないように思われる。こんな社会は、ひきこもりの人だけでなくすべての人にとっても住みよいものではないし、はっきり言って異常だ。もっと他の尺度があってもいいじゃないかと思う。

他の尺度の社会……それはたぶん、もっと精神的なことで幸せを得られる社会だ。金がなくても身体が動かなくても、ゆきずりの人の善意で暮らしていける社会。中世日本の小栗判官がそうであったように。人に善意で接することで満足を得られる社会。小栗の車を引いた人々がそうであったように。

おそらくそこには宗教的思想も必要なのだろうと思う。善行を積めば幸せになれるという思想がいまの日本にはない。そんな目に見えないものは信用できないというのが当たり前になってしまっている。ボランティア活動さえ売名や経済活動に結びついてしまうところに、いまの日本のフツーの社会の程度の低さが現れているように思う。

自分と違う人たちを突き放すのではなく、許容できる人間になりたい。どう考えても間違った危険な考えを持つ人たちに「それはここが間違っている」と勇気をもって言える人間になりたい。どうしようもなくて泣いている人に寄り添える人間になりたい。あと少しで立ち上がれる人を応援できる人間でありたい。……そんなふうに思う人が増えれば、きっと社会の尺度はいまとは違ってくるし、ひきこもった人たちも外に出られるようになるのではないかな。

一切の生きとし生けるものは、 幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。---『スッタニパータ』お釈迦さまの言葉より

| | コメント (0)

ホーランエンヤ

10年に一度の松江城山稲荷神社式年神幸祭、通称ホーランエンヤがきょうから始まった。初日のきょうは渡御祭。私は10時前には大橋川の畔に着いたが、宍道湖に近いほうは既に大勢の見物客がぎっしりだ。結局、新大橋とくにびき大橋の間、北側の護岸に座ってのんびり見物した。


---慶安元年(1648年)出雲国で大規模な凶作となったことを受けて、当時の松江藩主の松平直政が城山稲荷神社の御神体を船に載せて阿太加夜神社まで運び、五穀豊穣を祈願する祭礼を行ったのが起源とされる。---Wikipedia


---最初の神幸祭から160年後の文化5年(1808)の御神幸の折、風雨が激しくなり神輿船が危険な状態になったのを、馬潟村の漁師が救い阿太加夜神社まで無事送り届けた。以来、馬潟村の櫂伝馬船が神輿船のお供を務めるようになり、順次矢田、大井、福富、大海崎の櫂伝馬船も参加するようになった(五大地と呼ばれる)。---ホーランエンヤ公式ページ


本来は五穀豊穣を祈る神事だが、われわれ市民の楽しみは櫂伝馬踊りだ。歌舞伎装束の勇壮な剣櫂、艶めいた女踊りの采振り。ただし船には女性は乗らないので采振りも男性だ。音頭取りの歌声、櫂かきの一糸乱れぬ櫂さばき、綺麗に飾り付けられた船も見ものだ。


伝馬船がやってくると自然に歓声と拍手が沸き起こる。カメラマンがシャッターを切りまくる。私は写真を撮るのも忘れて手が痛くなるほど拍手した。神輿船を伝馬船が護衛し、その伝馬船に市民が喝采を送る。なんだかイイね♪ ただワーワーはしゃぐだけのイベントじゃなくて、それぞれがそれぞれの役割をきっちり果たしながら盛り上がる。楽しかった♪


今回、大海崎の音頭取りさんの声には驚嘆。よく通る声で惚れ惚れした。大井の剣櫂のキレッキレの踊りにも目を奪われた。でも、どの船もみな涙が出るくらい素晴らしかったのだよ♪ 中日祭と還御祭も行っちゃおうかな(笑)。

動画をひとつ紹介。
 ↓
https://www.asahi.com/articles/ASM5L52H2M5LPTIB00F.html

| | コメント (2)

お代替わりのときに思う

これが令和最初の記事。遅い(笑)。平成~令和の10連休もわが家にはまったく関係なく通常運転の日々であった。しかしそれでもやはりその間の皇室をめぐる行事の模様をテレビで観たり、平成大晦日のカウントダウンなどを聞いたりすると、一つのEraが終わって新しいEraが始まったのだという、何がなしの感傷と気分の刷新を感じたりした。

この間に録画した番組の中では4月30日のNHKスペシャルが面白かった。大嘗祭の有様や故三笠宮の皇室典範改正に対する意見書の存在を知ることができて興味深かったのだが、何より驚いたのは125代の天皇のうち半数以上が側室の子とみられるという事実だった。ことに、過去400年間で側室の子でない天皇は、第109代の明正天皇、第124代の昭和天皇、第125代の上皇陛下のお三方だけだという。

