カテゴリー「ブラック・ジャック」の記事

BJと赤ひげ

OVA版『BJ』を少しずつ観ている。この出崎統監督のOVA作品は、BJ先生があまりにも美形でカッコよくて言動もスマートなためにちょっと私が抱いているイメージとは違うのだが(笑)、ストーリー構成、作画ともに非常に優れた作品だと思う。欲を言えば、BJ先生が優しくて良い人すぎて誰にでも好かれるところをもうちょっとダーティーにダークに描いてもよかったと思う。

私のイメージするBJというのはもっとヤサグレている。女性の目から見るとたいそう魅力のある男だが、社会的には受け入れられ難い、というか男の世界では敵だらけだろうと思う。秩序を乱すからである。性格的に人に歩み寄れないのか意図的にそういうふうに自分を持ってきているのか知らないが、人から距離を置いたところで生きざるを得ない一匹狼である。

ところで先日のNHK-BS2の『特集わたしの手塚治虫』では、「BJは最後には赤ひげになるんだけれども……」と評されていた。赤ひげとはもちろん山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に出てくる小石川養生所の医師・新出去定のことだが、一般的には貧しい人から治療費を取らずに診療する名医の代名詞になっている。かたやBJは外科手術の腕は超一流だが貧乏人に対しても法外なお金を要求する悪徳医師の代名詞と言ってもよい。原作では確かにそうなっていて、本人もそれを自覚している(読者はときどきそれを忘れてヒーローとして見てしまうのだけれども)。ただ、赤ひげだって強請りまがいのことをして金のあるところからふんだくったりもしている。

では、BJは赤ひげとどこが違うのか。きょうはそこのあたりについて。

まず赤ひげだが、彼が憤慨してやまないのは、当時の医療の不公平さである。金のある奴は贅沢に飲み食いしてそのせいで健康を損ない大金を払って治療してもらう。しかし日々の生活に追われる大多数の貧しい者は満足な医療を受けることができない。だから最下層の人々が最後の拠り所とする養生所の予算が更に削られると聞いたときの赤ひげの怒りはすさまじい。彼はいまで言うところの皆保険制度を医療制度の理想としていたように思う。最大公約数的に誰もが満遍なく一定水準の医療を受けられるように心をくだいている。そして彼の怒りは権力者や社会構造に向けられ、医療行為そのものについては当時の医療水準の低さもあってそれほど問題にされていない。助かりそうもない患者をどうにかして生かそうなどとは考えてもいない。赤ひげというのは、「貧しい人から治療費を取らずに診療する名医」であるというよりも、当時の医療制度のお粗末さに必死の思いで抵抗している医者の良心であり社会的正義であるような気がする。

一方のBJはというと、患者のためという正義によって動いているのではない。彼の場合、自分が医者であることが第一義で、腕が良いために結果として多くの患者を救うことになっているだけだというふうに私は考える。患者のために手術をするのではなくて、手術をすることによって患者の代わりにBJ自身が闘っているのだと思う。そしてそういう意味合いこそが彼のレゾンデートルなのだと考える。逆に言えば、医者でないBJ、患者を治せないBJに存在価値はないということだ。

「水頭症」(#76)の中に、「あいかわらずがめついな……」とぼやく手塚医師に向かってBJが食って掛かるシーンがある。「ほかの分野ならいざしらず…患者のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」。あまりにヒューマニストなBJ像を抱いていると、この部分を「自分のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」と読み違えそうになる。そうではない。BJ先生は「患者のいのちをかけて」いるのであって、決して「自分のいのちをかけて」いるのではないのだ。ここにおいて、「患者を間に置いて一騎打ちするBJ先生と病気(怪我)」という構図が鮮明になるのではなかろうか。患者の「生きたい」という願いを金に換えて、BJは患者の命を請け負う仕事人なのだ。

しかし一方で、彼は「報復」(#88)の中で「私は自分の命をかけて患者を治しているんです。それで治れば1千万円が1億円でも高くはないと思いますがね」と発言している。ここでは「自分の命をかけて」と言っており、先の言葉と矛盾するようにも思われる。またこのセリフは彼の医療にかける情熱の証しとして名セリフの一つと数えられているようで、それは確かに間違いではないと思う、結果的に。しかしここでの「自分の命をかけて」という意味を細かく考えると、私ァそれで生計を立てているんだ、という意味合いが大きいように思う。つまり、「通り一遍お決まりでおざなりの治療をやっているあんたたちと違って、私はそれくらいの金に換算できるような大きな仕事をしているんでね。これが私の商売なんだから口を出さないでもらいたいね」という意味なんじゃないかと。「自分の仕事には(あんたたちと違って)1千万円とか1億円の価値がある」と言っているわけで、突き詰めれば、そういう仕事ができるBJの存在には(あんたたちと違って)それだけの価値があると自分で言っているのだ。ものすごい大言壮語である(笑)。そんなこと言われた医師連盟会長が激怒するのも道理。「きみは思い上がりだ!」と罵倒するのは正しい反応であろう。先に書いたような「医療にかける情熱の証し」としてこのセリフを捉えると、会長のこの怒りが頓珍漢なものになるんじゃなかろうか。

BJは患者のために手術をしているのではない。どちらかと言えば自分の信念のためだ。しかし先のような大口を叩くためには彼に失敗は許されない。1千万円とか1億円とかいうのは確かに患者の命の値段だが、同時にそれはBJの存在理由の値段でもある。彼は常に手術の腕を上げ、患者の命を救い続けなくてはならないのだ。これは彼の信念が仕掛けた自縄自縛だ。そしてBJのストイックさはここにある。「おばあちゃん」の中で、自分と同じように貧乏人からも大金を取っていた医師がいたと知り、「さだめし……名医だったんでしょうなあ……」と言っているが、このときBJはこの医師の覚悟のほどに共感を覚えているのだと思う。患者の命、全存在を引き受ける責任の重さに耐えられることこそが名医の条件だと考えているのではなかろうか。

そんな彼の(一般的には正義とは言えないかもしれない)信念の表れが、「ふたりの黒い医者」(#56)での最後のセリフ…「それでも私は人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」であろう。どんなに医者が頑張ろうとも人はいつか必ず死んでいく。その事実を眼前に突きつけられたとき、骨の髄から医者である彼に言えるのはただこの言葉しかない。なまっちょろいヒューマニズムなんか入る余地のないギリギリの彼の叫びだと思う。(この「医者であること」が神の摂理に反するのではないかという更に深い苦悩をテーマにしたのが「ちぢむ!!」であり、ここで続けて見ていきたい気持ちはやまやまなのだが、きょうはもう時間がない。)

……赤ひげと対比するつもりだったのだが、だいぶんズレたような気がする(汗)ので、最後にちょっと軌道修正。

赤ひげとBJの一番の違いは、その勤務形態にあると思う。赤ひげは幕府が開設した小石川養生所で働いていたのだから、勤務医であり公務員である。BJは一介の町医者、しかも無免許。言葉は悪いがたとえ患者を何百人死なせたとしても赤ひげは食べていける。しかしBJの場合はそうはいかない。自分の腕一本で稼いでいくためには、常に研鑽を怠ってはならないわけだ。その発奮材料となるのがライバルや同等の力量を持つ医師の存在である。キリコとはも一つ上の次元でのライバルだが、「はるかなる国から」や「過ぎさりし一瞬」で腕の良い外科医と競争したり会おうとしたりするBJの姿が描かれている。しかしそのいずれもで、現在世界一の外科医はBJということを再確認する結果となってしまう。歌の文句ではないが「最後はいつも独り」になってしまうBJには、更に濃く孤高の影がしみついていくようである。(ああ、全然軌道修正になってない……。)

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Nemesis

手塚治虫生誕80周年にちなんで、アトムのハリウッドでの映画化やジャングル大帝のテレビアニメなどはあったが、われらがBJ先生に関してはいまひとつ公式な動きがなかったのを残念に思う今日この頃。とはいえ、少年チャンピオンでの総力特集があったし、個人的にはOVA版DVDをゲットできたから良しとしよう。

さて、きょうは11月2日。11月2日というと私はキース・エマーソンの誕生日というのが真っ先に思い浮かぶのだが、キリスト教では「死者の日」ということで、全ての死者の魂のために祈りを捧げる日なのだそうだ。

こんな日は、ドクター・キリコも自分が天国へ送ってやった人々のために祈りを捧げているにちがいない。だからというわけでもないのだが、ちょいと検索していたらこんなページに行き着いた。考えてみたら手塚治虫公式ページにも紹介されリンクされているサイトなのだけれども、今まで読んだことなかったので読んでみた。ドクター・キリコはアメリカではどのように紹介されているのか。

“Black Jack has many enemies, but Dr. Kiriko is his only true nemesis and rival. ” 上手い紹介だと思う。ちなみにこの文章をYahoo! で翻訳すると、「ブラックジャックには多くの敵がいます、しかし、キリコ博士は彼のただ一人の本当の罰を与える人とライバルです。」となり、excite で翻訳すると「ブラックジャックには、多くの敵がいますが、Kiriko博士は、彼の唯一の本当の強敵とライバルです。」となる。キーワードは“nemesis”だが、「強敵」と訳すほうがスマートではある。しかし「勝てない敵」「かなわない相手」というニュアンスもあるようだから「罰を与える人」というのも深読みするとおもしろい。

ところで“Nemesis”とはギリシア神話における「義憤」の女神なのであるが、この女神の名前を冠せられた太陽の仮説上の伴星がある。2600万年の周期で太陽と同じ軌道を回っている太陽の双子星で、地球上に起こった過去の生物の大量絶滅にはこのネメシスが関係しているとも言われている。が、仮説上の星であってまだ発見はされていない。ここらへんのことについてはリチャード・ミューラー著、手塚治虫監修の『恐竜はネメシスを見たか』(1987)に詳しいのではないかと思うが、私は未読(誰かー!)。

同じ軌道上を運行する連星、太陽とネメシス。動きが活発になると太陽系にダメージを与えるDeath Star - ネメシス。BJとキリコの関係になんと良く符合することか。

西洋占星術では冥王星が死を司る星として使われてきたが、それは冥王星が太陽系の果てだと考えられていたからだ。実際はそんなことないし、巨大な太陽に比べて冥王星はあまりにも小さい。惑星からも外されてしまった。本来、生と死は同じ力量を持っているはずだと考えるならば、恒星ネメシスこそが冥王星に代わるものとして考えられてもよいかもしれない。どんなに頑張っても見つからない(2600万年の周期だもん)が、理論上あるはずだという神秘性も「死」の星にふさわしいように思う。

同時に、私が抱くドクター・キリコのイメージもどこか神秘的だと自分で思う。基本的に「恐ろしい」という感覚があって、これは彼が初めて登場した「死神の化身」で植えつけられたものだ。だから後に彼がどんなにBJ先生にしてやられようとも、どこかで、これは彼が本気を出していないからだというような感じがしている。「助けられればそれにこしたことはない」というセリフがあったが、自分の出番はBJの出番が終わってからだと考えているようにも思える。『BJ2D』の中だったか、BJの手術で患者の苦痛が長引いたというようなことを言っていたように思うが、ちょっと違和感を覚えたことを記憶している。やるだけやってみろ、と私のイメージするキリコなら、言う。それくらい余裕がありそうだ。それでダメだったときこそが死神の出番。BJ先生が手を出したときには出番がないこともあるが、その他の多くの場合は割りと早く引導を渡すこともやむなし。しかしそれはたぶん人間ができることの範疇を超えているのであり、そこんところが彼を神秘的に思う所以なのかもしれない。……ん~、上手く言えないが、キリコというのは絶対にBJに負けない唯一の登場人物であるような気がする。

……と、“nemesis”の一語に反応してこれだけ引っ張ってきたら、他のことに触れる時間がなくなってしまった(汗)。上で紹介した英語のページ、キリコが従軍したのは第二次世界大戦時であるとか、BJと一緒に働いていたとか、「死への一時間」での患者がジュリアーノの母でなく姉になっているなど、定説のない問題の記述や単純ミスなどもあるが、なかなかよく調べてあって素晴らしい。「恐怖菌」では二人の共謀説を採ってあるのも興味深かった。またこのキリコのページからではないが(どこからか忘れた)、アメリカでのキリジャをはじめとする二次創作界へのリンクもあって、どんどん辿っていくとなかなかにめくるめく思いもできる(笑)ので興味のある方はどぞ。コスプレ写真のページも、どすこいピノコはじめ皆幸せそうで良かったね的な……(以下文章が続かないので省略)。

あ~、取り留めのない文章ですみません。何を書きたかったのか忘れてしまって……。

Whitedwarfspiralwd03ga写真はJ0806連星系の白色矮星の渦巻き。321秒ごとに互いの周囲を一周。太極図を思い起こすのは私だけか。(NATIONAL GEOGRAPHIC 公式日本語サイトより)

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We love B・J forever!!

夕方、コンビニで「週刊少年チャンピオン 48号」をゲット。BJ先生が描かれた表紙を見た途端、懐かしさに涙が出そうになった。いや、BJ先生なら毎日何らかの形でお目にかかっている。懐かしいというのは、そのシチュエーションだ。暮れていく街、買い物客で賑わう店内、雑誌コーナーで立ち読みする男の子たちの隙間から手を伸ばし「少チャン」を手に取る感覚。35年前と同じだ。これがいつものようにアイドルが表紙になっていたら感激も半減しただろうが、ちゃんとBJ先生なんだもの~。感涙モノだ。ちなみに「少チャン」は1冊しか残っていなかった。あぶないあぶない。

私にとって『BJ』は店頭で立って読むのが正式な作法だ。よって、きょうもオールカラーで再現された第1話「医者はどこだ!」をきちんと立ち読みした。「少チャン」本誌に掲載されている『BJ』を立ち読み! もうこんなことは二度とできないと思っていたことをさせてもらった。欲を言えば、中学高校時代にいつも立ち読みしていたスーパーでやりたかったのだが、そのスーパーは数年前になくなってしまったのが残念だ。

昔なら読み終わったのを元に戻して家路についたところを、きょうはそのまま持ってレジに向かい購入する。幸せな気分で帰宅して、じっくり熟読(『BJ』特集の部分だけだけど)。「全連載作家が愛を込めて描く、24人の『ブラック・ジャック』イラストコレクション!!」で水島新司が描いているBJに心トキメク。上手い! 可愛い! さすがだ! 「わたしとブラック・ジャック」で、11人の漫画家がやはりBJを描いているが、そこではちばてつやと山上たつひこのBJにグッときた。私はやっぱりこの時代の絵柄が一番好きなのだ、と再確認。1本の線に力がある。画面構成にメリハリが効いている。いまのマンガは人物も背景も描き込みすぎていて煩い感じがしてならない。

「ブラック・ジャック制作秘話」では、もうすぐ描き上がる作品の出来が気に入らず、たった8時間で再度20ページの新しいストーリーを描いたという、あの有名な逸話が描かれていた。それでなくても締め切りはとっくに過ぎていたのだから、編集者のストレスはいかばかりであったかと思う。柱に穴も開けたくなろうというものだ。手塚先生を信頼して待つ壁村耐三編集長の漢気が良い。この編集長であったればこそ「少チャン」は黄金時代を築けたのだろう。しかしそれ以上に手塚先生の執念というか、より完成度の高い作品を生み出そうとする意欲に頭が下がる。いや~、すごいドラマだ。

ところで、この、手塚先生が8時間で描いたエピソードはどれなのだろう? 1977年8月の出来事だというから、「猫上家の人々(1977/8/22号)」「六等星(8/29号)」「アヴィナの島(9/5号)」「キモダメシ(9/12号)」の4編が時間的に合う。私のカンでは「キモダメシ」なのだが、さてどうかな?

そしてそして「BJ 10大 名シーン」。「ときには真珠のように」「ちぢむ!!」「ふたりの黒い医者」のラストシーンがBEST3というのは、頷けるところだ。「めぐり会い」でのめぐみさんとのキスシーンが7位、「宝島」のラストシーンが10位というのも納得だ。私なら他に何を選ぶかな。「六等星」と「勘当息子」は入れたいところだ。

最後に「医者はどこだ!」のラストページのハシラを比べてみる。
初出時:『正体不明の医者、ブラック・ジャックとは何者なのか。奇跡を生み、人を救うB・ジャックとは!?』
今回:『天才外科医、ブラック・ジャック!! 奇跡を生み、人を救うその姿は時代を越えてなお輝く。』
ちゃんと同じフレーズが使われているのが嬉しいね♪

「ブラック・ジャック制作秘話」が続くので、来週も買わねば!

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キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!

