カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

(備忘録091115)

喉が痛くて風邪気味。一日まったりと過ごしたので、明日は大丈夫だろう。
昨日から「ナナの水遊び」というゲームにハマっている。絵が綺麗だし、「パシャパシャ」という微かな音が心地よい。まだ連続が難しくて5~6万点しか取れない。コツは何なのだろうな。

ウィルスバスター2010に更新。

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(備忘録091112)

・奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など2棟が見つかり、卑弥呼の宮殿ではないかと言われている。佐賀県の吉野ケ里遺跡よりも大きな大型建物跡らしく、『魏志倭人伝』の中の記述とも合致するとか。邪馬台国畿内説がさらに優勢になりつつあるようだが、はたして発見された遺跡の規模だけでそちらの方が大きな国であったかどうかの証明になるのか、「東遷説」はどうなるのか、大和政権以前の王権が邪馬台国と同一のものであるのかどうなのか、等々、まだまだ謎は多いような気がする。これだから古代史はおもしろい。

・最近、「ギ ネ」「か い ざ ん」という二つのキーワードで拙ブログに来られる方が複数おられたのだが、何のことだろう? ドラマの話? 「か い ざ ん」がひらがななので意味がわからない。???

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リモコン

ちょっと前から HDD/DVDレコーダーのリモコンの、いくつかのボタンが反応しなくなった。本体のボタンで操作できることなら押しに行くのにやぶさかでないが、リモコンでしか操作できないことがたくさんあるので困る。買ったとき、たしか5年保証にしたはずだと保証書を確かめると……、おお! ちょうど5年前の12月に購入している。ギリギリだったねラッキーだったねとばかりに夫が持って行ったら、「リモコンは対象外です」の一言でアウトだったそうな。

メーカー保証期間の1年以内だったら対象になったのだろうが、あとの4年は各販売店が独自に設定している延長期間なので、そこでリモコンは対象外とされたようだ。購入するとき何年保証にするか決めたけれど、どこまでが対象でどこからが対象外かなんて話はしなかったもんな~。でも「本体だけです」と言われた覚えもないよな~、全部だと思うよな~、と、夫とブツブツ言い合う。

結局、2千いくらで新しいリモコンを取り寄せることになったらしい。まあ確かにリモコンは消耗品かもしれないし修理するより安いのかもしれないが、上にも書いたように、本体では操作できずリモコンでしか操作できない機能があるのに対象外になるというのはどうも納得できないところだ。それならば、本体で全て操作できるようにしておくべきではないのか。最初にリモコンありきの考えはおかしいんじゃないのか、え? 

というわけで、いくら停止ボタンを押してもビューンと巻き戻しをやめない画面を見ながら、まるで鉄人28号のようだと思ったりするのであった。
 ♪いいも わるいも リモコンしだい……

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visage

--千葉県市川市で2007年3月、英会話学校講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、大阪府警は死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋達也容疑者(30)を10日午後、大阪市住之江区の大阪・南港で身柄確保し、午後8時17分、手配容疑で逮捕した。
 捜査関係者によると、市橋容疑者は10日午後7時頃、住之江区の南港から、沖縄行きフェリーに乗ろうとしたところを捜査員に職務質問された。指紋が市橋容疑者のものと一致したため、住之江署で逮捕された。--(読売新聞ニュースより抜粋)

まずはよかった。死体遺棄容疑もいずれは殺害容疑に代わることだろう。早く事件の全容が明らかになることを望む。

市橋容疑者の整形された顔写真が公開されたのが今月5日のことだった。それからわずか5日後に逮捕されたことになる。フェリーの切符売り場の担当者が「似た男がいる」と通報したらしいのだが……。整形後の彼の顔はどこか不自然で、おそらくその不自然さゆえに記憶に残る顔になってしまっていたと思う。きょうの朝日新聞の天声人語にはズバリ「妙な造作になった」と書かれていたし、そう思う人は多かったのではないかと思う。彼ももう少しなんとか目立たない顔になっていたなら、こんなに早くは見つからなかったかもしれないと思う。別に、肩を持つわけではないが。

しかし、自分の顔を変えるというのはどういう気持ちがするものなのだろうな。私は普段から外出時の口紅以外はほとんどお化粧をしたことがないのだが、紅を差すだけで表情は相当変わる。そしてそれに伴って本人の気分も変わる。鏡で自分の顔を確認したときに、さぁお出掛け、という気分になる。それが、外皮に色を付けるのではなく、造作自体が変わるというのは……。

自分の顔は、ふだん自分では見えない。しかし他人が自分を識別するときに一番大きな拠り所となるのは顔だ。行方をくらますには、顔を変えるのが一番効果的だろう。だがしかし、ふだん自分では見えないからといっても、いたるところに鏡やガラスなどはあるのであって、そこに今までの自分とは似ても似つかぬ顔を見たとき、ふつう、人は自分のアイデンティティを見失うのではないかと思う。

市橋容疑者というのは、かなり強固な意志の力を持った人間だと思う。逮捕時の職務質問でも最初は名前を言うことを渋ったというから、そんな状況でもまだ逃走する意思があったのだろう。顔を変えたことによっても、彼のもともとのアイデンティティは崩壊していない。……いや、崩壊していないということ自体が不自然なのかもしれない。彼が得たいまの顔が不自然であるように。

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痛ましい……

新聞を開けばあっちで殺人事件こっちで殺人事件と、悲惨な事件ばかりでやりきれない。どうしてそんなに簡単に人が殺せるんだ!? 罪の意識なんてそんな高尚なレベルじゃない。人を殺すことを気持ちが悪いと感じない無神経さに戦慄を覚える。

島根県立大1年、平岡都(みやこ)さんのご冥福を心からお祈りする。
そして、犯人よ。人間の心がまだ一片でも残っているのなら、即刻自首をせよ!

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(備忘録091104)

一昨日は乳腺外科の受診、昨日は入院している舅殿の見舞い、きょうは内科の受診と、相変わらず病院と縁の切れない生活をしているが、待合室などではマスクをして辛そうな人を見かけたりする。幸いなことにまだ身辺で新型インフルエンザの発症者を知らないけれども、時間の問題かなと思う。

持病があるから優先的に接種を受けられるかと思っていたら、内科のドクターに、もうほとんど数値は正常で一般人と同じだからと言われて、なんとなく損をしたような気になったりもする(笑)。それでも一応、診断書だけはもらってきた。受けておいたほうが良いのだろうな。

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11月3日。手塚治虫の誕生日。おめでとうございます。

昨日は褒章、きょうは叙勲のニュースが新聞に載っていた。中島みゆきが紫綬褒章を受章したが、ちょっと意外だった。なんとなく断りそうな感じがしたから。

手塚治虫は没後に勲三等瑞宝章を贈られている(1989春)。長谷川町子が勲四等宝冠章(1990春)、水木しげるが勲四等旭日小綬章(2003秋)を贈られている等々に比べると一等高い。私が調べた限り、漫画家で勲三等を授けられているのは手塚先生だけである。基本的に叙勲は公職に就いた者が対象であるからそれを受けるだけでもすごいことで、普通は褒章なのである(赤塚不二夫、ちばてつや、さいとう・たかを、水島新司等々)。しかしそれでも敢えて言いたい。手塚治虫には勲一等、せめて文化勲章を授けるべきだと。後世に対し、世界に対し、それくらいの貢献はしている。

彼は国民栄誉賞も授けられていない。漫画家では長谷川町子が受賞している例もあるのに。『BJ』シリーズ「肩書き」中に、外務大臣がBJに「あとで国民栄誉賞もらってあげるから……」と言って手術に参加させようとしているシーンがある。それに対してBJは「あいにく私は賞とか肩書きとかが大っきらいでねえ」と答えて、すげなく断っている。これが描かれたのは王貞治が国民栄誉賞の最初の受賞者となったすぐ後の頃。手塚先生はこういう賞についてどう思っておられたのだろう? そういう話が来ても、BJと同じように断られただろうか? だとするとカッコいいなと思うけれども(笑)。

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Trick or treat

きょうはハロウィン。玄関先にかぼちゃを置くお宅も増え、スーパーではお菓子の詰め合わせなどが売られている。川崎市では3千人が仮装パレードをしたようだし、イベント好きな日本人にはお祭り騒ぎの日として定着しつつあるようだ。拙ブログのアバターにも魔女の帽子を被せたかったのだが、何回ガチャを回しても出てこなかった(泣)。

つらつら考えるに、少なくとも20年前にはハロウィンのハの字も聞いたことがなかったように思う。調べてみると、この風習が日本に入ってきたのは1995年頃らしい。しかし1992年にはハロウィンに関係するなんとも痛ましい日本人留学生射殺事件がアメリカ・ルイジアナ州で起こっており、これは衝撃的で未だに忘れられない。

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NHK・BS2の『週刊手塚治虫』はもう終わったのかな~と、久しぶりにサイトを覗いてみたら、神のお誕生日に特集のお知らせがあった。またMに録画を頼まねば。げッ、3時間もある……。

11月3日(火)20:00~22:59 BS2
 『特集わたしの手塚治虫 ~こころに残る名シーン・名セリフ~』

緊急アンケート「あなたの一番好きな手塚作品は?」というのがあったので、投票してきた。もちろん『BJ』! 好きな作品とセリフには「ときには真珠のように」の本間先生のセリフを。なんたって、これが『BJ』の原点なのだから。

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めざせムツゴロー

どうやら私はモテるらしい。……犬に。

きょう買い物に行ったホームセンターではペットも売っているのだが、フロアに出してあるケージに入っている柴の仔犬に妙に懐かれて、鼻やら頬っぺたやらを舐められた。他の人には袖口に噛み付いたりしているのに。もう一つのケージでもビーグルの仔犬にペロペロと。

夕方歩いているときには、いきなり横からバウバウと低音で吠えられてびっくり。見ると、そこのお宅の玄関前に繋がれたかなり大きなレトリーバーが、鎖をピーンと張ってこちらに向かって前脚を上げた状態になっている。一瞬ビビッたが、よく見るとちぎれんばかりに尻尾を振っているので、まん前まで行ってしゃがみ込んだら、私の膝に前脚を乗っけて顔じゅうをベロンベロンと。

以前には背中にボーダーコリーがおんぶしてきたこともあるし、セントバーナードに押し倒されたこともある。猫はこっちが一生懸命機嫌を取らないと相手にしてくれないが、犬には無条件でモテる。

この間まで家の近くを飛んでいたコウモリとは、一度だけ意思の疎通ができたように感じたことがある(こっち来て、と念じたら目の前をかすめて飛んでくれた)。鳩とは根性試しの仲。たまにガラス戸をコンコンとつついて部屋を覗き込んでくるカラスは、どういうつもりなのだろう。「あ、こっち見た」とか思われているんだろうか。

……なんだか、いいように動物に遊ばれている気がするわかばでした。

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チベットその後

中国外務省は27日、昨年3月に起きたチベット自治区ラサでの大規模な騒乱に関与した罪で死刑判決を受けた2人に対し、刑が執行されたと明らかにした。最高人民法院での審理を経ており、「裁判手続きにおける被告の権利は保障されていた」そうである。NGO「チベット人権民主化センター」が22日、消息筋の話として伝えたところによると、死刑執行されたのは騒乱に関して放火の罪で起訴されていた4人だとも言う。どちらが本当なのか判らないが、少なくとも2人以上が処刑されたようだ。

昨年はあれほど注目されたチベット情勢だが、最近はどんな状況なのだか、ニュースをほとんど目にしない。2009/10/28現在、外務省が出している渡航情報では、チベット自治区は「渡航の是非を検討してください。」というレベルになっている。区都ウルムチ市で2009年7月5日夜に暴動が発生した新疆ウイグル自治区が「渡航の延期をお勧めします。」であるのと比べると、危険度は低い。それでも、(ただし武装警察が多いとの情報はあります。)との記述もあるから、未だ不穏な空気は漂っていると見たほうが良いのかもしれない。

国内の一部地域に起こった暴動事件を中国の刑法によって裁いたのだと言われれば、外交レベルではどこの国も中国を非難することはできないだろう。しかし、どこの国で起こったことであろうと、政治的社会的な弾圧に対しては、一個の人間として無関心であってはならないと思う。マスコミにも、のりピー事件にあれだけ人手と時間を割くより、もっと伝えるべき大事なことがあるんじゃないのかと問いたい。

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(備忘録091025)

『東宝特撮映画DVDコレクション』を買い始め、昨日は『ゴジラ』、きょうは『モスラ対ゴジラ』を観た。
だんだんと娯楽怪獣映画になっていくゴジラシリーズだが、第1作目にはちゃんと水爆実験への抗議ひいては反戦という社会的な意味が籠められていたのだなぁと感じた。特撮技術はお粗末だが、映画自体は見応えがある。志村喬の演技も良いし、ビジュアル的にキリコを思わせる黒眼帯の科学者を演じる平田昭彦がカッコ良い。

全55巻。夫は全部揃えると言っているが、全部観るのもなかなか大変だろうな。こういうのは溜めないのが一番。買ったらすぐに読んで観る! しかし商売が上手いわ、デ●ゴスティーニ。

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漢字使用の目安となる常用漢字表への追加候補に、新たに9字が加わり、これで候補は196字になったというニュースを読んだ。

【新たに表に追加される候補となった漢字】柿 哺 楷 睦 釜 賂 勾 錮 毀
【追加候補から削除を求められた漢字】聘 憚 哨 諜

「賄賂(わいろ)の「賂」、勾留(こうりゅう)の「勾」、禁錮(きんこ)の「錮」、毀損(きそん)の「毀」は、内閣法制局が「法律中に使用される頻度が高い」と追加を求めていた」そうで、私もその意見には賛成だ。漢字かな交じり表記ほど読み難く品性の感じられないものはないと思う。ところが一方で4字が候補から外れるようで、これらだとて「招聘(へい)」「忌憚(たん)のない」「前哨(しょう)戦」「諜(ちょう)報活動」と、()内に読みを書けばよいではないかと思う。「招へい」なんていかにもみっともないと思うのは私だけか。

しかしそれにしても「柿」が常用漢字ではなかったとは……(ん?「かき」だよな。「こけら」じゃないよな。PCのフォントではよくわからない)。正岡子規の「柿喰へば鐘が鳴るなり法隆寺」は後に「柿くへば」と表記が変わったが、更に「柿」の字が使えないとすると「かきくへば」となり、一読して意味がわかる人のほうが稀だろう(そんな無謀なことをする編集者はいないと思うが)。こんな身近な漢字はもっともっと使うべきだ。

ところで「柿」という字を見ると必ず思い出す笑い話がある。友達から聞いた話なのだが、まぁあんまり世の中のことを知らない人が役所の窓口かどこかで家族構成の書類を書いている場面だと思っていただきたい。ズラズラと名前を書いているので、受付嬢が続柄を書くように言う。「お母さんの名前の後に母と書いてください」。すると彼はハートマークを書いた。??? そこは察しの良い受付嬢のこと、「母と書いてください」を「ハート書いてください」と聞き間違えたのだと判ったが、あとでこちらで書き直せばよいということにして、続いて「お姉さんの名前の後に姉と書いてください」。で、彼が書いたのが「柿」。家族にハートマークと柿のいる家はそう滅多にあるまい。

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(備忘録091024)きょうはちょいと早めにアップ。
来週発売の「週刊少年チャンピオン」48号は『BJ』総力特集ですぜおまえさん! 47号の予告ページにも1ページ大の先生の素敵なアップがあって、見た途端に腰がふにゃふにゃになりまいた。
来週は、やっぱり買うことにしたOVA版DVD-BOX(廉価版)も来るはずだし、『BJ』三昧だ~♪

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ドラキュラ

さてこの世に神がいるかどうかはわからないが、鬼だの悪魔だの幽霊だのは俄然もてはやされるハロウィン月間。先日トーレスさんから頂いた美麗イラストのドラキュラBJは有り難くも私の血を吸ってくださるそうで、恐縮の極み。美女ではないから食当たりを起こされなければよいが……。

ここでふと思った。BJ先生の血液型はO型。私はA型。不適合は起こさないのだろうか。映画でも、美女に向かって「血液型は?」と問うドラキュラは観たことがないが。ネットで調べてみた結果、輸血ならダメだけれど経口摂取なら大丈夫ということだった。人間だって血液型など気にせずにスッポンの生き血を飲むではないかという説明がやけに印象的であった。なるほど。

ドラキュラのモデルとされるのはヴラド・ツェペシュ(1431~1476)だが、吸血鬼の伝承は4世紀頃の東ヨーロッパに既にあったらしい。死者が何らかの理由で蘇り、真夜中から夜明けに活動するが、全ての者が血を吸うわけでもないらしい。吸血する者の代表格がドラキュラとカーミラである。

裏地が赤の黒いマントを羽織り、どこか貴族的な風貌をしたドラキュラは、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897)からのイメージ。ここに吸血鬼ハンターのヴァン・ヘルシング教授も登場してくる。

ふむ。血液型の発見は1900年頃だから、ストーカーの小説の頃にもまだ認識されていなかったわけなのだなぁ。……いや、むしかえすようだが、もしもドラキュラが口内炎だったり虫歯で大穴が開いていたり歯槽膿漏で歯茎から血が出ているような状態だったとしたら、やっぱり違う血液型だとちょっとまずいんじゃないかと思ったもので。

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(備忘録091020)

昨晩から、オリオン座流星群が見えないものかとちょいちょい空を眺めているのだが、うっすら雲がかかっていてオリオン座そのものも見えない。運が良ければ1時間に40~50個見えるそうなのに。今夜もちょっと頑張ってみよう。夜気がけっこう冷たい。

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(備忘録091018)

頼まれたアンケートをやっていたら時間がなくなりました。
きょうの記事はお休みです。m(_ _)m

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Ever Dream This Man?

「世界中で2000人もの人がこの男の夢を見て怖い思いをしている」というニュースを読んだ。実在しているかどうかわからないこの男は“This Man”と呼ばれて、ネット上で捜索されているらしい。

--「『This Man』が夢の中で私のそばに座っていた」
「窓の外から、『This Man』が私をずっと凝視していた夢を見たことがある」
「私が夢で最初に彼に会った時、彼と恋に落ちていた」
などだ。夢の中だけに、『This Man』の役回りは様々だが、一応にして不気味なものであるらしい。--

夢の内容よりも私は「一応にして」という妙な日本語のほうが気になる(それを言うなら『一様に』だろう)が、それはさておき。写真を見ると、それほど不気味な顔とも思われない。現代では流行らないタイプの顔だが、人類が直立した頃にはたくさんいたのではないかと思うような、若干サルに似た感じのする顔である。

世界各地の人々が夢に見ていることから、人種による差異はないと考えられる。とすると、ホモ・サピエンスであれば共通に「怖い」と思うような何かが“This Man”にはあるのだろう。逆に言えば、“This Man”を見たら「怖い」と思うように遺伝子がプログラムされているのだろうと思う。だとすればこれは、太古の昔にホモ・サピエンスと敵対関係にあった人類(たとえばネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか。本当に敵対関係にあったかどうかは知らない。悪しからず)の平均的な顔なのではなかろうか。

上記の記事の下部「関連記事」のところに、「米国研究チーム『人類が見る夢はたった12種類』」という記事があって、こちらも面白く読んだのだが、「この12種類の夢というのは、大部分が太古の人類の生き延びようとする信念や生命力の継承」だと解釈されている。“This Man”の顔も、「この顔を見たら逃げろ」と、危険を回避しようとする遺伝子が夢に見させてくれているのかもしれない。ちなみに私はまだ見たことがない。

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専門用語の慣用表現

あ~、これ「ギネ」って略すんだ、と思った新ドラマ『ギネ』(観なかったけど)。“Obstetrics / Gynecology”を「産科 / 婦人科」と丸覚えした医学図書館員時代、「ガイネコロジー」と発音して疑わなかったから、「ギネ」と聞いてもまったくピンと来なかった。

私のいたところで「ギネ」が使われていたかどうか覚えていないが、「泌尿器科(Urology)」は確かに「ウロ」と呼んでいたし、「整形外科(Orthopedics)」を「オルト」と呼ぶ先生もいらっしゃった。それぞれの病院で様々な慣用的な呼び方があるのだろう。

医学雑誌のタイトルでも、たとえば“Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America”というのをわれわれは「ProNAS(プロナス)」と呼んでいたが、研究会でよその大学の人が「PNAS(ピーナス)」と言われたのを聞いて「あ、うちだけの方言なんだ」と判ったこともあった。「Index Medicus(インデックス・メディカス)」も、どうやら「インデックス・メディクス」が本当らしいし、“Biochemical and Biophysical Research Communications”とフルで言われても判らないが“BBRC”と言われると判るとか、それぞれの図書館での通称略称というのがあるものだ。

学生さんに関係あるところでは、「モノコン」「ヴィーコン」「トリコン」「テトラコン」…ここまでしか知らないな。順番に、「1回目の試験」「2回目の試験(いわゆる追試ですね)」「3回目」「4回目」である。ドイツ語が元になっているとか聞いたが、これはうちだけの方言だったかもしれない。「ポリクリ(外来診療実習)」、これはたぶん全国共通。

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交番へ行った

昨日のこと。買い物に行く途中、道に携帯電話が落ちていた。壊れているかと思ったが、画面はちゃんと見えるし、どうやら無事のよう。拾った時刻を確認してから、さてどうしようかと思う。もうスーパーのすぐ近くまで来ていたものだから、電源を切ってポケットに入れると、先に買い物を済ませ、レジの人に最寄りの交番を教えてもらい、届けに行った。

道々、人様ならどうされるだろうかと考えた。なにしろ拾ったのはケータイなのだから持ち主のデータも入っているに違いない。直接連絡を取って渡せばよいとも考えた。でも、どこの誰とも分からない人と会うのも煩わしいし、もしかしてどこかが壊れていたりした場合にはこちらの責任が問われる可能性だってありそうな気もする。あるいは、中のデータを見たと思われるのも嫌だ(だからすぐ電源を切ったのだが、そんなの私の気持ちだけの問題なのであって、見ていないという証明ができるはずもない)。交番に届けても、こちらの住所氏名は言わなくてはならないだろうから、結局そういう疑いを掛けられる可能性は同じだ。ならば、元の場所に置いておくのが一番良いようにも思える。……戻って置いてこようかな。

しかし最も嫌なケースはこれの持ち主がのりピーだった場合だよな、などとアホなことまで考えていると、いつしか交番まで来てしまった。ままよと覚悟を決めて「こんにちは……」と入ると、若いお巡りさんが二人、「はいッ」とカウンターまですっ飛んできてくれた。これがまあなんと、今すぐにでもジャニーズ事務所からデビューできますというくらいのイケメンさん(きゃあ)! いや、イケメンというと軽薄な感じがするが、色白で眉目秀麗なキリリとした男前さん! それも二人とも! 確率100%! 

来て良かった♪ というか、拾得物は交番に届けるのが日本人の当然の義務なのである! 誰だ、返してこようかなんて考えていた奴は?! しかしこんなことになると分かっていたら、もうちょっとオシャレしてくればよかったと思うことしきり。おまけに、さっき買った大根の葉っぱが盛大にはみ出したリュックサックなんか背負っている……orz

ピッピッと操作して「壊れていませんね」「ああ、持ち主に連絡が取れますよ」とおっしゃる二枚目×2。「じゃあ、返してあげてください」と、住所も名前も告げずに帰った。キビキビと「ありがとうございましたッ」と声をそろえて最敬礼されるのに迫力負けして、大根入りのリュックを思い切り扉にぶつけてしまった秋の夕暮れでした。

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(備忘録091013)

録画を鑑賞・消化中につき、記事はお休みします。m(_ _)m
いや~スゴイわ、「危険生物」の数々。ハブ空港ってのも危険生物?(殴

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野分だちて、にはかに肌寒き夕暮の程

非常に強い台風18号(メーロー)が、50年前の伊勢湾台風と同じようなコースを辿って日本を縦断しそうで、心配なことです。こちら松江でも、ただいまかなり強い風雨となっています。進路に当たっている地域の皆様、どうぞお気をつけて。

気象庁の最新台風情報はこちら

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根性試し?

