カテゴリー「映画・テレビ」の記事

今夏、観ているドラマ

今夏、観ているドラマ。『ごめん、愛してる』『過保護のカホコ』『ハロー張りネズミ』の3本。

『ごめん、愛してる』は韓流ドラマの焼き直しらしいが、韓流ドラマなんぞ一度も観たことがないから、これでもかというくらいのあざとさとご都合主義は却って新鮮(笑)。ただ長瀬の色気が見たくて観ている。

いちばん注目しているのが『過保護のカホコ』。カホコとその両親(正高と泉)、両親の実家の人々、カホコが好きになった青年、それぞれの人物の性格が極端にカリカチュアライズされて描かれている。自分の知っている誰かに似ているんだよね~、と話しながら観ていたら、夫が「あんたはカホコに似ている」と言った。はぁあ~~?! そんなふうに見られていたのかと愕然としたので、お返しに「あんたは正高の妹に似ている」と言ったら、黙った。^m^

『ハロー張りネズミ』は、ながら見なのでさしたる感想はない。ただ、最近のドラマは結構アクションというか暴力シーンが派手になってきたように思う。瑛太さんの役としては、『まほろ駅前多田便利軒』のほうが好き。

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『一の悲劇』

TVドラマ『一の悲劇』を観た。言われてみればこれまでテレビドラマで観たことのない探偵だったから、法月ファンとしてはこれは絶対に見逃せない(笑)。

法月綸太郎には長谷川博己、法月警視には奥田瑛二という配役。なかなかのイケメン父子♪ 発表当時に原作を読んだのだが(いま奥付を確認したら平成3年だった)、細かいところは忘れていた。しかし始まってすぐに犯人を思い出し(原作を読んでいるのも良し悪しだな……)、以降はそういう目でしか観られなかったけれども、まあまあの出来だったのではなかろうか。富田靖子の演技は怖かった。あれ? でも、タイトルの「一」の意味は解明されなかったね?

ハウダニットとフーダニットとホワイダニットが頃合いに散りばめられていて面白いが、こんな話が実際にあったら地獄だろうなとは思う(笑)。謎解きのための謎という印象が、この作家の場合は拭えないのだけれども、本家クイーンにもそういうところはあるのだから「本格」といわれる推理小説にはそれは仕方がないのかもしれない。

クイーンと言えば、法月家で飼われている猫に「クイーン」という名がつけられていたのは本家に対するオマージュだろうね。よく喋るお手伝いさん(渡辺えり)というのはドラマのオリジナルで、クイーン家でいえばジューナの役割だろうか。面白い役だけれど、あんまりこの人のキャラが立つと、法月父子の醸し出す二人だけの空気というのが台無しになりそうな気がする。もしシリーズ化されるのであれば、ちょっと考えていただきたいところだ。『誰彼』『頼子のために』は是非やって欲しい。でもそうしたら『一の悲劇』はその後だよなぁ……。うむ。

長谷川博己の綸太郎は原作のイメージを損ねていなかった(あの変なジェスチャーは要らなかったけど)。長身でツイードのジャケットも似合っていたし、欲を言えば本家クイーンに倣ってメガネ姿を見たかったかな(笑)。

久々に法月綸太郎を読みたくなった。とはいえ『ノックス・マシン』あたりになるともはや私の脳の許容量をはるかに超えるので、綸太郎シリーズで。法月父子がビールを飲みながら事件についてグダグダ語り合うような場面が読みたい(笑)。

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『フラジャイル』が終わってしまった○| ̄|_

昨晩でフジテレビのドラマ『フラジャイル』が終了。もう10回もやったのかと思うくらい、早く終わってしまった気がする。それくらい面白かったということだろう。もう観られないかと思うと残念だ。フラジャイルロスになりそうだ(泣)。以下、簡単に感想を。