本日、『手塚治虫文庫全集』の10月刊行分と『ブラック・ジャック』OVA版DVD-BOXを入手した。全部で2万円ほど。……痛い。けど、嬉しい♪
PhotoBjova
文庫は『リボンの騎士』から読み始めました。これからOVA1本観て寝ます。どれを観ようかな~。キリコも良いけど高杉警部が見たいな~。ということで、「人面瘡」にします。では、おやすみなさい。

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「ドラキュラに捧ぐ」

時節柄、今週取り上げるとすれば、やはり「ドラキュラに捧ぐ」だろうか。

貧血気味で、外で運動などするとすぐに倒れてしまう葉斑(はまだら)しげり。しげりの担任の女性教師は、家庭訪問を兼ねてしげりを家まで送っていく。そこは「まるで幽霊でもいそう」な古めかしい洋館。初めて会ったしげりの父と話すも、医者に診せてもしかたがないと言われる。そして食事を勧められるが、このとき彼女はグラスで指を切ってしまう。それを見るしげりの父の目つきといったら! その後は半ば強引に屋敷に泊まらせられることとなって……。

アルカード(ALUCARD)伯爵演ずるしげりの父は女性教師に「もうおわかりだろう 私の元の名を…」と言っている。すなわちDRACULA(“ALUCARD”は“DRACULA”を逆から読んだもの)である。

珍しく、おちゃらけやギャグが一切ない、シリアスなスリラー路線の一編。しかしそこはそれ『BJ』は医学マンガなので、彼らが何故人間の血を欲しがるのかという医学的な説明がちゃんとなされているのがおもしろい。それによるとつまり、Rh-型の血を持つしげりは彼女の母親がRh-型ではなかったため、胎児のときに母親の血と混ざり合って恐ろしい血液病になってしまったということらしい。しげりの父は、女性教師がしげりと同じRh-型の血を持っていることを知ってしげりの血液と交換しようとしており(当然、教師は死ぬ)、そのために呼ばれたのがBJ先生であった。それまでBJはRh-型の血を持つ人間が死ぬのを待っている状態だったのだが、しげりの父は待ち切れず実力行使に踏み切ってしまったのだった。

たしか高校の授業では、「Rh-の母親にRh+の子どもができたときに母体に抗体ができる。だから2人目以降を妊娠したときはこの抗体が胎児に流れ込み胎児が危ない」と教わった。ドラキュラ一族の場合はどうやら逆らしく、母親がRh+で子どもがRh-の場合が大問題らしいのだが、これが抗原抗体反応で説明ができるものやらどうなのやら私にはわからない(誰かー!)。あるいはD抗体以外のものが原因なのかもしれず、実際にそういう病気があるものなのか手塚先生が創作された病気なのか、それもわからないのだが、ドラキュラ一族は代々そういう血液病に冒されていたが故に、血を入れ替えるために血を吸うのだという解釈は新機軸であろう。

女性教師の危機を救おうとしたBJ先生としげりの父とは乱闘となり、はずみで壁に立てかけてあった尖った杭がしげりの父の胸に突き刺さる。BJは父の血をしげりに与えることを約束し、彼は満足して息を引き取るのだった。本来のBJ先生ならここで父親をも治療しようとするのだろうが、この話ではそのまま死なせてやっている。ドラキュラの弱点を知っていて諦めたのかもしれない。そして「この手術を……あわれなドラキュラ一族に捧げよう……」というBJ先生のラストのセリフから、タイトルが取られている。

この、木の杭が刺さると死んでしまうというあたりはブラム・ストーカーが創作したドラキュラ像そのものである。ちなみに、ニンニクや十字架や太陽光線に弱いというのもすべてストーカーが考え出したものらしい。たしか『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』だったと思うが、太陽が徐々に移動して井戸の底にいる女ヴァンパイアをまともに照らし出すシーンは恐ろしくもあり哀れでもあった。

永遠の生、変わらぬ風貌、数多の弱点、私にとってそれらはなんともロマンチックで哀れなものに感じられるのだが、ドラキュラ好きで知られる手塚治虫がドラキュラに抱く印象はちょっと違うもののようだ。

--「がんらい、日本には陰惨な吸血鬼の話なんか受け入れる素地がないのだ。日本でここまでファンの数がのびたのは、なんといってもストーカーと、作品のモデルたるヴラド・ツェペシ大公のお陰であり、ドラキュラははじめっから全然別のイメージで人気者になってしまったのだ。
 それはダンディズム、エロチシズム、女性の被支配願望、いろいろ言われているけれど、ぼくは、ドラキュラこそ日本人男性そのもののパロディだからなのだと思う。傲慢尊大で、そのくせあまりにももろい。こんなに弱点の多い妖怪は古今東西ほかに居ない。毎度ごくつまらない油断で、相手のワナにかかって滅びて行く。つまり馬鹿正直なのである。約束の時間には必ず生真面目に現れ、一人の女の尻ではない頸(くび)ばかり追う律儀さで、しかも、呪いながら悶え死んでも、次の話にはケロリとしてぬけぬけ登場してくる。なんともけなげで無邪気で他愛なく、しかしタフネスな、さながらあるタイプの日本男性のカリカチュアではないか。--(『手塚治虫大全2』「手塚治虫的ドラキュラ」より引用)

こんな手塚治虫がドラキュラを描くと『ドン・ドラキュラ』のようなめっぽう明るいコメディ作品になるようだ。だからこの「ドラキュラに捧ぐ」でのシリアス路線は貴重である。というか、ドラキュラ一族を病人として捉えているのだから、こうなるのもむべなるかなではあるが。

また、手塚先生がドラキュラのどこが好きかといって、あの大きなマントほど好きなものはないらしい。

--「もしかりに、あのマントを羽織っていないドラキュラ伯爵を想像して見給え。どうサッソウと歩きこなしてみても、なんと軽薄で間が抜けてみえることだろう!
 であるから、ぼくは、ありったけの仕事にドラキュラのマントを無断借用したのである。
 その最たるものが「ブラック・ジャック」なのだ。だがまさか彼が美女を二、三人も包み込む訳にも行かないから、代りにマントの中に手術道具を隠していて手裏剣よろしく投げる。
 ここでロマンの味が消えて、二流の時代劇風になってしまった。」--(同上)

BJ先生のモデルは間違いなくドラキュラなのである。手塚先生はベラ・ルゴシ主演の映画『魔人ドラキュラ』もクリストファー・リー主演の『吸血鬼ドラキュラ』も観ていらっしゃるようだが、あのマントの襟をピンと立てる着こなしはそもそも1920年代の舞台に始まるもののようだ。正式にはマントの襟は寝かせて着るものらしい。

最後に……。少女の「葉斑」という姓について、花卉の病気の一種と書かれている解説本があるが、吸血ということで、マラリアを媒介したりする「ハマダラカ(羽斑蚊)」を由来とするほうが適当なのではないかと思う。

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ギャルゲーするBJ先生

別に見つけたかったわけじゃないのに、こんな画像にぶち当たった。(典拠はココ
こんな先生ヤだ……。
Photo

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The Killing Doctor

先日はBJ先生に限定したバトンに答えさせていただいたが、これに倣って、ピノコやキリコのバトンもあってもよいと思う。どなたか作ってくださらないかな。回答者が彼らに対してどんな像を思い描いているのかが如実に判ると思うのだが。

さてきょうは、ハロウィン月間(?)に因んでドクター・キリコに関連するあれやこれやをメモ書き。

●キリコの名前の由来は「切子グラス」という説がある。だからこそアニメ版でのキリコの父は「エド(エドワード)」と命名されたのだろうと思うのだが(江戸切子)、そもそもは“Kill”から取られたものではないのかという思いを捨てきれない。「弁があった!」の英文タイトルは“The Killing Doctor”だし。「ピノキオ → ピノコ」と同じく「キリング → キリコ」という連想なのではないのかなぁ。

●実在の安楽死医ジャック・ケヴォーキアンの伝記映画『ユー・ドント・ノウ・ジャック』ができるという話を夏前に聞いた。その後どうなったのだろう。彼を演じるのはアル・パチーノ。ケヴォーキアンが作った自殺装置にはタナトロンとマーシトロンがあるが、超音波が出るわけではないようだ。

●先日、死刑に関する本を読んでから、その刑務官の心情をどこかで読んだような気がしてならなかったのだが、森鴎外の『高瀬舟』だったことに思い当たり再読してみた。罪人に情をかける同心・羽田庄兵衛がそれだ。そして、そこに書かれた罪人・喜助が行った弟殺し(安楽死)は、否応なくドクター・キリコを思い出させた。

この安楽死について、鴎外は次のように書いている。
「……今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。人を死なせてやれば、すなわち殺すということになる。どんな場合にも人を殺してはならない。『翁草』にも、教えのない民だから、悪意がないのに人殺しになったというような、批評の詞があったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定規で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段は全くない。傍からその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えて好いか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。楽に死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。」(『高瀬舟縁起』より引用)

鴎外自身、長女茉莉と次男が同時に百日咳にかかり次男が死亡したとき、茉莉にモルヒネを注射して安楽死させようとした事実がある。このときは妻の父親が止めに入って事なきを得たが、そういう事実があったことを踏まえた上で上記引用の文章を読むといっそう身につまされるものがある。

軍医であったこと、身内の者に安楽死を施そうとしたこと。鴎外は未遂、キリコは完遂の違いはあるが、生身の鴎外はキリコを彷彿とさせる。

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2009halloいつもお世話になっておりますトーレスさんから、DLFのイラストを頂いて参りました。
めちゃくちゃカッコよくて迫力のあるドラキュラBJとミイラ男キリコです! 先生はそのまんまでシックリきてますし、テーピングキリコも何故かこんな格好がとってもお似合い。ナイス コスプレ!(違)
BJ先生のセリフは間(はざま)繋がりで「血ぃ吸うたろか」でしょうかやっぱり。うん。先生になら吸われてもいいかも。ある意味、永遠の生を約束してくれるドラキュラ伯爵を演じられるのはBJ先生だけでしょうね。←それは美女だけ。しょぼん。
琵琶丸は何の役なのでしょう。三途の川の渡し守カローンという趣きですが、キム/タクがどんな役をやってもキム/タクである如く、琵琶ちゃんも自分のキャラのまま堂々と風景に溶け込んでいらっしゃいます。そしてその足に踏んまえているのは、もはやこの人しかいない、かぼちゃ白拍子(爆)。わあ、怒ってる怒ってる。もうすぐ馬車になるんですよね(違う話)。
このメンツで踊る「スリラー」が是非見てみたくなる素敵なイラストです。トーレスさん、どうもありがとうございます。m(_ _)m

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「台風一過」

『BJ』定期連載終了間際の「台風一過」(1978. 9.11)で、BJ邸は台風により吹き飛ばされる。この話のひとつ前の話が「指」を改作した「刻印」、次の話が「人生という名のSL」だから、手塚先生はもうこの辺りから『BJ』終了の体勢に入っておられたのだろうと思う。描き直したかった作品を描き直し、家もきれいサッパリ吹き飛ばし、思い出の人々が総出演する夢をBJに見させて、さあBJはどこへ行ったのだろう……という結末。当時は、もしかしたらBJは死んだのかもしれないという噂も確かにあった。翌年から不定期ではあるが描き続けられたので、ほっとしたのであるが。

「人生という名のSL」以降の13話が、それまでの時間軸と同じかどうかはわからない。いや、それまでだって、第24話「万引き犬」で地震によって倒壊したはずのBJ邸が翌週ちゃんと建っているのはおかしかったわけだから、台風で吹き飛ばされたはずのBJ邸が元どおり建っているのも、マンガならではの自由さであるとか過去のエピソードだからだと考えれば説明がつく。しかし同時に、あの古ぼけたBJ邸は今もなお吹き飛ばされたままだという可能性を否定する材料もない。アニメ版ではしっかり再建されていたが、爆破されてしまった(笑)。(しかしそれにしても、24話「万引き犬」と149話「やり残しの家」と228話「台風一過」の3話の出来事を破綻なく説明するのは至難の業である。笑)

さて、「台風一過」。先週には非常に強い台風18号が日本を縦断して各地に大きな被害をもたらしたが、千葉県の海岸沿いでは竜巻と見られる突風が吹いて5棟が全壊したそうだ。BJ邸ももしかしたらこのような台風に伴う竜巻でやられたのかもしれない。ちなみに1978年に来た台風を調べてみたが、首都圏を直撃したものはなかった。ただ7号(VIRGINIA)がかなり近づいており、日付からいっても手塚先生になんらかのインスピレーションを与えたかもしれないとは思う。

15歳の清純派歌手・マニー白毛(なんじゃこの名は)が子宮外妊娠して命が危ない。台風が近づいているので家に帰りたいBJ先生だが、大量出血があったので仕方なく緊急オペをすることに。一方、BJ邸のピノコは徐々に近づいてくる台風に不安が募るが、「おまえもおとなだろう。私に頼らずにしっかり家を守ってろ。わかったな」というBJからの電話を受け、台風襲来に備えて大忙し。

「家なんか何軒も建つが この子の命はひとつかぎりだぞ」と停電の中で懸命に手術するBJと、屋根を吹き飛ばされても「かまァないわのよ。おうちなんていくやでも建つんやから……」と毛布をひっかぶって蹲っているピノコ(このときピノコが何を抱えていたかは最後にわかる)。まったく別々の場所でそれぞれに奮闘する二人が、「家なんかよりも大切なものがある。それを守るんだ」という共通の思いを語っているのがなんとも上手い。ゴシップばかりを気にするマネージャーが限りなく卑小なものに見える。

そして台風一過、岬に帰ってきたBJが目にしたものは、跡形もなく吹き飛ばされたわが家と、毛布にくるまって眠るピノコだった。

「ごめんなちゃい ……れもね ピノコ一生けんめ 守ったわのよ」
「わかってるさ…………」
「先生……朝のお茶」

燦々と降り注ぐ朝の光の中でBJにお茶を差し出すピノコの姿に、私は言葉にならないほどの感動を覚える。疲れて帰ってもベッドも枕も吹き飛ばされてもはや眠る場所もないBJに、ピノコはせめてもの熱いお茶をふるまいたいのだ、いつものように。毛布の中に抱え込んでいたのは、BJの湯呑み茶碗とお茶をいっぱい入れたポットだ。「家を守れ」と言われたピノコが守ったのは、建物ではなくて、BJが憩い安らぐことのできる家庭だったのである。

ああ、ピノコ。あんたには誰も敵わないヨ……。

Photo

朝のお茶。それは毎日の習慣。

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「無免許外科医を愛してるバトン」

桜雪乃さんからバトンを頂きました。ありがとうございます。m(_ _)m
その名も「無免許外科医を愛してるバトン」!
こんなピンポイントで無免許外科医に特化したバトンがあったんですねえ!!
考案された方にも感謝です。m(_ _)m

それでは早速やってみます。
 
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無免許外科医を愛してるバトン→このバトンは無免許だけど天才外科医なブラックジャック先生(本名・間 黒男)を愛する方へ捧げるバトンです
軽いノリでどうぞ*

・まず貴方のお名前を

>>わかばと申します。

・では早速質問に入ります

>>は~い♪

・先生のどういうところが好き?

>>とても一晩では語り尽くせません(笑)。またこれまでのバトンでもさんざん述べておりますので、重複するのもあれですが……。それでも敢えて一言付け加えるならば、「医者ってこういうものなんだ」というところです。プロなんです彼は、いついかなる時でも。そしてそれはもはや職業というレベルではなくて、彼の存在そのものが「医者」なんですね。そゆとこ、チュキ。
 
・いつも着てるあの服、同じのが何着くらいあると思う?

>>雪乃さんのご回答と同じく、夏物冬物3着ずつくらいではないでしょうか。コートも3着ほど。けっこういろんな目に遭ってよくボロボロになってますから、常時それくらいはそろえてあるんじゃないかと。礼服も、ネクタイさえ替えればこれでいけますね。
あれこれ選ぶのが面倒くさいという理由で、ずっと同じ洋服屋さんでオーダーメイドしているのかもしれないと想像しています。サイズも生地も変わらないから電話1本で「1着たのむ」なんてやってるんじゃないでしょうか。アニメ版のCMでは御徒町のマント屋が御用達という設定でしたね。

・空港の金属検査でコートに仕込んでるメスは引っかかると思う

>>引っかかるので外していると思います。「ストラディバリウス」ではカバンに入れていてコートには仕込んでいなかったようですし(でもハリは持っている)、「メス」で、機内ではメスを携帯していなかった事実がありますので。

・普通息子に黒男とはつけないよね…って理科の先生が言ってた

>>私もそう思います。初めて本名を知ったときは「をいをい…」という感じでした(笑)。「クロー」という語感は悪くないんですがね。『ブレイブファイヤーS09』という電力会社のPR用アニメでも「久郎」という名で出ているようです。真っ黒尽くめだから“crow”も意識しているんだと思いますが。それにしてもあの字を当てた間パパはそうとう変人だと思います。理科の先生、バンザイ!