Wikipedia によると「大正天皇が側室を廃止して以来、皇室は現在まで一夫一妻制を採っている(1947年(昭和22年)5月3日に施行された現在の皇室典範においては、天皇および皇族男子の子であっても、施行日以降に出生した非嫡出子は皇族の身分を与えられない。皇室典範第5、6条、附則2項)」。

また、「終戦後のSCAPの政策による伏見宮系皇族の大量の皇籍離脱により、皇族の数が減少」し、現在の皇位継承資格者は秋篠宮文仁親王、悠仁親王、常陸宮正仁親王の3人しかおられない。

となると「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。(皇室典範第1条)」ことは上に書いたような過去の例から言っても、存続することは非常に難しいと言わざるをえない。

番組では男系男子に固執する平沼赳夫氏が「待つしかない。信じながら」と発言していたのだが、何を待つのだろう。将来、悠仁親王に「自然に」男子が生まれることを待つのだろうか……。

つらつら考えてみるに、男系男子でなくてはならないというのは、これは初代神武天皇のY遺伝子がいちばん大事という考え方だ。何としても神武のY遺伝子を残さなくてはならないという思想だ。逆に考えれば、神武のものではないどこかの馬の骨のY遺伝子など、尊敬もできないし国民の象徴としては考えられないということだ。

たぶんこういう考え方をするのは自分がY遺伝子を有している男性に多いのではないかな。神武のY遺伝子を受け継ぎ万世一系とされるからこそそれなりに一目置くけれども、そこらを歩いている男の家系などをなんで尊敬せねばならぬのか!となりそうだ。女性はX遺伝子しか持ってないからそこまでは思わない。

私が考える神武のY遺伝子保存策としては、旧皇族を復活させるのがいちばん手っ取り早いような気がするが、国民の意に沿うようなお方がおられるかどうかは知らない。

あるいは、いまおられる女性皇族が旧皇族の男性と結婚し、皇族の籍をはずれないことだ。たとえば愛子内親王が旧皇族の男系の子孫である男性と結婚し、その際に皇族の籍を保つように皇室典範を変える。女性宮家ということになるのだが、もしそこで男子が生まれたなら、(愛子さまが女性天皇になるかならないかは関係なく)その男子には神武のY遺伝子が存在し、皇位継承資格者となるだろう。

あるいは、平沼氏のように「待つ」。ただしそれは医学の力で悠仁親王に確実に男子が生まれるように、医学の発展を「待つ」。

……だんだん自分が人非人に思われてきた(泣)。世が世なら不敬罪まちがいない。そんなにしてまで神武のY遺伝子は残すべきものなのか……。女性天皇を立てて女系になってもいいような気もするが、その女性天皇ははたして幸せだろうかと考えると、それもわからない。私のような下々の者があれこれ考えても仕方がないし、私が死ぬまではおそらく男系男子の天皇が続くと思うのだが、その後はどうなるのかなぁ。皇室の方々もさぞご心配なさっているだろうと思うと、お気の毒に思う。

| | コメント (2)

追悼 モンキー・パンチ氏

思えば、『ルパン三世』の他には『一宿一飯』くらいしか読んだことがない。とにかくモンキー・パンチ氏といえばルパンだったし、ルパンといえばモンキー・パンチ氏だった。次の元号も発表されて平成もあと20日で終わりという4月11日、モンキー・パンチ氏が亡くなった。

1967年に『漫画アクション』誌上に登場した『ルパン三世』だが、私が初めて接したのは1971年から始まったTVアニメにおいてだった。たぶん再放送を観ていたと思うのだが、子供心にもなんともオシャレでクールで渋くてバタ臭かった! その後に作られた長尺の劇場版よりもハードだったなぁ。その後もTVでルパンをやるといえば観て、愛蔵版が出たといえば買ったりして、コアなファンではなかったけれどもルパンは常に私の傍にいてくれた。

手塚治虫のように壮大な世界観を描くのではなく、スマートなスラップスティックを描いて、日本のマンガやアニメの層を分厚くしていた作家さんだったと思う。偉大な功績だ。ご冥福をお祈りしたい。(-人-)

アニメには先日火災を起こしたノートルダム大聖堂もたびたび描かれていたと記憶している。不幸な出来事が重なってルパンも今頃は落ち込んでいるかもしれないなぁ……。

| | コメント (0)

(備忘録190410)

もうほとぼりも冷めた頃なので覚書として書いておく。先日行われた島根県知事選挙の話である。

現職の溝口善兵衛知事の任期満了に伴う知事選挙だったのだが、注目すべきは、自民党の県選出の国会議員と党所属の県議との間で支援する候補者が割れ、44年ぶりに保守分裂選挙となったことである。国会議員サイドはO氏を推薦し、県議サイドは自民党のみならず旧民主党・社民党系会派もM氏を支持した。他に共産党推薦のY氏と元安来市長のS氏の、計4人が立候補した。