まず配役から。敬称略。ドラマが始まる前に書いた記事では、宮崎役の武井咲がちょっとイメージと違うと書いたが、案に相違して彼女はとても良かった。あまり好きな女優さんではなかったのだが(ごめん)、ちょこまかアタフタしているこの役で好感度がアップした。

逆に、原作から受けるイメージと違っていたのが長瀬智也演ずるところの主役・岸先生。原作の岸京一郎という男はもっと無機質でドライだ。対して長瀬の岸先生にはどこか陰があってどうかすると悲しげな眼差しをしたりする。「患者のことを考えすぎだ」と宮崎を叱る割には、自分がいちばん患者のことを考えていそうな人間味あふれるところがあった。だが、ドラマとしてはこっちのほうが面白い。この線でシーズン2を作ってくれないかな♪ あのカッコいい長瀬をもう一度観たい!

細木先生役の小雪と、中熊教授役の北大路欣也の安定感は抜群。この二人が出てくると難しい局面もなんとかなりそうに思えた。

森井役の野村周平。悩める検査技師、製薬会社のMRに「ちょろい」と言われる青年(笑)の役を好演していた。最終回は、岸と森井は両想い?と思わず腐女子思考になってしまいそうな筋書きで楽しめた(原作では森井くんは病理を辞めたりしていない)。

アミノ製薬MR火箱役の松井玲奈。小悪魔の面から脆い面まで出す役で難しかっただろうと思うが、上手く演じていたと思う。結局、火箱ちゃんて憎めないキャラなんだよね。私も決して嫌いではない。

また、原作にはない役の佐田部長(津田寛治)も良かった。ああいうコミカルな人がいるから余計にシリアスな場面が際立つのだろう。

次にストーリー展開。原作とはエピソードの順番が違うが、諸々の要素を効果的に取り入れてあった。森井くんが他の病院に移ることも付け加えられた話だが、うまくつながっていたと思う。彼が病理に帰ってくることになって、最終回がより劇的になった。

印象に残った患者は第5話の保育士さん(安田章大)。命の大切さに気付かぬままどこか虚ろに最期のときを迎えようとしていたが、森井の懸命さに打たれ、岸の「いま、生きてる」の一言に、自分が生きている尊さの実感を初めて得る。それからは、やりたかったこと(『疾走』という曲を書く)をやり遂げ、一つの命を救って、散っていく。原作の中でも忘れることのできないエピソードを、ドラマはほぼ完ぺきに再現してくれていた。安田くんの芝居もよかったし、ボロ泣きした(´;ω;`)。

それから最終2話に出た松田さん(小出恵介)。原作では緩和ケアの稲垣先生の友人・竹田だが、ドラマでは宮崎の幼馴染という役どころ。膵臓がんでもはや手の施しようがなく、新薬の治験にすがるしかない絶望的な状況。しかし最後まで生きることを諦めず、またその優しい人柄は火箱の心をも動かし、アミノ製薬の良からぬ企てを阻止する力ともなった。これも涙なくしては観られないエピソードだった。

医師では放射線科の高柴先生(志賀廣太郎)と、緩和ケアの稲垣先生(平山祐介)が私のお気に入り♪ 岸先生、毒舌の変人だけど、シンパはけっこういるのである。

あと、ドラマではいろんなところにお遊びの要素があって、それを見つけるのも面白かった。宮崎先生の机の周りに小さなひよこがいて、それが回を追うごとにどんどん増えていくとか、岸と中熊がラーメンを食べている屋台の貼り紙(「この麺を食っていけ その箸で食っていけ」だったかな?)とか、焼酎のラベルが「宙船」だとか。岸が見ている標本の患者名が「大河内渉」だとか。原作単行本にはオマケの4コマというお楽しみがあるが、ドラマにもそれなりのお楽しみがあったのは嬉しかった。最終回ラストには第1話に出てきたサットン先生がまたまたバカ呼ばわりされていたのも可笑しかった。これで最終回からまた第1話に繋がるという構成になるわけだ。\(^o^)/