・正直先生が好き過ぎて自分がピノコになりたい

>>いいえ、ピノコのポジションは無理です。どちらかと言えば、めぐみさんかBQになりたいです。

・でも手術(血)は無理っぽい

>>これはやってみたいです。先生の神技がどれだけすごいのかを間近に見たいです。

・先生が店に行って、ピノコの服とかを選んでる姿を想像するとなんとも微笑ましい

>>ん~。選んでいないと思います。ピノコが自分で選んで、お会計までの間はどっかでタバコでも吸って暇を潰しているんじゃないでしょうか。
ピノコが生まれてまだ自由に動けない間は先生が買ってきていたはずですが、お店の人に「身長○○㎝、標準体型の女児。見繕ってくれ」などと頼んでいたんじゃないかと思います。「六等星」でも「これ」と特定せずに「女の子の下着」って言ってますから。

・ピノコには少し甘いのもポイント高い

>>確かに甘いですね~(笑)。たいてい泣き落としにひっかかって言うこときいてやってますね。原作で描かれている程度なら、ピノコのわがままも先生の甘さも許せます。アニメ版のあの躾のなってないピノコはちょっとどうにも…………。

・実は先生の身長が知りたい

>>日本人男性の標準よりちょっと高いくらいかなと思っていましたが、へぇ~、公式では180cmなんですか? けっこう大きいんですね。

・先生とキリコの身長差が少し気になる

>>ドクター・キリコは、BJ先生と同等かそれ以上に強くなければいけない存在なので、あれくらいの身長差があってよいと思います。例えばキリコがヒゲオヤジくらいの身長だったら、威圧感を感じないでしょうから。と、真面目に答えてみました。本当は絶妙な身長差だと思ってます(腐腐腐)。

・密かにキリコの眼帯っていつからやってるか知りたい

>>ベトナムで負傷したのではないかと想像していますが、手塚先生がどういう設定を考えておられたのかは知りたいところです。

・先生に病気を治して欲しいと思った事がある

>>自分に関してはないですが、家族に関してはあります。

・様々な事情でボツになった話が読めないのが悲しい

>>連載されていた話はいちおう全話持ってるんですが、『BJ』については1週間に3つほどアイデアを出してその中からひとつを選んで収載するという形だったようなので、その時点でボツになったお話は是非読んでみたいです。
「指」「快楽の座」「植物人間」の3作品については、なかなか封印は解かれないかもしれないと思います。原稿が残っていなかったり明らかな間違いがあったり、人体実験が扱われていたりしますから。でも、そういう諸々の問題を孕んでいる作品だと注記すれば、出版されてもよいと思うんですけどね。手塚先生の言いたいことは間違っていないと思いますし。逆に、手塚先生自身が収録したくなかったと言われる「おとずれた思い出」などが自由に読めるというのも、おかしな話だと思います。

・ピノコ語で先生に愛を語りましょう

>>「先生、今夜はカレーなのよさ」。最大級の愛です。

・バトンは誰かに回す?

>>これ、けっこうピノコについて想像できるバトンだと思うので、ピノコファンにお回ししたいと思います。

ずり落ちるのが心配になるような、愛らしいルパンのがばがばパンツを描いてくださったromiさん
思わず(大臀筋を)触ってみたくなるBJ先生の素敵なしましまパンツ姿を見せてくださった小早川さん
よろしければ、お持ち帰りください。m(_ _)m
神無月さんにも是非お回ししたいところなのですが、しばらくお休み中とのこと。もしも余裕がおありでしたら、受け取ってくださると嬉しいです。
その他、キリコファンの皆様も、もちろんBJ先生大好きな皆様も、「虫魂3」でお忙しい頃とは思いますが、どうぞどうぞご自由にお持ち帰りくださいまし。

お疲れ様でした*

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は~、久々のバトン、楽しかったです♪ 「軽いノリで」と書いてあるのに、答え始めるとどうも熱くなってしまったようで、反省しきりです。
雪乃さん、面白いバトンをありがとうございました。m(_ _)m

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青と白のストライプ

『BJ』も好きだが、『ルパン三世』も好きな私。共通点を考えてみると、両方とも短編連作でなにしろストーリーが面白いことが挙げられる。あれだけの短いストーリーの中にアイデアがてんこ盛りだ(私にとっては、大河ドラマ的長編よりも、あれくらいの短編の一話完結形式の方が読みやすいのである)。それから、ファッション。ルパンもBJ先生も縞々パンツだよね~……と、ここまできてふと気付いた。BJ先生は本当に縞々パンツを履いていただろうか? 履いていたとすれば、それは何のエピソードだったっけ?

調べてみた。

まず結論を言おう。原作でBJ先生が縞々パンツをはいているシーンは見つからなかったのである! (←見落としているかもしれないので、ご存知の方は是非ともご教示ください。お願いします。m(_ _)m)
先生は、「ピノコ再び」「奇胎」「銃創」「コレラさわぎ」「骨肉」で白のトランクスを、「骨肉」「壁」「密室の少年」で白のブリーフを履いておられる。ふつう男の人というのはトランクス派かブリーフ派に分かれていて、特にトランクス派の人はブリーフは履かないと思っていたのだが、BJ先生の場合、別にこだわりはないようで、トランクスだったりブリーフだったりする。しかしいずれの場合も「白」であって、柄物ではないのである。

あれ~? おかしいな。どうして私の頭の中には「BJ先生 → 青と白の縦縞トランクス」と色まで限定された公式が成り立っているのだろう。『ブラック・ジャック画集』で扉絵や各種コミックスの表紙も確かめたが、見つからない。ならばアニメで見たのかと思ったが、記憶にあるのは「コレラ騒ぎ」での黒のボクサータイプのパンツだけだ。

ああそうか、もしかしたら、と、ピノコが洗濯物を干しているシーンを探してみた。おそらく「ピノコ再び」「ピノコ生きてる」「ハッスルピノコ」「コマドリと少年」の4作品だけだと思うが、……あれ? やっぱり違う。先生のトランクスらしきものは干してあるのだが、やっぱり「白」だ。あれ~? 私の頭の中には、先生の青と白の縦縞トランクスが風にはためいている様子がくっきり浮かんでいるのになぁ……。orz

ちなみにピノコが干している洗濯物だが、シーツやらタオルやらの大物が多くて、BJ先生のワイシャツや靴下の類が一切見当たらない。ピノコにアイロンがけは重労働だろうから、ワイシャツはクリーニングに出しているのかもしれないが、靴下がないのは合点がいかない。1日に1足は必ず出てくるはずのものなのだから。そこで、もしかしたら、BJ先生は自分の物は自分で洗濯しているのではないかという推測も成り立つ。ピノコが洗濯しない日はBJ先生の当番日ということで、自分の下着やら靴下やらを洗っているのだが、たまたまマンガに描かれていないだけなのかもしれない。となると、先ほど先生のトランクスと見えた物体もピノコのパジャマのズボンかもしれない。……しかしまぁ、こんなことをいくら憶測しても、先生の縦縞パンツの謎は解けない。

二次創作をなさっている方のページを見て確認してみる。やはり先生は青と白の縦縞パンツをお召しになっていることが多い。だからこれは万人に共通の認識なのだ、何故だろう……と書いていて、はたと思い当たった。逆だ。私の「BJ先生 → 青と白の縦縞トランクス」という認識は、数ある『BJ』二次創作の作品群によって後から植えつけられたものだったのである。

原作の先生は、白以外のパンツを履いておられることはない。それを青と白の縦縞トランクスと最初に決めたのはどこのどなただったのだろう。またBJ先生にはいかにもそれが似合いそうなのである。おしゃれな黒のビキニとかボクサータイプではなくて、本当は何でも良いのだけれどごくごく一般的に売っている青と白の縦縞を無造作に履いている(それもかなり洗いざらし)、という雰囲気が似合っているのである。

あるいはそこにルパン三世の縦縞パンツの影響を見ることも可能かもしれない。ルパン三世が黒のビキニなんぞ履いていたらイヤラシイだろうが、あのがばがばの縦縞パンツではどんなことをしようとしてもまったくイヤラシサを感じないのである。あの形状は色気を骨抜きにしてしまうものと見える。『おそ松くん』に出てくるデカパンおじさんも着衣はあれ一点だが、セクシーさのかけらもない(笑)。

だから二次創作においてBJ先生のパンツを描く必要があるときには、きっとあの形状が最適だったのだろうと思う。色気はないが、野暮でもない。過剰な色気を排除して、適度なスマートさと無頓着さと清潔感を表すには確かにあれが良いのだと思う、ウン。

……とまあ、パンツ談義になる予定ではなかったのだが、すっかりそうなってしまった(笑)。何が書きたかったのかよくわからないまま、いい加減このへんで終わります(汗)。

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女性キャラあれこれ

月曜日は『BJ』語り。……なのだが、23時15分現在何も考えていない。う~ん、何を書こうかね。

好きな男性キャラについては散々語ったので、きょうは女性キャラについて書いてみることにしようか。

一番好きなのは、やっぱりピノコだろうな。時々うざったいこともあるが(アニメでは毎回もれなくうざったかったが)、原作ではそれもご愛嬌と許せる。天下のBJ先生がたった一人信頼する相棒として認めて傍に置いているのが、あんな小さな女の子だというギャップはとても魅惑的だ。あのポジションが大人の女性ではダメだ。イメージが固まりすぎる。大人であり子どもであり、分別があったりなかったり、頑固だったり素直だったり、夢見がちだったり超現実的だったり、千変万化する魅力を振りまけるのは、あのピノコだからこそだ。

次に好きなのは如月めぐみさん。私にとっては、不可侵領域のピノコよりは、一人の女性として共感できる点が多い。「女でなくなった」というドギツイ表現は、逆にめぐみさんにとっては救いではないかと最近思うようになった。妙齢の美女であるのに子どもを産めない身体になるということはこの上もなく辛いことだ。そういう意識のまま年月を重ねるよりは、いっそ「女でなくなったからには、男として生きていく」と意識を転換したほうが生きやすいのではないかと。これは私自身の身体の変化に伴って初めて生じた考え方だ。

男性の目から見て蠱惑的だろうなと思うのがBQ。私が男だったら、ダメもとで一応口説いてみる。

「しずむ女」のヨーコ。人間という存在の透明な哀しさを人の形にするとヨーコになる。BJ先生が無償の愛情を注いだのも頷ける。

あと、『BJ』における三大“母”も忘れてはならないだろう。BJ先生のおかあさん、白拍子先生のおかあさん、「激流」の肝っ玉母さんはそれぞれに魅力的だ。名作と言われる「おばあちゃん」に出てくる母親にも泣かされる。子どものためになら母は強くなれるのであろう。

そして、私にとってはどうも印象が薄いのがユリさん(笑)。ドクター・キリコの妹で、二次創作ではよく登場するのだが、原作でも2度目の登場時には「おまえさん だれだっけ」とBJ先生に言われた女性である。兄同様色素が薄いイメージで、兄が死神なら妹は幽霊みたいだと思った記憶がある。ユリという名前がまた百合の花を想像させるものであるし。なにしろ兄が非合法の安楽死稼業をしているのだから、それを諌めるのに必死ではあるのだが、アニメで描かれたような(いきなりライフルを発砲するような)激情的な女性にはとても思われず、常識的で楚々として控えめで日陰で泣いているようなか弱いイメージがある。あんな大胆ヌードまで披露しているのに、損なキャラである。←私の中では。

ここでタイムアップです。

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光源氏とBJ

「CREA読者が選んだマンガでいちばん惚れた男」というアンケートがあって、われらのBJ先生はどうだろうと思って見てみたら、なんとなんと2番目に挙がっているではないか! 第2位ということなのだろうか。よりにもよってきらきらしい光源氏の隣だからひときわ黒ずんで異彩を放っているが、読者のコメントはなかなか的を射ている。「色気があって、大人なところ」「天才・大怪我・マザコンという設定が秀逸」「命の重みを誰よりも知っている。多くを語らないところが魅力的」。

少女マンガにおいて一番のテーマは恋愛であることが多いし、そうでない作品でも読者の少女たちはその男性登場人物の恋愛形態を想像する。あとの大方の入選者たちがそういう恋愛関係事情をコメントされているのに対して、BJ先生の場合はその生き方についてのコメントがされていてなかなかよろしいと思う。少年マンガには本来そういう側面がある。いろんな困難にどうぶち当たってどう処理していくかとか、何を理想として目指すのかとか、そういった男の生き方が一番のテーマなのであって、彼女とどう付き合うかなんてことは副次的な要素に過ぎない。そんな少年マンガである『BJ』なのに、女性が対象のアンケートでこんなに上位にランクされているのは嬉しい。まぁね、BJ先生に男の色気があることは決して否定しないけれども。(^ー^)にへら~

BJ先生のほかは、『エースをねらえ!』の宗方仁と『はいからさんが通る』の青江冬星と『ベルサイユのばら』のフェルゼンくらいしかロクに知らないのだが、読者のコメントを見る限りでは、女性の男性に対する好みは大きく二つに分かれるようだ。「クールでちょっとワルい男」と「一人の女性を一途に愛する男」である。相反するようだが、女性の本音は「クールでちょっとワルくて浮名を流したりもするけれども、それは単なる浮気なのであって、本当は一人の女性(すなわち自分)を一途に愛してくれる男」が一番よいのである。もっとぶっちゃけて言えば「彼ったら女性にはモテるけど、彼が本当に愛しているのはこの私なのよ!」と思いたいわけで、これがおおよその女性が思い描く最高の恋愛形態であると言っても過言ではなかろう。……と思うがどうか?(経験値が低いためちょっと弱気)

BJ先生はそういう女性側の好みにぴったりマッチする。如月先生を除いては恋愛事情はほとんど描かれていないが、いつぞや書いたように女性からはやたらにモテる。クールでちょっとどころじゃないワルである。そして心の中ではただ一人の女性(私ならここに如月先生の名を当てはめるが、穿った見方をすればBJ先生のおかあさんというのもアリだろう)を一途に想い続けている。典型的なドン・ファン型のプレイボーイであり(そう思っているのは私だけかもしれないが)、これはお隣の光源氏と同じである。……ちょいと『源氏物語』と『BJ』の登場人物を比べてみよう。

桐壺更衣  BJ先生の母(幼い頃に死に別れた薄幸の母親)
藤壺中宮  如月先生(結ばれてはいけない女性)
紫の上   ピノコ(手塩にかけて育て上げた女性)
あと、官能的な朧月夜をBQ、守るべき存在の玉鬘を山下クミさん、というあたりでどうだろう。

光と闇。対照的にも思える光源氏とBJだが、マザコンあり悲恋ありで、その恋愛模様はけっこう似ていると思うのである。ちなみに、BJをドン・ファン型でありカサノヴァ型でないと思う理由はBQに対する態度である。BJがカサノヴァならBQを抱え込んで放さないと思う(笑)。杉並井草なんかもそうだろうな。ちなみにドクター・キリコは来るもの拒まず誰でもOKのカサノヴァ型のような気がする。なんとなく(笑)。

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ドタバタすんな ホコリが立たァ

Photo頭痛と微熱の勢いで落書き……の一部分、しかも時間切れ未完成、すみません。orz

MN「金でなんでもやってくれる先生ってあんたですか」
BJ「金さえ積みゃなんでもなおしてくれると思い込んでるバカはお前さんかい」

『ミッドナイト』に出てくる先生はヤサグレてて、けっこう好きです♪

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聞けば おまえまだ独身だっていうじゃないか

・「ピノコ生きてる」 
ピノコ「ね 先生。先生が見てきえいだと思ったや……ピノコと結婚ちてくえゆ?」
BJ「……ああ してやるよ」

・「かりそめの愛を」 
青鳥ミチル「ブラック・ジャック先生と結婚したいわ。いちばん最初の人と決めたんですもの」
BJ「私はあなたなんかと結婚できる男じゃない」
青鳥ミチル「先生…独身……?」
BJ「誤解しないでほしいね。私にその資格がないといってるのだ」

・「霧」 
美江「奥さんあるの? 先生…」
BJ「奥さんはない!」

・「土砂降り」 
清水きよみ「なぜ結婚なさいませんの」
BJ「わたしはゴロツキでね。医者の世界ではハナツマミ者なんです。結婚なんてできる身じゃないですよ」

・「終電車」 
BQ「ねえ先生……先生はなぜ結婚なさらないの」
BJ「結婚。そんなこと考えてみたこともなかった」
BQ「やっぱり手術に生きがいを持ってらっしゃるのね?」
BJ「…………」

BJ先生が自分の結婚について語ったセリフを書き出してみた。ピノコはこの際別格としても、BJ先生モテてます。モテまくってます。そもそも女性が男性に向かって結婚しているかどうかを尋ねるのは、相手に非常に関心がある場合だけだ。結婚していると分かればそこまでの付き合い方になるし、独身だと聞けば自分の今後の人生にも関わるかもしれないことであるからそれなりの攻略法を考えなくてはならない。最初からどーでもいいと思っている男にはそんなこと訊こうとも思わないわけで、ここに挙げた女性陣がそれぞれBJに好意を持っているのは間違いない。ミチルの場合は初対面なので単に質問しただけとも考えられるが、もしも一番最初に部屋に入ってきたのがBJでなくチンクのおとっつぁんのようなご面相の男性だったら、この娘は「2番目の人にするわ」と言い張るに違いない(断言)。BJはその第一印象でミチルの基準をクリアしていたと思われる。

で、それだけ好意をほのめかされたBJ先生の対応はどうかというと、「資格がない」「結婚なんてできる身じゃない」「考えてみたこともなかった」…である。こういう返答を聞くと、天性のプレイボーイなのか、天然の鈍感男なのか、判断に迷う。実際、ギッデオン伯爵夫人の恋心には全然気付いていなかったという例もあり、相手の好意にまったく関係なくただ単に「どうして結婚しないのか」という問いに自虐的に答えただけという可能性もなくはない。