わが家は路地を入ったところにあるので、どこへ出掛けるにもその路地を通る。路地の入り口のところに鳥好きなおじさんが住んでいて、路地に雑穀をバラバラッと撒くとどこからともなく鳩が2羽やってきて啄ばみ始める。つがいかもしれない。近所の住人が誰も害を加えないことは鳩もよくわかっているらしく、かなり接近しても飛び立とうとしない。

きょう、私が自転車で外出から帰ってきて彼らに最初に遭遇したとき、3mくらいの距離まで近づいたらおもむろに飛び立ってすぐ傍の塀の上に止まった。10分ほどして今度は歩いて外出したとき、彼らはまだ食べていたが、食べるのをやめて路地の端までトコトコと歩いていって距離を開けただけで、結局飛び立とうとはしなかった。距離は2m弱。しばらくして忘れ物に気付いて引き返したら、まだ食べている。私が近づいてくるのはしっかり認識していたようだが、今度は食べるのを中断しただけで端に避けようともしなかった。距離は1.5m弱。忘れ物を取ってまた出掛けたときには、エサは綺麗になくなっていて、彼らは塀の上からなんだか呆れたような顔をしてこっちを眺めていた。

お食事中に何度も傍を行ったり来たりしてごめんよ。私にとっては路地でも、あんたたちにとっては食卓なんだよね。でもここを通らないとどこへも行かれないもんでね。悪いね。

計4回のコンタクト。彼らは私を同一人物だとわかっていたのだろうか。だんだん距離が短くなっても逃げようとしなかったのは、この人間は危害を与えないと判断したからだろうか。あるいは、最初のコンタクトのときから、「あ、近所のおばさんだ」とわかっていたのだろうか。「でもまぁ自転車は恐いから一応逃げるか」という程度で。今までも数え切れないくらいこの路地で出会っているのだから、案外わかっているのかもしれない。私の方は2羽の区別がつかないが。

今までの経験から言うと、1m以下の距離にまで近づいたことはない。たぶんそこらへんが境界線なのだろう。急ぎ足で近づくと、2~3mの距離でも逃げる。のんびりのんびり近づくと、斜め前を同じ方向へ歩きながらこちらの様子を窺っているのがありありとわかる。こういうときは面白い。飛び立つかな、歩いて避けるかな、などとこちらも鳩の様子を窺っている。これは彼らのキモダメシ、根性試しなのかもしれない。「きょうはあのおばさんに1.1mの距離まで近づいたのよ」なんてことを塀の上で自慢げに話しているのかもしれない。クルック~クルック~。

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名月

Photo_3今夜は中秋の名月。まずは食い気から満たそうと、新宿中村屋の月餅を買いに行く。小豆餡と木の実餡の両方を買いホクホク。続いてススキを求めて川原をウロウロ。まだ赤っぽい花穂のものが多く、ふわふわの白い毛にはなっていない。ボリュームが足りないが、とりあえず5~6本切り取って、吾亦紅とリンドウとともに花瓶に投げ入れて玄関に置く。

8時頃に仕事から帰ってきた夫と、満願寺灘へ月を観に行く。Wikipedia「月見」の項に月見の名所として載っているところなのだが、今日も今日とて観月の催しが開かれていたようだったので、われわれは寺へは上がらず水辺のほうへ降りて、松江の灯りの上に煌々と照る満月を堪能した。堪能したは良いのだが、宍道湖を渡る風がいやはや寒かった。それでも一度広げたお弁当を途中で仕舞うのもどうかと思い、車のトランクから引っ張り出したジャンパーを着込み、月明かりを頼りに黙々とお弁当を掻き込む姿はおよそ風雅とはかけ離れたものであったと思う(笑)。

Photo_4いや、満月というのはそもそもそんなに風雅なものではないかもしれない。そこに叢雲がかかったり欠けたりするものだからこそ、心ざわめくものなのではないかと思う。煌々と澄んだ月光は、風雅というよりは清澄な悟りの世界に通じるもののように思われる。

江月照松風吹 永夜清宵何所為
 --月は入り江を照らし松を吹く風は爽やかで、
   この永く清らかな夜はいったい何のためにあるのだろうか--
                                   (『雨月物語』「青頭巾」より)

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(備忘録091002)

10月8日
 『手塚治虫文庫全集』(講談社)の全巻購入予約はこの日まで(特典あり)。
 全200巻、欲しいけど……。お金が……。置き場所が……。う~~~む。

10月10日
 映画『ATOM』公開日。『日立・世界ふしぎ発見!』は「新生アトム誕生!最新ロボット2009」。

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ピンクリボン

きょうから10月。ピンクリボン月間が始まった。「ピンクリボン(Pink ribbon)とは、乳癌の撲滅、検診の早期受診を啓蒙・推進するために行われる世界規模のキャンペーン、もしくはそのシンボル」と、Wikipedia にある。昨年までは完全に他人事だったが、今年はわが身のことだから、新聞の特集記事やお昼のワイドショーなどで取り上げられていたのを真剣に見た(真剣になるのが遅いよ)。

日本人女性の20人に1人が発症し、年間約1万人が死亡し、年々その数は増加傾向にあるという。ただ、早期に発見できればほとんどが手術によって根治する癌である。だからこそ検診が大事なのだ。

私の場合は自分で異常を見つけて受診したが、いちおう「早期」だった。ただし1ヶ所ではなくて広範囲にわたって複数箇所にあったため、ステージはIII~IV、乳房温存は無理だと言われた。考えてみれば、妊娠・出産歴がなく、40~50代といわれる好発年齢のど真ん中なのだから、もっと関心を持って検診にも行くべきだったのだ。ところが、「まさか自分がなるわけない」と、何の根拠もなくそう思ってしまったのだった。かてて加えて両親の病気のことがあって自分のことどころではなかったということもあるのだが、これは言い訳に過ぎない。自分の身体を自分が守らなくて、いったい誰が守るというのか。

しかし、日本の女性の場合はこの「自分のことは後回し」というケースがとても多いのだと、ワイドショーでアグネス・チャンさんが言っていた。他のことは後回しでもよいが、乳癌の検診だけは「今すぐに!」行ったほうがよい。心の底からそう思う。

明日もまた乳腺外科へ注射をしてもらいに行く。身体の調子は変化なしなのですぐに終わると思うが、待合室で待っていると、他の患者さんの様子が目に入る。前回は鼻をしゃくりあげている人がいて、「ああ、きっとこの人も……」と思った。力づけてあげたかったが、こちらから顔を背けるようにして座っておられたので、気付かれたくないのだろうと思って結局何も言わなかった。頑張れ、とはとても言えない。私も同じですよ、くらいのことしか言えない。でももしこれから手術を受けて乳房を失うようなことになっても、どうにかなるもんですよ、とは言える。場合によっては、「ブラの中にタオルハンカチをたたんで入れているんですけど、車のシートベルトを締めるとだんだんズレて腋の方へいっちゃうんです。可動式おっぱい。マンガみたいで、主人と大笑いですよ♪」なんてことも言ってあげられる。……あの人に笑顔が戻れば良いな。

女性の皆様へお願いです。おっぱいは大事にしてください。一つしかないよりは二つ揃っていたほうが、何かと自然で便利です。そして、おっぱいよりも命が大事です。おっぱいも命も、失ったりすることのないように、たとえ「まさか自分がなるわけない」と思っていても、検診だけは受けてくださいね。

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(備忘録090929)

読書中につき、本日の記事はお休みします。m(_ _)m

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Roots

父の三回忌法要。伯母が杖をついて来た。一週間前に転んだそうだ。やっぱりこの人は「一族の中で一番よく道で転ぶ人」に決定だ。腫れもなく熱も持っていないようだが、なにしろ高齢なのだから気をつけてもらいたいものだ。でもなぁ、私も転ばないまでもけつまずくことはよくあるからなぁ。おっちょこちょいの粗忽者はわが一族の遺伝だ。

法要と会食のあと、兄に命令されて私が書けるだけ書いて持っていった一族の系図を見ながら、あれこれ話す。この系図というのがなかなか一筋縄ではいかないシロモノで、いとこ同士二組で嫁にやったり婿に取ったりした後でつれ合いと死に別れて再婚、というケースとか、なんでこの人はこんな苗字なんだ、あらそれは夫婦養子よ、なんていうケースがあったりして、線がぐちゃぐちゃになる。おまけに、4~5代前に同じ名前の女性(姑と嫁の関係)がいたりするので、ひとつ間違うととんでもないことになったりする。

伯母を中心に皆で判る範囲の情報を出し合い、江戸から明治のあたりに生きていたご先祖様たちの名前を埋める作業をしたが、こんな機会は滅多にないからなかなかに楽しい。中には「お祖母さんの名前を忘れた……」という親戚もいたが(笑)。←やっぱり粗忽者の血筋だ。「このおじさんはね。結婚式の当日に初めて自分のお嫁さんを見て『嫌だ!』って言ったんだけど、もうダメだったのよ」なんて話も飛び出して、大笑いをしたりした。このおじさん他ご先祖の皆さん、笑ったり変なところを線で繋げたり名前を間違えたりしてゴメンナサイ。m(_ _)m

Roots

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天体望遠鏡

Viewimage090924アバターの現在のお部屋の様子。念願の暖炉と天体望遠鏡を買った。あと欲しいのは5000コインのビリヤード台。先は長いよ~。

小学生の頃欲しくてたまらなかったものが、天体望遠鏡だった。なんであんなに欲しかったものやら、2年間くらい事あるごとに父におねだりをしたがはかばかしい返事をもらえず半分諦めていた。6年生の頃、出張から帰ってきた父が細長くて大きな箱を抱えていた。それがミザールの天体望遠鏡だった。

それから毎晩、晩ご飯もそこそこに望遠鏡を覗いた。どれくらいの倍率だったかは覚えていない。口径は12㎝くらいだったと思うが、焦点距離が長かったのでかなりシャープな像が見えた。初めて月のクレーターをくっきりと見たときは震えが来た。四苦八苦して土星の輪を捉えたときには、一瞬自分がどこにいるのかがわからなくなった。まるで宇宙空間に漂っている気がした。あのときの胸の高鳴りはいまでも忘れない。

ファインダーも付いておらず、三脚の高さも2段階(2本の木の棒をネジでとめて継ぐ方式)しかなかったから、天空の高いところにある星を観るときなどは無理な姿勢を強いられて大変だった。星図と照らし合わせて、たぶんあれが木星というのも捉えたが、ちょっと目を離したらもう視界から外れていて、二度と再び見つけることはできなかった。地球の自転は思いのほか速い。いまから思えば、はたしてあれが本当の木星だったかどうかも疑わしい。いまならネットでちょちょいと検索すれば惑星の位置など簡単にわかるが、当時は雑誌などから得た情報で「たぶんあれだろう」ということで探していたのだから、いい加減なものだ。だから全然違う星を観たのかもしれなかったが、それで充分楽しかった。

数年後、私の不注意で2個あった接眼レンズのうち倍率の高いほうを破損してしまい、望遠鏡を覗く日々も終わりを告げた。それでもしばらくは捨てられずに取ってあったが、大学時代の引越しで処分してしまった。

いままた天体望遠鏡が欲しい。星を見るという行為は、宇宙というとてつもなく巨大な生命体と繋がっている感覚がして、豊かで暖かな気分にさせてくれる。「星はギザギザしてないんだね」とびっくりしていた祖母も、土星の輪を代わる代わる見た父も、いまはもういない。彼らを思い出しながら私ひとり根気強く星を探すのもよいかもしれないと思ったりしている。

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彼岸花

彼岸の入り。ふと見ると、庭に彼岸花が咲いている。3日前には確かに咲いていなかった。毎年この時期に忽然と姿を現す不思議な花である。

有毒植物であり、水田の畦や墓地に多く見られる。Wikipediaによれば、田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避けるように、また墓地では虫除けおよび土葬後に死体が動物によって掘り荒らされるのを防ぐため、人手によって植えられたものなのだそうだ。

これだけ全国の人の役に立っているのに、興味深いことに、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体なのだそうだ。つまり雄株、雌株の区別が無いので種子で増えることができないらしい。はるか昔「中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる」とある。ということは、二倍体と四倍体のヒガンバナというのが中国にあって、それがかけあわされてできたものなのだろう。そしていま日本全国に咲くヒガンバナはすべて、その初代のクローンというわけだ(という考え方でよいのかな?)。

いまわが家の庭に咲いているヒガンバナも、東京で咲くヒガンバナも、ごんぎつねが見たヒガンバナも、その昔に万葉人が見た「いちしの花(←おそらくヒガンバナのこと)」も、すべて同一の花だ。……なんだか不思議な気がするが、こんな生き方もあるんだなぁと思う。

歩きつづける 彼岸花咲きつづける (山頭火)

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ラベル

Takeshita

立ち寄った「道の駅」で買った日本酒「出雲誉」。「蔵元 竹下本店」の部分にご注目。

Daigo

で、中身はこれ。DAIGOロックポーズラベルです。噂には聞いていましたが、実物をきょう初めて見ました。竹下登元首相の似顔絵ラベルよりは売れ行きが良さそうです。

「しっかりとした造りがふくらみのあるコクを生み、まろやかな味わいに仕上がった 日本酒上撰【出雲誉】 「たしかにぃ~」
蔵元竹下家十二代当主竹下登(第七四代内閣総理大臣)の孫息子DAIGOのサイン入り得意のロックポーズをラベルにと遊んでみました。「マジっすかぁ~」
常温または燗してお飲みいただければ 日本酒【出雲誉】をガチにお楽しみいただけます うぃっしゅ!」
という、ちょっと痛い感じの宣伝文句が書かれた紙が入っていました(笑)。うちでは飲まないので、兄への誕生日プレゼントにするつもりです。

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ラジオ体操

最近、毎日ではないが、ラジオ体操をしている。朝6時半からドタバタと(笑)。胸の手術の後、リハビリとしてドクターに勧められたからだが、やり始めた当初は第1だけで息が切れた。第2になってよろけた。2日目に全身の筋肉痛で呻った。こんなにハードなものだったとは!

小学生の夏休みには毎朝これをやっていたのだなあ。子供たちだけでなく、ふと気付くと後ろのほうで近所のおじさんがステテコ姿でピョンピョン跳んでいたりした。あのおじさんは、いまの私よりも若かったのだろうなきっと。

調べたところ、ラジオ体操の歴史は1928年に始まる。その頃の正式名称は「国民保健体操」といったらしい。現在の「ラジオ体操第1」は「国民保健体操」から数えて3代目で1951年に制定された。老若男女を問わず誰でもできることにポイントを置いた体操である。「ラジオ体操第2」は1932年の初代から数えてやはり3代目で1952年に制定。こちらは職場向けとして制定されたものらしい。

最近ではラジオ体操によるダイエットが話題になったりしているが、第1第2で70kcal以上消費できるとも聞く。体操の後の朝ごはんがむやみと美味しいのは、なるほどそのせいか。1日に2回やれば、1日の摂取カロリーの1/10近くを消費できる計算だ。1日4回あるラジオ放送を全部やれば……おほほほほ♪

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(備忘録090913)

ヤバい。なんだか背筋がゾクゾクする。風邪を引いたかも。この1週間で3回も病院へ行ったから、もらってきてしまったかもしれない。インフルエンザでないことを祈って、きょうは早めに寝ます。おやすみなさい。m(_ _)m

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アンドロギュヌス

男性疑惑が持たれていた世界陸上ベルリン大会女子800メートル金メダリストのセメンヤ選手は、男性と女性の生殖器を持つ両性具有であると豪紙が伝えた。2006年アジア大会女子800メートルでは、銀メダルを獲得したインドの選手が男性と判明したためメダルを剥奪されるという事実があったらしいが、セメンヤ選手の場合は不正ではないため、金メダルは剥奪されないらしい。

両性具有の肉体を持つ人は、多くは胎児のときに外性器の分化がうまくいかなかったケースが多いのだという。ふつう子どもが生まれたときにはペニスの有無で男女を見分けるから、付いていないと見える場合は女の子と見なされる。体内に卵巣の代わりに精巣があったとしても外見上はわからないわけだ。彼女はずっとそのように女の子として育ってきたのであるから、今回このようなことで自分の身体のことを初めて知ってさぞやショックだろうと思う。

外見上、男になるか女になるかということは、実はほんの紙一重の差なのだろうと思う。染色体で見た場合には、女性ならXX、男性ならXYとなるのが普通だが、たまにXXX、XXY、XYYとトリソミーになることがある。XXXを超女性、XYYを超男性と呼んだりするが、XXYの場合に両性具有が多いとされているようだ。

辞書ではどうなっているかというと、「女」は「人間の性別の一つで、子を産み得る器官をそなえている方」、「男」は「人間の性別の一つで、女でない方」という記述が見える。上で述べたように外見上の区別はペニスの有無だが、言葉の区別上で重要視されるのは「子を産み得る器官」の有無となっているのは面白い。また日本の戸籍では、性別については保留にすることもできるようで、両性具有について一定の理解はあるようである。

両性具有と聞いて思い出すのはプラトンの『饗宴』と、手塚治虫の『人間ども集まれ!』である。後者では「無性人間」という男性でも女性でもないがその両方でもある人間たちの存在を巡る普通の人間の欲望の醜さが描かれているのだが、考えようによっては、人類すべてが無性人間になれば世の中平和になりそうな気もするのだ。少なくとも、セメンヤ選手を巡る問題などなくなる。性の問題で苦しむ人がいなくなれば良いなぁと願いつつ……。

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過ぎたるは……危ない

きょうは舅殿の付き添いで病院へ。手術した肝臓と胃の経過は非常に良かったが、腎臓のナントカという数値が悪く、ひとつ間違えばポックリいってしまう危険もあるとかで、塩辛いものとお酒と果物は絶対ダメ!というキツイお達しがあった。舅はその三つがいたく好きなのに。その三つ以外に好物なんてないほどなのに。

つらつら思うに、人はその好きなもので身体を壊すような気がする。何かが足りないという不調よりも、好きだから過剰摂取してしまい、その挙句に不調を起こすことのほうがよっぽど多いように思う。節制というのは大事なものだナと改めて気付かされた。いや、偉そうに人のことなど言えた身分ではないのだが。

とりあえず2週間分の薬をどっさりもらって帰った。意志の強さが試される2週間。2週間我慢すればきっと数値も良くなって、少しずつならまた食べられるようになりますよ、と舅を慰めた。

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不公平?

民主党の「子ども手当て」というのがいろいろと議論されている。中学卒業までの子供1人に対し、月額2万6000円を給付するというものだが、代わりに配偶者控除と扶養控除が廃止されるので、わが家のような子どものいない家庭ではおそらく年間1万数千円の増税となる。しかし、子どもは国の宝。少子化に歯止めがかかるなら、それくらいは仕方がないかと納得している。痛いけど……。

問題は、子ども手当てに所得制限がなく、高額所得者や生活が苦しくない家庭にも一律に支給されるという点で、そんなの不公平ではないかとの声が挙がっているという。所得制限を設けるべきだという意見には確かに一理あると思う。こんな手当てなどまったく必要としないお宅もあるだろう。しかし一家の事情というのは様々だ。そこそこの生活をしていると思われるようなお宅でも、家族に病人がいたりすれば金は右から左へ消えていく。そんな家庭ごとの事情などを一々勘案して条件を設けることなど不可能だし作業が煩雑になるだけだ。「子供1人に対して一律2万6000円を給付」でよいではないかと私は思う。

先日、テレビのコメンテーターが、「うちは貰えて助かるけど、お金持ちの家にまで支給する必要はないよね。不公平で納得いかない」と言っているのを見たが、自分とこは貰えるのだから良いではないかと言いたい。この人の考えでは、お金持ちには支給されないということでないと「公平」ではないらしい。しかしそれは傍から見れば、この人を含めたある一定の条件の人だけが「得」をするように見えるのだが。

どこに基準を設けても不公平感を持つ人間というのは必ずいる。世の中押しなべて「公平」にはできていない。公平だと思われている消費税だって、明らかに公平ではない。しかし、だ。今回のように「子供1人に対して一律に支給」という条件ならそれほど不公平ではないと思う。子供みんながお金を貰える、よかったね、というふうに受け取るべき話ではないかと、私などは思う。貰える人間が「お金持ちにまで支給するのは納得いかない」などと文句を付けるのを見ていたら、他人が更に幸福になるのをただ妬んでいるだけのようにも見えて、なんだかほとほとナサケナクなってきたのであった。

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090909 菊のアンチエイジング

「九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひたる綿など、もてはやされたる。つとめてはやみにたれど、曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたる、をかし。」(『枕草子』第8段)

本日、重陽の節句(菊の節句)。旧暦の9月9日は10月末のまさに菊花の盛りの頃。前日から菊の花を真綿で覆い、香りと夜露を染み込ませたそれで身体を拭って、若さを保ち長寿を願う風習があったという。清少納言もこの日は菊花エッセンスが染み込んだコットンでせっせとお肌の手入れなどしたのだろう。

中国では古くから菊には不老長寿の薬効があるとされてきた。周の穆王(ぼくおう)に仕えた慈童という童子が菊の葉からこぼれた露を飲んで不老不死の仙人になったという話もある。また、中国河南省内郷県にある白河の崖の上に咲く菊から滴り落ちた露を飲んだ者は長生きしたという説もある。最近の研究でも菊には解毒作用と抗酸化作用があると認められているらしいので、古くからの言い伝えもあながち嘘ではないと思われる。

面白いのは、「菊の水」というのが転じて「酒」という意味合いで使われることだ。「菊水」という酒造の屋号や銘柄は多い。確かにお酒は飲み過ぎなければ百薬の長だ。また楠木正成の家紋として有名な「菊水」もやはり上記の瑞祥的意義に基づいているという。しかしこれが戦時中の回天特攻・菊水隊となるともはや笑えないネーミングだ。不老長寿のはずなのに……。

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(備忘録090908)

読書中につき、本日の記事はお休みします。m(_ _)m

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意を尽くしませんが……

こんなニュースを目にした。「言葉で伝えるより、察し合って心を通わせることを重んじる人が、この10年で1.4倍に増え、全体の3割を超えたことが4日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった」のだという。更に「控えめな言葉を好む傾向もうかがえ、同庁は「KY(空気が読めない)と言われることを恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘している」とのこと。

具体的には「人と付き合う時、互いの考えをできるだけ言葉にして伝えるか、全部は言わなくても互いに察し合うことを重視するか、という質問で、「言葉にする」は38%と前回調査(1999年度)から12ポイントも減少したのに対し、「察し合う」は10ポイント増えて34%だった」のだそうだ。

捉えどころのない調査だとは思う。誰と付き合うときか、にもよるし、また「全部は言わなくても」と言うが、自分の考えを全部満足に言葉で伝えられる人などそうそういるものではないと思う。誰もが「意を尽くしませんが……」というところで仕方なしに止めて、「あとは推察してください」ということになるのではなかろうか。しかし前回調査と同じ設問でこれだけ変化が見られたということは、いまは「意を尽くしませんが……」というところまで話さずに「あとは推察してください」となる人が増えたということになるのだろう。