あとは……。そうそう、視聴率! 裏番組の日本テレビ『ヒガンバナ』と「水10」対決ということで接戦を繰り広げてきたが、最終的には『フラジャイル』が勝ったそうだ(フラジャイル平均9.76%、ヒガンバナ平均9.62%)。それにしても、ネットで検索するとフジテレビに否定的な記事が多いのにビックリする。局によってそんなにドラマの作り方に差があるのかしらねぇ。┐(´ー`)┌

また、ネットで検索して知ったのだが、岸役に最初は嵐の松本潤の名前が挙がっていたのだそうだ。本当かウソか知らないが、松潤には似合わなかったと思う。若すぎるし。クロコーチなんかをやってきた長瀬だからこその、この視聴率だと思う。

『フラジャイル』、原作はまだまだ続いている。病院という組織の不条理、薬を巡る問題等、医療をえぐる作品だ。またドラマでは「僕の言葉は絶対だ!」を連呼して(原作では一回しか言ってないんじゃないかな?)100%の仕事をすることを自身に課すシビアな姿勢も強調されていた。病院が信じられなくなりそう……という副作用はあるが(笑)、なかなか見どころの多い作品である。興味のある方は是非ご一読を!

(ところで、私は、細木先生が口にした「戸倉さん」というのが気になって仕方がありません。岸先生とワケありの女性っぽいニュアンスだったのですが……。元カノかな? 元奥さんとか? 岸先生の女性関係なんて想像できませんが、あのBJにも彼女がいたくらいだからな~笑)

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『フラジャイル』感想

あらら、『フラジャイル』初回の感想も書けないうちに既に2回目も終わってしまった(汗)。とりあえずここまでの感想を書いておく。

岸先生の「僕の言葉は絶対だ!」のセリフがいやに連呼される番宣に辟易するものの、ドラマ自体は妙な脚色もなく良い出来に仕上がっていると思う。

初回、岸が「癌だ。どこの癌なのかもっと検査をしろ!」と言うのに「肺炎だ」と言って譲らない担当医の憎たらしさと言ったらもう……(笑)。あんな医者って本当にいるのだろうか。逆にものすごく勇気がある医者にも思えるのだが(笑)。しかし知らずに当たってしまった患者にとっては災難だなぁ……。腹部に大きな癌があるであろうことを突き止めた岸が内科のカンファに殴りこむシーンでは、担当医を完膚なきまでに言い負かしてスカッとする。だが、担当医の落胆のしかたと悔しがり様を観て、他の医師たちの前でここまでしなくてもと、なんだか公開処刑を観ているような気にもなった。原作では岸は担当医に電話で結果を伝えているだけである。先般の記事にも書いたが、最近のドラマはこの手のシチュエーションが多すぎる。

で、毎回このパターンだと嫌だなと思いながら視聴した第2話。救命救急センターに搬送された時計屋の主人。そこでは急性アルコール中毒と診断されたが、実はメチルアルコールとアトロピン点眼薬による複合中毒であることを、岸と宮崎が聞き取りと実地調査で突き止める。救命救急のカンファに赴いた岸は、火中の栗を拾うという感じで、孤立無援で集中砲火を浴びながら「30秒間患者の言うことに耳目を傾けろ」と意見する。いくら救命救急部門が忙しいと言っても、「患者や家族の話を10秒しか聞かず最初の診断が6割しか当たらない分際で医者を名乗るな」「6割の医者に自分の家族を任せられるのか」と手厳しい。「病理は10割(正解を)出す」と豪語するシーンはまさに岸の独壇場であった。岸の言葉はどれくらい救命救急医の胸に響いたか。後のシーンでは、相変わらず人の話を聞かず慌しく急性虫垂炎(だったかな)だと断定する医師の横で、「旦那さんですか。詳しい話を聞かせてください」という医師(時計屋さんの担当医だった)が現れる。良かったなぁとホッとする結末だった。