しかし私は、いずれの場合も相手を傷つけることなく自分を貶めることでそういう話題を回避しているという点で、天性とは言わないまでも、かなり手馴れた印象を受ける。「(付き合ってもいいけど)結婚はしませんぜ」と最初からやんわり断っているように思える。ただし「B・J入院す」ではこれをやって自意識過剰で失敗している(笑)。

結婚というのはBJにとってどういうものなのか。既に結婚しているのかと疑って「先生…独身……?」と尋ねたミチル(これは本当は「先生…既婚者……?」と尋ねるべきだろう)への返事が「誤解しないでほしいね」という点に、なんだかとても興味をそそられるのは私だけだろうか。ただイエスかノーで答えればよいと思うのに、「誤解するな」とは。美江に向かって言った「奥さんはない!」の「!」も妙に勢いがあって、既婚者だと思われるのがそれほど嫌なのだとしか思えないのである(笑)。独身の方が女性にはモテるからねぇゴニョゴニョ(以下略)。

与太話はこれくらいにして、真面目にBJ先生の結婚観を探ってみる。まず「資格がない」とはどういう意味か。結婚に関して法律上唯一の資格は年齢だが、まさかBJが18歳未満ということはない。彼の言うところの結婚の資格とは、妻や子を幸せにできる力の有無だろうと思う。医者としての力量は申し分ないが、なにしろモグリだからしょっちゅう警察に引っ張られるし、医師連盟からも目を付けられている。そんなことでは家族を安心させることはできない、というのが一つ。二つ目のもっと大きな理由としては、家族にまで危険が及ぶようなヤバい仕事も多いということ。実際、ピノコは何度も危ない目に遭っている。妻や子を人質に取られたらBJは相手の言うなりになるしかない。BJのような仕事では守るべき家族がいるのはマイナスであり、結果としてハードボイルドな一匹狼にならざるを得ないと思われる。

あと、考えられる理由としては、親の敵討ちをしなくてはならないこと。まさか返り討ちにはならないだろうが、やりようによっては罪に問われる可能性大。BJは基本的にアウトローなのだ。更に私が強力プッシュする理由は、めぐみさんの存在である。彼女はBJのためを思って身を引いた。そして生涯どの男性とも結婚することはない。そういうとき自分だけ別の女性と結婚したりできようか? BJなら絶対しない。と私は信じて疑わない。

よって、私の脳内で確立されたBJ先生は恋愛をすることはあっても結婚はしない。誰かと平穏な家庭を築いてデレンデレンするようなBJは既にBJではない。彼の生き方は常に風に向かって突き進んでいるイメージがある。そしてピノコは彼の同志なのだと思う。実際にピノコを人質に取られるとBJは弱いが、基本的にこの二人は互いに寄り掛かり合うような関係ではなく、共に同じ方向を向いて並んで歩いていく、信頼し合う同志というような間柄であると考える。だから仕事で長く家を空けるときにも、危険を承知でBJはピノコにひとりで留守番をさせておくことができるのだ。「ついていく」「ついて来い」の『BJ21』での二人の関係はあまりにも生温いものだったと思う。原作の二人のほうがはるかに強い信頼で結ばれている。

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脳死問題

BJは脳死についてどう考えているのか。

・「二度死んだ少年」では、自殺を図り脳死状態となった少年を、「脳実質に電気刺激を与え」ることで蘇らせている。
・「植物人間」では、脳死状態の母親とその息子トッペイの脳をコードで繋ぎ、母親の脳に電気刺激を与えるとトッペイの脳に母親の声が聞こえるという実験成果を得る。

この二つの例では、ともに脳は生きていた。つまり脳死の判定を下したこと自体が間違っていたわけで、それは即ち身体の不思議さと脳死判定の難しさの指摘であり、ひいては脳死判定の基準を設けることの是非そのものへの倫理的な問題提起ともなっている。

・「からだが石に……」では、脳死状態となった赤ん坊に、その兄の脳を移植する。
・『ミッドナイト』最終話では、脳死状態の少女に、ミッドナイトの脳を移植する。

Photoこの二つの例では、BJは脳死を死と認めている。いや、認めているという言い方には語弊がある。脳死を死ということに決めたのである。『ミッドナイト』では「おれは生まれてはじめて 恐ろしく冷酷な決定をくだすぞ」という決意のもとに「生命維持装置をはずしたまえ。この患者はもうとっくに死んでいる」と裁定を下している。相当の覚悟が要ったであろうことは想像に難くないが、しかしこれは「植物人間」で悪あがきとも思えるほどに脳死を認めなかったBJとも思えぬ変節ぶりとも受け取れよう。BJははたして脳死をどのように考えているのか。

基本的にBJは脳死を人の死とは思っていない、と私は受け取った。それ以前の問題として、脳が死んでいると証明することは人間には(いまの医学では)不可能だと考えているように思う。「植物人間」で、彼はこんな話を引いている。「スペインのいなかで死んで四日たった男が生きかえった例がある。この男は心臓どころか脳波も止まっていた……そこで家族が棺桶へいれてお通夜をしていたとき 突然ムクムクと起き上がって助かったんだ。その男にわたしも会ったがね 自分ははじめから意識もあって生きてることをまわりに知らせたかったが 身動きもできなくってすごくつらかったといっていたよ」。(注:「心臓どころか脳波も止まっていた」は「脳波どころか心臓も止まっていた」の間違いか?)

では、「からだが石に……」と『ミッドナイト』最終話でのBJの行動はどう捉えればよいのか。上に挙げた4話は本誌の掲載順に沿っているので、その間にBJの考え方に変化があったと考えられないこともない。しかしそれだと「おれは生まれてはじめて 恐ろしく冷酷な決定をくだすぞ」という覚悟にそぐわないように思う。BJ自身、自分の考えを「冷酷」だと言っているのだ。脳死を死と認めているならそんなことは言わないだろう。

BJは変節などしていない。彼は脳死の判定を人の死とは認めていない。ただ彼は「脳死と判定された人間」よりは「議論の余地なく間違いなく生きている人間」の方を優先するのだ。これは終始一貫している。「二度死んだ少年」では、生き返らせた少年がまさかすぐに死刑になるとは思っていないから、単に死の淵にいる少年を蘇らせるべく治療に当たっている。「植物人間」では、息子が母親の死を受け入れておらず、まだ生きていると思っている。BJは彼の願いを叶えるために母親が生きていることを証明する。「からだが石に……」では、誰もが死んでしまったと思っている赤ん坊よりその兄の難病を治すことを考える。『ミッドナイト』最終話では、死にかけているミッドナイトの命を救うために、脳死状態の恋人の身体を犠牲にする。いま生きている人間、生きていてほしいと誰かが思っている人間を優先して救うことにおいて、BJの行動は一貫しているのだ。そのためになら、BJは脳死を人の死であると自分の覚悟と責任のもとに「決める」ことがある。

脳死ははたして人の死なのか? 臓器提供の意思にも関連して、いまや誰もが無関心ではいられない問題となった。たいして議論も尽くさずに国会で決めてしまってよいものだとはとても思えない。ところで、ネットを漂流していて次のような記述にぶち当たった。「脳死判定後、臓器を取り出すときは「麻酔をかけて」臓器を取り出すそうです」。真実かどうかは知らない。しかし真実だとすれば、現場の医師もまた脳死の判定に疑問の余地があると思っていることの証拠にはならないだろうか。

Photo_2【なお、「植物人間」では、トッペイの母親を脳死状態にしてしまったのはBJのミスだと他の医師に言われている。海難事故で救うべき怪我人の順番を間違えたと指摘されているのだが、これをBJのミスとするのはいかにも可哀想な気がする。BJはおそらくトッペイ母子とは違うボートにいて、別の怪我人の手当てをしていたのだ。しかし、彼は非難されても一言も弁解していない。そう思われても仕方ないと思っていたのか、そんなことは問題じゃないと思っていたのか、そのあたりはよくわからない。しかしとにかく、BJの関心は本当に脳死なのかどうかだけに向いている。トッペイが「生きています!!」と言い張る限りにおいて、BJにはそれを証明することが使命であったわけである。どんな状態であったとしても母親に生きていてもらいたいと思う息子の心情を、BJほどよく理解できる医師は他にはいまい。】

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美江って呼んで!!

『BJ』シリーズ中、最も登場人物の少ないお話は「霧」であろう。ラストのコマに「オーイ」と呼ぶ救助隊の人間が遠くに12人ばかり見える他は、全編これBJと美江の会話だけで成り立っている異色作だ。

緊張病に罹った美江という少女を探して谷川岳を行くBJ先生。彼女は一ノ倉沢で遭難して(自殺を図ったのだろう)大怪我を負っていた。応急処置をして早く麓へ運ぼうとするも、深い霧に阻まれる。大きな岩の陰に避難して霧が晴れるのを待つこと10日。霧が晴れてやっと救援隊がやってきたとき、美江は静かに息を引き取るのだった。作品は、この10日間の2人の会話と美江の心情の変化を丹念に描いている。

緊張病とは統合失調症のひとつ。統合失調症は2002年までは精神分裂病と呼ばれており、BJ先生も作中「(緊張病は)精神分裂病の一種だ」と言っている。美江は生まれつきこの病気に罹っており、12歳のときにはいきなり暴れて近所の子の髪の毛をむしりとったりした。憧れて入った高校も病気のために1ヶ月で退学、その後は悪い仲間と銀行強盗などやり、本来なら少年院に行くべきところを病気のために猶予された。病院に入院するが、脱走。そして誰にも知られずに死にたいと、谷川岳にやってきたのである。

何故BJは美江を追っているのか? 美江の家は金持ちのようで、両親はBJに治療を依頼したのだ。精神科の疾患をどうして外科医に?と思うが、BJもBJで3千万円ふっかけた模様。しかし両親は払えるはずの3千万円を出すことを断った(←BJからこのことを聞いたときの美江の表情が哀しい……)。「ことわられたとたんに おまえさんを助けたくなったのさ」とBJ。父親に見捨てられたBJなればこそ、美江を放っておくことなどできなかったのだろう。

霧の深さと美江の心に巣食う哀しい闇の濃さは比例している。最初はツッパっていた美江が、暗闇を恐れ、一人ぼっちを恐れ、死を恐れるようになる。力づけ励ましてくれるBJに傍にいてほしいと願い、生きたいと願うようになる。そして霧が晴れた10日目、健康になった自分がBJと結婚する夢を見ながら、美江は微笑んで死んでいく。

この、美江の死を看取ったときのBJの表情が私は好きだ。悲しいには違いないだろうが、心が通じ合った、報われた、という思いが滲み出た、とても暖かい眼差しをしている。そしてもう返事はないことを知りつつ、鼓舞するように「救いがきたぞ!! 美江! 救いだ!!」と呼びかけるのである。

この「救い」は決して「死」を意味してはいないと思う。これがBJでなくドクター・キリコであったなら、そう深読みしそうだが。ドクター・キリコといえば、彼が出てくる「小うるさい自殺者」とこの「霧」では同じようなテーマが扱われている。どちらの場合も、死にたいと思っている若者が「死」を目の当たりにすることによって生きることに目覚める姿が描かれている。あっちは喬という少年が重篤患者の千代子を助けようとし、こっちは美江という少女が自分を大事にしてくれる人(BJ)の存在に生きる希望を取り戻すように、どちらも仄かな恋心が原動力となっていることも共通点だ。……ふと思ったのだが、美江を探し出したのがキリコだったら、彼は美江を安楽死させるだろうか、それとも……?

ところで、BJが患者をファーストネームで呼ぶことは滅多にない。「しずむ女」のヨーコはその代表的な例外だが、美江もその数少ない例外の中のひとつである。BJは患者を「あなた」「きみ」「おまえ」と、主に長幼の序と患者の質で呼び分けているようだが、一番多いのはやはり「おまえさん」だろう。美江に対しても最初は「おまえさん」と言っている。美江が名前で呼んでくれと言ったのでそのときだけ「美江」と呼ぶが、またすぐに「おまえさん」と言ってしまい、「やっ こいつは口ぐせでな」と頭を掻いている。それが、美江が人事不省に陥ってからは、ごく自然に「美江」と呼んでいるようだ。親身になれる相手に対して、BJはファーストネームを呼ぶのだ。美江がBJに心を開いていったように、BJもまた美江を近い存在として感じていた証拠ではないかと思う。同じ緊張状態を共有した者同志が抱く親近感を、心理学では「吊り橋理論」という言葉で表現するが、それだけで説明できるものではない、ヨーコに対するのと同じような、人間の哀しさそのものに対するシンパシーがあったのだろうと思う。

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神技

BJ先生の神技が描かれたお話2つについて。

一ヶ月ほど前だったか、テレビで両腕の移植手術のニュースを見た。2008年、自家移植ではなくて他人の腕をつける手術にドイツで成功したという。1年経って、まだ指先の動きは不完全だが、自分で食事ができる、自転車に乗れる、かゆいところがかける等、医師もびっくりするほどの回復ぶりだそうだ。他人の腕をつける手術は2000年にフランスで行われたのが最初だったが、それは片腕だったので、両腕全体の完全移植はこれが「世界で初めて」と報じられていた。

われらがBJ先生はというと、「ふたつの愛」(1974年)で同じ手術に既に成功している。このときは何故だか病院の前に街宣車がきて「いよいよ世紀の手術が始まります。別人の両腕を移植する手術です。このきわめて困難で 世界に前例のない大手術に 日本じゅうの期待が集まっています!」とアナウンスしている。闇の天才外科医BJの手術がこれだけ大っぴらに周知喧伝されたのは空前絶後なのではあるまいか。ここまでやったのなら手術成功後もマスコミが大騒ぎして取り上げてくれてもよさそうなものだが、残念ながらそれはなかった(世界初の偉業なのに)。そして神技を発揮しておきながら、さほど大したことをしたような顔もせず寿司を注文するBJ先生なのであった。

しかしBJ先生の神技といってまず最初に思い浮かぶのは「病院ジャック」である。テロリストに病院を占拠され、更には電源を切られて真っ暗闇になった中で、BJは完璧な手術を行うのだ。私はこのお話がことのほか好きなのだが、その理由は、先生の神技もさることながら、あくまで一人の医者として存在するBJをカッコいいと思うからである。他の医師たちはなんとかテロリストを懐柔しようとしたり形成を逆転しようとしたりするのだが、BJは一顧だにしない。どんな状況下でも目の前の患者を手術することだけを考えている。プロ意識なんてものではなくて、もう細胞1個1個のレベルでこの男は外科医なのだ医者なのだと思わせられる。

そして名言が飛び出す。「マッサージ師は目が見えなくてもツボは知っている。医者がマッサージ師に笑われたいか?」と手術を断行。そして患者を助けるものの、その停電の間に5人の重症患者が死んだことを知ってテロリストに一言。「たいしたやつだな……簡単に5人も死なせるなんて。こっちは……ひとり助けるだけで せいいっぱいなんだ……」。できることとできないこと。自分一人の力ではどうしようもないことがある。その諦観を前提に、一人の天才外科医が精一杯の力でたった一人の命を助けようとする。そのあり方生き方に、多くのことを学んだ一作だ。

ところで余談だが……。「病院ジャック」の「ジャック」という言葉。これには「乗っ取る」だの「占拠する」だのいう意味はない。一説によれば、むかし駅馬車強盗が御者に“Hi, Jack!”と呼びかけて馬車を止めさせたことに由来するらしい。“Jack”というのはありふれた名前として選ばれているだけだ(日本なら「ひろし」あたりか?)。乗っ取られたのが飛行機でも車でも列車でも船でも、英語ではすべて「ハイジャック」と言うらしい。だから「病院ジャック」というのは和製英語で、英語なら“Hospital hijack”が正しいだろう。文庫版の英語タイトルが“Hospital Jack”になっているのはきっとBJ先生の名前とかけてあるのだと思う。

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「ダメ。ゼッタイ。」

このところ芸能界で相次いだ麻薬濫用のニュース。BJ先生ならずとも「ケッ 芸能界は狂ってやがる」と言いたくもなる。

Wikipedia によれば、麻薬の定義は5つある。簡単にいうと……
1.アヘン剤のこと。アヘン剤とは、モルヒネ、ヘロイン、コデインなど、ケシの実から抽出されるアルカロイドを合成した薬剤のこと。
2.脳内に作用し、酩酊・多幸感・幻覚などをもたらす薬物のうち、依存性や毒性が強く健康を害する恐れがあるため、あるいは社会に悪影響を及ぼすため、国家等によって指定され、単純所持が禁じられているもの。
3.日本において麻薬及び向精神薬取締法において麻薬に指定されているもの。
4.脳内の神経伝達物質に作用し、酩酊・多幸感・幻覚などをもたらす薬物のうち依存性や毒性が強く健康を害する恐れがあるものとして麻薬及び向精神薬取締法とは別の法規で規制されているもの。
5.薬物のうち、依存性や毒性、法規制の有無などを問わず、脳内の神経伝達物質に作用し、酩酊・多幸感・幻覚などをもたらすものを広義の麻薬に含めることがある。