器用だネ、と思う。ズルいな、とも思う。器用だネ、というのは、そういう意を尽くさないところで終わっている話を聞いて相手の考えを察することのできる聞き手に対しての感想。ズルいな、というのは、徹底的に話さないで本意(があるとすればだが)を隠しておくという一番賢く見える話し方をする話し手に対してと、また全部言われなくてもわかるというフリをする聞き手に対しての感想である。

そんな会話は、もはや会話の体をなしていないと思うのは私だけだろうか。KYはそれほど怖いのか。怖いのは、誰もがその場の雰囲気を壊さないことだけに心を砕かねばならないその状況の方だ。

そういうことの反動なのだろうか。無記名で言葉を発信できるネットの世界では、随分と荒んだ言葉が飛び交っているように思う。心が貧しいというか、他人とのコンタクトの仕方を知らないのではないかと思われる輩が跋扈する。かまってほしいのか、蔑まれることが快感なのか、あるいは蔑まれていることにすら気がつかないのか、わからないが、それでも他人との関わりを捨てられないらしく、あちこちで迷惑をかけたりしているのを見かける。そんなことが楽しいとも思われないが、ネットが鬱憤のはけ口になっているのだろう。現実の世界では、そんな輩が人格者として通っていることもママあるのかもしれない。

現実での人付き合いをもっと大事にしたい、と私は思う。自分とは違う考え方をする人をもっと深く知りたいと思う。同様に私の考えも知ってもらいたいとは思うが、適当なところでそう簡単に「うんうん、わかるよ」などとも言ってもらいたくない。そんなこと言われたら、「あなたにいったい私の何がわかるのか」と逆にとことん問い詰める(笑)。「あなたが分かったつもりで勝手に想像している私は、私ではない!」と言いたい。逆に、私にそう言ってくる人がいたら、私はその人とは夜を徹してでも語り合いたいと思うだろう。恋人同士でもない限り、顔を突き合わせてお互いの考えを万言を費やしてでも話す以上に、相手を察することのできる有効な方法を、私は他に知らない。

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(備忘録090903)

●裁判員制度ができてから初めて性犯罪が青森地裁で審理された。被害女性は別室からモニターを通じて意見陳述したらしい。それは良いのだが、調書はすべて法廷で読み上げられたとか。被害女性がどんな目に遭ったかが余さず分かるわけで、しかしそれをまったくの第三者である傍聴人にまで聞かせる必要はないと思う。裁判官と裁判員が別室で目を通せばよいことだ。こと性犯罪に関する限り、被害者の心情に最大限配慮して、事実を知ることのできる者の数も極力減らすべきと思う。
また求刑は15年ということだが、国のお金でのうのうと懲役なんかに服させることはない。ちょん切ってしまえ、というのが私の持論だ。

●小沢氏が民主党幹事長に。内閣は鳩山さん、党は小沢さんという分担か。

●「票」と「カネ」の両面で長年、自民党を支えてきた日本医師会(日医)の政治団体「日本医師連盟」が、政権交代が実現したのを機に、政治献金の配分を見直すことを決めたという。まぁ何というか、医師連盟には政治を動かす力があるんだなぁと……。でもそのお金ってそもそもどこから出ているのかなぁと……。『BJ』の中で、医師連盟にはお金がたくさんあって、医師連盟会長は総理大臣より強いと言われていたのを思い出した。

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宍道湖の夕陽

きょうは買い置きがあるから買い物に出掛けなくてよいな、などと思い巡らしていてふと思いつき、宍道湖へ夕陽を見に行った。

Photo島根県立美術館の辺りで自転車を降り、湖からの風に髪をなぶらせながら夕陽鑑賞の絶好ポイントまでゆっくりと歩く。まだ日没までには30分くらい間があったが、既にその頃からカメラマンたちは三脚を立て、そぞろ歩きの人たちもそれぞれに位置を定めて座り込む。

嫁が島を間近に見る地点には「とるぱ」という夕陽鑑賞用の場が設けられている。「とるぱ」とは写真を撮るパーキングというほどの意味であろう。階段状に整備された湖岸に続々と人が集まってきて、思い思いの場所に腰掛ける。ざっと100人くらいいたのではないか。私も自転車を止め、最前列に陣取る。ぼーっと眺めていると、ジョギングをしてきた知らないおじさんが私の目の前を走り抜けざま「きょうは良いねぇ、綺麗だねぇ」と話しかけてきた。「そうですね。きょうは良いですね」と後姿に答える。いまここで同じ夕陽を見ているというだけで、なんとなく連帯感のようなものが生まれる。同じ美を共有している仲間というような。

3宍道湖の夕陽はあっけらかんとしているので好きだ。淋しいとか哀しいとかの感傷がない。ただ太陽が移動していって雲やら湖水やら島影やらの色彩や表情が刻一刻と変化する。それを見ている者はただカラッポになる。それまで何かを考えていたとしても、考えていたことすら忘れてただ見てしまう。感傷があったとしてもそれを凌駕してしまう情景。そして夕陽が沈んでしまうと、「ああ見た見た。さあ帰るぞ」となんだかサッパリしているのである。

宍道湖の夕陽の美しさは、私なぞが拙い文章でグダグダ語っても伝わらない。渡辺淳一の文章を書き写してみる。

Photo_2「……四六時中、この湖は町と馴染んでいるが、なかでも最も魅力的なのは、やはり落日の一瞬である。
 やはり、といったのは、夕陽に映える湖はどこも美しいからである。極端にいえば、夕陽に映えて美しくなければ、それはもはや湖ではない。
 それほど、夕暮れは湖を美しくする。
 だがそれを認めたうえで、なお、宍道湖の落日の美しさは、日本の湖のなかでも抜きんでている。
 この理由はおそらく、宍道湖のまわりがゆるやかな丘陵にとり囲まれているからであろう。いかに神秘的な湖でも、高い山に囲まれたカルデラ湖では、夕陽が長く尾を引かない。一瞬、陽が翳ったと思うとすぐ夜になり、落日の光芒の美しさは望めない。
 だが宍道湖の落日は、遠く長く、太陽がいま一日の仕事を終え、ゆっくりと地の果てに沈み、かわって夜が訪れることを、刻々と伝えてくれる。
 湖のまわりでは車が行き来し、人々が行き交うが、落日はその動きも呑みこんで、大地を朱に染める。そして人々の営みがいかに小さく、自然がいかに大きいかを実感させる。
 この落日の透明感は、まさしく山陰の澄んだ空と空気と風が生み出したものである。そして松江という街の静かなたたずまいが、その美しさを、さらにきわだたせる。
 まことに宍道湖ほど、都会という世俗のなかにありながら、汚れずおだやかで、かつ自然のおおらかさをたたえている湖はない。」
         --『みずうみ紀行』中「宍道湖」より--

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アバターで遊ぶ

ココログに「ニコッとタウン」のavatar機能が追加されたのが1ヶ月ほど前。avatarを作ったら同時に「マイページ」というのももらえたので、暇を見てはこつこつと自分の部屋作りをしている。しかしファッション・アイテムもそうだがお部屋のアイテムもコインを集めて買うシステムだから、まずはいろんなこと(ゲームしたりブログを書いたり←このブログはココログのブログとは別)をしてコインを稼がなくてはならない。「大富豪」ゲームで大富豪になると3コイン稼げるが、1ゲームにつき1コイン払わなくてはならないのが現実的で世知辛い(笑)。

Viewimage いまやっと部屋がこういう状態になった。もう少ししたら暖炉を買いたいナ(暖炉は700コインなり)。

Viewimage00 ちなみに、最初にもらった部屋はこんなのだった。

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読書感想文

本日、「銀河鉄道の夜感想文 三枚も書かなくちゃいけない」という、なんだか同情のお返事を出したくなるような検索フレーズで拙ブログに来られた方があった。小学生かな? 中学生かな? この記事を読まれたようだが、まったく『銀河鉄道の夜』と関係ないので、たいへん申し訳ない。

夏休みの宿題も追い込みの時期だろうが、読書感想文が最後に残っているのは気が重いことだろう。ましてや図書まで指定されているとは不自由な。本当に感動したり何かを深く考えさせてくれる作品なら、別にマンガでも何でも自由に選べば良いと思うけどね。

『銀河鉄道の夜』か……。私にとってはどこから手を付けたらよいのかわからない大作だけれど、反面どこからでも手が付けられると言えないこともない。一番印象深く覚えているのは「蠍の火」の話だが、これだけを抜き取って宗教論に持っていくことも可能だろうし、物語全体の趣旨から言ってもそれほど大きくはズレないと思う。あるいは、最初の方で、カムパネルラがジョバンニをいじめる方に回ったシーン(が確かあったと思う)だけを取り上げて、カムパネルラの心理に迫るのもおもしろそうだ。

いずれにせよ、大人でもたった3枚で『銀河鉄道の夜』の感想を思う存分書けるわけもないのだから、一番印象的だったシーンを選ぶだけでも、読書感想文としてはOKだろうと私は思うヨ。

↑上でリンクした記事にも書いたけれども、読書感想文というのは実に良し悪しの存在で、義務だと思うと極めて面白くない。これで読書が嫌いになるという意見もあるやに聞いているが、それは真実かどうか私にはわからない。読書感想文が嫌だというのは、読書が嫌だからなのではなくて、むしろ自分の感想や考えをうまく(というのは必要にして充分にという意味だが)書けないからではないかと思う。読書感想文というのは、よっぽど読解力や想像力が不足している場合を除き、読書力ではなくて作文力や表現力が問われるものであるかもしれない。つまり、「読む」より「書く」なのだ。

「書く」作業というのは、「読む」よりは遥かに頭を使う。難しい。ましてや自分の好き勝手なことを書く日記などと違って、読んだ本の内容に沿ってそれなりに書かなくてはならない。能動的な勉強方法としては、かなり高度な方法であると思う。だから、学校の先生が子ども達に是非やらせたい宿題であろうこともまた頷ける。まぁ1年に1回のことだし、自分の思いを伝える文章を書く訓練はしておいたほうが良い。「三枚も書かなくちゃいけない」さん、頑張ってください!

【ちなみに、上の文章で1100文字。あと100文字ほどグダグダ書けば3枚になる。なんだかな……。もうちょっと要点をビシッと短く書く練習をしなくてはならないと思う今日この頃。そんなこんなで、これで3枚です。】

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(備忘録090826)

8月もあと5日を残すのみ。今年の夏は短かったなぁ。昨夜なぞ寒くて夜中に毛布を引っ張り出したりした。調べてみたら最低気温が18度と例年より4度以上も低く、9月中旬並みの気温だったようだ。

夏の終わりは何がなしに寂しい。寂しいといえば、今年の夏は『ルパン三世』の新作をやらないのだろうか。春にコナンと共演していたが、あれで今年の分は終わりだったとすれば残念だ。夏の風物詩になっていたのに。あとは、恒例の『24時間テレビ』で夏も終わりというところか。……あ、選挙があったナ。衆議院を解散してから日にちが経ちすぎて、すっかり弛んでしまった感じがする。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり   蛇笏

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「ひと口ちょうだい」

『踊る!さんま御殿!!』を観ていたら、「一緒に食事をすると必ず『ひと口ちょうだい』と言う友人が嫌い」という話題があった。「私も大嫌い」と言ったら、珍しく夫と意見が一致した(笑)。男同士ではそんなこと絶対に無いそうだ。でも、番組ではほとんどの出演者(女性ばかりだったが)が「自分もやる。楽しいじゃない?」と言っていた。へぇ、そんなことが楽しいんだ?!

こと食べ物に関する問題だから、他人のものまで欲しがるのは卑しい、と言えば、ひと口も分け与えられないほど自分の食べ物に執着するほうが卑しい、と言われそうだし、この嫌さの理由はどう説明したらよいのだろうな。別に自分の分に執着しているわけでもないのだが……。

夫が「ひと口くれ」と言うなら全然かまわない。家族でもOKだ。親友Mなら……やっぱりOKかな。あとの人類はすべてダメだ、気分的には。却って犬猫その他になら喜んで分けられると思うのは何故だろう(笑)。

テリトリーの問題かもしれないと思う。おそらく私のテリトリーは「ひと口ちょうだい」と言える人のそれより狭くて、境界線をはっきりさせておきたいものなのだ。自分の領域にあるものは自分の物であり、自分の領域の外にあるものは決して自分の自由にはできないものだという意識があるような気がする。だから、私の方から「ひと口ちょうだい」と言ったことは一度もないし、これからもないだろう。

惜しいとか惜しくないの問題ではない。自分の領域に入ってきても許せる相手(夫とか犬猫とか……同列?笑)になら、何のわだかまりもなくひと口あげられる。しかし、そうでない相手にそれが当然のような顔をしてこちらに断る余地も与えずにズケズケ入ってこられたとき、その無神経さに嫌悪感を覚えるのだ、きっと。だって、「ひと口ちょうだい」だよ。有無を言わさず「ちょうだい」だよ。「恐れ入りますが、あなたの食べていらっしゃるものがとても美味しそうに見えて仕方ありませんので、どうかひと口だけ分けていただくわけには参りませんでしょうか。私はもう別の品を注文してしまったものですから」と頼むのが本筋ってもんだろう。

しかし実際問題としては、「ヤだ」とニベもなく断ってその場を寒からしめるのも大人気ないと思うから、ニッコリ笑ってひと口あげて、お返しに欲しくもない相手のメニューからひと口いただかなければならないのが現実の辛いところだ。そういう仲良しごっこを演じなくてはならないというのもまた相当のストレスであるのだが、当たり前のように「ひと口ちょうだい」と言える人には絶対にわかってもらえないことだろうなぁ。

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花鳥風月

きょうは、くにびきメッセで開催された山陰同人誌即売会「花鳥風月86」へ行った。春に一度経験済みなので「へへへ、おばちゃんもう慣れてるもんね」と余裕綽々。会場となったホールへも迷わず辿り着き、入り口の受付でパンフレットを購入し、ざっと会場内を見渡し、私の行くべき方向はたぶんあっちだろうと思うけれどもまぁここは一応確かめてみようと、「委託はどのへんですか」と余裕の笑みで尋ねると、「委託は2時で終了しました」とのこと。

……はい?

固まってしまった私を見て、受付のお嬢さん(可愛い人だった)が近くのスタッフ2人(これも可愛い人だった)に確認してくれたけれども、やはり「2時まででした。すみませ~ん」とペコリ。いえ、謝っていただくことでは……。

私が家を出たのが既に2時15分頃だったもんね~。そりゃあタイムマシンでもない限り無理だわアッハッハ。はぁ……orz 会場内に足を踏み入れることもなく、「どうも……」とお嬢さん方への挨拶もそこそこに踵を返して家に帰った私なのであった。

ということで残念ながらご本が手に入れられませんでしたので、後日通販の申し込みをさせていただきます、Ch-Iさま。m(_ _;)m 本当にドジですみません。

Photo ←行った証拠に、本日のくにびきメッセ(笑)。

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(備忘録090823 本日のお買い物)

●“Reworks”【CD3枚組】Emerson, Lake & Palmer の曲を Mike Bennett が remix したもの。“Brain salad perjury”のサブタイトルが付いている(笑)。元ネタはもちろん“Brain salad surgery”だ。輸入盤のため日本語の解説がないのが辛いところだが、Wikipedia によると
“In 2003, UK independent label Invisible Hands Music released a 3CD box set under the title Reworks: Brain Salad Perjury. This was a new work created by Keith Emerson in collaboration with British dance maverick Mike Bennett, using sampling technology and with an eye on club and ambient music styles. Emerson and Bennett sampled musical elements from the entire ELP oeuvre, creating entirely new music in an exotic, electronica style, opening with a dramatic reinterpretation of Fanfare For The Common Man. ...”とある。
オープニングだけでなく「庶民のファンファーレ」のリメイクは何種類も入っている。単調といえば単調だが、21世紀のテクノポップというのはこういう感じなのだろう。決して悪くない。

●『京伝怪異帖』(高橋克彦著)

●『永井荷風』(ちくま日本文学019)。『断腸亭日乗』が無性に読みたくなって探したのだが在庫がなく、これを買った。

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(備忘録090823)

きょうはテレビで『ハチ公物語』(1987)を観た。仲代達矢主演、新藤兼人脚本、神山征二郎監督作品である。もう何というかセオリー通りお約束の展開なのだが、泣かされる。映画で泣き、間に挿入されるリチャード・ギア主演『HACHI 約束の犬』のCMでまた泣く。動物モノには弱いなぁ。

実際のハチは、渋谷駅前の焼き鳥屋から貰えるエサが目当てだったという「非忠犬説」もあるようだが、忠犬だと思っていたほうが皆幸せじゃん、ねえ。

……ということで、きょうは簡単だがここまで。アバターの服や部屋をどうにかしたいと思って、ただいま一生懸命ゲームでコインを増やしているところ。

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セミはまだ見ぬパートナーの夢を見るか?

わが家の玄関横の壁で、セミが半分脱皮した状態のまま死んでいるのを見つけた。写真を載せようかとも思ったが、痛々しいのでやめる。

ここまで来ながら……。やっと羽化して自由に飛びまわれるようになる寸前で、いったい彼の身に何が起こったのだろう。

調べてみたら、脱皮・羽化は命懸けの行為であるらしい。途中で何かトラブルがあって上手く脱皮できないと、それは即ち死を意味するのだそうだ。ふつうセミの脱皮は夜に行われるが、何かの事情で陽に当たったりすると死んでしまうとか、気孔の内側の皮膚がうまく脱げないと呼吸困難になって死んでしまうとか、脱皮のときは無防備なので天敵のスズメバチやアリに襲われることがあるとか、脱皮の途中で地面に落ちてしまうと死ぬだとか、また脱皮はできても翅(はね)が妙な具合に固まってしまうと死ぬだとか、ネット上にもたくさんの事例が紹介されていた。

だから、脱皮途中で死ぬことはそんなに珍しいことではないらしいのだが、なにしろ初めて見たし、彼の無念さを思うと可哀想でならない。明日は壁から降ろして、懐かしい土の中でゆっくり眠らせてやろうと思う。出会えなかったパートナーの夢を見てくれると良いな。

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臓器提供

健康保険証が新しくなった。色以外に変わったことといえば、裏面に臓器提供意思表示欄が設けられたことだ。

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1 私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
  (×をつけた臓器は提供しません。)
   心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球・その他(  )

2 私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
  (×をつけた臓器は提供しません。)
   腎臓・膵臓・眼球・その他(  )

3 私は、臓器を提供しません。

《自筆署名》   《署名年月日》
--------------------------------------------------------

記入は任意であって、義務ではない。さてどうしようかね~。

1の最初に「心臓」が挙がっている。初っ端から難しい決断を迫られる項目だ。ここが○なら後は全部○だし、ここが×なら後も×の確率が高いだろう。

脳死の状態で更に心臓を取ってしまったら、これはもう完全な「死」だ。「心臓」に○をつけることは、「脳死=死」と認めることになる。ふむ。あくまでも対象は自分の身体であるから、自分が脳死になったらもう死んじゃっても良いかなぁという気はしないでもない。人様の脳死を「死」と断定する勇気は私には無いけれど……。

私が死ぬとき、家族はどういう状況なのだろう。たとえ私が脳死になったとしても家族が私にその状態で生きていてほしいと望むならば、私は臓器(特に心臓)を提供することをよしとしない。反対に、家族が私の脳死を死と受け止め、且つ、臓器を取り出すことを許すならば、使えるものはどんどん使っちゃってくださいよ~、と思う。2においても同様だ。だからこれは結局、そのときに家族がどう思うであろうかということに思いを馳せないでは記入できないことである、私にとっては。

どこかで病気に苦しんでいる人を救うことより自分の家族の思いを優先させることは、いかにも狭量で、狭量であるがゆえに自己中心的であるとは思う。自分や家族が誰かからの臓器提供を受けなければ生きられないという逆の立場になれば、神にも祈る思いで待つに違いないのだから、これは身勝手な話だ。だがしかし、これはやっぱり家族と話し合いをしないことには書けないと思う。そして話し合いをして何らかの結論に達したとしても、「いま」思っていることが「将来」もずっとそうなのかどうかは誰にも保証できない。死に行く者の心理、看護する家族の思いは、平生日常とは幾分かは必ず異なるはずだから。

う~む、考えれば考えるほど、どうにも記入できなくなるのであった。……保留かな。

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野球とバスケ

地元のスポーツの話題2つ。

夏の甲子園。島根代表の立正大淞南(春夏通じて初出場)がベスト8に入ったそうだ。なんでも新型インフルエンザで4選手がベンチ入りできず、いつもの布陣を変えて試合に臨んだとか。慣れない守備が乱れて最初はリードされたものの、9回の集中打で逆転勝利となった。良かったね。おめでとう。次も頑張れ!
このチームは、一昨年、脳梗塞でこの世を去られた田中謙二さんの最後の教え子のいるチームとして注目されている。田中さんは、あの松坂投手や上地クンがいた頃の横浜高校でコーチをしていた人である。甲子園に出られて本当に良かったと、まるっきり縁もゆかりもない私ではあるが、そう思う。

もう一つ。島根にプロのバスケットチームができることになった。2010-2011シーズンよりbjリーグに新規参入だそうだ。bjリーグといえば、かのBJ先生がプッシュしておられる、あのbjリーグである!! 地元で試合があるときには、きっとBJグッズも販売してくれるよね!(^-^)わくわく

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気にする? 気にしない?