2回までで岸の日常と仕事ぶりが描かれたところで、次回からはいよいよアミノ製薬の火箱が登場するようで楽しみである。検査技師の森井くんに色仕掛けで迫ってみたり(薬屋さんてそこまでするの?!)、目指すところは正しいと思わないでもないけれども途中がとんでもなく間違っているという印象のアブナイ女性だ(笑)。臨床実験の新薬にすがるしか道のない患者さんの実態がどんなふうに描かれるのかという点にも注目して観てみたい。

オマケの感想
岸が暴走するのを「庇いきれなくなるぞ」と心配する中熊教授と「頼んでないです」と嘯く岸。『BJ』で「人体を侮っているといつかしっぺ返しをくらうぞ」とBJを諭す山田野先生(『針』)を思い出してキュン♥

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ドラマ『フラジャイル』が楽しみ♪

「フラジャイル」と聞けばYesのアルバム『Fragile(こわれもの)』を思い出す世代だが、明日から始まるドラマ『フラジャイル』は同名のマンガが原作の医療ドラマだ。

私は単行本4巻まで読んだが、病理医が主人公ということで、神の手を持つ外科医やら人情味あふれる内科医やらが主人公のドラマとは一線を画している。「偏屈だがきわめて優秀」と評される病理医・岸京一郎と、神経内科から病理に転科してきた女医・宮崎、優秀な検査技師・森井らが、データと冷徹な眼を駆使して病気に立ち向かう様が、悲喜こもごもに描写されており、かなり読み応えがある。シリアスだがテンポがよく、時折混じるコミカルなコマも面白い。良い作品なのだ。

それがドラマ化されるということで、大いに楽しみにしているのである♪ 昨今フジテレビのドラマは不発が多いらしいし、同時間帯の裏には強力なドラマもあるらしいが、変な脚色を加えずに原作に即してやれば不発ということはなかろうと思う。キャストは以下のとおり。

岸京一郎(長瀬智也)
宮崎智尋(武井咲)
森井久志(野村周平)
細木まどか(小雪)
中熊薫(北大路欣也)

個人的には、宮崎役にちと違和感を覚える(武井咲は今後出てくるであろうアミノ製薬の火箱の役のほうが似合いそう)が、他のキャストは納得。長瀬にはいつかBJ役をやってほしいと長年願っているのだけれども、このドラマ内ではきっと病理解剖でのオペ着姿が見られると思うので、それにも期待している。面白いドラマになりますように。(-人-)

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新年のご挨拶、『坊っちゃん』感想

遅ればせながら……

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
m(__)m

ということで、新年一発目は軽い話題から。1月3日に放映された『坊っちゃん』の感想を書きます。

原作と異なる点が所々見られたが、わけのわからぬ絵を真っ直ぐにする傾けるなど、ドラマとしてはなかなか面白かった。二宮和也の坊っちゃんもハマり役だったし、何より宮本信子の清が良かった。これまで何作かの『坊っちゃん』ドラマを観てきたが、これほど上品で優しい清を観たのは初めて。『坊っちゃん』の本当の主人公は清だという持論からすれば今回の清は最高だった。

だから、清に対して対角線上の存在である女性・マドンナ(これも持論だが)についての扱いには、少々不満が残る。それなりにいいとこのお嬢様というのは原作どおりだが、それがカフェの女給をしているという設定は解せぬ。簡単に男を乗り換えるのがマドンナの真骨頂(言い過ぎか^^;)なのに、うらなりを追っていくという結末もちょっとどうかと思う。赤シャツをこれでもかという目に遭わせるための改変だとは思うけれども。

うらなりとマドンナの恋の成就に加えて、坊っちゃんが四国を去った後に赤シャツが生徒にからかわれるだとか、野だいこが赤シャツの腰巾着をやめるそぶりを見せるだとか、今回のドラマはただただ赤シャツを懲らしめて溜飲を下げるために描かれていたような印象が強い。単純明快で楽しいが、原作と比較してそれでいいのかと思わないでもない。