酒井●子がやった覚せい剤(スピード、S、シャブなどともいう)は上記のうち2.4.5.に相当し、押●学がやったMDMA(エクスタシーともいう)は2.3.5に相当する。ちなみにタバコとアルコールはともに4.5.に相当する(草彅クン……)。また「覚せい剤取締法」によれば、覚せい剤の使用は10年以下の懲役(第41条の3)、覚せい剤の所持、譲渡、譲受は10年以下の懲役(第41条の2)となっていて、使用はもちろんのこと持っているだけで罰金刑では済まず懲役刑は免れない(執行猶予が付くかどうかは別)。

さて、『BJ』において麻薬が出てくるのは「小さな悪魔」「あつい夜」「虚像」の3作ではないかと思う(鎮痛剤としての使用は他にもあったかもしれないが除く)。

「小さな悪魔」でBJは患者の息子に睡眠薬を飲まされる。手術中に猛烈な眠気に襲われてそうと気付き、慌てて覚醒剤を自己注射しようとするが戸棚までたどり着けず、床に倒れて寝てしまう様子が描かれている。折りよく帰宅したピノコがカラシを一瓶BJに食べさせて目を覚まさせ、なんとか事なきを得るのだが、先生が寝てしまった間も無情に時を刻む時計と、開腹したままの患者から血液が大量に流れ出る描写にはハラハラさせられた。覚醒剤は治療においては中枢神経刺激薬として昏睡から覚醒させるために使用されるものであるから、↑のBJ先生の試みは正しい使用法である。手術室の戸棚にしまってあるということは、もしかしたら麻酔との兼ね合いで使ったりすることがあるのかもしれないと想像する。ふつう覚醒剤はナルコレプシーや注意欠陥・多動性障害(ADHD)等の神経疾患や障害にしか処方されないはずである。

「あつい夜」ではゴ・ウィン医師にやはり睡眠薬を飲まされるが、このときはなんとか自分で注射を打っている(先生、左手でも注射できるんだね)。中身はたぶん覚醒剤だろう。「小さな悪魔」で学習していつも持ち歩くようになったのかも。

「虚像」の志摩先生は、BJの小学校時代の恩師。ところが20年ぶりに会った彼はモルヒネの常習者になっていた。離脱(禁断)症状に苦しむ志摩をBJは救う……。しかしこの苦しみよう痛がりようは、モルヒネじゃなくてヘロインなんじゃなかろうか。それにモルヒネなら長期に少しずつ量を減らしていくことで安全に中止できるはずなのだが。いや、でもBJ先生がモルヒネと言っているのだからモルヒネなのだろう。BJは志摩を地下室に閉じ込め、なんとか薬と縁を切らせようとする。志摩が飛び降り自殺を図ったので最終的には病院へ担ぎ込むことになってしまうが、はじめはBJが一人で面倒を見ようと思っていたに違いない。

本来ならば、「麻薬及び向精神薬取締法」第58条の2「医師は、診察の結果受診者が麻薬中毒者であると診断したときは、すみやかに、その者の氏名、住所、年齢、性別その他厚生労働省令で定める事項をその者の居住地(居住地がないか、又は居住地が明らかでない者については、現在地とする。以下この章において同じ。)の都道府県知事に届け出なければならない。」に従わなくてはならないのであるが、BJがそんなことをするはずはない。自分を可愛がってくれた恩師の変わり果てた姿を公にしたくない、自分が治すのだという一心だったのだろう。結局、志摩先生がヤク中であったことを知るのはBJただ一人。快復した志摩を迎えて賑々しく開かれた同窓会にも姿を見せることなく(志摩先生と会うことを避けたのに違いない)、遠くから恩師の健康を祈るBJ……って、どこまでカッコいいんだこの男は! o(>_<)o くぅ~

……脱線しそうなので話を戻す(笑)。薬物に関する法律は主なところで「麻薬及び向精神薬取締法」「大麻取締法」「覚せい剤取締法」「あへん法」の4つがある。BJ先生はというと、「小さな悪魔」で「覚せい剤取締法」第14条(所持の禁止)に、「あつい夜」で同法第19条(使用の禁止)に違反しており(←なにしろ医師免許を持っていないから)、起訴されれば執行猶予がつくかつかないかは別にして懲役刑である。うん、BJ先生は覚せい剤をやったことがあるのだ! またBJを医師だとすると、「虚像」で「麻薬及び向精神薬取締法」第58条の2に違反する(罰則はないようだが)。まあこれくらいの罪はBJ先生にとってはどうってことないのだろうけれども(笑)。

ちなみに、「覚せい剤取締法」(昭和26年6月30日公布)では「醒」の字が当用漢字表外の字だったため「覚せい剤」と記載されている。更に「せい」に傍点を付けるのが正式である。だから法規的に論ずるときには「覚醒剤」は誤りで「覚せい剤」(傍点あり)が正しいのだろうが、それ以外の場合には「覚醒剤」でよいのではないかと思い、この文章内では書き分けたつもりだ。かな交じり表記は読み辛くてしょうがない。BJ先生も「か……覚醒剤を注…注…注………」と、漢字で発音してくれていることだし(笑)。

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浴衣

BJ先生が着ている服といえば黒ずくめの三つ揃いとコート、はたまた術衣か白衣。たまにパジャマかランニング。セーター着てればめっけもの。入浴時には腰タオル。超レアお宝画像が新郎の燕尾服姿……と、これくらいしかバリエーションがないが、浴衣(着物)はけっこうお召しになっている。

「ふたりのピノコ」では旅館の浴衣。
「奇胎」では「ホテル平」の浴衣。
「クマ」では大怪我を負った冬造さんの褞袍(どてら)を勝手に拝借しているようだ。シャツもそうかな? じゃあパンt……。
「湯治場の二人」では奥底温泉の旅館の浴衣。ツートーンのかなり大胆なデザインに「忍」の文字が印象的。
「勘当息子」では民宿の浴衣の上に丹前。
「メス」(「土砂降り」)では清水きよみ先生のお兄さんの寝巻きを貸してもらっている。寝ぼけまなこでお尻ボリボリ(笑)。
「キモダメシ」では「湯治場の二人」と同じ旅館の浴衣。
「もらい水」では「扇屋旅館」の浴衣。
アニメでは「六等星」で『どろろ』の百鬼丸と同じ碇柄の浴衣を着ていたし、OVAでは「しずむ女」で旅館・満月館の浴衣を着ていた。

基本的に、BJ先生が浴衣を着るのは旅館や誰かの家に泊まるときである。例外と思われるのが「夜明けのできごと」の扉絵で、ピノコと2人浴衣姿で仲良く手をつないでお祭りか花火大会にお出掛けの様子が描かれている。これはたぶん自前の浴衣だろう。ヒョウタンツギとスパイダーの団扇もなかなか趣味が良い(そうか?)。また、BJ先生は浴衣を着るときもアンダーシャツをきっちり着込んでおられるようだが、胸元などはかなり大きく開けてラフな着こなしである。よくぞ男に生まれけり。BJ先生が浴衣を着ていたら仕事シャットアウトの完全オフモードと見てよい(こんなときに「診てくれ」と言われるとぶーたれる・笑)。逆に言えば、スーツとコート着用時は臨戦モードで、術衣と白衣は戦闘服ということだ。

ちなみに『BJ』に出てくる病院はどこでもたいていそうだが、BJ先生のところでも入院患者には浴衣を着せるようだ(「消えさった音」「奇妙な関係」)。時代を感じさせてくれる。「悲鳴」の朝戸レイ、「おとずれた思い出」のピノコの姉はネグリジェ、「過ぎさりし一瞬」の今村健平はパジャマを着ているが、これは持ち込みか、時代の変化か?

Photo……ということで、浴衣姿のBJ先生を1枚。こちら中国地方ではまだ梅雨が明けておらず、観測史上最も遅い梅雨明けとなることが決定したが、このままでは暑中見舞いを出すタイミングを逸するので、フライングだがきょう出すことにした。
よろしければ、ご自由にお持ち帰りくださいませ。m(_ _)m
BJ先生、湿気のせいで古い傷痕が疼くので奥底温泉で湯治中。浴衣に「忍」の文字を入れる勇気を私に(笑)!

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謎のオースチマン

「あなたがもし 天国ばかり目をすえて 地上をけっしてみないなら あなたはきっと地獄行き」

「U-18は知っていた」冒頭の「オースチマン・オマリー」の警句である。長年、なんだかよく判らないけれども判ったふりをして読み飛ばし、私は知らないけれどもきっと有名な人の有名な言葉なのだろうと信じて疑わなかった言葉である。今回初めて調べてみて、手塚治虫がどうしてこんな言葉を知っているのかを不思議に思わずにはいられない。

まず、「オースチマン・オマリー」でネット検索してみて驚くのは、その典拠が明らかなものは全てが「U-18は知っていた」に拠っているということだ。つまりこのエピソードでの記述以外にネット上に「オースチマン・オマリー」なる人物は見当たらないのである。

中に1件だけ綿密に調べたサイト(白拍子泰彦氏のサイトである)があって、「現代風に読むなら、オースチマンはオースティンとなるだろう」とあり、更に「オースティン・オマリー(1858-1932)はアメリカの医者で、手塚が医学生時代に医学書などから彼の名といくつかの文章に触れたのだろうと私は推理している」と書かれている。ブラボー! 素晴らしい! そしてそこで紹介されていたリンクからやっと辿りついた原文がこれだ。

“If you keep your eyes so fixed on heaven that you never look at the earth, you will stumble into hell.” --- by Austin O'Malley

やれやれ。どこがどうなって Austin が「オースチマン」になったのやら。「オースチン」ならまだわかる。どこかの時点で余計な「マ」が入ってしまったのだろう。あるいはただの誤植かもしれないが。いずれにせよ、「オースチマン」なんて人物はいない。「U-18は知っていた」を読んでこの言葉を有り難く暗唱した者全員が大間違いな思い込みをしていることになる。これはアレだ。『007』の「ゴールドフィンガー」を見た者が「人間は皮膚呼吸ができなくなると死ぬ」と思い込んだのと同じくらいの大間違いではなかろうか。

Austin O'Malley(1858-1932)。1910年代に“Essays in Pastoral Medicine”“Ethics of Medical Homicide and Mutilation”“Keystones of thought”等の著作がある。
“Ethics of Medical Homicide and Mutilation”の表題紙に書かれている肩書きは“M.D.(Medicinae Doctor=医学博士)”“PH.D.(Philosophiae Doctor=哲学博士)”“LL.D.(Legum Doctor=法学博士)”である。“physician, humorist”としてあるサイトもある。 また1895~1902年にはノートルダム大学で英語の教授もしているようだ。なかなかの学者らしいし、彼の箴言は正しく「Austin O'Malley」で検索すれば結構出てくるので、手塚先生も彼の本を読んだのかもしれないという推測もできる。

ネットを漁ったところ、件の警句は“Keystones of thought”という本に載っているらしい(←これは結構苦労して調べた)。では日本国内にオースティン・オマリーの著作物はあるのか。ところが、国立国会図書館の「NDL-OPAC」で探しても、全国大学図書館の「NACSIS Webcat」で探しても、彼の原著ならびにその翻訳本が見つからないのである。考えられることは、もしも翻訳本が存在するとすれば、それは国立国会図書館の納本制度ができる昭和23年(1948)以前の発行であった、あるいはそれ以降に原著が入っているとしてもNACSISの遡及入力が追いついていないか、である。そしてもしも翻訳本がなく手塚先生が原著を見たのだとしたら、「あなたがもし 天国ばかり目をすえて 地上をけっしてみないなら あなたはきっと地獄行き」というフレーズは手塚先生の訳ということになる。

白拍子氏の推理では、オマリーが医者であったことから手塚は医学生時代にオマリーの文に触れたのだろう、となっていたが、これが正しいとすれば是非とも大阪帝国大学附属医学専門部の蔵書目録を調べてみたいものである。ちなみに大阪大学のOPACも検索してみたが、ヒットしなかった。あるとしても戦前の本だから、まだデータが入力されていないのだろう。

手塚が医学生時代にこのオマリーの文に触れたとする。あるいはノートに書き留めたりしたのかもしれない。『BJ』を描く際には自分の医学生時代のノートも参考にしたらしいから、そのときふとこの文が目に留まってこの作品が生まれた、と考えても確かに無理はない。

しかしここでひっかかるのは、この警句がはたして医学のノートに書き留めておくほどのものかということと(笑)、この“Keystones of thought”という本が医学書らしくないことである。件の警句も医学とは関係ない。はたしてこの本が大阪帝国大学附属医学専門部(もしくは大阪大学医学部)にあっただろうか。そこで、オマリーには“physician”のほかに“humorist”という肩書きもあることを考えてみる。数々の箴言を残しているようなので、おそらくいろいろな書物(洋書)に引用されることも多かったのではないか。とすれば、手塚が読んだSF小説などにこの文が引用されていたのではないかという推測も成り立つのではないか。あるいは洋画のセリフとか……。

オースチマンの「マ」がどこで入ってしまったのかということと、手塚先生がどこでこの言葉を知ったのかということ……どなたかご存知ありませんか(泣)。
(大急ぎで書いたのでグダグダな文章スミマセン。後で読み返して直すかもしれません。調べるのに時間を食った割りには成果が出なかったなぁ……)

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Oyatsuchicken日清の「おやつチキンラーメン」、BJ先生のパッケージを買ったらピノコのマグネットが出ました~♪ BJ先生が出るまで買うぞ!

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BJ先生の金はどこにあるのか

昨日『世界の果てまでイッテQ!』で、イモトがスイス銀行の紹介をしていた。画面ではゴルゴ13が「ここなら安心」みたいなことを言っていた(笑)。スイス銀行は徹底した守秘義務を貫いており、永世中立国であることも相俟って、信頼性が高いのだそうだ(反面、ブラックマネーが集まる危険もあるが)。そして、われわれでも口座を開けるかというと、最低5千万から1億円くらいないとダメなんだそうだ。……ふん。

われらがBJ先生はそのスイス銀行に口座を持っている。「こっぱみじん」(#73)では「お金はスイス銀行をとおしてキャッシュでたのみますよ」と言っている。このときの要求は150億円。シリーズ中、最高報酬額である。

ところが「宝島」(#81)ではスカンク草井がこう言っている。「先生はずいぶん世界をマタにかけてがめつくかせぎなすった……総額ざっと百億ドル」「世界じゅうの銀行を調べたがほんの2、3百万円しかあずけてねえな。ふしぎだ」。スイス銀行はちゃんと守秘義務を守っているらしい(笑)。「世界じゅうの銀行」の中にスイス銀行は入っていないと考えざるを得ない。少なくともこのとき「こっぱみじん」の150億円は預金されていたはずなのだから。

しかしそれにしても「総額ざっと百億ドル」とはすごい。豊福きこう氏の計算によるとなんと3兆800億円である。3,080,000,000,000 円! ……0の数は合ってるだろうか? 北朝鮮の年間国家予算(3000億円から4兆円まで諸説あるが)を一人でまかなえるくらいの荒稼ぎである。いくらあちこちの島を買ったとしてもすぐに使い切れる額ではなかろう。

では2~3百万円は当座の資金としてどこかの銀行に預けて、残りはスイス銀行にあるのだろうか。「ピノコ還る!」(#38)で、泥棒の源さんがさんざん家捜ししても現金が見つからなかったことからも、ピノコの「うちはいつも貧乏よ。お金なんかないわのよ」という発言からも、大金は手元に置いていないようにも思われる。ところがそれでは辻褄が合わないことが。「助け合い」(#201)においてBJ先生は、東京(あれ? 先生の住まいが東京になってる)から北海道まで大至急で行く途中で20億円+αの現金を工面しているのだ。

スカンクの調査結果を信用するなら、この金は銀行に預けてあったものではない。20億円もの現金を常時保管してすぐに用立てることのできる銀行などないだろうから、この調査結果は信用して良い。また源さんの泥棒としての能力を信頼するなら、この金はあの岬の家にあったのでもない。ならば、どこに……?

