『梅原猛の授業 宗教』と『梅原猛の授業 道徳』を読んだ。2001~2002年に著者が真言宗設立の中学校で行なった授業の内容を収めたものである。著者が最終的に述べようとしたのは「道徳」についてであるが、「宗教なくして道徳はない」というドストエフスキーの言葉を元に、まずは「宗教」が語られる。このへんのことについては、ココにサワリの部分が書いてあるので参照していただきたい。
この2冊の感想をまとめて書こうと思ったのだが、著者の考えに共感できるところもあればできないところもあり、しかしそれが具体的にどういう点なのかと問われればはっきりとは判らないという、何とももどかしい思いをここ数日している。書評等はネット上でも山ほど見出されるので、ここでは本そのものの感想ではなく、読みながら頭をよぎった様々な思いや疑問等々を書き出してみることにする。
そもそも「道徳」とは何ぞや? と考え出すと、これがまず良く判らない。試しに「道徳」という言葉を英訳してみる。「行動の正しさ」“morality”、「行いの規準」“morals”と出る。どうやら「行動」がキーワードらしい。ちなみに「道徳的」は“moral”、「徳のある」は“virtuous”である。私が「道徳」という言葉に抱いている印象もそういうものだった。いわゆる「礼節ある行動」とか「行儀作法」とかの、対人関係において必要になるものが「道徳」なんじゃないのかと。しかしこれは考えてみれば、孔子の説いた儒教に基くもののように思う。江戸時代の武家社会に採用された行動規範のイメージが、戦前までの「修身」を経てそのまま現代まで受け継がれているような気がする。しかしこの本によれば、儒教もまた宗教なのである。
宗教色を一切排除された教育を受けてきた我々は、宗教と言えば妄信的な信仰として忌避すべきものというイメージを植えつけられているが、そもそも宗教の根幹をなす部分は宗教哲学に分類される哲学の一形態だ。他の宗教については知らないが、少なくとも仏教はそうだ。ブッダは、人生如何に生きるべきかを生涯考え、実行し、説き続けた実践的哲学者である。彼のことを有り難がって拝んだ町の人に、私を拝んだって何にもならないよと言った(と伝えられる)くらい、何かに縋るのではなく自分で考え実行することが大事だと説いた、哲学者なのである。
してみると、後世において似姿(仏像等)が製作されてそれを拝むとか、様々な奇蹟が伝説となって伝えられる等々、超人的存在として崇められるようなことが無ければ、ブッダもソクラテスとかカント達と同じように生身の一哲学者として教科書に載っただろうと思う。ちょっと話が逸れるが、そうして見てきた場合、今の日本の仏教はブッダの説いた仏教哲学とは全然違うものだ。念仏やお題目を唱えれば極楽浄土へ行かれるなどとは、ブッダは一切言っていない。そもそも、あの世について語っていない。それなのに、仏教哲学を離れて、信仰心のみが大きくクローズアップされたのが現代の日本仏教だ。その中で、自ら考え自らを灯明とせよとする実践部分でブッダの教えを受け継いでいるのが、禅宗系の宗派だと言えるのではないかと思う。
「宗教なくして道徳はない」という言葉を考えてみる。前述したように、宗教は元来哲学であるということになると、「哲学なくして道徳はない」と言えるのではないかということになる。しかし多分それは成り立たない。道徳が哲学の範疇ならば、それを覆す新しい哲学が出現すれば道徳もまた変わる可能性がある。道徳とはそう簡単に変わってよいはずのものではなかろう。とすれば、そこには、神なり仏なりの超人的存在が必要なのだと思う。言葉は悪いが、もう有無をも言わせず「つべこべ言うな。こうなのだ」と言える存在が。そしてそれは宗教にしか存在しない。
例えば「人はなぜ殺してはいけないのか」を、宗教抜きに説明できるだろうか? 宗教ならば「神または仏がそう言っているから」の一言で説明できる。これにあれこれと疑問を差し挟む余地はない。宗教とはそういうものだ。しかし宗教抜きでは……説明するのは難しかろう。今の日本の教育ではとにかく宗教色を排除する。ラジオで聞いた話だが、学校で食事の前に「いただきます」を言わせないようにしてくれと親がクレームをつけたという。何故なら、そんなことは宗教がかっている、と。図らずも、この親の姿に、宗教がないことが道徳の欠如に繋がる端的な例を見ることができるが、今の学校はそれに対抗する手段すら無い。ちょうど今日のニュースで、道徳教育に力を入れる旨の教育改革が紹介されていたが、宗教を用いずに道徳教育ができるのか、私は甚だ疑問に思う。
…………少しは、本の内容も書いておかなくてはナ(笑)。著者が言う道徳の重点項目は次のようなものだ。
【してはいけないこと】
・殺してはいけない
・嘘をついてはいけない
・盗みをしてはいけない
【人生をよりよく生きるためにすべきこと】
・努力と創造
・愛と信
・感謝と哀れみ
いわゆる「戒律」である禁止事項は明確に示してあり、やったほうがよいことは広く幅を持たせた書き方がしてある。著者が考える道徳が、最初に書いた「行動の正しさ」“morality”というだけではなく、人生をどうよりよく生きるかを考え実行するものだと判る内容である。
最後に一言。世界史上、大概の戦争には宗教が係わっている。「宗教がなければ文明もない」というドストエフスキーの説から言えば、ひとつの文明が別の文明を滅ぼすことも宗教戦争と言えなくはない。たいていの宗教は「殺すなかれ」と説いているのに、戦争が起こるのは何故だ? 人間が宗教の運用方法を間違えているのだというのが私の持論だが、いつまでたっても宗教を巡る戦争が無くならない、人間は正しく宗教を運用できないという現実は、つくづく哀しいことだと思う。
以上、途中の文章をごっそり削除したりして、論旨がまとまらないままだが、一応読了したメモとしてアップしておく。折に触れ、読み返したい本である。
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