なんだか最近この手のドラマが多いような気がするのだ。話題になった『下町ロケット』しかり。観ていなかったが『半沢直樹』もおそらくそうだろう。我慢に我慢を重ねてやがて一発逆転で相手を懲らしめるパターンである。もちろんその痛快感といったらないし、ドラマの王道でもあろう。しかしやり方がハンパない。赤シャツもここまでやられたら再起不能な気がする。

ネットでも見られる集中砲火、炎上という事態を、私は決して好ましいこととは思わない。ちょっとの失言や「責められるべき人」への擁護をした人を、ここぞとばかりにコテンパンに叩きのめそうとする姿勢はいかにもあさましいと思う。他人を責められるだけの立派な人物かアンタは!と思う。こんな風潮だからいじめだってなくならないのだとも思うのだ。

悪いことをした人にはそれなりの罰が下されなければならない。それは当然だと思うが、そこには何らかの赦しとその人が浮上できる余地が残されていなくてはならないと思う。自分が真っ直ぐに生きたいのならそうすればよいが、真っ直ぐでないと思われる他人を完全否定する権利など誰にもない。

原作の『坊っちゃん』では、坊っちゃんは個人的に赤シャツに鉄拳制裁を加えてさっさと東京に戻っていく。赤シャツと野だいこは今後も小さな悪を続けていくだろうが、そんなのオレの知ったこっちゃないという姿勢である。それくらいの溜飲の下げ方が私には頃合いに思えるのである。

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祝!松江城トレンド入り\(^o^)/

NHK『歴史秘話ヒストリア』で取り上げられたおかげで「松江城」がトレンド入り(笑)。今年国宝に指定されたこととあわせて、まずは目出度い♪


城内の階段が桐の木である理由とか、松江城下で盆踊りをやらないわけとか、天守閣に女の幽霊が出たのを「コノシロ」でごまかしたとかいう話は、みんな幼いころに父から聞いて知っていたが、こうやってちゃんとした番組できちんと取り上げられると、それはそれで地元民としては嬉しいものだ♪

ところで、11月14日には松江城を舞台にして城攻めが行われる。ものすごくやってみたいのだけれども、運動音痴の私にはたぶん大手門さえ破れないだろうと思う。でも、当日は必ず見物に行くつもりだ。「我こそは!」と思はむモノノフは是非参加なされてみてはいかがかな?

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『掟上今日子(おきてがみきょうこ)の備忘録』

新番組の『掟上今日子(おきてがみきょうこ)の備忘録』を観た。一度寝るとその日の記憶を全部失くしてしまう掟上今日子という探偵が、その日のうちに謎を解いていくというストーリーのようだ。

短期間で記憶をなくす人物といって思い出すのは、小川洋子著『博士の愛した数式』に出てくる数学者だ。彼の場合は80分で記憶をなくしてしまうので、身体じゅうにメモを貼り付けている。その悲哀はいったいどんなものなのか想像すら及ばないが、小説としては温かく切なくピュアな佳作であった。

それとは趣を異にして、ドラマの掟上今日子さんは溌剌として前向きな女性だった。自分には「一日しかない」から、その一日を懸命に楽しく生きていこうとしている。

グループホームに入所している母を思う。彼女の記憶の中には既に私も兄も父も存在していない。短期記憶で言えば数分前のことすら覚えてはいない。掟上今日子さんふうに言えば、母には「数分しかない」。だから、その数分を思い切り楽しく過ごしてもらえばいいのだなと、掟上今日子さんのセリフを聞いてそう思った。

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『ブラタモリ』

松江水郷祭の花火の音を聞きながら『ブラタモリ』を観た。今回は松江編。松江城が国宝になったばかり(撮影時はまだ国宝ではなかったようだが)ということで、まずは松江城が紹介され、それから城下町・松江がどのようにできたかが語られた。