私は、あの「コレラさわぎ」で出てきた、BJ先生の隠れ家にあったのだとにらんでいるのだが、どうだろう? ……ここでタイムアップです(汗)。

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何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか

先週の朝日新聞「be on Saturday」に、懐かしのマンガに続く第2弾「もう一度見たい昭和のアニメ」ランキングが載っていたので転記しておく。()内は得票数。

1 鉄腕アトム(968)
2 巨人の星(542)
3 まんが日本昔ばなし(532)
4 ジャングル大帝(507)
5 鉄人28号(465)
6 宇宙戦艦ヤマト(421)
7 エイトマン(379)
8 あしたのジョー(363)
9 オバケのQ太郎(351)
10 ルパン三世(337)
以下、アルプスの少女ハイジ、ムーミン、サイボーグ009、魔法使いサリー、となりのトトロ、おそ松くん、妖怪人間ベム、狼少年ケン、ゲゲゲの鬼太郎、銀河鉄道999 と続く。

やはりアトムがぶっちぎりの1位だ。「いまでも主題歌が聞こえてくると、未来への希望がわく」「アトムは永遠のアイドル」などという読者の感想が並ぶ。私も毎週観ていたが、内容はほとんど覚えていない。エイトマンのほうが好きだったし。でもアトムが歩くたびにピョコンピョコンと足音がするのをおもしろがっていた覚えはある。この記事を書いた1959年生まれの記者さんはおそらく私と同学年だが、彼も書いているように、私もマーブルチョコのアトムシールを集めたクチだ。

Sightところで、夫が友達からこんな雑誌をもらってきた(夫、手柄ぢゃ!)。ロッキング・オン社発行の「SIGHT」vol.15 SPRING 2003 である。特集のタイトルは「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか 誤解された天才の闇に迫る」。編集の渋谷陽一が神とも仰ぐ手塚治虫の特集を企画したのは、おりしも2003年4月7日にアトムの誕生日を迎えるからだったという。

渋谷陽一は巻頭言でこう語っている。
「未来、希望、ヒューマニズムといった言葉の洪水のなかに、本当の手塚治虫はいなかった。一種の手塚批判ともいえた宮崎駿の発言----社会的には物議をかもしたが、僕が納得できた数少ない追悼の言葉だった。あの宮崎発言には、手塚への確かな愛があり、リアルな表現者としての手塚が存在していた。すでにいろいろなところで語られ始めている手塚論、あるいはアトム論は、僕が危惧したとおり、本来の手塚、本来のアトムとは距離のあるものばかりだ。そこで本誌は、あえて「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」という挑戦的なタイトルで大特集を組んだ。
手塚は生前頻繁に、自分にとってアトムは代表作でない、好きな作品ではない、本来のメッセージが世間に伝わっていない、そしてアトムというキャラは好きではない、とまで発言している。…安易な手塚→アトム→ヒューマニズムというフラットな連想パターンもより一般化してしまった。いうまでもなく手塚は希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である。」

素朴な疑問が湧く。最初に挙げたランキングでの読者の声と、アトムが嫌いだったという手塚の言葉との、この乖離の大きさはいったい何だ? 手塚が当時アトムを嫌いだ嫌いだと思ってあのアニメを作っていたとすれば、多くの視聴者を欺きおおせた偉大なペテン師だったということになる。

たぶんそうではないのだと思う。「アトムが嫌いだ」というのは、アトムに込められたプラスの面ばかりに注目されることに嫌気が差して、また漫画家としての自分にそういうレッテルが貼られることを避けるために言った言葉だと私は思う。自分はもっと別のものだって描けるんだゾ、というアピールではなかったか。

「手塚は希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である」。確かにそうだ。『火の鳥』(何編だったか忘れた)で、やっと深い縦穴から出たと思ったら、そこには更に高い壁が聳え立っていたあのラストには、おさな心にも絶望を感じたものだ。『ザ・クレーター』で、死ねない身体になった宇宙飛行士が月面から地球の終焉を見続ける話にも、胴震いがするほどの恐怖と絶望を覚えた。しかし、だからといって、手塚がそこで本当に描きたかったのが絶望であったとはどうも思えないのである、私には。これは作品から受ける印象がそうだから、としか言いようがないのだが。また、NHKのように、愛だ思いやりだヒューマニズムだなどとは簡単に評したくないのだが、でも彼の作品全体から受ける印象は、絶望や悲惨さよりは愛と希望とロマンなのである。

だから私は手塚が「アトムが嫌いだ」と言っても、額面どおりには受け取れないのだ。彼は人一倍自分に対する評価を気にする人だったそうだから、それは評論家だのマスコミだのに対するバリアであって、彼らを操作するための計算だったと考える。この特集を企画した渋谷氏のように、手塚治虫は品行方正なマンガばかりを描いていたわけではなくて、それは後から付加されたマスコミによるフィルターを通した見方に過ぎない、というような論調が出てくるのは、まさに手塚の思うツボではなかったかと思う。

彼が人間の心理や社会のマイナス部分に目を向けた漫画家だったことを否定するつもりは毛頭ない。でもそれは更にその先を描く(あるいは読者に思い描かせる)ための手段であって、決して目的ではなかったと私は考える。というか、そう感じる。私の感覚が絶対だ、などと言うつもりはない。渋谷氏のような捉え方のほうが真実なのかもしれない。そっちの考え方のほうがより深いと言う人もいるだろう。

結局、これは読者各人の感覚のレセプターの違いなのかもしれない。手塚治虫が投げかける善や悪や生や死や愛や裏切りや嬉しさや悲しさや喜びや苦しみや……、そんな様々な形をしたメッセージの中から、読者は自分のレセプターに合ったものを選択して受け取っていく。『MW』の結城に込められたメッセージを大きく受け入れる人もいれば、善玉ロボット・アトムに込められたメッセージがぴったりの人もいるのだろう。そして私のレセプターは、『BJ』という作品の描かれ方やメッセージに反応するのである。

……と、無理矢理『BJ』に話を持っていったところで、最後に、この特集の中で『BJ』について触れられている部分をいくつか挙げておく。

「考えてみると、手塚治虫ってキャラクター・グッズが売れないんですよ。(中略)実際は鉄腕アトムくらいでね、あとは何もないんですよ。やっぱりブラック・ジャック人形は持たないし、ブラック・ジャックTシャツは着ないと思うんですね」(竹内オサム)……私、ブラック・ジャックTシャツ、着てるんですが(汗)。

「本当に『ブラック・ジャック』なんか異常だもんね。一話完結であれだけの物語を作るという」(江口寿史との対談の中の渋谷氏の発言)

「『ブラック・ジャック』というのは職人というか、医者の“教養”って感じがすごくするんですよね。なんというか、生命の大切さの背景には、膨大な死があるのだ、というような、一種の諦観というか死生観というか」(斎藤環)

「手塚さんは知識よりも教養をとったという感じですかねえ。さらに言えば、物語性のほうをとったわけで。それが『ブラック・ジャック』を非常に優れた作品にしてると思いますね」(斎藤環)

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白い孤独

亡くなって10日たっても未だ注目され続けているマイケル・ジャクソン。その容貌の変遷をテレビで見る機会も多い。私は、彼の肌の色が白くなっていったのも整形によるものかと思っていたのだが、これは尋常性白斑という病気のせいだったらしい。皮膚の色を作っているメラノサイト(色素細胞)が消失する病気で、難治といわれている。『スリラー』の頃から白くなり始め、最後は爪に色素が残るだけという状態だったとか。

ところで、『BJ』において肌が白いということで命まで危うかったのは「白いライオン」のルナルナである。演ずるのはもちろんジャングル大帝ことレオだが、ルナルナとレオでは身体が白い理由が異なる。ルナルナがメラニンに関わる遺伝情報の欠損により白化したアルビノ(先天性白皮症・先天性色素欠乏症・白子症)という突然変異であるのに対して、レオはアルビノではなく、また氷河期の遺伝子が発現したいわゆる白変種でもなく、ただ親からの遺伝のために白いのだと設定されている。

アルビノは、「1)視力が弱いため攻撃性や俊敏性が低い 2)保護色となる色素を持たないため捕食者や獲物に見つかりやすい 3)紫外線などの害作用に対する免疫がない などの理由により、自然界の生存は極めてまれである(←Wikipedia による)」そうだ。ルナルナは虚弱体質なのである。だから、ルナルナがその白さゆえに人間に珍重されて自然界から人間の世界へ連れてこられたことが、ある意味ルナルナの命を救ったことになるかもしれないのは皮肉である。また、アルビノは瞳孔が赤いのが特徴なので、ルナルナの瞳孔は赤いはずである。アニメではどうだったかな?

さて「白いライオン」だが、このエピソードでの本当の主役はピノコであるように思う。魚をさばくピノコとBJのほのぼのとした会話で幕が上がるが、この最初のわずか1ページの間に、早く一人前のレレイ(レディ)になりたいピノコの願望と、♂♀の違いにサワリだけ触れて(これ以上はピノコにはまだ早い)と思っているに違いないパパBJが描かれている。それでもピノコのお腹の中には「タマゴ」云々と、決してウソは吐いていないBJ先生である(笑)。ちなみに、ここで出てくる「シラコ」という言葉が「白子=アルビノ」に繋がっており、実に上手い構成になっていると思う。

白いことで人間のオモチャにされて弱ってしまったルナルナを、BJはメラニンを注入することで治療する。しかしそこに至るまでのBJとピノコの会話が泣かせるのだ。白いから可愛いのだと治療に反対するピノコをBJが諭す。
「ピノコ おまえはどうだ。おまえはまともなからだになりたいと思ったことはないのかっ」
……(中略)……
「そやあ ないたいわのよ……」
「ルナルナもおまえとおんなじことを考えてるんだ きっと……。わかるだろう?」

おお……ピノコ! (T-T)
この言葉でちゃんと理解して、ルナルナの幸せを考えるピノコに私はいつも感動する。ピノコが出てくる話の中では一番好きかもしれない。自分はそうなれないかもしれないけれど、他の同じような境遇の者の幸せを願うことのできるピノコを、もう私はなんと言ってよいのかわからない。ピノコをピュアだというのなら、何は置いてもこの話を取り上げるべきだったと思うゾ、NHK。

ごく普通のライオンになってしまったルナルナは健康を取り戻すが、動物園側は手術が失敗したのでアフリカへ返したと発表する。おかげで、どこでどう調べたか、ルナルナを治したBJの元に抗議の便りがどっさり届いたりする。しかし、中に1通、こどもが描いたとおぼしき元気に駆け回る褐色のルナルナの絵が……。
「これ……おまえがかいたんじゃないのか?」
「ウフン……」

良いラストである。動物園は「手術は失敗」と言っているのだから、ルナルナが褐色になって元気になったことを知っている子どもはピノコしかいない。BJ先生にはすぐに犯人(?)が判ったはずである。呆れたふうを装っているが、悪者にされたBJをなぐさめようとするピノコの気持ちはちゃんと伝わったことだろう。ピノコが描いた明るい表情のルナルナが、ピノコの切ない願いが昇華したものであることもまた……。

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ただいま読書中

たまたま立ち寄ったB○○K ○FFで、6年前に出た『ブラック・ジャック『90.0%』の苦悩』(豊福きこう著)を発見。即買い。ただいま熟読中。

「B・Jの全データを検証、その人間像に鋭く迫る。雑誌掲載版とコミックス版を徹底比較して手塚治虫のオペ成功率をあわせて分析。」(「BOOK」データベースより)

初出時から各種単行本までのコマやセリフの変遷が徹底調査してあるのが、なによりすごい! たとえば「海賊の腕」で、ラストページの1コマだけBJの腕が義手になっている点(と、後にそれが訂正されている点)とか、「めぐり会い」で、BJの「あいたいですね」というセリフがカットされている点などなど(他にもいっぱい!)が指摘され、またそれについての考察がなされている。こういう地道な調査によって裏付けされた説は、とても説得力がある。データブックとしても読み物としても面白い!

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お宝!!

某氏よりセル画を頂戴してしまいました。なんと! OVA版『BJ』です! 
感涙! (T-T) 生きててよかった……。

せっかくですので、写メしてお披露目いたします(フラッシュも写ってしまいました)。OVA版はDVDを持っていないのでうろ覚えですが、3枚目は「カルテV サンメリーダの鶚」のレスリー、4枚目は「カルテVII 白い正義」の白拍子先生だったと思います。BJ先生とピノコはどの話だかわかりません。俄然、OVA版購入の意欲が湧いてきました。だって、どこのシーンでこのセル画が使われているか知りたいじゃん、ねえ。

セル画の実物を、実は初めて見ました。素晴らしく綺麗なものなのですね。裏の紙をちょっとめくってどんなふうに塗られているのかを見て、感動しました。なんという緻密な作業! こんなのを何千枚も手作業で作っていたなんて「凄い」の一言です。やっぱり日本のアニメは世界に誇れるものだったと思います。いまはデジタル彩色で、しかも海外に発注することが多い、などと聞くとちょっと残念です。

はぁ~、しかし、いつまで見ていても飽きません。杉野さんの生(なま)BJ先生をこんなに間近に拝める日が来ようとは。某さん、本当に本当にありがとうございました。大切にします!

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『BJ』あれこれメモ

月曜日は『BJ』語り。きょうは取りとめもなく思いついたことをメモ書き。

・軍艦島と要塞島
いささか旧聞だけれども、4月22日に長崎市沖の端島(通称・軍艦島)への再上陸が解禁された。かつては炭鉱の島として栄えたが、1974年の閉山に伴って無人島となっていた島である。現在は「世界遺産」への登録を目指しているとも聞く。
それで思い出したのだが、この島は『BJ』112話「望郷」(1976年)に出てくる猫生島(通称・要塞島)のモデルに間違いないと思う。島の形や海上から見た様子が酷似しており(Wikipediaに写真があったので確認した)、当時無人島だった史実にも合う。一方は炭鉱閉山で、もう一方は公害問題でと、島が見捨てられた理由は違うが、今回改めて「望郷」を読んで、故郷を捨てねばならなかった人々の気持ちに思いを馳せた。軍艦島にもきっとヤケッパチのような望郷の念を抱く人達がいるに違いない。

・テレビ出演
BJ先生は映画には出演したことがある……顔は出ていないけれど(「フィルムは二つあった」)。ではテレビに出たことはあるのだろうか。「黒潮号メモ」の冒頭、六久(ロック)の冒険の始まりがテレビ中継されているところにBJ先生が乱入しているので、もしかしたら映ったかもしれないが、確認はできない。確実に映っているのは「三者三様」。ガス爆発の怪我人が運ばれるのを見ている先生が画面に見える。

・手相
Photo少年チャンピオン・コミックスの第8巻の表紙で、BJ先生の左手の手相がわかる。大きな特徴は、感情線と頭脳線とが1本になっていること。これを「枡掛け(ますかけ)」と呼ぶらしい。そこで枡掛線を調べてみると……。「この相をもつ人は、たいてい孤独な一面をもつ人です。…(中略)…また世間一般の成功や出世などという問題に関しても、全然無関心であるか、反対に強い執着をもつか、そのいずれかであって、中間というものがありません。だからこの相の人は、大成功するか、社会から落伍するかのどちらかであって、この相に良い運命線か太陽線を伴う場合は、たいていは大成功するが、運命線も太陽線も伴わぬ場合は人生の敗残者に終るというのが、この相の通念です」とある。どことなく当たっているような気がする。いずれにせよイチかバチかの人生のようだ。BJ先生はくっきりした運命線もお持ちのようなので、たぶん大成功するほうなのではないかと思うのだが、どなたか手相に詳しい方はいらっしゃらないだろうか。

・筆跡
BJ先生の筆跡は、あのメキシコのひょうたん人形に見ることができる(「研修医たち」)し、「黒潮号メモ」のラストでフィリピン人夫婦に残した手紙(日本語で書いても彼らには読めないと思うが)でもはっきりわかる。数字なら「ピノコ還る」でお金の勘定をしているシーンに見える。あとは、「刻印」での間久部の指の骨に書いたサイン(これはもう見ることはできないか……)とか、「一ぴきだけの丘」で切った小切手とか、「ダーティー・ジャック」で書いたメモ書きとかに残されているはずだ。言うまでもないが、BJ先生の筆跡は手塚治虫の筆跡にそっくりである(笑)。印象としては、太い線でグリグリとはっきりくっきりした字を書きそうだ。

・暗号
Photo_2ただひとつ自由にできる呼吸を使ってなんとか意思を伝えようとしたのは「信号」の患者だが、「幸運な男」の扉絵に簡単な暗号もどきが1つある。
ピノコ「CAOBRCED KEOFNDHOINJOK OLPMENNOOP RQERNSSTHUUV?
BJ「SAOBDCAD!
赤字だけ拾って読むと、
ピノコ「CORE KONDONO OPENO RENSHU?(これ今度のオペの練習?)」
BJ「SODA!(そうだ!)」
となる。間にアルファベットを順番に入れていったものだが「G」が抜けているのがご愛嬌。それにしても、キュウリを刻んでオペの練習なんて……。

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手塚治虫の祈り

前回の『週刊手塚治虫』の内容をメモ書き。ゲストはみうらじゅん。その肩書きの多さに、「あるときはイラストレーター、あるときはミュージシャン、あるときは……」と、多羅尾伴内のような紹介をされていた(笑)。私にとっては、仏像ファンであることと、Tom Jones の“If I Only Knew”に『恋はメキメキ』という邦題を付けた人物という認識が大きい。

1980年、「ガロ」でマンガ家としてデビュー。子どもの頃からマンガは描いていた。手塚治虫等が書いた『マンガのかきかた』という本を愛読していた。そこで気付いたのは、自分に欠けているものがあるということ。表現したい気持ちだけが大きくて、テーマがない。後に等身大の自分を認めたらテーマができてきたが、当時は自分に何もないことがコンプレックスになっていた。

高校生のときに読んだ『きりひと賛歌』。当時『ブラザーサン・シスタームーン』という映画を観た後だったのでスムーズに入れた(←懐かしい映画! 主題曲もヒットした)。松本清張の小説などと同様に、社会に裏があることにも興味があったが、「どうするんだろうこの人は?」とドキドキワクワクしながら読んだ。桐人にたづが迫るシーン、「ただヤらしいもんとして喜んでいた」(笑)。主人公にとって試練の第一段階。(桐人がきっぱりと拒絶することは)高校生には「たまらん選択」だった。大人になって読み返してみて、桐人の悲しいまでの誠実さと、自分にはそれが欠けていることに気付いた。