普通なら私は自民党が割れようが割れまいが全く関係なく、島根原発再稼働絶対反対のY氏に投票する。しかし今回は少なからず迷った。理由は以下のとおり。

1. Y氏に当選の目はまずない。Y氏に投票すれば死に票になる。
2. 国vs県なら私は県を応援したい。ならばM氏に投票するか?
3. O氏は中学校時代の同級生である。

いちばん大きな理由はやっぱり3.だった。出足が遅れたこともあり苦戦と伝えられていたし、同窓会方面からそれなりの連絡もあった。O氏と同じクラスになったことはなかったが、人柄が悪いとかの噂も聞いたことはない。同級生を応援したい気持ちはもちろんある。

だいたい投票行動というのは自分に近い候補者を選ぶものだろうと常々思っているのだが、その「近い」というのは政治的信条なのか、血縁とか付き合いとかの人脈的なものなのか。ここのところで今回悩んだのだ。もしも1票差で負けたりしたら寝ざめが悪いし……。

結局私はY氏に投票した。O氏は落選、M氏が当選した。M氏とは3万票ばかりの差がついていたことが(こう言っては何だが)私にとっては救いだった。そしてこれはO氏に投票しなかったことの後付けの理由なのだが、O氏を推薦した国会議員が県議サイドをとにかくディスっていたことが挙げられる。自分たちの方が身分が上だと思っているのか、言うことを聞かない県議サイドをボロクソに言っていた。あれは見苦しかった。所詮は自民党内の内輪もめであることが露呈されて、一気に冷めた。あれではO君も気の毒だったと同情する。

しかしまあ、今回のことで私も何やら自信がついた。今後、同級生よりもっと日常的に自分に近い誰かが立候補したとしても、私は自分自身の政治理想論に基いて1票を投じることができると思う。

| | コメント (0)

新元号決定

新年度の始まり。エイプリルフール。そして今年に限っていえば、新元号の発表の日であった。

予定より10分ばかりも遅れて(どうして遅れたのかしら?)菅官房長官から発表された新元号は「令和(れいわ)」。『万葉集』巻の五が典拠であるという。さっそく『万葉集』を引っ張り出してきて確認した。

--------------------------------------------------------------

・原文
《于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香》

・書き下し文
《時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす》

・現代日本語訳
《時は初春の令月(すなわち、何事をするにも良き月、めでたい月)、空気は美しく風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花開き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。》

--------------------------------------------------------------

つまり「令和」とは「めでたく和やか」の意となる。「れいわ」という響きも良いし、穏やかで静かな感じのする元号ではある。

が、「令」という字面がなんとも引っ掛かる。「命令する」という意味があるし、「~せしむる」という使役動詞としての役割もあるからだ。上記の同じ原文から採るとすれば「淑和」としたほうが良いような気がする。ただこれだと頭文字がSとなって不都合なのかもしれないが。

また、初めて国書を出典としたということで評価されているが、それが中国と折り合いの悪い現政権の姿勢と関係するのだろうかと考えると、なんだか複雑な思いもある。しかしまぁ私としては「安」とか「晋」が使われなかったことで安堵したのであった(笑)。昭和が平成になったときと違い、なにやら楽しい雰囲気で新元号が決定したこともまた喜ばしいことだったと思う。

| | コメント (4)

卒業式の袴

たまたま所用で母校の近くへ行ったら、通りの向こうで信号待ちをしている袴姿の女子学生が二人。そうか、きょうは卒業式だったか。信号が青になって道路の真ん中あたりですれ違うとき「おめでとう♪」と声をかけたら、「ありがとうございます♪」と明るい声が返ってきた。いいねぇ若い娘さんは!\(^o^)/

私が卒業した当時は(37年前だ……○| ̄|_)女子は洋装と和装が半々くらいだったような気がする。和装はいわゆる晴着だが私も成人式のときに誂えた振袖を着た。袴はあまり多くなかった。弓道部の子が部活動で着る袴を着ていたのは覚えているが。夕方のニュースできょうの卒業式の模様を見たら、女子はほとんど袴であった。

ところで、ここ2~3年、小学校の卒業式でも袴姿で臨む児童が増えていて、賛否両論のようだ。反対の立場の世論としては、あまりに華美ではないか?とか、経済的な理由で袴を着られない児童がかわいそうじゃないか?とか、小学校の卒業式でなんでそんなに大騒ぎするのか?とかのもっともな意見が見られる。制服が決まっていないのなら別に何を着たっていいんだろうけどサ。私は違和感を覚える。

何故大学生ならよくて小学生だと違和感があるのか。私なりに考えてみると……。大学というのはいわゆる最高学府だ。歴史的に見て女子が最高学府を出るというのはごく最近、せいぜい百年ほど前からのことだろう(私立の女子専門学校はもうちょっと早いかな)。そんな時代に、男子と肩を並べて大学を卒業し社会に飛び出していくほんの一握りの女子学生というのは、どんなに晴れがましいものであったろう。だから、当時(大正~昭和)の女子学生へのノスタルジーから、彼女らのファッションであった袴をはくというのは頷けるものがあるように思う。