松江城のある亀田山と北高のある赤山の間を削って堀川にし、その土砂を当時湿地だった城下に盛り土して城下町にしたのだね。人の住める地面を作り出すとともに、排水のための川が作られたわけだ。400年前にこれを人力で数年でやりおおせたのだから大したものだと思う。いま私の住んでいる家の下の土もまさにそれである(笑)。

松江という町は、だから川が多い。縦横無尽に堀川が張り巡らされているので、堀川遊覧船という名物もあるかわりに、いったん大雨で宍道湖が溢れると堀川沿いから町が浸水する。水害から町を守るためのポンプ場も紹介されていて興味深かった。ポンプ場があんなところにあったとは知らなかったが(笑)。

船がお好きなタモリさんは、暗渠をくぐる際に天井が下がる堀川遊覧船や江戸時代の個人持ちのマリーナに興味深々のご様子。最後のあたりに紹介されていたのが、わが町内にある船入の跡。松江藩家老の柳多四郎兵衛の中屋敷跡に残っているものだ。私は実際に船入跡まで入ったことはないが、すぐ手前の堀川までは子供の頃しょっちゅう父とフナを釣りに行っていたし、いまでもここの前はよく通る。余談だが、ここには数年前まで「舟つきの松」という大きな松の木が枝を広げていた。仙台の伊達家から松江の殿さまに嫁した姫が持ってきた松の盆栽を植えたもので、樹齢はおよそ300年。マツクイムシにやられてとうとう伐採されてしまったのがなんとも惜しまれる美しい松の木だった。

Photo在りし日の舟つきの松。船入跡は松のもうちょい左奥のほう。

そんなこんなで楽しんだ今回の『ブラタモリ』。映っていた白潟や北堀の街並みなど、だいたいどこの場所かわかるのもまた嬉しかった♪

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手塚治虫はやっぱりすごい!

NHK『日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第8回 宇宙から生命を見つめて 手塚治虫』を観た。

先日観た吉本隆明や三島由紀夫の回では、彼らが当時の学生運動に果たした役割であるとか、自衛隊や安保に対する考え方であるとか、いわゆるその時代人としてどのように時代に影響されどのように時代に影響を及ぼしてきたのかということが語られていたが、今回の手塚治虫の回では、もっと大きくて普遍的な手塚の思想が語られていたように思う。

以下、うろ覚えだが内容を拾ってみる。

幼い頃から自然に親しみ、鎮守の森に行ってはぼーっと時を過ごしたり虫を採って図鑑を作ったりする。戦時中に学校で作った文集では、他の生徒が勇ましくて軍国少年的な文章を綴るのに対して、ひとり「蟻の貯水場」を書く。そんな少年は空襲で人間が壊れた人形のようにバラバラになって転がっている地獄を見、徴兵されなくてすむからと軍医を目指して阪大に入り、敗戦では悔しさ悲しさよりも自分が生き残れてこれから好きなことができるのだという喜びが大きく、天地神明に感謝した。

医大生と漫画家という二足の草鞋をはく多忙な生活は、教授の「君は医者になれば社会に害を及ぼす。漫画家になって子供の心を治しなさい」という言葉で、漫画家を目指すこととなり、戦前戦中の漫画とは一線を画す新しいセンスの作品を世に送り出すようになる。『新宝島』など。

『メトロポリス』では人工細胞で作られた人造人間ミッチーを描いて、科学の行き過ぎた発達はやがて人間を滅ぼすのではないかと憂え、TVアニメ『鉄腕アトム』では原作と異なりアトムが単なるヒーローに堕してしまったことを悔やむ。「アトムはすでにぼくの息子ではなかった」。最終回ではアトムはわが身を犠牲にして地球を救うが、悲劇というものを漫画に取り込んだのは手塚が最初だという。アニメ『西遊記』でもそういう要素を盛り込もうをしたのだが周りに反対されたらしい。