モンモウ病によって次第に容貌が犬になっていく桐人(試練の第二段階)。精神的、思想的に変わるなんてのは口先だけのこと。顔かたちが変わり、生活全部が変わってしまうことは、とても頭で考えられることではない。追い込まれて自分を無くして初めて見えてくるもの、それは人への思いやりと誠実さ。追い込まれた人間がどうするか、どういう行動を取るか、そこに「人間の価値」が表れる。桐人の受難の旅は「自分探し」ではなくて「自分無くし」の旅。自分を無くして人を救う、これが手塚のテーマだと思う。

モーションまんが「からだが石に」。『きりひと賛歌』をよりキャラクター化したのが2年後の『BJ』。桐人が直球なら、BJは変化球。人にどう思われても良いというのは自分が無いということで、これがBJのクールさになっている。人のために生きる。自分の意思ではなく大きなものに動かされている。(きっかけは)日常に転がっているけれども、人間は追い込まれないとわからない。また、手塚治虫はよくタブーに挑戦している。そして結末は決してハッピーでないことが多い。未来は明るくない。「けれども!」。この「けれども!」というのが手塚治虫の祈りなのではなかろうか。仏教的(な見方)だと思う、とのこと。

モーションまんが「身代金」、「絵が死んでいる」。

映画プロデューサーの松橋真三(映画『MW』にも携わっている)が選んだ1冊は『アドルフに告ぐ』。正義が見えない、価値観がすぐにひっくり返る世界にどう生きるか。

読者からのお便りは30代女性。『プライム・ローズ』のタンバラ・ガイの言葉に感銘を受けた。手塚まんがに描かれる闇の部分も取り上げてほしい。

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今回はなかなか面白かったし、考えさせられることが多々あった。みうら氏は、同じ漫画家として手塚治虫を見ると自分が描いているものはとてもマンガとは呼べない、と言っていた。ただ表現したいという思いだけではダメだということなのだろう。私が感じる手塚マンガの特徴は、読者の共感を得るところまでで終わっていないということだ。たぶんそこまでなら大方の漫画家ができる。手塚のマンガは、そこから先が勝負なのだと思う。読者は、自分ならどう行動するかを散々考えさせられる。

おそらくみうら氏が仏道にも詳しいという理由からだろう、番組では「無私の社会貢献」に焦点が当たったような構成になっていたが、彼が本当に言いたかったことは、人間は追い込まれて初めて己が何者であるのかがわかる、ということではなかったかと思う。極限まで追い詰められたとき、人はどんな生き方をするのか。人間誰だって闇も抱えていれば悪意もある。「けれども!」良い方向へ向かってほしいというのが手塚マンガの一番大きなテーマなのだろう。だからこそ、闇も悪も大きくクローズアップして描かれる必要がある。いや、闇だ悪だと明確に判別できればまだ良い。それが混沌としているように思える世界に、自分はどう生きるのか? 

今回で『BJ』に関したプログラムは終わったけれども、ゲスト各人がそれぞれの立場から語った『BJ』論、手塚論は楽しかったし面白かった。BJの生き方はある意味で理想的だと思う。代償も限りなく大きいが、自分なりの価値観、自分で決めた倫理に従って生きている。世間的な正義などクソくらえだが、決して自分勝手ではなくどちらかといえば謙虚に生きている。小さい悪事は数限りなく働くが、BJの天秤は結果的に大きな善の方に傾く。そんなふうなことを手っ取り早く表現しようとすれば、番組に多く使われた「愛」だの「思いやり」だのというムズ痒い言葉になってしまったのだろうと思う。

誰もがBJのように生きられるわけではない。誰もが桐人やシスター・ヘレン・フリーズのように強くなれるわけではない。「けれども!」そこで諦めないでほしいというのが、手塚治虫の最大のメッセージであり祈りなのだろう。

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お金は力

先週の『週刊手塚治虫』の内容のメモ書き。

ゲストは経済アナリストの森永卓郎。「報復」の生原稿を見ながら。BJは反権力。また金が正義という新自由主義にも反抗している。しかし、弱者と同じ気持ちではあるが一緒になって闘うわけではない。本人はガンガン儲けて医療に役立てている。(←医療にだけ役立てているわけではないが、弱者と一緒に闘うのではないという指摘は的確だと思った)。ここでモーション漫画「ダーティジャック」。お金持ちの子を道具に使うBJ。「金持ちはざっくり言うと悪い奴」(笑)。「地下壕にて」の紹介。ルールを守っていれば何をやっても良い、ではなくて、捕まらなければ何をやっても良いというのが、新自由主義者の特徴。BJは取れる奴から取っている。

ここでBJの思いやりということに話が飛んで、モーション漫画「助っ人」。BJは100%正義ではない。悪いこともやるが、助けを求める人の元へ行かざるを得ない優しさを持っている。完全な正義の人や完全な極悪人はいない。だから悩む(悩むヒーロー像。アトムも専守防衛)。そこに手塚の人間性が表れている。

「手塚治虫展」の展示物を見ながら手塚眞さんの話。机には拘らない人だった。板さえあればどこででも描ける。顔に当たらないように軸が短く切ってあるペン。「来るべき世界」「新宝島」の念入りな下書き。絶筆「ネオ・ファウスト」のネーム。病室のトイレで練った「トイレのピエタ」の構想。

再び森永氏。話題は手塚作品の共通のテーマへ。一番価値のあるのは「愛と平和」であり、これは他人に対しての思いやりの心である。しかし自分の力だけではどうにもならないことがある。諦め、絶望感がBJのニヒルさではないか。全ての人がBJのような人間になれば良い世界になる。医者がすべてBJのようであり、道行く人が困っている人に即座に手を差し伸べるのであれば、介護保健制度だの何だのがなくても社会は回るんじゃないか。(←全ての人間がBJのようになれば、反抗すべき相手もまたなくなるので、これは空論。ただ後半の主張には個人的に大賛成)。BJは(金の力という絶対的なものに対しての)曖昧な優しさ、義理人情の世界に生きている。

モーション漫画「ちぢむ!!」。「神様とやら! あなたは残酷だぞ」(←このセリフに私は鳥肌が立った。大塚さんグッジョブ!)。読者は答を知りたいのに、手塚は結末を全面投げ出ししてしまっている(風景に投げ出す、俳句的手法)。しかしそこに共感が生まれる。手塚もBJも悩み続ける。ここまで心を揺さぶられる一コマはなかなか無い。

森永氏の話はここまで。国際弁護士の湯浅卓が「鉄腕アトム」を語るが、省略。読者からのお便りは、40代女性から。BJは善と悪のバランスが良い。

さて! 今回最大の見所は、手塚治虫の机の上にあった鉛筆書きの原稿だ! アナログ録画しかも3倍速という悪条件ではハッキリ見えないものの、これ……『BJ』だ。BJとピノコが「あれは人間か?」というような話をしている。ピノコが「こんぼうもって ねゆ」、次の海に上る朝日のコマで「おはよ」などと言っているのが読み取れる。発表された『BJ』全243話にこんな話は無い。とすると、これは……。未発表原稿だ! うわーーーー(大興奮)!! 『BJ』に関しては、手塚治虫は1週間に3つほどのストーリーを考えてそのうちの1つを採用していたという話を読んだことがある。ならば、これはボツになったストーリーの1つか、あるいは妄想を逞しくすれば未完に終わった『火の鳥』の現代編にBJが絡んでいるところかもしれない。コマ割りから見て、どうやら最終ページのような感じがするが、このネーム原稿を最初から最後まで見せて欲しいなーーーー!!! NHKさん、お願い! あるいは手塚プロさん、『BJ』幻のストーリーということで本にしてくれないかな。絶対買いますぜ。

会期も残り少なくなった「手塚治虫展」、これから行かれる方があったら、手塚先生の仕事机の上の原稿に是非注目してみてください!

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ただの照れ隠しだろうか

Photo「ときには真珠のように」のラストシーン。この話は先日の『週刊手塚治虫』でも紹介されたし、ちょうどゲスト出演者のバックがこのシーンを大きく引き伸ばしたものだった。シリーズ中でも5本の指に入る名作であり名シーンだろう。BJの完璧な手術も及ばず、本間先生は亡くなってしまう。ガックリとうなだれて病院の玄関先まで出てきて座り込んだBJの傍らに本間先生の幻が現れて、片手をBJの背中に添えながら最後の教えを垂れる。BJのすすり泣きが聞こえてきそうな、もうこれ以上はない!というほどの名シーン中の名シーンなのである!(握り拳)

ああそれなのに、そこに「中科・上科」はないだろうよ……orz このシーンでは見えないが、そのあと「下科・其他科」と続く。このギャグはどうしてもこのシーンで使わなくてはいけないものだったのですかと、天国の手塚先生に文句のひとつも言いたくなるのは私だけだろうか。

『BJ』中、駄洒落の類は数え切れないほどある。イル国とイラヌ国だの、槍津花市だの、横倍医院の可仁博士だの、思わず笑ってしまう罪のないものが多い。だが、これほどシリアスなシーンでこんなギャグが使われているのは珍しいように思う。

手塚治虫の「照れ隠し」だという説がある。話の流れに関係なくヒョウタンツギやブタナギなどが突然現れるのと同様、それまでのシリアスな流れをぶった切ってホッと一息つかせる役割を担うものである、と。しかしこれはラストシーンだ。ズンと重い結末を茶化す必要があるのかと、どうしても不思議に思われてならない。

以前読んだ推理小説に、「完璧」を嫌う画家というのが出てきたことがある。どこからどう見ても完璧な作品に、よくよく見るとおかしな点がある。目立たぬように指が6本描いてあったりする。それがどういう意味を持っていたかというと、つまりは「魔除け」だったのである。完璧なものは、あとは崩壊するしか道はない。しかし未完成なもの、完璧でないもの(欠落であろうと余剰であろうと)には、完成、完璧への道が開けている。日光東照宮陽明門の逆柱しかり、だ。

先日の『週刊手塚治虫』では、ゲストの高橋源一郎がピノコの不完全さ、人間の不完全さに言及していたが、私はその不完全さにこそ聖性があり希望もあるのだと考える。そしてそのことは、『BJ』というマンガそのものにも当てはまるのではないかと思う。各作品中どこかに明らかにおかしな点や辻褄の合わない点を故意に盛り込んであるのではないかしらん。完璧になることを故意に避けているのではないかしらん。そういう仕掛けが施されているのではないかしらん。あのTVを観て以来、そんなことを考えているのだが、探し出すのも一苦労なら実証するのも難しいことだなぁ……。

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不完全さとピュアな心

Mが昨日の『週刊手塚治虫』を録画してくれた。ありがたや~。

開催中の『手塚治虫展』の会場から番組は始まった。どうやら『BJ』のコーナーで収録されたようだ。ゲストは高橋源一郎。さてその内容をメモ書きしてみると……。

『BJ』の本当の主人公はピノコ。彼女が表現しようとしていることを、BJが毎回頑張って作り出している。彼女は不完全な存在(←ここで「ピノコはロボット」とまで言っているのは、ちょっと言い過ぎかと思う)だが、ピュアな心を持っている。欠けているものの中、ピュアな心の中にこそ、手塚治虫が表現したいものがあったのではないか。ここでモーション漫画「ピノコ愛してる」。(←私にとってこの作品はちょっと微妙な位置にある。誰かのために命を投げ出すピノコはピュアだと評されていたが、正直そんなふうに読んだことはなかった。BJとの間がギクシャクしてヤケのやんぱちな行動のように思っていた。BJの方にピノコを大事に思う気持ちの芽生えは感じられるのだが…)。手塚の作品では無条件で肯定されているものがある。それは、気高い動物と、子どものような存在。

生き物と生命は違う。生き物は死ぬけれども、生命は連続していく(ここで『火の鳥 鳳凰編』の紹介)。生き物は生命を持った不完全な存在である。ピノコは不完全。しかし人間だって不完全である。ここでモーション漫画「ときには真珠のように」。本間先生もBJも完全ではない。どんなに技術を尽くしても自然には負ける(ここで「湯治場のふたり」の紹介)。医者は生き死にとは関係ない。また「ときには真珠のように」に話が戻って、最後に告白をした本間先生のピュアさは救いのあるラストシーンとなっている(偉大な悲劇)。不完全な人間も最期は雄々しく死んでもらいたい、そんなメッセージがあったのでは、と。

手塚治虫の死生観ということで、手塚眞さんのお話が挿入された。いのちというテーマの芽生えは、昆虫の観察と戦争体験から。

モーション漫画「二度死んだ少年」。人を治すとはどういうことか、という問いかけ。また、BJは人間以外にイリオモテヤマネコやクマなどを治しているが、これは平等な命ということで、人間中心主義のヒューマニズムに対して「アンチ・ヒューマニズム」である。あらゆる命(過去や歴史を含めて)を切り捨てることなく考えられたら、今までとは違った見方ができるかも。

高橋さんのお話はここまで。プロレスラーの蝶野正洋登場。医者になることを目指して塾通いをしていた小学生のころ、行き帰りの電車の中で読む『BJ』に憧れた。ニヒルでヒール。BJの孤独感に共感を覚えた。好きなお話は「人面瘡」。善と悪との葛藤ということで、深く人間を語った作品である、と。

最後は読者からのお便り。図書館で見つけた『BJ』に夢中な女子高校生。もっとハマッているのはお母さん(笑)。いろいろ悩みもある年代だけれども相談相手がいない。そんなとき『BJ』は生きていること自体の大切さを教えてくれ、本当に大事なことは何かを問いかけてくれる。

……とまあ、こんな内容だった。先週の予告ではピノコ中心の話題になるかと思ったが、それほどでもなく、ピノコは不完全なものであるという前提から、完全を求めて努力することの尊さが語られていた(のではないかと思う)。不完全さ、欠落が持つ意味については、私も先日いささか考えたところだったのだが、それを克服するために努力するという解釈だけでは、少々底が浅いようにも感じた。手塚治虫は不完全さを当たり前のものとして、むしろ完全なもののほうが異常だと思っているような気がするし、不完全さを否定しているわけでもない。とにかく話があちこちに飛んだ感じで、ちょっと全体に散漫な印象があったのが残念。

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先ほどまで、Mさまのところでチャットをさせていただいていた。お馴染みの皆様方とお話しできてとても嬉しかった。ありがとうございました。m(_ _)m

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点か線か

入院中、自分の「死」についてはほとんど考えることなく過ごしたが、ドクター・キリコについてはいささか思うところもあったので、忘れないうちにメモ書きしておく。

・点 あるいは西洋的な死

古代ギリシアの哲学者のエピクロスはこう言った。
《……それゆえに、死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとつて何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。そこで、死は、生きているものにも、すでに死んだものにも、かかわりがない。なぜなら、生きているもののところには、死は現に存しないのであり、他方、死んだものはもはや存しないからである》

「死」をこのように西洋哲学的に考えるならば、この「われわれが存する」状態と「死が現に存する」状態の間のまさに刹那に存在するのがドクター・キリコということになる。「死神の化身」と呼ばれて『BJ』においては「死」の象徴ではあるが、彼は“be dead”となった状態にはもはや存在しない(それを描いたのは『地獄変』であり『ドグラ・マグラ』だ)。また同様に“be alive”の状態にもキリコは存在しない。キリコは「死」をもたらす者であり、生命の最期の一瞬にしか作用しない「死」の概念だ。

一気に腐ってキリジャという創作分野で考えるならば、「生」の象徴であるBJとはその最期において一度きりの刹那の邂逅しかできないのがキリコということになる。BJ(=生)が終われば、キリコ(=死)もその瞬間に同時にその役割を終えるからだ。そしてそのあとは、どちらも存在しない。そういう関係性においては、キリコは「点」の存在となる。

・線 あるいは東洋的な死
その一方で、生まれたときには「生100% 死0%」であったものが徐々に年齢とともに死の割合が増していって最期には「生0% 死100%」になるという死の考え方がある。死は最初から生の中にあるというもので、仏教などではこういう考え方をする。あるいは西洋の“Memento mori”も日頃から死を思うという意味で同様と考えてよいのかもしれないが、しかし“Memento mori”には現世享楽主義的な匂いも多分にするので、どちらかと言えばこれは東洋的な考え方のような気がする。この場合の「死」は「点」ではなくて「線」である。

最初はBJ(=生)優勢であったものが最後はキリコ(=死)優勢になる。BJは決してキリコに勝てないという先日のNHKで半ば公式的になったキリジャ的(?)認識はこっちだ。しかし反面、そもそもBJ(=生)が居なければキリコ(=死)は存在すらできないという事実も忘れてはならない。

・点か線か
キリコという存在が象徴する「死」とは、点か線か。どちらかと言えば、私はこれまで「線」のイメージをしてきた。身に染み付いた東洋的な考え方のせいなのだが、案外、キリコ自身は自分を「点」と考えているような気がする。病気や怪我に苦しんで死を待つばかりの“be alive”なら、一瞬のうちに“be dead”にしてやろう、と思っているのではないか。
BJが「自分は患者を治したいと思っているだけで、死なないようにしたいわけじゃない」と、死をも内包したバリバリの東洋人思考をしているのに対して、キリコが西洋人の設定(だよね?)であるのは、結構深い意味があるように思う。

BJとキリコ。「生」に関しては同じでも、「死」に関してだけは背中合わせになる二人の構図は、そういう東西の死生観の違いからも説明できそうな気がする。

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90000hit きょうは、トーレスさんのサイトがめでたく9万ヒットを迎えられた記念イラストを飾らせていただきます。
『チーム・ブラックの栄光』、なんとBJ先生とキリコ先生がチームを組んで治療に当たっておられます。治せるものならBJ先生がその命にかけても治してくださるでしょうし、治せないものならキリコ先生が安楽のうちに送ってくださるという夢のような状況です。しかし、左上には、何やら剣呑な表情を浮かべた白拍子センセと日本医師連盟会長が……。政治的手腕で病院を私物化せんとする「白い巨頭」チームにとっては、このチーム・ブラックはまさに目の上のタンコブでありましょう。しかもたいていの患者はチーム・ブラックに治療してもらいたくてやってくるので、経営の都合上追い出すわけにもいかず……。「白い巨頭」チームの歯軋りが聞こえてきそうです。きっと小さなことでネチネチと嫌味なことを言ったりしたりするのでしょう。(^m^)ぷぷぷ
トーレスさん、いつも楽しい美麗イラストをありがとうございます。いつもながら隅々までユーモアの溢れた(お二人のマグカップの柄とか)作品を前にニマニマさせていただいております。最後になりましたが、9万ヒットおめでとうございます。これからも貴サイトに益々の幸あらんことを!