友人からメールが来た。彼女はLZ(仮名)という学生用のワンルームマンションを経営している。最近そこの入居者Mさんが友達から「LZには霊がいる」と言われ、怖くて部屋に帰れなくなり、退居しようとしているとのこと。LZができてから20年くらい経つと思うが、いままでそんなことを言ってきた入居者は一人もいない。建てるときにちゃんとお祓いもしているし、心配ないからと説得しているらしいが、いやはやなんとも……。

怖いと思っている人間を「怖くないから」と説得することは難しいと思うし、何より、管理人の言葉より友達の言葉を信用しているのならどうしようもない。ただ、そんなことを他所で言いふらしたりしないようにくれぐれも釘を刺しておきなよ、と返信しておいたが、さてどうなることやら。

Mさん本人は見ていないのだし霊障があったわけでもないのだから、くだらないといえばくだらない問題だが、当事者にとっては切実なのだろう。私だったらどうするかな? うん、たぶんそのまま居続ける。今までなんともなかったのだから、これからもなんともないだろうと考える。

しかし人騒がせなのはそのMさんの友達だ。そこに住む者や不動産を扱う者にとって、その類の噂がどれだけ重大な意味を持つかなど、まったく考えていない。見えるなら見えるで黙っていればよいではないか。またそれ以上の力がもしあるならば、霊を成仏させてやるとか何もしないように諭すとかすればよいではないか。私が「見える」人間ならそうするがなぁ。生きている人間を怖がらせるだけの「見える」力など、はた迷惑なだけだ。

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(備忘録090816)

お盆とは言っても、夫は仕事があるし、別にどこかへ行く計画があるわけでもないし、お墓参りをする以外はいつもと同じ日々を過ごした。きょうはお墓に替え花を供えて、これでお盆関連の行事終了である。

手術してからまだ3ヶ月ではあるし今年の夏はちょっと身体を休ませようと思っていたが、計画どおりゆったりと穏やかな夏休みを過ごせたように思う。例年に比べるとずいぶん涼しい日が続き、ひんやりする竹の寝茣蓙に寝転がって時々鳴る風鈴の音を聞きながらする読書は最高だった。テレビをほとんど観なかったので、地元から出場した高校が甲子園で一勝したことを上地クンのブログを読んで初めて知ったりした。

いま、ジョージ・オーウェルの『1984年』を読んでいる。ビッグ・ブラザーによって徹底的に管理・統治される国家での生活を描く近未来小説。日常の一挙手一投足を機械で監視され、過去の記録も記憶も改竄され、何一つ確かな拠り所さえない状況はまさにディストピアである。いま主人公ウィンストンが捕まって拷問されているところだ。もっと大変なことになっていくんだよな……。

本日のお買い物は、『村上春樹『1Q84』をどう読むか』(河出書房新社編集部編)。帯には「大傑作? 問題作? 35人の論客が今、問いかける」とあり、35人の有識者がこの作品を様々な角度から紐解いているらしいが、個人的には内田樹が何を語っているのかにいちばん興味がある。書店にはこの本のほかに2種類ほど『1Q84』の解説本が並んでいた。こういう本が出るということは、やっぱり、この作品をどう読んだらよいのかわからない人が多いということなのだろう。いや、どのように読んでもよいのだという考え方もある。しかしどうせ読むなら、できるだけ著者が描こうとしたものの正体に近づきたいし、まずそう試みることが作品と著者に対する礼儀だと、常々私はそう思っている。この本が、その道しるべになってくれればよいのだが。

……庭で鈴虫が鳴いている。

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鎮魂

とあるサイトマスターさんも書かれていたのだが、毎年決まってこの時期になるとテレビ放映される戦争ものの映画やドラマを、私はどうも観ることができない。決して忘れてはいけない過去だし、もっとよく知るべき時代であることもわかっているつもりだ。でも、どうしても観られないでいる。死なねばならなかった人たちの運命が悲しい。

今朝の朝日新聞「天声人語」に、詩人の石原吉郎の「死においてただ員数であるとき、それは絶望そのものだ」という言葉が紹介されていた。ただ「○○人戦死」というのは事実とは程遠い。「○○人」にはそれぞれの名前があり、それぞれの人生や思想や家族があったことを重く受け止めなくてはいけないと思う。亡くなったのは一人ひとりの個人なのだ。

戦争は何故いけないか。多くの人が死ぬからだと、それが一番大きな理由だと私は思う。後にどれだけの悲しみが残されるか……。

64回目の終戦記念日。英霊の御霊の安からんことを。

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初秋の空

きょうは気持ちよくカラリと晴れた。こんな晴れっぷりは今年初めてじゃないかと思いつつ空を見上げると、そこにはもう秋の雲が浮かんでいた。

兄と二人で伯母を訪ね、父の三回忌の日にちが決まったことなど話す。伯母は父より10歳年上で94歳になるはずだが、すこぶる元気。「一日に20本吸うこともあるわよ」と言う現役の喫煙者。一族の中で一番達筆で、俳句を詠んで、言うことがサバサバしていて、一人でタクシーに乗って外食に出かける達者な女性。ずっと東京で一人暮らしをしていて数年前にこちらに帰ってきた。生涯独身(私が結婚したときは「裏切ったわね」と言われた・笑)。驚くほど記憶力が良く、話術も巧み。そして一族の中で一番よく道で転ぶ人だ(笑)。

伯母の元を辞去し、続いてグループホームへ母を訪ね、連れ出して一緒にお墓参りに行く。去年は、お盆だから墓参りがしたいと母の方から言ったのだが、今年は気付かなかったようだ。きょうの話題は「家の鍵は掛けただろうか?」ということと「あら、お父ちゃんはどこ?」の2点。「掛けたよ」「○○病院に入院中」(←この嘘は今も有効だ)と、延々とこの二つの話題を繰り返しながら墓参を済まし、30分ばかり市中をドライブしてからグループホームに戻った。痴呆が進んでも、家を守ることと姿の見えない家族のことを思う気持ちだけは変わらないものらしい。

伯母と母と、まさに対照的ともいうような老後の姿を見たわけだが、まぁどっちも幸せなのだろうなと思う。自分が大切に思うものを心の中で大事に大事に守っていくことができれば、人間そんなに不幸にはならないような気がする。

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Confusion will be my epitaph

「自分のブログ 死んだらどうなる?」という記事を読んだ。残ることで訪問者が絶えない“墓碑”のような存在のブログとして、7月28日に乳がんのため死去した川村カオリさんのブログが紹介してある。「カオリにファンの方が、気持ちを伝えられる場として残して」あるそうだ。確かにこういう有名人ならブログを残しておく意味もあるだろうが、さて私のブログは……と考えると、言わずもがな、残す意味も必要もない。ところが、ブログのサービス業者は、誰かが削除を依頼しなければ削除しないらしい。

私がブログをやっていることを夫は知っているが、見せたことはない(一度だけケータイの画面で見せたことはあるが、それ以上見せろとも言わなかったので興味がないのだろう)。家族にも友人にも知らせていない。となると、私が死んでも誰も削除依頼をしないので、残ってしまうわけだ(うわー)。

また、生きた証しを残そうとして関係者が存続させているブログもあるという。生きた証しかぁ……。自分がこの世からいなくなって、このブログの文章だけが自分が生きた証しになるのだとしたら……もうちょっとちゃんとしたことを書かねば(笑)!

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W災害

きょうは暑かった! ここ松江で34.1度と今年最高を記録した。こんな日は洗濯やお風呂場の掃除等、水に触れる仕事をするに限る。夕方、お盆の用意で花を買ったりお墓に参ったりしたが、暗くなる頃になっても熱気が去らなかった。しかしこんな暑い時期に台風や地震の後片付けをされている皆様方のご苦労を思えば、暑いなどと不平を言っていては罰が当たる。

「地震 雷 火事 親父」という言い回しがあるが、この「親父」というのは「山嵐(やまじ)」というのがいつのまにか訛ったものらしい。「山嵐」というのは台風のこと。四大恐ろしいものが「地震 雷 火事 台風」だというのは誰にも頷けるところだ。

このたびの台風と地震で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

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(備忘録090809)

お……起きたら既に日付が変わるころだった。いや~、眠い……。
本日の記事はお休み~。 zzzzz

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蝉の声

梅雨明けとは名ばかり。相変わらず曇天のスッキリしない毎日が続いているが、それでもここ一週間ばかりでやっと蝉の声が本格的になってきた。ところで先日ネットの海を漂流していて、「蝉は美人の生まれ変わり」という一文を見つけた。初耳である! なんでも中国の故事らしいということなので、調べてみた。

まず、李商隠の詩に「鳥応悲蜀帝、蝉是怨斉王」(鳥は蜀帝を悲しみ、蝉は斉王を怨む)というフレーズがある。何故蝉は斉王を怨むのか。晋の崔豹の『問答釈意』の中に以下のように記されているという。

--牛享問うて曰く「蝉の名、斉女なるは何ぞや?」
 答えて曰く「斉王后怒して死す。屍変りて蝉と為り、庭樹に登り、彗涙して鳴く。王悔恨す。故に世名して曰く斉女なり」--

(わかば訳:牛享が「蝉を斉女というのは何故ですか」と問うた。答えていうには「斉の后が怒りのあまり死んでしまった。死後、后は蝉に生まれ変わり、庭の木に登って涙をはらいながら鳴いたので斉王は後悔した。だから蝉のことを斉女と名づけたのだ」……「彗涙」の「彗」の意味がよくわからないが……)

どうやら后は嫉妬のあまり死んでしまい、蝉となって恨み言を鳴いているらしいのだが、これでは「蝉は斉后の生まれ変わり」なのであって、さて、肝心の「美人」という言葉が出てこない。王のお后ともなれば美人であったろうとは思うが、斉后が特別に別嬪だったという話は見つからない。

そこで思うのだが、この「美人」というのは「美女」という意味ではなくて、虞美人というのと同じく後宮での官位なのではなかろうか。たまたま「美人」(二十七世婦の中のひとつ)という役職についていた女性が后になったから、こう言われるのではないかと思うのだが。「蝉は美人の生まれ変わり」と、「美人」を使った初出例を是非知りたいものである。

同じ蝉の声を聞いても、美女が鳴いていると思うのと、嫉妬に狂ったお后が恨み言を言っていると思うのとでは大きな違いだ。日本人は蝉の声を風情のあるものとして聞くことが多いが、中国ではただ喧しいだけのものなのかもしれない。

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ヒロインから犯罪者へ

あれれ? たしか昨日まではロクデナシの夫を持った悲劇の妻だったはず。悲観して自殺でもするんじゃないかと皆が心配していたのに、きょうは一転して覚せい剤常習者で全国指名手配だ(いや、今のところは覚せい剤所持容疑だけど)。不謹慎を承知で言えば「やるな、のりピー」という感じ。(関係者さま、ごめんなさい。) 

ワイドショーなど見ていると、姿を隠していることについて、昨日までは「思い出のある土地で死に場所を探しているのではないか」だったのが、「1週間もすれば尿検査でクスリが検出されなくなるから」に変わった。子どもを知人に預けたことも、「子どもに罪はない。道連れにしたくなかったのだろう」だったのが、「身軽になって逃げやすいように」に変わった。のりピーがずっと姿を隠している事態そのものには何の変化もないのに、逮捕状が出ただけで見方がこれだけ違う。もちろんこれらは今の時点においてもなおすべて憶測である。

なかなか面白い。つまり、物事には必ず裏表の見方があって、イイ人(と思われている人)については好意的に表の面を見て、悪い奴(と思われている奴)については悪意を持って裏の面を見てしまうということなのだろう。ワイドショーは意図的にそういう作りになっている。客観的な真実を伝えるのではなくて、視聴者はこう見たがっているという方向で事実の断片をつなぎ合わせて、勝手な憶測を垂れ流す。ニュース番組というよりはドラマというほうが近いかも。視聴者は何事によらずドラマチックな展開が好きなのだから。

まあしかし……夫婦そろってバカなことをやったもんだよ。

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訃報に驚く

大原麗子さんが亡くなった。62歳。ギラン・バレー症候群で近年は芸能活動を休止しておられたそうで、そういえば最近は見かけていないことに気付いた。一人暮らしだったそうで、死後2週間以上経っての発見だったそうだ。難病の根絶を願うとともに、彼女のご冥福を祈りたい。

大原麗子さんと言うと、中学時代の同級生の男子を思い出す。「綺麗だ。大好きだ」とうわ言のように繰り返していたN君、今夜はショックだろうな……。

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裁判員の安全は?

昨日から開かれている初の裁判員公判(@東京地裁)。きょうも57席の傍聴券を求めて1460人もの人が列を作ったそうだ。

昨日はテレビでの報道を見たりしたが、気になったことを1つ。裁判員の顔は、さすがにテレビ新聞等では明らかにされていなかったが、法廷内にいる傍聴人には当然見える。その傍聴人の中に原告や被告の関係者がいたら、彼らがある裁判員の発言等(あるいはそこから読み取れるもの)に対して何らかの感情を抱くこともあるのではないか。そして判決が彼らの意に沿わぬものだったりしたら、その裁判員を根拠もなく「逆恨み」することだってあり得るのではないか。裁判が終った後の裁判員の安全は考えられているのだろうかと思う。

15世紀の中国では、裁判官が判決を言い渡す前に目を見られて考えを読まれないように、煤をつけた眼鏡をかけていたという。この伝で、裁判員の特定ができないようにする工夫が必要なのではないかと私は思う。裁判員からは見えるが、原告被告、検察側弁護側、そして傍聴席からは見えないマジックミラーのようなものを裁判員の前に立てるとか。

なにしろ、裁判員は一般の市民なのだ。一件の裁判が終わればまた従来の安全な生活が保障されなくてはいけない。どうも現行のやり方ではそれが不安に思われたので書き留めておく。

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遠花火

松江水郷祭の花火を見てきた。こんなに涼しい花火見物は初めてだ。途中でわずかに霧雨が降ったりもした。昨年は38万人の人出だったそうだが、今年はたぶん昨年を下回ったのではないかな。私達夫婦は例年どおり大橋川の岸に腰掛けて見たが、周りには誰もいなかった。こんなことも初めてだ。冷夏の花火はなんだか寂しい。

夫が同僚(女性)に花火を見に行くかと尋ねたら、独りでは見に行く気にもならないという返事だったとか。旦那さんとはずっと前に別れて、もう子どもさんも家を出て独立しているから、彼女は独り暮らし。住んでいる部屋からは遠花火が見えるそうだ。

そう。花火なんてものは、まだ昼間の熱気が残っている真夏の夜に、親しい誰かとワイワイキャーキャー言いながら見るから楽しいのだろう。夫と二人で見られることの幸せを思う。

遠花火寂寥水のごとくなり (風生)

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冷夏

今夏2度目の「土用の丑の日」。今夜のメニューは鰻にしたが、夕方からは半袖では寒いくらいだったため、鰻もそれほど美味しくは感じなかったような……。本日やっと四国地方で梅雨明けが発表された。九州北部がこの土日、中国、近畿、北陸が来週月曜日に明けるのではないかと言われているが、東海、東北は見通しが立っていないようだ。そして、立秋(8月7日)を過ぎると「梅雨明けなし」ということになるのだそうだ。明けない夜はないけれど、明けない梅雨ってのはあるんだね。

大雨による災害や冷夏による農作物への被害も心配されるが、身近なところでは、手紙の書き出しの文句に困る。「暑中見舞い」は梅雨明け~立秋前日までだから、梅雨が明けないことには書けない。ちなみに「残暑見舞い」は立秋~8月いっぱいであるが、「梅雨明けなし」ならばこれも書けないことになるのかな? 暑がりな私としてはたまには冷夏もあってほしいとは思うけれど、時候の挨拶にも困るというのは、やっぱり今年の夏がかなり異常な気象であることの証拠なのだろう。ブログのテンプレートも替えられない。

夜になって雨が降り始めた。明日と明後日は「松江水郷祭」の花火大会なのだが、晴れてくれると良いなぁ……。

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書を捨てるな、売りに行こう

とりあえず、主に文庫本を段ボール箱に4箱、300冊ばかりを B○○K ○FF へ売りに行った。内、値段のついたものは199冊。4,800円也。「1冊10円で3,000円」と予想していたから、思わぬ儲けをしたような気分になった。
値段のつかなかったものは向こうで処分してもらうよう頼んで置いてきたが、中には「どうしてこれが?」と思うような、状態の良いものもあったように思う。もったいなかったかな。引き取って、別の古本屋へ持って行ったほうが良かったかな。次回からは考えよう。あと2~3回は行くことになりそうだ。

4,800円に奮起したのか、夫がCDとDVDの選別をし始めた……(笑)。

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成人と大人

夜のニュースで、日本での成人年齢が18歳に引き下げられるかもしれないと言っていた。ずいぶん前から取り上げられてきた問題ではあるが、このたび公職選挙法に基づく選挙権年齢が18歳に変更されることを前提に、法制審議会(法相の諮問機関)の民法成年年齢部会が「18歳に引き下げるのが適当」とする最終報告書をまとめたらしい。つまりは、政治参加できることが成人の証となる、ということだ。

法律上どこかで線引きしなければならない問題には、どこで線引きしようと、必ず賛否両論あることだろう(先般の「脳死」に関わる採決にしてもそうだが……)。街頭インタビューでは、18歳ではまだ何もわからないし……という若者の声も紹介されていたが、確かにそうだろうと思う。自分のその頃を思い出してみても、政治や社会に関心もなくノホホンとしていた。

しかし法律上の「成人」と、いわゆる「大人」というのは、必ずしも一致するものでないということだけは、経験上言える。夫と、自分が大人になったなぁと思ったときはいつ?という話をしたのだが、社会に出たとき、という答で一致していた。夫は大学に通常の年数より余計に通っていた人間だが(笑)、いくつになっても学生である間は大人だという実感はなかったと言う。社会に出て自己の責任のもとに仕事をして(どんな仕事にも責任はある)、自分で金を稼いだときにやっと少し大人になったような気がした、と。

「大人」ということを考えるとき、「責任」という要素を外すことはできないように思う。逆に言えば、責任を取る力がある人間は法律上未成年でも「大人」だろうし、無責任な行動しかできない人間は馬齢をいくら重ねていても「大人」ではない。「成人」にはいずれ誰でもなれるが、「大人」になるのはいくつになっても難しいと、この歳になってつくづく思う。

……私の意見としては、成人年齢は20歳のままで良いんじゃないかと漠然と思うけれども。

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(備忘録090728)

読書中のため記事はお休みします。

3件の凶悪事件の死刑囚の刑が、本日執行されたという。いずれも刑の確定から執行までの期間が2~3年と短い。また大阪で姉妹を殺害した山地悠紀夫死刑囚は25歳と、非常に若い(もしかしたら一番若いかも)。
死刑確定囚のリストなどつらつら見ながら、いったいどういう順番で刑が執行されるのかと考えたりする。

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(備忘録090725)

本日のお買い物。
・『1984年』(ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳)
 ハヤカワepi文庫から新訳版が出ていたので買ってきた。以前の訳は新庄哲夫。
・『世界禁断愛大全―「官能」と「耽美」と「倒錯」の愛』(桐生操著)
 これは……もうちょっと表紙を差しさわりのないものにして欲しかった。レジの兄ちゃんにマジマジと顔を見られた。で、いまこっちを読書中。

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太陽を見るか月を見るか

・本日のデータ
日の出 04時41分  日の入 18時54分
月の出 04時26分  月の入 19時00分
月齢0.15
松江での食の最大は 11時00分17秒 最大食分 0.817

夫と2人で広々とした川原に出かけて、10時から1時間ばかり空を見上げていた。生憎、空は一面に薄い雲で覆われていたが、結局「日食グラス」を入手できなかった私にとっては却ってそれが幸いした。その薄い雲が適度に光を遮ってくれたので、欠けていく太陽の形が裸眼で綺麗に見えた。

いや、これは太陽が欠けていくと見るべきか、新月が姿を現したと見るべきか。黄道(太陽の通り道)と白道(月の通り道)が交わる付近で新月になるという条件が満たされたとき、日食は起こる。普段なら決して見ることのできない新月。その輪郭が、きょうは太陽の表面にくっきりと見えたわけである。

日本神話のツクヨミを思い出す。アマテラスとスサノオと並んで「三貴子」の一人であり、月の神であるが、太陽の神であるアマテラスほどの派手さはなく、海原の神であるスサノオほどの破天荒さもない。記紀においてもほとんど活躍しないが、唯一派手なことをやらかしたのが次の一件。姉のアマテラスの使いで食物の神であるウケモチノカミを訪ねるが、ウケモチノカミの行動を誤解して斬り殺してしまう。これがアマテラスの怒りを買い、以来2人は永久に昼と夜とに別れて暮らすことになったと言う。

日食という位置関係で考えれば、大いなる姉神アマテラスの前に忽然と現れて、その黒い姿でアマテラスの姿を覆い隠してしまうツクヨミ、ということになる。そしてそれを見ているのは海原(の星=地球)を統べるスサノオか。う~ん、なんだかスリリングでワクワクするな(笑)。今回のような皆既日食はなかなか見られるものではないが、日食自体は毎年2回の頻度で起こる。存在を忘れられかけたツクヨミが、時々自己アピールのために出てきているのだと考えるのも面白いかも。

【追記】
来週7月27日(月)の『飛び出せ!科学くん』は、成層圏から日食を見る企画だ。大気の揺らぎがない分、鮮明に見えるのかもしれない。大塚ボイスで予告編をお楽しみください。

http://www.tbs.co.jp/jump_kagaku/index-j.html

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(備忘録090717)

ここ数日涼しくて過ごしやすい。お風呂上りに畳に寝転んで読書していると気持ちよく眠くなってくる。
……というわけで、昨日今日とうたた寝をしてしまい、目が覚めたら夜中だったため、記事はお休みです(汗)。

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(備忘録090715)

読売新聞社が全国のインターネット利用者1000人を対象に実施した「衆院選ネットモニター」で、今回の衆院解散・総選挙についてどのような名称がふさわしいかを聞いたところ、「追い込まれ解散」「がけっぷち解散」「破れかぶれ解散」などのネーミングが多かったそうだ。
おじいちゃんの吉田茂の「バカヤロー解散」に倣って、「あほーたろー解散」なんてどうだ? ……って、知り合いが言ってました。や、個人的には、あの人とは友達になれそうな気はするんですけど……。

芥川賞に『終の住処』の磯崎憲一郎氏、直木賞に『鷺と雪』の北村薫氏が決定。北村薫は『円紫』シリーズ以来のファンだから、受賞を喜びたい。

『MW』と『罪と罰』(ともに手塚治虫)を再読。

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数の問題

注目の都議選。民主党が第1党となることが確定し、自公連立で過半数行くかどうかが焦点のようだ。自民党は「地方選挙と国政は関係無い」の一点張りだが、優勢だったならきっと「関係ある」と言うのだろう。今夜にでも政局が大きく動きそうな気もするが、それはさておき……。

『陽気なギャングが地球を回す』(伊坂幸太郎著)の中におもしろい数式が出てきた。

a = b という式があるとする。
両辺に a をかけると
  a^2 = ab
両辺に a^2 - 2ab を足すと
  2a^2 - 2ab = a^2 -ab
括弧でくくると
  2(a^2 - ab) = a^2 -ab
両辺を (a^2 - ab) で割ると
  2 = 1

算数が苦手なことでは人後に落ちないワタクシのこと、なんだかとても感激してしまったのだが、こんなことで感激するのはきっと私だけでしょうね(汗)。上の式、どこがおかしいか、わかりますか?