『ジャングル大帝』では命のあり方と生命の連続性を描き(「何代も何代も生命は繰り返されるが自然は変わらない」)、それは『火の鳥』でも同じ。『火の鳥 未来編』では、生き物の誕生と進化と滅亡を繰り返し見てきた火の鳥の、いつか生命を正しく使ってくれる賢い人間が生まれてくるのを願うというセリフが紹介されていた。

各漫画雑誌が奪い合う超売れっ子となり、トキワ荘の面々や若い漫画家たちの師ともなった手塚だが、世は劇画ブームとなり虫プロ倒産という冬の時代を迎える。もう手塚は時代遅れだ、終わったと言われたときに彼を復活させた作品は『ブラック・ジャック』。数回で終わりという予定が10年もの長期シリーズとなる(「医者はどこだ!」でのBJの鮮烈なデビュー、「300万ドル、ビタ一文まけませんぜ」という大塚明夫さんの声を聴いたときには震えましたぜ)。ヒューマンドラマにはしなかった。絶対的な正義などない。勧善懲悪なんか絶対に描かないと言った手塚は、単なるヒーローではなく自分のあり方に悩みながら生きるBJを描いたと……。

……あら? BJの登場に想像以上に舞い上がってしまったのか、その後の番組内容を覚えていない……(汗)。断片的に記憶に残っていることを挙げると……。

石ノ森章太郎の言葉。「(手塚は)どこかで人間を信用していない。影がある」

仏文学者の巖谷國士さんの言葉。「人間と他の動物、植物との間に境界がない」

手塚が病を得たときに会った松本零士の言葉。「タクシーの中ででも仕事をしていたほどの手塚先生が、いま何もしていないよ、と言ったときに、これは大変なことだと……。それが最後でした」

関係者の○○さんの言葉。「頼むから仕事をさせてくれ、というのが私が聞いた最後の言葉でした」

親交のあった梅原猛の言葉。「手塚さんは宇宙人」「手塚さんは預言者(予言者?)」

手塚治虫の言葉。「医学生の頃、担当だったがん患者が死んだ。それまでものすごく苦しんだのに、死んで顔がふっと安らかになった。そのときに思った。死んだ後に別の世界があるんじゃないかと。この世では50年、70年ほどの命だけれど、もっと長い命の塊みたいなものがあるんじゃないか。命というのはもっと宇宙的なものじゃないかと」

手塚治虫の言葉。「将来は地球を外から見る状況で子供が生まれてくる」「地球を外から見たとき、地球を大事にしなくちゃいけないと思うはず。そういう哲学が生まれてくることを期待したい」

うろ覚えの心のメモはここで終わり(汗)。

つくづく思った。手塚治虫はやっぱりデカい。絶対的な正邪も善悪もない。人間も他の動植物も何ら変わりない、一つの大きな生命体の欠片……。それはなんだか仏教の世界観と似ているような気がする。手塚は後年『ブッダ』を描いたくらいだから仏教の知識はあったと思うのだけれど、そういう世界観はおそらくごく初期の作品から断片的に見られてその後もずっとブレがないように思われる。

手塚は赤塚不二夫にこう言ったという。「良い映画を観て、良い小説を読んで、良い音楽を聴きなさい」。幼い頃から様々な芸術に触れてきた手塚は、特定の宗教ではなく一流の芸術に触れることによってそういう世界観に辿り着いたのかもしれない。天才にしか感じ取れないものを一流の芸術の中に見出していたのかもしれないと思う。

そしていま、天才ならぬ身の私は一流の手塚の作品からそういう世界観を受け取ることができる。連綿と続く生命と同じように、手塚の普遍的な世界観もずっと受け継がれて広まっていけばいいなと思う。そうすればきっと、美しい地球も人間の命もかけがえのないものだと、皆が気づけるに違いないから。

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