翻って、小学生はどうか。袴であることの必然性に思い当たらない。単なる女子学生の真似か、マンガや映画の登場人物のコスプレか、ぐらいしか思いつかない。卒業して社会に出るわけでもない、義務教育の続きである中学に上がる通過点に過ぎないわけで、通過儀礼というほどの意味合いもなさそうだ。いっそ十二単の女子や鎧兜の男子でもいれば「ああ、単なる仮装イベントだと思っているのだな」と納得もするが、何故みんな「右へ倣え」の袴なのだ?

というわけで、私は「小学校の卒業式で袴を着用することの意味」並びに「なぜ袴オンリーなのか」がわからないのである。普段着よりもちょっと余所行きのきちんとした服を着ればいいんじゃないの?と思う。

| | コメント (2)

スイートピーを買う

お花屋さんの店先のスイートピーに心惹かれて、すべての色を1本ずつ買って帰った。ささやかながら自分へのプレゼントだ。きょうが柔らかな陽ざしの晴れの日なのも嬉しい。

本日、誕生日。父よ母よ、連綿と続くご先祖さまよ、ありがとう♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

(備忘録190228)

いやいや、一ヶ月が早いのなんの(汗)。生存証明のためにちょっと書いておこう。

・米朝会談不調に終わる
なんか上手くいかなかったみたいだが、私も含めて私の周りの人間は誰も何も期待なんかしていなかった。いや、確かに北朝鮮の非核化は是非やってもらいたいとは思う。でもあの二人が良い方向に向かって足並みそろえて進んでいくなんてことは想像もできないし、もしそんなことであの二人が世界に平和をもたらしたなんて言われることにでもなればなんだか無性に腹立たしく思える(笑)。もちろん誰かさんが推挙したというノーベル平和賞なんて論外ですね。(-。-)y-゜゜゜

・『フラジャイル』13巻
生体腎移植の件で、ある医学雑誌のバックナンバーを40年分調べるというところで終わった。時間が迫る中、みな必死の形相をしているが、それ、医中誌Webで一発だから。宮崎先生、図書館を利用したことないの~?って思ってしまった(笑)。

・まんぷく
NHK朝の連続テレビ小説を観ると、やたらとチ〇ンラーメンが食べたくなる(笑)。どうやら皆さんが同じことを思うらしく、最近値上がり傾向らしい。←当社の仕入れ担当者談。NHKがコマーシャルしてるようなもんだね。

・今上天皇在位30年を祝う記念式典
天皇陛下のスピーチで同じところを読もうとされたときに皇后陛下が助け船を出された件。微笑ましかった。良いご夫婦だなと思う。周りの皆が青くなっていただろうのに、あのお二人だけが悠揚迫らぬご様子であられた。ああいうのを「気品」と言うのだろうなあ。感服した。ついでに、数十年前の国会である大臣?が原稿を1枚飛ばして読んだことも思い出してしまった。皆が気付いたのに本人だけが気付かなかったというね……。┐(´ー`)┌

・『古事記異聞』(高田崇史著)2分冊読了
出雲地方の神社がわんさか出てくる。ほとんど行ったことのあるところばかりだったから興味深く読んだ。2件の殺人事件と、出雲の謎を研究する女子大学院生の行動が交錯する構成だが、殺人事件のほうは要らないんじゃないかと思う。でもそうすると全然売れないんだろうな(笑)。私が気になってしかたがない「ホシノカカセオ」という神の正体については、ちょっとそれはどうなの?と思わなくもないが、いろいろ参考にはなった。ヒマになったらもう一回読もう。

・マンガワン
先日、当ブログのBJ関係の一つの記事に数百件のアクセスが集中した。小心者なので何事かとビクビクしたが、どうやらその日にマンガワンとやらいう漫画アプリで私が記事で取り上げたエピソードが公開されたらしい。マンガワンで読んだ後にタイトルで検索したら拙ブログが引っ掛かったということのようだ。これまでにも何度か、たった一つの記事にアクセスが集中したことがあったのだが、今回理由がわかってよかった。ε-(´∀`*)ホッ

・はやぶさ2
22日、無事に小惑星「リュウグウ」に着陸! すごいなあ! ただただ感動! 今度はどうか無事に地球に生還してくれと祈るばかりだ。それにしても「リュウグウ」の各地につけられた地名は楽しい。ウラシマクレーターとかオトヒメ岩塊、モモタロウクレーターにキビダンゴクレーター、キンタロウクレーターもある。トコヨ地溝、ホウライ地溝なんてのも面白い♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