……と、こんなことを書いているうちに、自公の過半数割れ確実だそうだ。

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eclipse

そろそろ日食観測用の眼鏡(日食グラス)を買っておこうと思うのだが、どこで売っているのだろう。小学生の頃、ガラス板にススを付けて太陽を見ましょう、という授業があったように記憶しているが、このやり方は危ないのだそうだ。黒い下敷きも危険だと、先般国立天文台が注意を呼びかけていた。「太陽の光が網膜の中心に集まり、虫眼鏡で紙を焦がすように焼ける」太陽性網膜症、日食性網膜炎という症状が起こるのだそうだ。

「目の奥まで届かない紫外線より、赤外線が危険で、紫外線カットのサングラスやゴーグルも役に立たないという。下敷きやCDのほか、以前には推奨されたススを付けたガラス板も、赤外線は通すため危険のようだ」というから、我々はずいぶん危ないことをやっていたのだとそら恐ろしくもなる。国立天文台が推奨する安全な観察方法はこちら

さて7月22日の日食だが、日本気象協会の発表では、ここ松江では最大食分0.817だそうだ。それは是非観てみたいものだが、当日の晴天率が43.3%となっている(晴天率は過去30年の統計より)。梅雨が明けていればよいのだが。週間天気予報を睨みながら、日食グラスの購入を検討することにしようか。

日食で思い出すのは、天の岩戸神話。アマテラス=卑弥呼と考えて、この皆既日食が起こった紀元248年に卑弥呼が没したという説を書いていたのは井沢元彦だったか。一国のリーダーであるシャーマンとしての力が無くなったと考えられて殺された、という説だったと思う。古代にはそんな恐怖だった日食を楽しみに待つというのもなんとなく気が引けるが……、楽しみだ。

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美容室でマッサージ

連日30度あたりの気温を記録するようになった。梅雨時で湿度も高いからやりきれない。これがカラッとした30度なら気分も良いのだが。

我慢できなくなって、髪を切りに行った。2ヶ月半ぶりだ。馴染みの美容室へ行くとヒンヤリ冷房が効いていて気持ち良い。カットクロス(あの大きなポンチョみたいなやつね)をかけられると結構暑いものだから、多少低めの温度設定がありがたい。いつものことだから別に長さや髪型などを指定することもなく、そこのワンちゃんの話から家族の話から肩こりの話から県内で起こった親殺しの話から、脈絡もなくお喋りする。

カット、毛染め、洗髪と進んで、あとはブローというところでいつも頭から肩にかけてパンパンと叩いて筋肉をほぐしてくださる。これが何とも言えず気持ち良いのだ。ミント系の整髪料の香りとも相俟って目が覚めたような爽快な気分になる。時間にして1分たらずだが、これがしてもらえるから美容室へ行っているようなものだ。

「いつもよりちょっと短めにしましたよ」と言われたが、せいぜい5㎜くらいだろう。涼しいほうが良いです、ありがとう。スプレーは断って、一丁あがり! ここでお会計となるのだが、きょうはちょっと先生にお返しをすることにした。「肩を揉んであげましょう」と言うと、「そんな! お客さんにそんなこと……」と固辞されたが、他にお客さんもいなかったから「まあここに座って」とそれまで自分が座っていた椅子に座ってもらってマッサージ開始。この先生が長年ひどい肩こりで、遠くは九州まで治療に通っていたことは以前に聞いていたし、きょうもきょうとて肩にシップを張っておられるのが首筋から見えていたし、ときどき痛そうに肩を押さえてぐるぐる腕を回しておられるのも鏡越しに見えていた。背の低い人が座高の高い私のような客の頭をいじるのは、いくら椅子を低くしても大変な作業だろうと思う。それに私はマッサージが上手いのである、自分で言うのもなんだけど。

肩から背中にかけて鉄板が入っているような硬さだった。こりゃあ辛いゎ、と内心思う。つい一ヶ月ほど前までは私も堪らない背中の痛みに参っていたから(片方乳房がなくなって身体のバランスがとれなくなったせいだと思う)、この辛さはよくわかる。首筋から肩、背骨の両側を押して揉んで叩いて撫でさする。「ひゃ~、気持ちいいわ~」という声に前の鏡を見ると、本当に気持ちよさそうにして目を瞑っておられる。きっとさっきは私もこんな顔をしていたんだろうな。

小さい頃から父の肩叩きをさせられてきた。晩年寝たきりになって身体中が凝って痛いと言う父の身体を、毎日揉み続けてきた。習ったことはないがツボはわかっている。そのテクニックを駆使して揉むこと3分ばかり。「あ~、身体が軽くなった~!」と言われたところで終了。もっとやりたかったが、それ以上は遠慮されるだろうから。ところが、「これ、開いてるけど……」とヘアームースを1本いただいてしまった(汗)。エビで鯛……(笑)。

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『あらしのよるに』原画展

9時半には診察も終わり、本日休暇の夫とどこかへ出かけようということになった。映画『MW』を観に行こうかとも考えたがどうもいまひとつ食指が動かず、先日行きそこなった「『あらしのよるに』あべ弘士絵本原画展」を観に行った。いろんなタッチで描かれている迫力のある絵を堪能する。展示室の前では『金田明夫の絵本ひとり語り・「あらしのよるに」ステージDVD』が放映されていて、そこからかすかに聞こえてくる歌も雰囲気を盛り上げてくれた。

木村裕一作・あべ弘士絵の原作は、文庫化されているシリーズ第5作「どしゃぶりのひに」までしか読んだことがないけれども、中村獅童と成宮寛貴が声を当てたアニメ映画は観た。だから物語の経過と結末は知っているのだが、展示されている原画とひらがなだらけの平明な文章を読み進めていくうちにどんどん引き込まれていって、思わず涙ぐんでしまった。我ら夫婦の他には、ちょっと年上と思われるご夫婦が一組いらっしゃっただけだったから、ハンカチ握り締めてグスグス言っていても誰にも気付かれなかったのが幸いだった。

帰宅してから『あらしのよるに』の文庫本を再読したことは言うまでもない(笑)。ネットで探して演劇集団・円の舞台版もちらりと観た。ちなみに、以前に書いた文庫本の感想はココココ、映画を観た感想はココ。こんなに何度も取り上げた作品も珍しい……というか、たぶんこれしかない(『BJ』は別格として)。たぶん自分でも気付かないくらい大好きな作品なのだろう。文庫版は再編集されたものなので、『特別編 しろいやみのはてで』を含む大型版を手元に置きたい気持ちは大いにある。でも読むたびにドップリ浸かってしまうことが目に見えているので躊躇しているところだ。きょうもグッズ売り場で販売されていたのだが、結局買わずに帰ってしまった。う~む、どうしようか……。

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催涙雨(さいるいう)

きょうは七夕。しかし無情の雨……。7月7日に降る雨を「催涙雨」という。毎年思うのだが、七夕だけは旧暦で行ったほうが良いのではないか。こんな梅雨の真っ只中では織姫彦星が気の毒だ。まぁこちらの地方では、ひなまつりも端午の節句も七夕もすべて月遅れで行うから、陰暦に近くなって良いのだが。

織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)は実際にどれだけ離れているのだろうかと調べてみたら、だいたい15光年となっていた。とても一晩のうちに会いに行かれる距離ではない。「ワープ航法」をしているのだと書いてあるサイトも見つけたが(笑)、もっと簡単に解決するには、織姫と彦星の身長が1光年くらいになればよいのではないかと思う。すぐ会える。頑張れよ。

Photo与太話はさておき、せっかくの星空も満月も見られないので、「Stellarium」というフリーソフトをダウンロードして、プラネタリウム気分を味わっている。私がいる地点の現在時刻の星空がこれだ。雨雲さえなければこのように見えるはずだったのに。ベガ、アルタイル、デネブの「夏の大三角」の辺りである。

このソフト、星は瞬いているし、ときどき流れ星も見られて楽しい。星や星雲をクリックすると説明文も出る。その方位角や高度が刻々と変わっていくのにも感動する。フリーだけれども、なかなか優れもののソフトである。このソフトで来る皆既日食が見られたら言うことなしなのだが、それは無理だろうなあ。

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小説の中の性犯罪に思う

『1Q84』か『アヒルと鴨のコインロッカー』か、どちらかの感想を書こうと思っていたのだが、ちょいと気分が乗らないので、やめる。『1Q84』はまだ全体像が自分の中で消化しきれていないし、何より幼女相手の近親相姦で子宮破壊という事実に気が滅入る。『アヒルと鴨のコインロッカー』はドライにして暖かい作品なのだが、猫殺しとバスの中の痴漢に怒りが沸騰して冷静になれない。

痴漢とかレイプとかロリータとか、私はその類がとことん嫌いだ(←こんな単語をバンバン使うと迷惑トラックバックが増えるのはわかっているが、伏字にするのもそいつらに負けたようで悔しいのでそのまま使う)。どんなにイイ男でもそういう趣味があるとわかれば、「男」の、いや、「人間」の範疇から外すだろう。抵抗できない者、力の弱い者、成熟した心身をまだ持たない者に、力尽くで己の肉欲を押し付ける鬼畜を「人間」と呼ぶ必要はない。

先日、結婚を間近に控えた女性がレイプされ、犯人を告発した後に自殺したという新聞記事を読んだ。なんと気高い人だろうと思うと同時に、悲しく暗澹たる気持ちになった。何故、被害者の彼女のほうが死ななくてはならないのかと思う。いや、死なざるを得なかった気持ちもわからないではないから、悲しいのだ。はたして犯人の男にそんな彼女の気持ちがわかるだろうか。

痴漢に遭ったことは数回ある。睨み付けてやったり、顔面をカバンの角で強打してやったり、ヒールで足の甲を思い切り踏んづけてやったりしたが、あの悔しさと憤りは今でも鮮明に思い出すことができる。幸いなことにレイプされたことはないけれども、危なかったという経験はある。幼い頃に会った、お腹の辺りを押さえていたあの男が、決して腹痛なんかでなかったことは今になれば明白だ。あのとき私があの男に近寄って行っていたら、と思うと、今でも震えがくるほどに怖い。そうなっていたら、おそらく今の私とは違う私が出来上がっていたに違いないと思う。あれは、私の運命の、人生の分岐点でもあったのだ。

性犯罪というのは、被害者にとっては人生を変えるくらい重く過酷なものだ。村上春樹は、その点をちょっと軽く考えているような気がしないでもない。あんな綺麗な夢物語になるかどうか……。その点、伊坂幸太郎は、痴漢を撃退する麗子さんを魅力的に描いているし、『重力ピエロ』でもレイプの爪痕を重大に描いたが、やはり視点は母親本人ではなくて息子や父親だった。

やっぱりこれは男性には永遠にわからない心情なのかもしれない。自分の妻や娘や恋人がやられたら嫌だと思うことは自分もしない、という男性は多いと思うが、そういう女性の尊厳なんていうのはまだ綺麗ごとだ。女性が生きていかれるかどうか、その根源にかかわるくらいのものだと知ってほしい。

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半夏生(はんげしょう)

二十四節気をさらに細分化した七十二候の中のひとつ。きょうのA新聞には日付と共に「半夏生」と書かれていたが、夏至から数えて11日目の今日がその日だ。「半夏(カラスビシャクともいう)」という多年草(有毒植物)が生えるからこの名がある。また今日から梅雨が後期に入るとも言われる。禁忌としては、この日には井戸に蓋をしなくてはならないとか、たけのこ、ワラビ、野菜を食べてはいけないとかがある。天地に毒気が満ちているからだそうだが、梅雨のこの時期、大雨で地盤が緩んだり、細菌が繁殖して食中毒を起こしたりしやすいことを思えば、なるほど理にかなっていると言えるかもしれない。

二十四節気でも怪しいのに七十二候なんてとても覚えられるものではない。それでも私がなんとなく覚えているのは、この「半夏生」が夏の季語になっているからかもしれない。……といって、別に句を覚えているわけでもないのだが(汗)。

「半夏生」と一緒に思い出すのが「夏安居(げあんご)」という仏教用語だ。「安居」とは雨季のことだが、その時期には草木が生い茂ったり毒虫が活動したりするので、僧は遊行せずに一ヶ所に集って修行する。雨季のある夏場に行われるので「夏安居」という。以前に永平寺での修行についての本を読んだら、今でもこの修行は行われているそうで、安居が明ける解夏(げげ)までは寺の外に出ないのだそうだ。

一年のうちで最も鬱陶しいこの長雨の時期、人は昔から注意を払って暮らしてきたのだろう。衛生面や環境面で改善されてきたいまの日本でも、これらの言葉の意味を知ればやはりそれなりに学ぶべきことは多い。

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ハングル

きょう、アクセス解析を見ていて「言語 ko(Korean)」となっているものを見つけた。どうやら韓国のネット検索ポータルサイト「ネイバー(NAVER)」経由で拙ブログに来られたようだ。逆に辿ってみると、こんな画面が出た。おお、ハングル! 見慣れた画面なのになんだかとっても新鮮だ(笑)。

せっかくだからと、ネットで簡単なハングル文字表のページを探し出し、それと照らし合わせてなんとか人名だけでも読めないものかと頑張ってみたのだが、いやはや難しい。ハングルは子音が19音、母音が21音もあるそうで、表に載っていないものが多すぎる。

しかし母音が21音なんて、驚きだ。表を見ると「o」だけでも4種類もある(まだあるかもしれない)。日本語の母音は5音。古代日本語でもやっと8音だ。ここ出雲地方で考えてみると、出雲弁には古代日本語の名残があって、ウムラウトのついた発音ができる人が多く、母音の数は多少増える(←しかしこれらの人々はウムラウトを取った母音の発音ができなかったりする・笑)。韓国の人は母音を21も聞き分けているのだろうか。すごいナ。

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(備忘録090627)

少しばかりB○○K ○FFに売りに行こうと思って、主に文庫本と新書版の中から選別中。基準は、今後もう一度読むかどうかということと、これからも入手できるかどうかという点だが、やっているうちにだんだん判断がつかなくなってきた(汗)。1000冊くらいになりそうだが、さていくらになるかな。

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ベンの人

"King of Pop" Michael Jackson has died.

きょうは一日中このニュースで持ちきりだった。享年50歳。ジョン・レノンにしてもエルヴィス・プレスリーにしても40代の若さで亡くなっているから、ビッグ・アーティストには短命の運命がつきまとうのかもしれないと思ったりした。

マイケル・ジャクソンという個人名を初めて聞いたのは、1972年にラジオから流れてきた「ベンのテーマ」を聴いたときだった。ジャクソン5のメンバーの一人だというのもそのとき知った。それはそれは綺麗な歌声だった。後に映画『ベン』を観たのも、もう一度あの歌を聴きたかったからに他ならない。

後に「スリラー」がヒットしたときも、だから私には「ああ、あの、ベンの人だ」という印象が強かった。どんなに顔が変わろうとも、やっぱり私には「ベンの人」だった。たぶんこれは未来永劫変わらないのだろう。

If they had a friend like Ben...

近年は健康にかなり問題があって鎮痛剤などに頼っていたとテレビで観たが、彼にはベンのような心を通じ合わせられる友達はいなかったのだろうか。ご冥福を祈りたい。

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さらば 絶対の春

東国原知事の一件は、近来稀に見る痛快な出来事だった。これで自民党がどう出るか見ものだが、きょうは別の話題。ちょいと生々しい内容なので、記事を隠します。テーマは「女性の身体の変化」についてです。興味のある方だけお読みください。

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(備忘録090623)

梅雨の晴れ間の一日。夫が休みなので一緒に美術館へ行こうと思っていたのだが、第一候補も第二候補も火曜日休館。アッチョンブリケだ。結局、夫は釣りに行き、私は書店を巡っていた。『ダナエ』(藤原伊織著)と『アヒルと鴨のコインロッカー』(伊坂幸太郎著)を購入。他にやらなくてはいけないこともあるけれど、ただいま読書に没頭中。

最近、家の周りで2匹の子猫を連れた母猫をよく見かける。目が合ったので「ちょっと待ってて」と話しかけ、残飯のアジの頭と骨を持ってきて縁台の上に置いたら母猫だけ食べにきた。ガラス戸越しに覗いている私を気にしつつガツガツ食べる。そのうちに子猫が鳴き出したので慌てて子猫の元へ帰って身体を舐めてやっている。頑張ってるな、おかあちゃん! 2匹とも元気に育つといいな。数時間後に見たら、アジの骨は綺麗になくなっていた。

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夏至

●兄と一緒に母に会いに行く。つい一週間前には職員さんがちょっと目を離した隙に脱走してしまい(笑)、あわや警察に捜索願いを出そうかという大騒ぎになったが、きょうはそんな兆候は微塵もなく、穏やかにニコニコしていた。

●夕方歩いた道に、くちなしの甘くて濃厚な香りが満ちていた。調べてみると、日本には古くから自生していた植物らしいのだが、不思議なことにこの花の芳香について歌った和歌というのが見当たらない。『国歌大観』をひっくり返して探しても、見つかるのはいずれもクチナシの果実から取った染料についての歌ばかりである。香りよりも色、花よりも果実を珍重された気の毒な花ではある。

山吹の花色衣ぬしやたれ とへどこたへずくちなしにして
   <素性法師・古今和歌集1012>
 (これは「口無し」にかけた言葉遊び)

みみなしの山のくちなしえてしかな 思ひの色のしたぞめにせむ
   <よみ人しらず・古今和歌集1026>
 (「耳無し」に「口無し」。本当に耳成山にはくちなしが生えていたのだろうか)

●きょうは夏至。「夏至」なんていう新しい用語は和歌に使われているはずもなく、代わりになる言葉といえば「短夜(みじかよ)」あたりだろうか。

ほととぎす鳴くや五月の短夜も ひとりし寝れば明かしかねつも
   <『三十六人撰』では柿本人麻呂作となっているが、『万葉集』では作者未詳歌>

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PCが返ってきました

本日やっとPCが返ってきました。修理内容を見ると、メインボードやTVチューナ、キーボードなどが交換してあります。保証期間内だったので無料でしたが、期間外なら10万円以上かかる修理だったようです。不幸中の幸いでした。皆様も、水気には充分お気をつけください。

PC、無いなら無いでどうにかなるものですね、ちょっと寂しかったけど。PCがあるときの5割増し読書がはかどって『私の履歴書 知の越境者』(白川静 中村元 梅棹忠夫 梅原猛/著)、『MW-ムウ-』(司城志朗著)、『1Q84』(村上春樹著)などを読んだり、日がな一日乳癌についての本を書き写したりしていました。なかなか有意義に過ごせたように思います。

『私の履歴書 知の越境者』は以前に伯母がコピーを送ってくれていたのを紛失したので新たに買ったもの。私の実家は中村元さんの生家とは遠い親戚に当たる(何故だか我が家の過去帳に中村家の人の名前があったりする)ので、なんとなく聞いたことのある人名などを探しながら読んだりしました。が、どうして中村家の人がうちの墓に葬られているのかなどはわかりませんでした。

『MW-ムウ-』は映画のノベライズ版で、原作とは多少趣きが異なっていました。ただ、賀来神父はこの小説のほうが魅力的かもしれません。結城には敵わないと知りつつも原作ほどには彼に翻弄されることもなく、キャラが立っていました。結末は……書かないほうが良いですね。

予約して何日も待ってやっと入手した『1Q84』、上下巻を1日で読みました。オ○ム真理教事件に材を取った小説と聞いていましたが、宗教臭さはありませんでした。今はどう感想を書いたらよいのかわからないのですが、もうちょっと私の中でこなれてきたらそのうち書くかもしれません。私にとっては『ノルウェイの森』ほどの衝撃はありませんでしたが、村上流のワンダーランド、実感が追いつかない世界に放り込まれる感覚には、いつもワクワクします。

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私信

こざるさん
ののこさん

そんなわけで、校正休ませてください。
こざるさんのBBSに書こうとしたんですが、エラーが出て書き込めず。ここを読んでくださってると良いけど・・・

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お茶をこぼしました

PCにお茶をこぼしてしまい、修理に出しました。しばらくネット絶ちです。ショボン。

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(備忘録090605)

退院以来はじめて病院へ行き、夫と二人で外科のドクターから病理検査の結果や今後の治療方針について説明など受ける。もうちょっと遅れていたらえらいことになっていたかもしれないなという感じで、今さらながら少々慄く。来週まで考えさせてもらって希望を言わねばならないが、ホルモン剤治療ということで良いのではないかと思う。

何十年と使った炊飯器が壊れたので、買いに行く。余計な機能がいろいろ付いているのが気に食わないが、そういうのしか売れてない。ただ炊けるだけ、ってのは作れないものだろうか。できるだけ装備の少ない5合炊きを購入。

2軒ほど書店を回るが、村上春樹の『1Q84』は2店とも品切れ。しまった、先日見かけたときに買っておけばよかったと思ったが、そのときには持ち合わせがなかった。文庫本2冊購入。

それだけ動いたらくたびれた。入院以来体力を落とさないようにしてきたつもりだが、やっぱり少々落ちているようだ。おまけに、無意識に傷を庇って動くせいなのか、背中だのわき腹だの変なところが凝って痛い。切ったところの痛みが取れたらモリモリ動いて鍛えるぞ!

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(備忘録090604)

親友Mに、明日の『週刊手塚治虫』をダビングしてもらうため、テープを届けに行く。手土産はアイスクリーム。頼んだぞッ!
7月4日の映画公開を前に、6月30日に『MW-ムウ-第0章~悪魔のゲーム~』というのが放映されるようだ。最近こんなふうに映画公開直前にTVで煽るのが流行るね。

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もう一度読みたい昭和のマンガ

きょうの朝日新聞「be on Saturday」に「もう一度読みたい昭和のマンガ」のランキングが載っていたので、ベスト50を転記してみる。

1 あしたのジョー(ちばてつや)
2 サザエさん(長谷川町子)
3 いじわるばあさん(長谷川町子)
4 巨人の星(梶原一騎=川崎のぼる)
5 鉄腕アトム(手塚治虫)
6 宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
7 カムイ伝(白土三平)
8 赤胴鈴之助(福井英一=武内つなよし)
9 ブラック・ジャック(手塚治虫)
10 タッチ(あだち充)

11 ベルサイユのばら(池田理代子)
12 火の鳥(手塚治虫)
13 ゴルゴ13(さいとう・たかを)
14 美味しんぼ(雁屋哲=花咲アキラ)
15 エースをねらえ(山本鈴美香)
16 風の谷のナウシカ(宮崎駿)
17 おそ松くん(赤塚不二夫)
18 ドラえもん(藤子・F・不二雄)
19 ルパン三世(モンキー・パンチ)
20 銀河鉄道999(松本零士)

21 オバケのQ太郎(藤子不二雄)
22 ドカベン(水島新司)
23 うる星やつら(高橋留美子)
24 ガラスの仮面(美内すずえ)
25 あさきゆめみし(大和和紀)
26 はいからさんが通る(大和和紀)
27 伊賀の影丸(横山光輝)
28 サイボーグ009(石ノ森章太郎)
29 キャンディ・キャンディ(いがらしゆみこ)
30 鉄人28号(横山光輝)

31 アタックNo.1(浦野千賀子)
31 めぞん一刻(高橋留美子)
33 リボンの騎士(手塚治虫)
34 俺の空(本宮ひろ志)
35 のらくろ(田河水泡)
35 フジ三太郎(サトウサンペイ)
37 キャプテン(ちばあきお)
37 ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)
37 DRAGON BALL(鳥山明)
40 アドルフに告ぐ(手塚治虫)

41 愛と誠(梶原一騎=ながやす巧)
41 課長島耕作(弘兼憲史)
43 三丁目の夕日(西岸良平)
44 じゃりン子チエ(はるき悦巳)
45 天才バカボン(赤塚不二夫)
46 Dr.スランプ(鳥山明)
46 笑ゥせぇるすまん(藤子不二雄A)
48 こちら葛飾区亀有公園前派出所(秋本治)
48 北斗の拳(武論尊=原哲夫)
50 8マン(桑田次郎)

われらがBJ先生は堂々の9位にランクイン(拍手)! ちばてつやの「あしたのジョー」が1位なのは素直に頷けるところ。昭和ってそんな時代だったなぁと思う。夢と根性と疾走感。平成の世ならばこんなには持てはやされなかったのではないかと思う。しかし全体に少女マンガが少ない感じがするのは気のせいか。山岸凉子の「日出処の天子」は入ると思ったのだが。

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ただいまッ!!

本日退院して参りました。はぁ~、やっぱりおうちが一番ねぇ~~♪ なんか家の中がわやくちゃになっています(夫が奮闘努力した跡が見えます、ごめんね、ありがとう)が、きょうはのんびりして明日からゆっくりお片付けしようと思います。

いただいているコメントへのレスも明日にさせていただきます。遅くなってしまって申し訳ありません。m(_ _)m 

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ホーランエンヤ

12年に一度、松江で催される「ホーランエンヤ」の渡御祭を見に行った。宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭と並び、日本三大船神事の一つといわれる祭で、正しくは「松江城山稲荷神社式年神幸祭」という。城山稲荷の御神霊が約10㎞離れた東出雲町出雲郷(あだかえ)の阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)へ、大橋川を船で渡られるのを、100隻もの船が賑やかに付き従う。最大の見所は、川沿いの5つの地区が繰り出す「櫂伝馬船(かいでんません)」で披露される櫂伝馬踊りだ。詳しくは公式ホームページで。

Photoきょうは生憎の曇天で肌寒く、昼頃には小雨もパラついたが、川沿いは大勢の人出で盛り上がった。私は兄と一緒にとある駐車場の2階から見たけれど、1時間以上前から陣取っていて正解だった。あと5分遅れていたら人垣の後ろから見ることになっただろう。

前回のホーランエンヤは平成9年で、暑いくらいの良い天気だった。まだ元気だった父と川岸に並んで座って見物したことを、昨日のことのように思い出す。その折に父が「次はもう見られんだろうな」と言っていたが、残念ながらそのとおりになってしまった。そう、松江市民にとってこの祭は、あと何回見られるだろうな、という意識と切り離しては考えられないもののように思う。図らずもきょうは兄が「わしはあと1回だろうな」と言っていた。

過去に誰々と見物したという記憶を蘇らせ、同時にわが身の残り時間を思う。今この瞬間に絢爛豪華な祭を楽しみつつも、一方では堪らない懐かしさと切なさを覚える、「ホーランエンヤ」とはそんな祭である。

Photo_4 ←これは前回のときの写真

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仏像や武将がブームだそうだ

「仏像ブーム」「武将ブーム」だそうだ。ブームを担っているのは若い女性。「仏像ブーム」は阿修羅像の東京国立博物館での公開もひとつの契機になったことだろう。「武将ブーム」については、大河ドラマにGacktが出たあたりから雲行きがおかしいとは思っていたが、きょうはこんなニュースを目にした。「伊達政宗の居城だった仙台城跡にある宮城県護国神社(仙台市青葉区)では最近、政宗のアニメ風キャラクターのイラストを描いて奉納された絵馬がずらりと並んでいる」という。

ゲームの影響とはいえ若い女性にモテるのだからあの世の政宗さんも悪い気はしないだろうし、本当の歴史ファンとは一線を画す存在であることも明白だし、どうせ一過性のものだろうし、まさか現実とバーチャルの区別がつかなくなっているわけでもないだろうし、目くじら立てるほどのことではないと思う。が、ここはやはり一言言いたい!(←おばはんの悪い癖だ)

「萌え」ってのは、あんまり見せ付けられると、眉をひそめるしかないものだとわかってほしい。

「萌え」がネット上やアキバに限定されていれば、一般の人はそれを避けることも可能だ。しかし誰でもが見聞きできる形態でそれが晒された場合、免疫のない人はまず当惑し、違和感を覚え、嫌悪感を持つこともあり得る。そこのところは誰に言われなくても慮るのが礼儀だと思う。「萌え」が免罪符になると思ったら大間違いだ。

それともうひとつ、おばはんの気に食わないことがある。……ノリが画一的なのだ。誰かがアニメ絵の絵馬を奉納すれば我も我も、と。これではただの流行ではないか。私には「萌え」というのはいまいちわからないものではあるのだが、もっと自分なりのやり方で「萌え」ることはできないものかと思ってしまう。「萌え」というのはそもそもとても個人的なことで、類型的になったらその醍醐味がなくなるものではないかと想像しているのだが、……違うのかしら。

興福寺の阿修羅像について言えば、この美少年の面影のある像が若い女性にたいした人気なのは何も今に始まったことではない。仏像というのはそもそも人を惹きつけてナンボのものだし、仏像に恋する人間もいる(私だ)。しかしイケメン阿修羅のファンクラブまであると聞けば、そりゃあただの「萌え」だろうと思う。仏像とは、1対1で向き合って心を空にしたり満たしたりするための存在で、皆で一緒にファンになったりするものではない。

あんまり杓子定規なことは言いたくないのだが、一部の人間の軽い行動で、「萌え」というものに苦々しい印象を持つ人がいることは忘れてはならないと思う。世間から軽んじられることなく末長く「萌え」たいのなら、節度は必要だろう。

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飽きるほど絵を見た

島根県立美術館へ「フランス絵画の19世紀展」を見に行った。GWも過ぎた平日だったのに、それでも結構な人出である。音声ガイド付きでゆっくり鑑賞したかったが、今朝は朝一番の診察のために絶食状態だったため、長時間の鑑賞は避けた。それでも優に2時間はかかった。

開館10周年記念企画だけあって、フランス・アカデミスムの大作が80点も集められていて、見応えは充分だった。いかにも「正統派」というような素晴らしく綺麗な絵ばかりで、それがまぁ退屈といえば退屈だったのだが。新古典主義→ロマン主義→アカデミスム→レアリスム→印象派等々、アカデミスムが影響を受け、また影響を与えたその他の派の絵画も同時に展示されており、その画風の違いがよくわかるようになっていた。私はポール・ボードリーの「真珠と波」というヴィーナスの絵が気に入ったが、絵葉書等のグッズになっておらず残念。

Photo天気も良かったので、美術館の展望台に出て宍道湖と松江市街を望む。

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イベント初体験

お目当ての本があって、「花鳥風月」という同人誌即売会に行ってきた。こういうイベントに行くのは生まれて初めてである。連れもいないから、そりゃもうドキドキもんである。お目当ての本の場所は事前に調べたから大丈夫……と自分に言い聞かせて、いざ突撃!

会場となった「くにびきメッセ」に着くと、入り口前の階段に腰掛けて本を読んでいる若者達の姿があった。中学生か高校生くらい。わらわらと出たり入ったりしている人たちも皆それくらいの年恰好。おばさんなんか一人もいない! どんな顔をして入ればよいのか困ってしまって、「そうか、はぐれてしまった子どもを捜している保護者のふりをすればいいんだ」と思いつき、以降ずっとキョロキョロと演技していた私は、我ながらどうなんだろうと思う。でも、年代の違う人たちの中に入っていくことは、それくらい恥ずかしいことだったんだ!

建物の中に入ると、広い廊下の片隅や自動販売機の物陰などそこかしこにしゃがみ込んで本を広げている若者達がいた。へぇ~、と、キョロキョロしながら廊下を進む。しかし「あそこだろう」と当たりをつけていたホールの扉は閉ざされている。ありゃ、間違えた。すごすごキョロキョロと引き返すと、何のことはない、入り口からすぐのホールが会場だった。

廊下から一目覗いてみて、気圧された。いや~、なんか独特の熱気というようなものがホールに充満して天井で渦巻いている。しかし集っている人数の割りには静かな雰囲気である。声高に話す人間などいない。喧騒のガヤガヤではなくて、ヒソヒソざわざわが寄り集まってウワ~ンという地鳴りのような音になっている。見る者、買う者、食べる者、そしてコスプレする者が闊歩している。その人たちが付けている化粧品の匂いだろうか、どことなく甘ったるい香りがする。そしてずらりと並んだテーブルには色とりどりのいろんな物が置かれている。へぇ~、こういう雰囲気なのか。

ホールの入り口から覗いて進行方向を確かめてから、突進。テーブルに沿って歩きながら素早く目標物を視認。あった! しかしこれはテーブルを回り込んで向こうから手に取ったほうが良いと判断し、人の流れに乗ってキョロキョロしながら歩く。コスプレのステージに近いところまで来て、それらの人々と目が合うが、ごめん、アンタが誰なのか私にはサッパリ分からんのだよ。慌ててまた子どもを捜すふりで視線をあらぬ方に飛ばす。テーブルを一周すると、私のお目当ての本のところで3~4人の女性(これは20代くらいだった)が立ち止まっている。もしかして同志? お近づきになりたいものだとチラリと思いはしたが、なにしろ多勢に無勢(?)。彼女達の脇から手を伸ばして1冊ゲットすると一目散に会計に向かってしまった私は小心者だ。orz

お宝を頂戴したからは長居は無用。そそくさと会場を後にして帰宅してみると、驚いたことに家を出てから15分しか経っていなかった。自転車で往復10分ほど、建物の中で迷って1分ロス、会場内には正味4分ばかりしかいなかったことになる。ずいぶん長い時間いたように思ったが。しかしずっと子どもを捜してキョロキョロしてはいたが、雰囲気に呑まれて、その実、何も見ていなかったように思う。唯一覚えているのは、人垣の間から見えたピカチュウの頭部だ。でも、なにしろ初めての経験だったのだから仕方ない。今度機会があったら、もうちょっと上手く会場の雰囲気を楽しめるのではないかと思う。

購入したご本はまだ読んでいない。手術して退院して、自分一人で密かにお祝いするときまで、楽しみに取っておくつもりだ。

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(備忘録090506)

大型連休もきょうで終わり。世間様はあちこちお出掛けだったようだが、我が家は夫が連休とは無縁の生活のため、通常どおりの毎日だった。それでも昨日は二人で庭の棕櫚の木を3本伐ったり庭仕事をしたりした(←普段やらないので力説・笑)。

IE8を入れたらやたらと重くなったのでまたIE7に戻しながら、久々にチャンドラーを読んでいる。読み終わりたくないけれども、あと4分の1ほどしか残っていない。ゆっくり読まねばもったいないのだが、明日には読み終わってしまうかな。

明日は舅殿が入院、一週間後に手術の予定。私はそれが終わってからでないと…。

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不動明王開眼

昨日のこと。10時前に内科の診察が終わったは良いが、次の外科の予約が3時だったものだから、いったん家に帰ることにした。母方のご先祖様が眠るお寺の前を通りかかると、なにやら境内に大勢の人が詰め掛けている。山門の掲示物には「10時より波切り不動尊の開眼法要、護摩祈願云々」とある。時計を見るとジャスト10時。これも何かのご縁だろうと、門前に自転車を止めて入ってみる。

人垣の隙間から垣間見ると、なるほど、先日来整地されていた境内の一角に2メートルほどの不動明王の像ができている。なかなか凛々しくてカッコいいなぁなどと罰当たりなことを思いつつ遠くから合掌していたら、ほどなく御住職はじめ数人の僧侶が列を作ってしずしずと出てこられた。不動尊の前に居並ぶと何やらわからぬ呪文のような読経が始まり、二人の僧が完璧に同じタイミングで鳴らすシンバルのような楽器(あれは「にょうはち」と言うのだっけ)の音が響く。こうなるともうどこか他の世界へ紛れ込んだような感覚になる。なんだか知らぬが有り難く厳かな気分になる。

続いて「般若心経」を3回続けて唱える。参列者たちもこれに倣っているので私も唱和。数十人の声が合わさった読経というのは迫力があって気持ち良い。私はまたまた夢見心地(笑)。その後、不動明王の真言が唱えられたようだが、これは私の知っているもの(ノウマク サンマンダ…)ではなかったので、ひたすら聞きほれる。サンスクリット語。仏を讃える古代の異国の言葉……。そして青空に撒かれる散華……。儀式というのは、日常から離れれば離れるほど荘厳なものになって、人をトランス状態に誘うものらしい。

私はそこまで見て帰ったが、生まれて初めて仏像の開眼の瞬間に立ち会うことができて嬉しかった。午後に再び行ったら人も少なくなっていて、ゆっくり拝むことができた。ちなみに「波切り不動明王」とは、空海が唐から帰るときに嵐に見舞われたのを、波間から現れて宝剣で波を切り開いて救ったと言われている仏様である。

Photo

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行きたかったな…

昨日は「手塚治虫展」で「永遠の火の鳥」と題するシンポジウムが開かれたはず。パネリストは松岡正剛、岡野玲子、夢枕獏、夏目房之介というメンバー。いったい何が語られたのか、特に松岡氏がどんな発言をしたのか知りたくてずっとネット検索していたが、まだ記事が見つからない。う~む、早く知りたい!! NHKで放送してくれないだろうか。ちなみに以前に松岡氏が「火の鳥」を語った「千夜千冊」はコチラ

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うろ覚えだが、たしかアラン・シリトーの短編に、自殺しようとする男と「自殺すると罪に問われる」と忠告する男が出てくる話があった。なにしろ若い頃に読んだ本なので、その後のストーリーがどう展開したのかサッパリ覚えていないが、自分の命さえも自由にすることはできないのかと、そう思ったことだけは鮮明に覚えている。

さて、どうしてこんなに大騒ぎする必要があるのかと思わずにはいられない草彅クンの事件(余談だが、鳩山総務相はなんであんなに怒っているのか。いくらなんでも言い過ぎだと思うけどな。中川前財務相のヘベレケ会見のとき、彼はあんなに怒っていただろうか。酒の上の失態ということなら、あっちのほうが断然罪は重いと思うのだが。あ…、どうやら発言を撤回したようだ。まあコロコロと…)。

草彅クンの罪は「公然わいせつ」だそうな。性的なものを対象に、見たくないものを見ない権利(自由か?)を守るという、すなわち社会的保護法益の観点から罪になるわけなのだが、なんとも曖昧なものではある。公序良俗の意識に鑑み「正常な性的羞恥心」を害するだの「善良な性的同義観念」に反するだの言っても、そこに明確なラインなど引けるわけがない。世の中には女子高校生のちょっと短めのスカートを見ただけでムラムラするという人もいるわけで、でもそんな気を起こさせた女子高校生をすべて公然わいせつ罪に問えるはずもなく、ここは一応「陰部、陰毛、肛門及び女性の乳首」が見えたらアウトということにしようというのが公然わいせつ罪である(と私は理解している)。ということは、草彅クンも、局所だけ隠しておけばあとは裸でもOKだったんじゃないかな。

またそんなものを見せられたからといって、生命や財産が脅かされるわけでもないので(トラウマになる可能性は否定できないが)、刑法で定められているから犯罪なのだという意味合いが強いように思う。そもそも「猥褻」の観念なんて、個人差のほかに国や宗教、文化、風習等によって一番差異が大きい領域だろうけれども、いまの日本社会においては、草彅クンがやったことは「罪」になってしまうということだ。

酔っ払って公園で裸になっても罪。最初に触れた小説の中では、自殺しようとしても罪。かたや、正義を掲げた戦争では相手国に攻めていって無辜の市民を死なせても罪には問われない。いったい「罪」とは何なのか。刑法や社会通念に示される社会的なものと、原罪や罪業に示される宗教的なものを排除してその本質を考えてみると、つまるところ、本人が罪悪感を感じるものが罪なのだとしか言いようがないように思う。己が信じる犯罪理論に基づいて金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフには罪悪感が無い。しかし成り行きで老婆の妹まで殺してしまったことについては、発狂するまでに罪悪感に苛まれる。自分の中にある規範に照らし合わせて罪だと思うものが「罪」なのだろうと思う。

だから、……ちょっと話は飛ぶのだが、最近多い無差別殺人の犯人が「死刑になりたかった」などという理由で罪を犯す場合、彼らにはまったく罪悪感が無い。そんな彼らに罰を与えるとすれば、社会的に見れば、彼らに生きることを許さない、つまり死刑が相応だと思われるのだが、死刑を望んでいる彼らにとってそれは罰でもなんでもないということになってしまう。彼らにとっての罰とは、罪悪感を持たせること以外にないと私は思う。そして、罪悪感に苛まれ、心底から反省後悔をしている者を死刑にする必要はない…という死刑反対の意見に繋がるのだが、……余談でした。

今回の草彅クンの事件は、本人が一番びっくりして尚且つあれだけ反省しているのだから、もうそっとしておいてあげたら良いのにと思う。同じことを普通の酔っ払いがやってもこんなにニュースになるわけもなく、一晩トラ箱にぶち込まれて説教されて終わりだ。罪と呼べるほどのものでもない。アイドルとしての立場上、本人が罪の意識を持っているから「罪」だと、ただそれほどのことだ。

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(備忘録090422)

2泊3日の教育入院から帰ってきました。詳しくは書きませんが、看護師さんや薬剤師さんや管理栄養士さんから、みっちりいろんなことを教わってきました。皆さん、とても優しく丁寧に教えてくださって嬉しかったです。お世話になりました。ありがとうございます。m(_ _)m
教わったことを守って、なんとか手術日(まだ決定していませんが)までには少しでも数値を良くしたいと思います。 

また、同室のご婦人方はかなり長く患っておられる方々だったので、お話を聞いていろいろ思うところもありました。健康というのは、決して当たり前のものではなくて、得がたいものなのですね。

コメントいただいておりますが、明日以降にお返事させていただきます。すみません。

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手塚治虫展

いよいよ始まりましたね。開会式では立ち見が出たそうですが。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2009/0418/200904.html

どなたかレポートを書いてくださらないかな? (●_●)←期待のまなざし

バトンを頂戴しておりますので、後ほど回答いたします。

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ひっかかっちまった……

ちょいと血液検査でひっかかりまして、そっちの治療をしてからでないと手術はできないということになりました。orz え~んえ~ん 
その治療に2~3週間かかりそうなので、手術は5月に入ってからになりそうです。だんだん予定がずれ込んでくる……う~~む。

ここ数年忙しさにかまけて検診なんか受けなかった報いがここへ来て一気に、という感じです。あっちこっちの診療科を回ってドクターに「いつ頃から?」と訊かれても、「う~ん、なにしろ検診を受けてないのでわかりません」と答えるしかない自分がいます(笑)。ここ30年ばかし、眼科と歯科にしか掛かっていないし。健康を過信しすぎました。今でも、検査したり注射針を刺したりしたところ以外はどこも痛くも痒くもないのですけどね。まぁこの際オーバーホールするのも良いかもしれないと気長に構えることにしました。50年近くも毎日同じ身体を使っているのだから、衰えたり傷んだりするのも当然と言えば当然のことなのかもしれません。

以上、経過報告でした。

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ひねもすのたり

一昨日はテポドンの被害がないと確認してから玉造へお花見、昨日は島根半島へ海を見に行ってきた。

Photo  Photo_2

桜は「陰」の木。だから酔っ払って陽気に騒ぐ。
柳は「陽」の木。だから幽霊を配する。
どちらも「陰陽」のバランスを取るためなのだと聞いた。どちらかに偏ってはいけないのだね。

Photo_3Photo_4島根原発。沖合いに白い船が泊まっていた。漁船ではなさそう。海上警備しているのかな。
春の海は眠気を誘うのどかさでした。

続きを読む "ひねもすのたり"

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美意識の違い

え~と、先日あんなこと書いておいてナンですが、さっそく湧いて出ました(笑)。

昨日の新聞で、大阪大学、京都大学が今年度の入学式を学外の大型施設で行うという記事を読んだ。なんでも、参列する父兄の数が多くて、学内の施設では何か非常事態になったときの避難に問題があるからというのが理由らしい。

さて、子どもの大学の入学式に親が参列するということだが、私の頃(30年ほど前)には一般的ではなかった。私も親に「絶対に来ないでくれ」と言い渡した。だから来なかったとばかり思っていたのだが、数年後に、母と祖母から大学の敷地内までは行ったのだと打ち明けられた。理由は、県外の大学へ行った兄のときにも行かれなかったし、大学というところも見てみたかった。入学式の日なら誰が入っても怪しまれないと思ったから…とのこと。orz  地元の、歩いて行ける距離の大学を選んだのが失敗だった。ただし、私に見つからないように構内をぶらぶらしただけで帰ったらしいから、「入学式に親が来るなんて恥ずかしい」という私の気持ちだけは汲んでくれていたことに感謝したい。ちなみに、夫に尋ねてみたら、やはり「来ないでくれ」と言って来させなかったとか。

だから当時の入学式というのは、親としては「行ってもいいな」と思うものだけれども、子どもの立場としては、親には来てほしくない、頑として阻止したいものだったのだと思う。そうしてみると、今も昔も親の意識はそんなに変わっていないのかもしれない。阪大、京大などという一流大学ならなおさら、子どもの晴れ姿を見たいと思うのかもしれない。新聞には親の意見しか載っていなかったので、子どもの方がどう思っているのかを知りたいところだが……。

私たちの頃と何が違ってきているのかを考えてみる。「過保護」という観点で語られることが多いと思うけれども、それとはちょっと違うと思う。親と子の距離の問題、と言えば、やはり親離れ子離れの問題ということになるのかな。親の意識はそんなに変わっていないとすれば、子どもの方が親離れしていないということになるが、しかしそれだけでもないと思う。

根本にあるのは、美意識が違ってきているということではなかろうか。今は昔より押しなべてお祭り騒ぎが好きになったということなんじゃないかと思う。30年前だって、阪大、京大は難関だった。今より子どもの数は多かったのだから、更に難関だったと言ってよいと思う。比べることはできないが、親も子も今より嬉しかったかもしれない。それでも親は来なかったのだ。子どもの入進学なんて通過儀礼のひとつであって、家族内輪でひっそりと、でも心を込めて祝うものだったように思う。子どもの成長と一人立ちを親はあくまでも陰から喜んでいた。幼稚園のお遊戯会のごとく嬉々としてわが子の姿をビデオに収めるものでは決してなかった。また、嬉しいんだ、楽しいんだという感情は、あまり大っぴらに人様に見せるべきものではなかったような気がする。

これは喜怒哀楽すべてに言えることで、今は何かというとすぐに大騒ぎになってしまうことが、以前は密かに静かに処理されていたと思う。今の、開けっぴろげで大袈裟ですらある表現方法を悪いとは言わない。良い悪いの問題ではないだろうし、これが昨今の風潮だろうと思う。人々が己の欲求や欲望に正直になってきただけだ。ただ、こういうことがニュースになるということはそれだけ違和感を覚える人間がいるからなのであって、私もその一人には間違いない。日本人の美意識というのは、基本的に「秘めること」と「やせ我慢」にあると私は思う。それが「華」であり「粋」に通じると考える。それがこの30年間に急激に失われてきたということなのではなかろうか。

うろ覚えだが、たしか養老孟司さんが何かの本に書いていた。いまの親は自分達がされていないことを子どもにしようとしている、と。逆もまた言えるのではないかと思う。いまの親は自分達がされてきたことを子どもにしようとしていない。みんなが持っているおもちゃを買ってもらえなくて泣いた自分のような思いをさせたくなくて、すぐに買い与える。叱られて悲しい思いをした自分のような目に遭わせたくないから叱らない、等々。昔の親が子どもより辛い思いをして我慢してきたこと、我慢させてきたことを、いまの親は放棄してしまっているのではないかと思う。

大学生ともなればもう大人。その第一歩である入学式に、もう親は出ていってはいけないという意識が当時は確かにあった。いまの親にはその我慢ができないし、我慢する必要がどこにあるんだ?ということになっている。やはり美意識の違いだと思う。だから今後、子どもの入社式に親が付いてくるようになっても、私は驚かない(笑)。

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不定期更新は続く

この3月に、実はいろいろ検査を受けておりましたが、4月には治療、おそらく手術、入院ということになりそうな状況になりました。
4月は、3月に輪をかけて不定期更新になりそうですが、書けるとき、書きたいことがあるときには湧いて出ますので、ときどき覗いてやってくださると喜びます。数週間の間が空いていたら、ああ、入院してるな、と思ってください。
現在は、どこも痛くも痒くもなく、こんなメタボな病人がいていいのかと思うくらい元気ですので、ご心配は無用です。
元気になったら、通販で買いたいご本もあるし、やりたいこともいっぱいあるので、早いとこスッパリやっちまいたい気分満々です。

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桜とテポドン

先ごろ、昨年より12日も早い桜の開花宣言は出たものの、今朝は雪が降り、明朝もまた雪の予想となっている。この寒さのぶり返しで、例年通りに帳尻が合うんじゃないかな。

北朝鮮がテポドン2号の発射準備を着々と進めているということで、日本も迎撃態勢を整えつつあるらしい。あるニュース番組で「日本国内に落ちる場合、そこの地域の住民には知らされるのでしょうか」という質問に対して「アラームで『当地域に落ちる可能性があります』(←うろ覚え)という放送を流します」と回答されていた。

テポドンは発射されてから10分ほどで日本に達する。アラームが鳴るのはアメリカが軌道を計算して着弾地点が確定されてから後のことである、もちろん。

いったいどうしろと? それならばいっそ、何も知らないままのほうが良いような気がするのは私だけだろうか。

しかしそれにしても失礼な話だ。隣国の上空に平気でミサイルを飛ばすとは。またそれを事前に阻止できないとは、いったいどういうことなのだろう。A首相は「各国と足並みをそろえて、どーたらこーたら」言っていたが、頭上を飛び越えられるのはわが国、わが国民なのであるぞ? 日本が率先して厳重抗議すべきことなのではないのか? いや、飛び越えられるのならまだいい。よく発射に失敗しているではないか、あの国は。そんな技術力で、もしもとんでもない方向に飛んで落ちたら、どうなるのだろう。迎撃に失敗して、原子力発電所にでも落ちれば、それは核弾頭を搭載したミサイルが落ちたのと同じ結果になるのだぞ? 

あと1週間あまり、日本政府にはでき得る限りの外交努力をしてもらいたい。中国を動かすしか手はないと思うのだけれど……。政治献金云々より切迫した問題だと思うよ。

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可愛いそうと思った時点で生意気で。

以前にも触れたことがあるのだけれど、仏教に「二の矢を受けず」という言葉がある。私なりの解釈では、つまり次のような意味だ。人は誰でも楽しいことや嬉しいこと、苦しいことや悲しいことで心を動かされる。これを「一の矢」を受けた状態とする。ここまではごく普通で当たり前のことだ。しかし仏教を学んだ人間とそうでない人間では、次の段階が違う。仏教を知らない人は、その楽しさに執着したり、苦しさにますます混乱したりしてしまう。これが「二の矢」を受けた状態。仏教を知っていれば、一の矢で受けた感情を徒に増幅させたりはしないものだ。……

先日来、溜め込んだ録画を、きょうは早送りで消化した。中に「ギネスブック」の記録保持者を紹介する番組があり、おそらく世界一背の高い男性と世界一背の低い男性が出演しているのを観た(おそらく、というのは早送りで観たために音声が聞こえなかったから)。身体能力を競うのならまだしも、本人の意思ではどうしようもない身体的な特徴をおもしろおかしく演出するやり方には、いつもどこか居心地の悪さが付きまとう。

どうして自分がそんなふうに感じるのかを考えると、先ほどの「二の矢」を受けているからだとわかる。「あ~ら、小さい人ね」で終わればよいのだ。それを「病気かしら。治らないのかしら。かわいそうね。自分はああでなくてよかったわ」などと思った時点で、「二の矢」以下の矢をグッサグサ受けているのだ。

少し前の上地雄輔のブログで、彼はこんなことを書いていた。「オイラが出た番組(『100人の村』)で海外で苦しんでいる人々や子供達の番組。難しかったです。簡単に言うと、どー思えばいいか分からなかった。どー伝えていいか分からなかった。可愛いそうと思った時点で生意気で。自分はまだ恵まれてる。とか思った時点で上から見てて。そー考えるとワケが分からなくなるからあの時スタジオで素直に感じたままにVTRを見る事にしたら微笑んだり涙が溢れたりしました(以下略) 」。こんな言葉がスッと出てくるから、この人はおバカかもしれないけれども魂はとても綺麗な人だと思うのだ。

ブッダの言葉に難癖をつけるようだが、聖人ならぬ凡人はどうしたって「二の矢」を受けてしまうものだと思う。問題は、良きにつけ悪しきにつけそのことに執着している自分に気付くかどうかなのだろう。上地クンはそれに気付いて放棄することに成功している。そして彼が取った方法は、ありのままを受け入れることだった。

思い込みやひとりよがりの憐れみや偽善を捨てること。更には、すべて捨て去ったと思う思い上がりを捨てること。禅で言うところの「放下着(ほうげぢゃく)」だ。そんな境地に至ることができたら、きっとこの世は違って見えるのだろうなと思う。

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崖っぷち気分

Birthdayお兄ちゃん、怖いよ……。
大昔の写真です。

昔は、ケーキを食べられるのは、誕生日かクリスマスくらいしかありませんでした。たぶん3歳の誕生日だと思います。

この写真から40ウン年、今年は崖っぷちな気分です。来年になれば、もうドンと来い、になるんでしょうが……。

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わかる人だけわかってネ

「拡散」と「収縮」について考える。メモ書き。

ネットにおいて。ブログというものが「拡散」なら、mixiなどのSNSは「収縮」。最近はその中間の『CROOZリアル』というものもあるようで、mixiは知らないが『リアル』なら知っているという女子高生も多いそうだ。「登録時に、IDと生年月日、血液型などを記入。あとから、自分がどんな人間なのか、さまざまなタイプから選ぶことになる。ロリータ系やギャル系、アキバ系、体育会系など、多くのタイプから選ぶことができる」……もうそんな話を聞いただけで拒否反応を起こす私は「収縮」系。

文章において。ひとりツッコミの多い文章は「収縮」。自分で書いておいて恥ずかしかったり照れたりしたときに、人に指摘される前に自分で突っ込む心理はわからないではないし、文章をノリの良いくだけたものにする意図で使うこともあるが、基本的にはこれはバリアだ。自分でわかっているからもうこれ以上突っ込むな、という防御だ。「書きたいことは書くけれど、文句は言わないように。私は私に同調してくれる人だけを求めているのだからネ」という無言の意思表示だ。読者を選別しようとする意識、だから「収縮」。

言葉遣いにおいて。先日の「なので」の記事を書いていて感じていたのだが、新語や同世代間にのみ通じるような言葉を使うのは「収縮」だ。最初から話し相手や機会は限定されている。その最たるものが仲間内でのみ通じる符丁や隠語。「1番」と言えば、私の職場では「トイレ行ってきます」の意味だった。逆に、言葉遣いで「拡散」といえるのは、新語を作ったりその普及に努めたりすることではない。誰にでもわかる従来から有る言葉を駆使することによって、たとえばその場その瞬間にしか存在しない思いや雰囲気や概念を表現することだ。何度も繰り返して使えるものではない、その場で消えていく儚い運命だが、相手に伝われば相手の脳内で無限大に拡散されるような言葉。そういうものが「拡散」する言葉遣いだと思う。いまでも忘れられないのだが、松岡正剛が「言葉」を評して「不埒なおぼつかなさ(を持っている)」と表現した。この言葉自体が私にとっては「拡散」する言葉でもあるのだが、そのおぼつかなさを鋭く突くことこそが「拡散」する言葉遣いなのだろうと思う。また優れた文学者というのは、そういう言葉を遣うのだとも思う。

『BJ』二次創作において。基本的に、キリジャは「拡散」、ジャピノは「収縮」。キリジャは、屋上屋を重ねるような想像の世界。原作に描かれていない世界を、さらにもうひとつ上の女性には絶対に経験不可能な領域で描く。なんでもありの思考実験。対してジャピノは、一般論や普遍性に近づこうとする世界。男女の愛という誰にでも理解可能な世界を構築する。

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(備忘録090226)

母を眼科へ連れて行った。手術をした右目の眼圧は20。正常範囲内ということでまずは安心したが、来月には左目を手術することになった。近い将来こちらも緑内障になるだろうということで、予防的にレーザーで水の排出孔を作るのだそうだ。外来で5分ほどで済むとのこと。

舅殿は、来週月曜に検査して経過が良ければ水曜木曜あたりに退院の運びとなった。こちらもまずはめでたい。

しかしまぁ、なにやかやとあって、なかなか余裕が持てない毎日だ。自分の予定がいろいろ狂う。困ったな。

●本日のお買い物
『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(海堂尊著)
『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 増補版』(森川嘉一郎著)

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なので悔しいです。

家に来た宗教関係の人と話をしていて、文の頭に「なので」という言葉を使ってしまった。小冊子を渡されそうになったので、「忙しくてとても読む時間がありません。なので要りません」と言ってしまったのだ。しばらく自己嫌悪……というほどでもないが、悔しい思いに捉われる。絶対に自分では使わないつもりだったのに。

相手が盛んに「なので」を連発していたから、ついつられたのかもしれない。若い人を中心に巷には氾濫しているし、NHKのアナウンサーも平気で使っている。人が使う分には「やめろ」と言うつもりもないし権利もないが、なにしろ数年前に初めて耳にしたときの違和感が酷かったものだから、自分は使わないぞと決めていたのだ。

手元に新しい辞書がないので調べられないが、この言葉は既に接続詞として認められているのだろうか。普通に考えれば、断定の助動詞「だ」の連体形または形容動詞の連体形活用語尾+接続詞「ので」であって、連語と捉えられる。単独で文頭には来るはずのない言葉だ。

しかしまぁそれを言えば、「だから」という接続詞も本来ならば文頭に使うのはおかしいということになる……のかな。それでも私が「だから」に違和感を覚えないのは、昔から使っているからということと、辞書に【接続詞】となっているからという理由だけなのか。う~む。

言葉は生き物だから、様々に変化したり新語ができたりするのは当然のこと。あとは、自分がそれを使うか使わないかの問題だと割り切るしかないのだろう。しかしたぶん言葉遣いというのはその人の人となりをもっともよく表しているのだろうと思う。センスとか信条とか品性とかその他諸々を。たとえば私は、子どもの担任の先生や年長者に対していきなりタメ口をきく人間を好もしいとは思えない。それは単に言葉遣いの問題ではなく、どんな相手に対しても尊敬の念を抱くことのできない人間と捉えるからだ。同様に、いい歳をして「なので」を連発して時流に乗ったつもりでいる人間を見れば、そのセンスをみっともないと思う。

……ああ、そうか。私がきょう、あの人に対して「なので」と言ってしまったのは、あの人につられたからではなくて、こんな大人が「なので」を使うのは恥ずかしいでしょ?ということを、私がその言葉を使うことによって思わせたかったからかもしれない。私の無意識レベルの抵抗だったのかも。でも……。わかってもらえるはずないよな。恥ずかしいとは思っていないから、使っているんだもんな。う~む、どうしたって勝てない、な。(きーーッ)

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2月22日

竹島の日。入籍記念日。猫の日。

竹島については、今年もシュプレヒコールが聞こえ、講演会が開かれ、韓国の人が抗議行動をしたらしい。数日前には、竹島が日本の領土と閣議決定された1905年より前にヨーロッパ(ドイツだったかな?)で作られた地図で、竹島が既に日本の領土となっているというニュースもあった。どこまで遡ればよいのかキリがないようにも思う。「竹島は韓国領」とする日本人学者もいて、“知韓派”と呼ばれて韓国でもてはやされてもいるらしい。考え方ひとつでどっちにでも転ぶ問題だろう。一番大きな問題は、記念式典を開いても一人の政府関係者も出席しないという現政府のやる気のなさだ。

きょうは覚えていた入籍記念日! 忘れないように「2」尽くしの日にしたのに、夫はやっぱり覚えていなかった。「そんなもん毎年覚えていて楽しみにしている男なんて、嫌だろう」と言う。まあそうだね。ワイン開けて乾杯!

「にゃんにゃんにゃん」で猫の日。Yahoo! のクイズに「猫下ろしって何?」というクイズがあった。答は「猫が物を食べ残すこと」だそうだ。知らなかった。普通それは「猫分け」って言うような気がするけれども。正解率は12%。一番多い誤答は「味のよくない魚」で44%。それは「猫またぎ」と言いますね。
←左欄下部に猫のカレンダーを置いているが、2月22日の写真には思わず笑ってしまう。猫、大好き♪

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母はあのせん妄状態がウソだったように落ち着いている。まずは一安心。

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(備忘録090221)

銭ゲバ第6話「逮捕…金が招いた不幸ズラ」を半分寝ながら観た。今回もかなり衝撃的な内容ではあったのだが、風太郎が精神的にちと弱すぎる感じがする。緑さんが心身虚脱を装っていたというのは、原作と照らし合わせて、ああそういうことにしたのかと合点がいったが、悪巧みが緑さんにバレて動顛するような風太郎ではこの先どうなるのかと心配になる。最後の最後まで憎々しい奴でいてほしかったけどなぁ……。あんまり痛々しすぎるゾ、この風太郎は。本日の爆笑ポイントは、マカロンタワー(笑)。

見終わってから、夫と「金がすべてじゃないだろうけど、愛がすべてでもないよね」という話をする。奴も半分寝ているような状態だったので、なんだか脈絡のない話が続いて、最後は「いまこれを盗まなくちゃ自分が死ぬという状態だったら盗みも許される、って吉/本隆/明も言ってたよ」という話で終わった。ドラマと全然関係ないし、はたしてそう言ったのが吉/本隆/明かどうかも定かでない。わけがわからん。……うん、もう寝たほうが良い。

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お昼過ぎ、母が退院してグループホームに戻った。8時頃まで様子を見ていたが、幻覚等の症状は見られない。手術、入院の一連の記憶がないので、透明プラスチック眼帯をしているのが不思議でならない様子。取らないでよ!

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お願いだから眼帯取らないで!

母の入院で付き添いをした。途中4時間の仮眠で2夜連続完徹はキツイ。今朝家へ帰るときにはふらふらして足元が覚束なかった。

実家の父のときも経験したがいわゆる「せん妄」状態で、こちらが何を言っても通じない。私には見えない何かが見えるらしいし、手術後に付けた眼帯を取ろうとするし、やっと寝てくれたかと思うと数分後にはガバリと起き上がりベッドから降りようとする。延々その繰り返しで、目が離せない。腹が立つやら可哀想やらで、こちらはへとへとに消耗した。他に患者さんのいない部屋ではあったが、あまり夜中に大声で話すのも隣の部屋にも迷惑だと思い、昨夜は母を車椅子に乗せて病院中を散歩していた。消灯して薄暗い廊下の曲がり角で巡回中の警備員さんと鉢合わせして「うわッ!」と驚かれたりもした。「眼帯をして髪振り乱したおばあさんが車椅子でキコキコと……」、新しい怪談が生まれたかもしれない。

目を手術したことも既に忘却の彼方だし、ここが病院で自分が入院患者であることもわかっていない母の、何やら意味不明の言葉をフンフンと聞き流しながら渡り廊下から見た街の夜景は、たぶん忘れないだろうな。

おかげさまで緊急の手術も無事成功で、明日にはもう退院の運びとなった。ありがたいことだ。元の環境に戻れば幻覚も消えてくれると思うのだが。

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携帯より

本日多忙につき記事はお休みします。コメントのお返事も後日に。すみません。

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(備忘録090217)

昨日からこっち、いろいろ大きなニュースが目白押しだったようで。

・中川財務相辞任……当たり前だろう。初めてあの映像を見たときは「やっちまったな~!」と思ったもん。お付きの連中も止められなかったものだろうか。

・クリントン国務長官来日……就任して初の訪問国が日本とのこと。24日にはオバマ大統領と麻生首相会談も決定とか。これも大統領就任以来最初の外国首脳との会談になるそうだ。麻生さんもこれを良い思い出として退j(以下自主規制)。

・北朝鮮キム・ジョンイル総書記の後継は三男のキム・ジョンウン氏……エリック・クラプトン好きの長男キム・ジョンナムさんは落選らしい。しかしロイヤルファミリーでもないのに最高指導者が世襲の国ってどうなんだろう……。

・村上春樹氏「エルサレム賞」受賞……おめでとう! 受賞スピーチで堂々とイスラエル批判をやってのけた胆力にも拍手。このスピーチ、テレビや新聞では一部しか紹介されなかった(「壁と卵」の部分とか)が、日本のブロガーがもっと詳しい内容を入手して翻訳したらしい。読んでみたいものだけれども、何というブログなのだか判らない。

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母が緑内障(+白内障)の手術をすることになった。まだこれから精密検査だが入院することになるだろう。どうして自分がここにいるのかわからなくなるだろうから一人で病室に置いておくわけにいかず、しかし昼夜ずっと付いているわけにもいかず……。う~む。

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(備忘録090215)

先日からまた舅殿が入院しているので、夫とお見舞いに行く。今回は、いちいち通院するのも面倒だから入院しますか、という経緯だったから若干気楽である。まだ足の浮腫みは取れないが、元気にヒマそうにしていた。病院の玄関の前の紅梅が見事だったので一緒にお花見。そこへちょうどTさん(私の義弟にあたる、お医者さん)も見舞いに来られたので談話室でしばらくダベる。

そこの娘さん(私の姪だ)がいま臨床研修中である。(いま何科にいるって言われたかな、忘れた。)まだ将来どの診療科に行くのか決まっていないというような話をしていたら、舅殿が「女の子なのだから、切るほうはちょっと……」と言う。要するに外科手術をする診療科はやめたほうがいいんじゃないか、ということだ。「いまは女性もたくさんいますよ」とTさんは言っていたが、私は思わず『BJ』のBQとロクローを思い出したりした。やっぱり一般的にはロクローや舅殿のような意識は根強いのだろうな。おじいちゃんとしては、孫娘の将来、特に結婚が心配なのだろう。Tさんは耳鼻咽喉科のお医者さんだが、手術はやっぱりあるしな。手術しない科って、内科くらいのものだろうか?

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バレンタイン・デー

『銭ゲバ』(第5話 友情も愛も必要ないズラ)の感想を書こうと思っていたのだが、傍で夫が電話を掛け続けていたので、集中して観ることができなかった。よって簡単に。

今回は風太郎が工場でともに働いていた男を使って三國社長を殺し、社長に就任したところまでが描かれていた。友情の証として死んでいった男や、自分を娘婿として迎えてくれた三國社長を殺した自責の念(?)から、混乱してビルの屋上から1万円札を何百枚と撒き散らすシーンが圧巻。人々が我先に拾い集める様子を狂ったように笑いながら眺め、「自分のしたことは間違っていない」と自分自身に言い聞かせる風太郎。原作の風太郎よりもナイーブだ。原作でも万札を撒くシーンはあったが、後で回収してまわっていたもんな。「隠したやつも出せ」とかなんとか言いながら。

父の死と風太郎への疑いでどうやら緑さんが精神的に参ってしまったようだ。茜さんは風太郎の思惑なんか全部わかっていた、と結構図太いところを見せた。さて来週はどんな展開になるか?

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バレンタイン・デー。世はおしなべてラブラブムード……なのかな? 羨ましいことではある。結ばれて永く愛を育んでいくのも良いが、夏の日の花火のような恋もまた良いものだと思う。

いま、あまり意識せずに「愛」と「恋」を使い分けたが、日本人にとっては「愛」ってのはなんとなく照れ臭い感覚ではないかと思う。「愛」の前立てをあしらった直江兼続の兜を見るたびに、私は気恥ずかしくなる(いえ、決して兼続を貶めるつもりはありませんが)。これが愛染明王から取られたものだとすれば、ずいぶんとまた色っぽい仏を選んだものだと思う。どちらかといえばたぶん勝軍地蔵を本地仏とする愛宕信仰から取ったものだと思うけれども。……話がズレた。

仏教においては、「愛」というのはあまり良い意味では使われない。「愛欲」「渇愛」という言い方に表されるように、煩悩を意味する言葉として使われることが多い。キリスト教的な「愛」を表すのは、仏教では「慈悲」ということになろう。

恋愛は、つまるところ「欲」だ。愛し愛されたいという「欲」。まさに煩悩の最たるものだろう。でも「欲」と言ったのではあまりにもミもフタもないから、「愛」という耳に心地よい言葉に置き換えて言っているだけなんじゃないかと思う。だから、ね。やれバレンタイン・デーだホワイト・デーだと、この日は愛を告白する日、みたいに喧伝されると、なんだか私は気恥ずかしくなってしまうのだ。実際のところ、チョコの売り上げに貢献しているのは「義理チョコ」だと思うけれども、中には「本命チョコ」もあるわけで、でもなにもこの日に愛を告白する必要もないだろうと思ってしまう。

バレンタイン・デーとクリスマス・イブ、この2日は日本全土に愛欲が渦巻いているようで、なんとなく嫌だ(笑)。つくづく画一的なことが好きな国民性だよ、と思う。なんて言いながら、私も好きな人にチョコレート贈りましたけどね(爆)。

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政治ごっこ

なんだか最近だんだんと麻生さんがカワイソウになってきた。首相どころか政治家になったこと自体、道を誤ったんじゃないかと思う。「ライフル射撃が趣味のマンガ評論家」になっていた方が、おそらく彼にとっては幸せだったのではなかろうか。

「郵政民営化には反対だった」と口を滑らしたことで小泉さんからは愛想を尽かされたが、今度は「予算関連法案は3分の2条項にはなじまない」とした過去の発言をつつかれることになりそうな按配だ。立場も情勢も違う時代の発言なのだから今さら問題にしても始まらないと思うのだが、マスコミや野党がこれだけいろんな些細なことで突っ込むのも「早く辞めろ」という圧力に他ならない。

早く辞めたほうが良いという意見には賛成だが、小沢民主の世の中になれば万事が解決するかといえば、変わらないんじゃないかと思う。そもそも私には自民党と民主党のどこがどう違うのかよくわからない。いつだかの『太田総理』では、「自民党は官僚政治、民主党はそうではない」と誰かが言っていたが、たったそれだけの違いらしい。根深い官僚政治がそう簡単に一掃できるとも思えないし、成果が上がるのは数年後だろう(あるいはまったく成果は上がらないかもしれない)。

もっと切実な問題はこの不況だが、それに有効と思われる政策が民主党からも聞こえてこない。結局、いま誰が首相になっても、手も足も出ないんじゃないのかと思う。民主党は政権奪取を謳いながら、いまの時点で本当にそうなったら困るのではないかな。もう少し麻生政権を延命させておけば、いざ政権を取って成果が上がらなくても、「既に手のつけられない状態になっていたのだから仕方がない」と言えるという算段なのではないのかな。いま解散総選挙をやりたくない自民党の思惑と上手く噛み合って、絶妙なパワーバランスが成り立っているような気がする。

時間稼ぎのようにネチネチと苛められる麻生さんはいいツラの皮だが、一番カワイソウなのが国民であることは間違いない。政治家よ、頼むから、政策を議論してくれ。

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(備忘録090210)

●本日のお買い物
『時代劇は死なず! 京都太秦の「職人」たち』(春日太一著)
『ラッシュライフ』(伊坂幸太郎著)

先日録画しておいた『太田総理』を夫と観る。今回のマニフェストは「他人の子へのゲンコツを許可します」というもの。スタジオでは否決されたが視聴者の投票では賛成のほうが多かった。よっぽど腹に据えかねている大人が多いとみえる。私も「口で言ってもわからないならば」という条件付きで「賛成」だが、夫は「実際には難しいだろうな」ということで「意見保留」。

賛成意見の中では、自民党のO議員が「愛があるなら」と、また毒にも薬にもならない一般論を言っていたが、そのとき初めて出会った悪ガキに愛なんて持てるわけがないから、いかにも説得力がない。……

ちょっと時間がなくなったので、きょうはここまで。メモとして書き留めておく。またいつかチャンスがあれば考えてみたい。

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地球防衛バット

ゲームサイトのShockwaveが1月いっぱいで閉鎖された(今まで本当にありがとう)。そこにあった数々のゲームのうち、人気のあったものについては別サイトで公開されていて、先日「地球防衛バット」を再発見した。以前けっこうハマっていたのだが、考えてみればこれが妙なゲームでね。

宇宙人の乗り物から地球に向かって爆弾が発射されるのをバットで打ち返すという……(笑)。地球の直径と同じくらいの長さのバットが宇宙空間に固定されているのがまず不思議なのだが、地球を守る手段がバットしかないというのが、妙に地球防衛本能をそそるのである。きっとみんな持ってるよね、地球防衛本能。そのバットで打ち返した爆弾が敵機に当たればよし、当たらなければいつまでもポイントが取れずに、延々とバットを振り回すことになる。

こんなふうに書くと、いかにもオマヌケなゲームなのだが、バックに拡がる宇宙のグラフィックが素晴らしく綺麗なのである。その中でただバットを振り回すだけという、このアンバランスさが妙に私のゲーマー魂を捉えて離さない。

爆弾を発射する敵機は数秒前から音を発して光る。3機くらいがあちこちで順番に光るとなかなか防衛が難しいので、ものすごく緊張する。きっと私の体内にはアドレナリンがバンバン分泌されているに違いない。そういう緊迫した場面を何度か経験しているうちに、クリックしてバットを振った瞬間に自分の足の指がピクリと動くことに気がついた(笑)。身体に力が入りすぎてそうなるのかもしれないが、あ、また動いた、と可笑しくなる。

興味のある方はどうぞこちらで遊んでみてください。そして、自分も足の指が動いたという方がいらっしゃいましたら、是非ご一報を(笑)。

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(備忘録090205)

『フラジャイル』読書中。難しいけどおもしろい。止まらなくなった。
記事はお休みします。

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立春の卵

立春なので、卵を立ててみた。5分ほどで立ったので写真を撮ろうとしたら、倒れた。あっちょんぶりけ……。

「立春の卵」が報道されたのは1947年2月6日の新聞紙上においてであったらしい。だがそれを更に遡ると、中国の古い書物に「立春の日には卵が立つ」と書かれてあったのが元ネタらしい。その古い書物、一説には『秘密の万華鏡』という本らしいが、なにやらトンデモ本の匂いがして興味をそそられる。是非読んでみたいと思うものである。

立春といえば、二十四節気(太陽の黄道上の位置で1年を24等分したもの)のひとつ。そんな、人間が作った便宜上の意味しかない日なのに、その日だけ卵が立つと信じられていた時代がなんとなく愛おしい(笑)。立春以外の日に試した人が絶無だったとは思えない。しかしたぶん、そのときは立たなかったのだ。実際にやってみると分かるが、かなりの集中力を要する。5分ほどで立つけれども、それが倒れるともう二度とやる気が起こらないくらいの集中力だ(笑)。立春の日に試すときには「今日は立つ日だ」と思うからやっていられるが、その他の日には「今日は立つはずがない」と思っているから続けていられなかったのではないかと思う。

何はともあれ、きょうは立春。雨水、啓蟄、春分と続いて、春になる。

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(備忘録090201)

読書中のため、記事はお休みします。m(_ _)m

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大伯父のことを調べる

今さらながら、ネットってスゴイわと思うことしきり。

海軍将校だった大伯父のことを知りたいと思って、でも出てくるわけないだろうなと思いつつダメ元で検索したら、出たのだ。驚いた。「南方で戦死」としか知らなかったのだが、自決だったとは……。アメリカ軍がレイテ島に上陸したとき、レガスピーにいた彼が隊員に訓示した言葉というのも読むことができた。もう結果は予測できていたはずだ。そう思うと悲しい。書き留めてくださった方に心から感謝する。

フィリピンのビコール地方。レガスピー、ダラガ周辺。いつか行ってみなくては、と思った。

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フォーリーブス

「フォーリーブス」の青山孝史さんが亡くなられたそうだ。57歳。若すぎる、と思うとともに、ご冥福をお祈りしたい。

「フォーリーブス」の全盛期、私はそれほどファンというほどでもなくて、私よりいくつか上のお姉さん方が夢中になっていたように思う。今のようにジャニーズのグループが幾つも並び立っている時代ではなく、アイドル男性グループといえば「フォーリーブス」しかない時代だったから、それはそれは凄い人気だったのを覚えている。青山さんはメンバーの中でも一番整った顔立ちで洗練された雰囲気を持っておられた。たぶんメンバーの中では人気も一番だったと思う。テレビで初めてこのグループを見たときは、『マグマ大使』のマモル少年(江木俊夫さん)が歌っている姿に驚いたりした。個人的には北公次さんが好きだったけれども。

歌は……あんまり覚えていない。『みんなのうた』で歌われた『オブラディ・オブラダ』と、「にっちもさっちもどーにも…」の『ブルドッグ』くらいか。あのゴムバンドのパフォーマンスは何だったのだろうな? 2002年に再結成されていたというが……今後の活躍が見られなくなって残念だ。

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やっぱり風邪気味。ちょっと熱があるような気がするが、きょうは暖かかったのであちこち出歩いていた。悪化させないようにせねば。

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(備忘録090127)

なんとなく節々が痛いように思うのは、風邪の前兆か。暖かくして早く寝よう。

本日のお買い物
『オーデュボンの祈り』(伊坂幸太郎著)
『フラジャイル』(松岡正剛著)
『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)

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(備忘録090123)

『かけがえのないもの』(養老孟司著)読書中のため、記事はお休みします。m(_ _)m

寒くなってきました。明日はまた雪かな。

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携帯電話 文部科学省の方針

文部科学省は、子供の携帯電話について、小中学校への持ち込みや校内での使用を原則として禁止すべきだとする方針を固めたらしい。基本的には賛成である。学校生活に携帯電話は不要だ。どうしてもどこかへ電話したいなら、先生にそう言って職員室から掛けさせてもらえばよい。私が子供の頃は実際そうしていた。しかしいざお上がそんなことを決めたとなると、ムラムラと反撥心が起こるのが私の性格で…(笑)。

お上が口を出すような問題ではないと思うんだけれどなぁ。国がいったん決めたことはそう簡単にはひっくり返らない。国が規制しなければ学校での携帯電話の使用が止まなかった、それが日本国民の程度だ、日本の教育現場の実情だと示されているようで、なんともナサケナイことだと思う。学校単位でどうにかならなかったのかと、まず疑問に思う。授業中に使っているような児童生徒からは問答無用で取り上げればよい。そんなふうに決められなかったものだろうか。親が文句を言ってくるのだろうか。そんな親さえ説得できないなら学校のほうが力不足だ。

また、文部科学省が言っているのは「小中学校への持ち込みや校内での使用」についてだけであって、これでネットいじめやその他子供への被害がなくなるなんてことは、いかに文部科学省でも考えてはいないだろう。しかし今回こういう方針を打ち出したということで、穿った見方をすれば、これで携帯電話によって引き起こされる問題は文部科学省とは関係ありませんよ、と言いたいんじゃないのかとも思われる。子供たちは登下校のときには、以前と変わらず携帯を操作しながら歩くのだろうが、もうそれは文部科学省とも学校とも関係ありませんよ、と。いや、今度の指針に「登下校」も含まれるのかどうか、詳しいことは知らないけれども。

責任はこれですべて「親」に帰することになったのだと思う。携帯電話をどう扱うかは、学校で行う教育ではなくて、家庭で行う躾の範疇に入ることになったのだと思う。それはそれで良いと思うのだけれども、文部科学省が口を出さざるを得なくなるまでに問題が悪化した状態で丸投げされれば、親も大変だろうなとは思う。中には、本当に、呆れるほど問題意識を持たない親もいるから、仕方ないことなのかもしれないけれども。そんな親に育てられる子供が可哀想だね。とにかく、本来国が禁止するようなことではないと思うのだ、この程度のこと。どうせ口を出すなら有害サイトを取り締まる方にしてもらいたいものだ。もう遅いけど……。

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(備忘録090121)

オバマ大統領一色の日。ほぼ世界中が喜んでいるというのも珍しい現象なのではないかと思う。ヨルダンではオバマ就任よりブッシュ退陣の方が歓迎されていたようだが(笑)、なるほどそういう理由もあるだろう。いずれにせよ、頑張ってほしいと思う。この人の演説を聞いているとやる気が出てくる。それだけでも人々に良い影響を与えられる人だと思う。A首相ならびに日本の政治家の話を聞いていても、そんな気になることは皆無だものね。

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世知辛い・・・

たとえば、道端に倒れている人を見て、「あなたが今ここに倒れるに至ったのは、あなたの自己責任の結果ですか」と尋ねて、「いや、そんなことはない。これまで身体に良いと思われることは全部やってきた。今ここに倒れていることについて自分には何の落ち度もない」と答えた人だけを助けようとするのが、大多数の人なのだろうか? もしも「酒やタバコを何十年やっているし、健康診断も受けたことがない。持病も治そうと思ったことはない」と答えたら、じゃあそれはあなたの責任だからそのままそこに倒れていなさいと言うのかな。

「『派遣村』にいたのは誰だったのか?」という記事を読んで、漠然とそう思った。

数年前に私は実際、道に倒れていた60代くらいのご婦人を介抱したことがある。偶然通りかかられたご近所の奥さんの車に乗せて、そのご婦人を家まで送り届けた。どうやらそのご婦人は酒に酔っ払っておられた様子だったので病院へ行く必要はあるまいと判断したからだが、一人暮らしのようだったので、その地区の民生委員さんに電話で事情を話しておいた。仕事には大幅に遅刻したが、それで一件落着。しかし後で思い出して腹が立ってならなかったのは、そのご婦人を横目で見てそのまま通り過ぎていった若い男性がいたことだった。私よりも彼女に近いところにいたのに。私が慌てて駆け寄って介抱しようとしているのも見ていたのに。

「派遣村」にいたのは誰だったのか? という記事に対して、ほらやっぱりね、と答える人たちは、この若い男性と大差ないように思う。自分は何も行動しないで、外野から自分が何もしなかった言い訳を言っているだけのように思う。日比谷公園に集まっていたのは派遣切りされた人たちだけではなくて、以前からの路上生活者もいたという。だから何だ? そんな人たちまで助けるのは嫌だから本当に困っている人がいても彼らに対して目を瞑るのか? 貯金はしていなかったのか、正社員になるよう努力したのかと責めて、それが今さら何になる? 彼らが職を失う前に親身になって助言してやれよ。実行委員会の政治的PR? もしそうであったとしても、それはいけないことなのか? 

かく言う私だって、彼らのために何をしたわけではない。金も出さず行動もしていない。しかし、いや、だからこそ、その上にボランティアの人たちを貶めるようなことだけは言いたくない。ボランティアは無償の行為だ。見返りを期待してするものではない。あそこに来たのが本当に困窮した人たちなのか、ただ一食浮かそうとしてやってきた人たちなのか、そんなことを問題にしていたらきっとボランティアなんてできない。助ける必要のある人だけを助けるのだ、条件を満たさない奴まで助ける必要はない、騙されてたまるか、というのはまだ損得勘定をしているのであって、およそ無償の行為とは程遠い。

今度のことに「ほらやっぱりね」と言える人たちは、きっと自分がどんなに困窮しても人の助けなんか要らないと思う人たちなんだろう。私はそんなに強くもないし立派でもないし覚悟もできていないし小悧巧でもない。私なら、自分が道端に倒れて動けなくなったら無条件で助けて欲しいと願うだろう。良いことばかりやってきたわけじゃない、悪いことだっていっぱいしているから、彼らからすれば助ける必要も価値もない人間だろうと思う、私という人間は。それでも助けて欲しいと願うに違いない。

想像してみてほしい。困っている人が居て、それを誰もが見て見ぬふりをしたり自分が助ける必要はないと思い込もうとする人間が集まっている社会と、すぐに誰かが暖かい手を差し伸べることを期待できる社会と、どっちが幸福か。

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皆様にお願い

伯母から年賀状が届いていない。兄に尋ねたらやはり届いていないと言う。もしや身体でも壊しているのではないかと電話を入れたら、元気そうで「あら、年賀状出したわよ」と言う。もう90代の高齢でもあり、たぶん出したつもりで忘れているのだろうとは思うが、郵便事故の可能性もないとは言い切れない。

そこで、皆様にお願い。
もしも今年私宛てに年賀状を出したのに返事が来ていないという方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m

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(備忘録090118)

新聞で目にした話題2つ。

・米俳優のパトリック・マッグーハン氏死去
う~ん…………。顔はまったく思い出せないのに、なんかこの名前聞き覚えがあるゾと思いながら過ごすこと半日。思い出した! 青池保子の『イブの息子たち』の番外編「プリズナー69」の管理人さんの名前だ! 氏の経歴を調べてみたら「60年代、スパイが主人公の英国の人気テレビドラマ「プリズナーNo6」で主演や監督、脚本などを務めた」とある。ああ、そうだったのか。このサブタイトルにはそんな遊び心が隠されていたのか。30年ぶりに気付いた真実であった。

・大阪大学付属病院で国内初となる心肺同時移植手術
患者は「アイゼンメンジャー症候群」の30代の男性。アイゼンメンジャー症候群? もしかしてこれって……。慌てて『BJ』の「空からきた子ども」を読み返す。やっぱりこれだよね、「アイゼンメンゲル複合」。当時さすがのBJ先生でも手が出せず、窮余の一策、アンドレイを母親の身体にくっつけてしまったあの病気だ。
手術は18日午前0時前に終了し、患者の容体は安定しているという。BJ先生は肺の移植だけを視野に入れていたようだが、昨日行われたのは心肺同時移植。すごいなぁ。医療は確実に進歩している。

昨日のお買い物
『草原からの使者 沙高楼綺譚』(浅田次郎著)
『詩の力』(吉本隆明著)
『禅とは何か』(鈴木大拙著)

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エコロジーとエコノミー

この不景気な世相を反映して、テレビでは各種の節約術が紹介されているようだ。先日チラリと観たところでは、空腹状態で買い物に行かないように、などと指摘されていた。そんなことは以前からやっているが、それでどれだけ節約できたのか実感できないのが悲しいところだ。しかし節約すれば消費は冷え込み、景気回復は更に遠のくはず。難しいものだ。というか、今まで日本経済がよくどうにかこうにかやってこられたものだと、却って感心したりする。エコロジーが叫ばれるほどに大量に消費・廃棄していたのだから。

ところで、昨年後半話題になった本に、武田邦彦の『偽善エコロジー』がある。私は敬遠して未読だが、エコロジーを標榜する世相というのは結局、金と政治の問題、すなわち利権絡みの現実に踊らされているだけだということが書かれているようだ。レジ袋の代わりにエコバッグにすることは却って石油の消費を増やすことになるとか、冷房温度を上げても温暖化は止まらないとか、せっかく分別したゴミはそのほとんどが焼却されているとか、書かれているらしい。

そういう事実もあるだろうよ、と思う。きっと世の中には「偽善エコロジー」と言うよりは「偽装エコロジー」と言ったほうが良いようなことも存在するのだろうと思う。しかし、本物のエコロジーの思想自体が間違っているとは思わない。「ecology」とはそもそも環境と生物との相互関係を調べる学問のことであって、直訳すれば「生態学」ということになる。日本で初めて「ecology」という言葉を使ったのは南方熊楠であったとされる。1909年、時の政府が出した「神社合祀」の号令一下多くの神社が廃され、同時に神社の森が伐採された。粘菌の研究家であった彼は生態系が破壊されたことに激怒して反対運動を起こすのだ。日本人が誰も生態系だの生態学だのを理解していなかった時代のことである。

エコロジーの本質は「生態学」。だから、人間がどうやって自然を壊さずにこの地球上で生かしてもらえるかを考えることであるはずだ。ところが、「経済学(エコノミー)」もまた同じ「エコ=オイコス(家計)」を語源としているらしい。経済学とは「有限な資源からいかに価値を生産し分配していくかを研究する学問(Wikipediaより)」であり、私のような素人にはエコロジーとエコノミーの両立は無理であるように思われる。つまり、100%のものを100%の状態で存続させるのがエコロジーであるとするならば、100%のものを人間にとって100%以上に価値のあるものにするのがエコノミーなのではないのか。元の100%になんらかの手を加えなくては余剰分は出ないわけだから、そこでは当然、変容や簒奪、搾取が行われるはずだ。

いままで経済重視で豊かになった国では、この、元の100%をどのくらい使い、あるいは破壊してきたのだろうか。石油や石炭や天然ガス等の地下資源はあとどれくらい残っているのだろう。森林や湿地はどれくらい狭くなったのか。そしてそれらを人間だけが人間のためだけに利用して良いという根拠はどこにある? エコロジーという視点は決して失くしてはいけないものだったと思う。大量に消費しすぎる豊かな生活に慣れてしまったから、余計にこの不況が身に沁みるのではないかとも思う。

それでもエコロジーとエコノミーの両立を願ってこれから経済活動の活発化を考えるなら、元の100%を復元させる方向に動いてほしいと思う。地下資源を人間の力で作り出すことは不可能だろうが、森林を復活させるために木を植えることはできる。休耕田で稲作をすれば田んぼは自然のダムの役割を果たしてくれる。気温だって下げてくれる。そういう活動で経済が上向きになることを考えられないだろうか。

この100%をいつの時代に設定すればよいのか、そんなことは私にはわからないが、とりあえず南方熊楠がエコロジーを唱えた100年前を目標にしてもよいと思う。さぞや不便で質素な生活だろうと思う(笑)。現実的な目標でないことはわかっているが、当時はそれが当たり前の生活だったのだ。人間も自然の一部としてつましく生活していたのだ。その頃の人間ははたして今の人間より劣っていただろうか。たぶんそんなことはない。却って現代の我々のハシタナサを見たら、当時の人々は眉をひそめるのではないかと思う。

たぶん、感覚的な問題なのだ。金銭に豊かさを求めるかどうかの。「自分は生かされている」という感覚を持っているかどうかの。生きていることに感謝の気持ちを持っているかどうかの。

今までどおりの感覚や価値観のまま、レジ袋だエコバッグだと騒いでも、ただそれだけの現象で終わってしまう。根本的に見方考え方を変える時期に来ているように思う。拝金主義に麻痺してしまった我々の感覚にとって、この不況はカンフル剤になるかもしれない。お金がないことが即ち不幸であるのか、人間の幸福とは何かを考える上でも良いチャンスと捉えられたら、と思う。

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(備忘録090113)

今年に入ってから、まともに太陽を見た日はないような気がする。あ、1日だけ、陽射しの明るい日があったかな? それだけで、あとは曇天雨天または雪。ここ3~4日ほどは毎日雪掻きだ。嫌いではないのだが、腰が痛くなる。何故か今シーズンはタイミングを逸して炬燵を出していなかったのだが、さすがに雪が降ると寒さが違うので、やっと数日前に出した。で、今までうたた寝をしてしまっていた。炬燵を出すとこれでいかんなぁ。

きょうは自民党の渡辺喜美氏が離党届を出したらしいが、この人の話を聞いていても首相批判ばかりで新しいビジョンが見えない。沈むと判っている泥舟からいち早く颯爽と抜け出したというところなのだろうが、応援しようと思うほどにはカリスマ性がない。

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(備忘録090110)

読書中につき、記事はお休みいたします。m(_ _)m

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明日はわが身か

定額給付金を各閣僚が受け取るかどうかなんて、どうでも良いんじゃないのか? 大事なのは、2兆円もの財源を定額給付金以外に有効に使おうとする意志がいまの政府にあるかどうかであって、それはどうやら「ない」らしいということだ。挙句に、年度内に給付できるかどうか、それすらも判らないらしいということだ。国会での論点がズレていることも腹立たしいが、それ以上に、こんないい加減な政策があってよいものかと思う。

年末にテレビのワイドショーで麻生総理のことを「2KY、MW」だと言ったコメンテーターがいた。「空気読めない 漢字読めない まったくわかってない」の意味だそうだ。さらに「溺れている人を船で釣りをしながら『頑張れよ』と眺めているようなもの」と評した人もいた。座布団3枚進呈!

最初は、この年末に路頭に迷う人を出してはいけないと、昨年末までに給付するというような話だったと記憶している。たかだか1万2千円でどうなるものではないかもしれないけれど、実際に住むところも失くして日比谷公園の「年越し派遣村」にやってきた人たちは数百人にも及ぶ。全国でははたしてどれくらいの失業者が途方に暮れていることだろう。この「派遣村」にしても、決して政府主導ではない。NPO法人や労働団体などでつくる実行委員会が開設し、実際に現場で働いたのは1700人ものボランティアだ。政府は「宿泊場所を提供しろ」と働きかけられるまで何もしていない。

そんな暗い話題ばかりの中で、この正月三が日の初詣での人数が9939万人と、統計の残る1974年以降で最多だったというニュースがあった。いや、これさえも不景気ゆえの神頼みが増えたということらしいのだが。お賽銭を1人当たり100円としても100億円ほどのお金が集まったはず。宗教法人は、この集まったお賽銭を少しは世の中に還元してもよいのではないかと思う。お寺の本堂を「派遣村」住民の宿泊場所として提供するとか。時代劇なんかを観ていると、よく火事で焼け出された人などをお寺に収容しているではないか。八百屋お七なんか、そうだ。世の中の困っている人たちを救済することが宗教の本分。既に精神的な拠り所としての宗教の存在感は希薄だが、ならば実質的な拠り所になっても決して罰は当たらないと思うが、どうか。

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あれから20年

「Yahoo! ニュース」に「天皇一代の間で元号を改められる?」というクイズがあった。2009年1月現在、答は「×」。1868年9月8日、天皇一代に元号を一つとする「一世一元」の制が定められたからである。

ところで、当時の内閣官房長官だった小渕恵三氏が「平成」と書かれた額を持って記者会見したのが1989年1月7日。そして20年前のきょう、平成の御世が始まった。このとき「平成」のほかに「修文」「正化」の候補があったが、「元号に関する懇談会」がローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になってしまうことに配慮して「平成」と決定したとか。ちなみに「平成」を考案したのは陽明学者の安岡正篤であるとされている。

元号の話になると思い出すのが、猪瀬直樹の『天皇の影法師』である。「昭和」が決定されるときには、東京日日新聞が「光文」という世紀の大誤報を流した。そのあたりの事情や、森鴎外、吉田増蔵らの元号に対する思い等、これは私が今まで読んできたすべての本の中で10本の指に入るほど面白い本である(いま、どうしても見つからないのだが……orz)。

森鴎外が元号制定にタッチしていたとは、この本を読むまで知らなかった。わが島根県が生んだ大文豪だが、小説家としての名声は夏目漱石に及ばないのかな。素晴らしく怜悧な文章を書く人だと思うけれども。医者とか研究者としての素質のほうが勝っていたのかもしれない。『天皇の影法師』、もう一度読みたい。明日見つからなければ、もう一冊買ってこよう。

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七草粥

芹なづな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草 (詠み人知らず)

今朝は「七草粥」をいただいた。これまではスーパーで七草がパックになっているのを買っていたが、今年は乾燥させたものを売っていたので使ってみた。完成したお粥に混ぜるだけというお手軽なものだけれど、こっちのほうが香りが高い。うん。来年からはこっちだ。

冒頭の作者不明の歌は「七草」を覚えるのに便利な歌で、一説には左大臣四辻善成の作とも言う。南北朝~室町の頃の人で、『源氏物語』の注釈書『河海抄』を著した人物として有名である。『源氏』研究では欠かすことのできない大学者だ。案外、春の七草はコレだ!と決めたのはこの人なのかもしれない。

ところで「七草粥」の由来は……
「正月7日の朝に粥(かゆ)に入れて食べる7種の野草、もしくはそれを食べて祝う行事。この日、羹(あつもの)にした7種の菜を食べて邪気を避けようとする風は古く中国にあり、おそらくその影響を受けて、わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる」(Yahoo! 百科事典より)
ということらしい。とすると、百人一首にある光孝天皇