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渋い男たち

この年齢で『BJ』を読むと、その奥深い内容は別にして、「BJ先生って可愛いなあ~~♪」と思う(笑)。しかし連載当時は「カッコいいなあ~~♪」と思っていた。そのカッコよさというのは、ハンサムであるとかスタイルが良いとかのビジュアル面ではなくて(『BJ』にはBJ先生以上のイケメンだっていっぱい登場する)、大人の男の余裕というようなものだった。「チャンピオン」収載の他のマンガはたいてい同年代の少年が主人公だったから、比較すると、いくら先生が丸顔で睫毛バシバシの外見でも、そこはやっぱり渋くて分別のある大人だったのだ。

そういう大人の男というのはBJ先生の他にも登場するのであって、以前取り上げた馮二斉とか椎竹先生とか蟻谷さんなどを私は滅法カッコいいと思う。で、きょうは、彼ら以外に当時から今に至るも「これは渋くてカッコいい!」と思っているシーンをいくつか挙げてみようと思う。

ガガノフ少佐「やあ」
BJ「やあ」
ガガノフ少佐「ちょっとはおどろいたかね?」

「空からきた子ども」で、二人が初めて出会ったシーン。岬の家の真ん前にVTOLが着陸したという状況下でこの会話である。BJ先生はちっとも驚いた風もないし、ガガノフ少佐も祖国を捨て亡命してきたという切羽詰った状況を微塵も感じさせることなく、紳士的な態度を崩さない。この、感情を押し殺した二人のクールな対話は、堪らなく渋い。

BJ「……ひとり?」
ブリリアント3世「ああ……ひとりです」

「肩書き」で、ブリリアント3世が岬の家を訪ねてきたシーン。このときのBJ先生はさすがに驚いた顔をしている。彼にとってはVTOLより皇帝陛下のほうがインパクトは大きいらしい。いや、このときは「ひとり」であることがより重要な意味を持つのだろう。実際は側近の者がちょっと離れたところで辛抱強く待機しているのだが、ブリリアント3世はそれをBJにわからせまいとしているし、BJはBJでそれくらい察していたのかもしれないけれども、「ひとり」でやってこようとした彼の意を汲んで、身分など関係なく、あくまでも個人として接している。
その後の会話では、ブリリアント3世は常に丁寧な口調で話し、BJ先生の口調には時々「ですます」が混じっている。これは間違いなく敬意の表れだと思うが、それは身分に対しての敬意ではなく、万難を排してわざわざ自分の手術を見にやってきてくれたことへの感謝と、その勇気に対しての賞賛から出た自然な敬意だろう。
「礼」に対しては「礼」で報いるBJ先生。ブリリアント3世が日本を発つ飛行機をそっと見送りに行くラストが良い。先生の車は機上の人となった皇帝陛下からもきっと見えたに違いない。
この、身分の壁さえなければ良い友人になれるに違いない二人の友情の発露と故意に抑えた交流が、爽やかで渋い。

丑五郎「先生 わしゃもう一度きっとここへきますぜ。やり残しのところをちゃんと仕上げるんだ。それまでだれもいじっちゃなんねえぞっ。約束したよ 先生」
BJ「ああ……約束するよ。私も約束するぞ。今度会うまでにきっと世界一の腕になってみせる!」

「やり残しの家」から。頑固一徹、職人・丑五郎の心意気が良い。敗北を希望に繋げるBJの決意が良い。おそらくお互いにもう会えないとわかって言っていると思うと、胸にグッとくるものがある。この渋さはダンディズムと言うべきものだろう。

わはは。こういう話題で書くととんでもなく楽しくて長くなってしまいそうなので(「刻印」の間久部とか友引警部とか友引警部とか友引警部とか)、きょうはこのへんでやめておこう。ところで、最大のライバルであるドクター・キリコとの間にこういう渋いシーンがなかったかと思い出してみるのだが、……思い当たらない。最初の頃はとにかくBJ先生がテンパッてしまっているし、中盤以降はキリコに凄みが足りない。お互いが渋く判り合えるという関係ではないようだ。

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さて、本日より入院です。10日から2週間くらいで帰ってこられるのではないかと思っていますが、その間はコメントやメールのお返事ができませんので、悪しからずご了承くださいませ。m(_ _)m

それでは、皆様、ごきげんよう。(^-^)/~

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『BJ』連載

「週刊少年チャンピオン」を買う。『BJ2009』連載2話目。謎めいた外科医が出てくる以外は1話目との関連はほとんどない。ふぅん……。

手塚治虫という人は話の構成力に優れていたのだとつくづく思う。各エピソード20ページ足らずの間にドラマチックな盛り上がりと読後の余韻を持たせるだけの内容を盛り込んでいる。どなたか漫画家さんが言っていたが、「描きたいことを、10ページでも描ける人がいる、50ページでも描けない人がいる」という指摘にはなるほどと思う。手塚治虫ならたとえ4コマでも描ける力があったのだろう。

それにしても、毎週『BJ』が読めるというのは嬉しく有り難いことではある。そして、本家本元の連載を毎週読めた時代に生まれたことに改めて感謝せずにはいられない。

そこでふと気付いたのだが、私が『BJ』に関して二次創作および妄想すらできないことの原因の一つは、この「毎週『BJ』の新作を読むことができた」という経験に由来するのではないかと思う。「チャンピオン」を立ち読みして帰って、1週間反芻して考えているうちに、嬉しいことにもう次の新しいお話が出たのである。BJ先生もピノコもドクター・キリコも現在進行形で存在していたのだ。下手に妄想などして誰かと誰かをくっつけたり引っ剥がしたりしても、そんな設定は次の週のお話でひっくり返される可能性だってあったわけだ。だから、ただただ描かれている世界だけに酔っていた、ような気がする。

当時はそれが普通の読み方だったと思う。今の時代なら……、この2話目が出た時点で、BJとあの謎の外科医をくっつける試みが必ずなされると思う(笑)。

【追記:↑いえ、それが決して悪いことだと言っているのではありません。各人の自由です。ただ単に、今はそういうジャンルがしっかり確立されているという、そういう時代の変化が言いたいだけです。】

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欠落と聖性

・手塚眞さんの言葉。「親父の漫画の主人公はみんなこわれ者。アトムは自己喪失、リボンの騎士は性同一性障害、ジャングル大帝は白子、ブラックジャックに至っては、ほとんどフリークス。みんな必ず障害と悩みを持ってる。そして、その障害や悩みを無くす為に戦ったり、誰かを無償のやさしさで助けたり、色んな努力をする」。

・石上三登志の『手塚治虫の奇妙な世界』によれば、手塚治虫は天馬博士と同じく成長しないアトムを憎み、あの手この手で何とかロボットに<成長>を持ち込もうと足掻いたのだそうです。

上記はネットから拾ってきた文章である。アトム、リボンの騎士のサファイア、レオ、その他にも、身体のほとんどの部分が作り物の百鬼丸、モンモウ病で容貌が犬のようになった小山内桐人、毒ガスによって心身を蝕まれた結城美知夫、透明になりそこねて半透明の身体になってしまったアラバスター等々、手塚治虫の作品に登場するフリークスは枚挙に暇がない。

こういう話題に触れるにはちょっと勇気がいる。実際に傷つく人がいるかもしれないという恐れと、自分が試され未熟であることを思い知らされることへの躊躇いがあるからだ。ずっと避けてきたテーマなのだが、いつまでもモヤモヤしているのも嫌なので、少し吐き出してみようと思う。【なお、きょうのエントリは折にふれてメモ書きしたものやネットからの引用を繋ぎ合わせたものなので、結論めいたものはないことを初めにお断りしておく。】

眞さんの指摘どおり、『BJ』においては主役級の登場人物にはたいていどこかに欠落や欠陥がある。これは某様方で見かけた「『BJ』には昭和の見世物小屋の匂いがする」という的を射た指摘に通じるものだ。いや、もちろん、欠落や欠陥のまったくない人間など世界中どこにもいないのだろうが、『BJ』はマンガゆえに、それはかなり誇張された外見的表現にもなって現れる。主役のBJ先生は幼い頃は歩けなかった上に事故で継ぎ接ぎだらけの身体になったし、ドクター・キリコは隻眼(この設定には何か意味があるような気がしてならないが、案外ただの思いつきかもしれない)だし、ピノコは人造人間で大きくならないし、如月めぐみは女性としての機能を失った。

養老孟司さんはそういう手塚治虫を「人間嫌い」と評していたが、これはどうなのだか私には判断ができない。またこれは養老さんではないが、手塚がそういうフリークスを一種猟奇的なものとして捉え、そういう世界を描きたくて描いているという見方も一部にはあるようだが、そういう捉え方にも大きな違和感を覚える。根拠はないが『アラバスター』などのあのドロドロした世界は決して手塚が描きたくて描いたものではないという印象を持つ。   

それよりは、これは手塚治虫の手法であって、内田樹が指摘したように「現象の図と地を入れ替える、さかさまのストーリーテリング」であるという考え方のほうがしっくりくる。

---『鉄腕アトム』で「人間性とは何か?」という問いに答えるために「人間ならざるもの」を主人公にしたように、「文明とは何か?」を考えるためにジャングルの生き物たちを主人公にしたように(『ジャングル大帝』)、「セックスとは何か?」に答えるために、性を失った人間を主人公にしたように(『人間ども集まれ!』)、「生きることの意味は?」という問いに答えるために、手塚は「死ぬことを禁じられた人間たち」を連作の主人公とするケース・スタディを試みた。それが『火の鳥』である。---『街場の現代思想』より

眞さんが言っているように、「その障害や悩みを無くす為に戦ったり、誰かを無償のやさしさで助けたり、色んな努力をする」、そういう雄々しくて麗しい生き方を描く意味合いも確かにあるだろうが、手塚治虫はその実、いつも読者を相手にもっと大きなことを問いかけているように思う。「本当に大切なものは何だと思う?」

……と、ここまで書くつもりはなかったのだが、はずみで書いてしまった(汗)。フリークスに話を戻す。

フリークスには一種の聖性があるのではないかと思う。それは松岡正剛が『フラジャイル』の中で「つねに『不浄』と『浄化』という二極をゆれうごくプロセスを経験した者」と書いているものに通じるように感じられる。彼は「欠陥や欠如や弱点をもっていることがかえって英雄として神聖視されてきた」ことについて、特に脚が不自由な例を挙げて検証しているのだが、日本人に一番わかりやすい例は案山子(カカシ)だ。日本神話では「クエビコ」として神の一人でもある。クエビコは歩行不能であるにもかかわらず天下のすべてのことを知悉している。

あるいは、そう、福助人形。一説に実在の身体障害者をモデルにしていると言われている(水頭症、侏儒症かもしれない。「福助」も「不具助」をもじったものとか)が、皆から愛されて福の神となった。

人には、どこかこういう傾向があるのではないかと思う。つまり、尋常一般の人々とは違う外見や特徴を持つ人たちに自分には無い聖性を感じる、という。

では、『BJ』の登場人物のフリークス加減に何を感じるか。聖性があるとすればそれは何か。

仏教における「四苦」から考えてみる。俗に「四苦八苦」と言う。「四苦」とは「生・老・病・死」をいう。これに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の四つを加えて「八苦」となる。

ちなみに、「生・老・病・死」の「生」とは「生きること」ではなくて「生まれること」である。生まれるときの苦しみなど誰も覚えていないのに、何故それが「苦」のひとつに数えられているのか。残りの「老・病・死」を見ればわかる。どれひとつとして自分の思い通りにできることは無い。つまり「生まれること」も自分の意のままにできないという点で大きな「苦」なのである。冷酷な親の元に生まれることもある。極貧の家に生まれることもある。たとえ生まれたくない状況だったとしても、生まれる本人にそれをどうこうすることはできないのである。

ここに、生まれたいという明確な意思を持って生まれた人間がいる。ピノコだ。
また、「苦」であるはずの「死」を「楽」に変える人間がいる。ドクター・キリコだ。

BJやその他の医師は「生・老・病・死」という自然の推移に従った「苦」に必死に抗っている。これが人間の背丈に合った最大限の努力であろう。BJの脚が不自由だったことも、先に述べた人間界の英雄の条件と妙に符合するものがある。しかしいくら天才とはいっても、BJは人間の範疇に納まっている。それに対して、ピノコとキリコの二人は「四苦」の秩序を乱しているとも言える。人間の範囲を逸脱し超越しているという点で最大の異形の者、フリークスだろうと思う。

……ここで時間切れです。

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『ブラック・ジャック2009』

コンビニへ自動車税の払い込みに行ったついでに、買ってしまった「週刊少年チャンピオン」。お目当てはもちろん吉富昭仁による『ブラック・ジャック2009』。まさかのbjリーグとのコラボだ(笑)。事前に自分の組織を培養しておいて代替させるという手法が描かれていたが……クローンだよなコレ。問題はないのかとちと気になった。3号連続掲載されるようなので続きを読まずばなるまいて(笑)。絵柄は、原作のBJ先生よりさらに若い感じだ。

さてほぼ30年ぶりにチャンピオンなんて買ってしまったわけだが……。よ、読めない。orz  『BJ2009』だけは読んだものの、あとのマンガにまったく食指が動かない。というか、読めない。絵柄なのか構図なのか、とにかく目が拒否してしまう。昔よく父や母が私の読むマンガは読めないと言っていたが、今まさに自分がそうなっていることに気付いた。う~む。

で、『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(福元一義著)を読書中。テキストならいくらでも読める(笑)。

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感染

豚インフルエンザがヒトからヒトへ感染して大問題になっているようだ。パンデミックにならなければ良いが。

『BJ』の中で「感染」といって思い出すお話は「コレラさわぎ」(1978)。BJ先生自身が感染を疑って自らを隔離した話だが、日本におけるコレラの発症は1977年に集団発生があった以降は孤発の国内感染例があるだけだそうだ。しかし海外では今なお流行中の地域もある。一説にはブラジルの予言者ジュセリーノが「2009年夏に日本で大流行する」と言っているとも聞く。撲滅するのはなかなか容易いことではないようだ。

しかし、菌にしてもウイルスにしても生き物だ。この地球上に生を受けた一つの存在であることには間違いない。人間が感染してその肉体や生命を脅かされればこれと闘うことは決して間違いではなかろうが、さてこれを絶滅させてよいのかどうかは神のみぞ知る領域なのかもしれない。将来新たな菌が発見されたとき、例えばコレラ菌がそれをやっつけてくれることだってあるかもしれない。かつてブドウ球菌をやっつけたペニシリンのように。とすれば、今は人間に迷惑な存在だからといって、これらのものを地球上から完全に消滅させてはいけないのかも。少なくとも遺伝子だけは遺しておかなくては。将来人間はあらゆる種の遺伝子を乗せたノアの方舟を作る必要があるのかもしれない。そしてそこに最後の人類の遺伝子も乗っているとしたら、これはやっぱり神の領域だ……。

さて、病原菌の話はこれくらいにして、きょうは「コレラさわぎ」について簡単に。

楽しいお話である。…というとバルボラに気の毒だけれども。コレラ感染の疑いで家に帰れないBJ先生に留守を託されたピノコの奮闘振りがとにかく楽しい。「ピノコめ… ギャーギャーわめいてるだろうな」の次のコマでちゃんと「ギャーギャー」大騒ぎしているピノコには思わず笑う。それでも、あちこちいっぺんに悪くなるバルボラをなんとか助けようと一生懸命な様子は健気でかわいい。不安半分駄々こね半分で電話口で大泣きする気持ちも実によくわかる。よく頑張ったな、ピノコ! ちなみに「脈なし病」は大動脈炎症候群の病気でアジア系の若い女性に多くみられる病気だそうだ。

原作では割りとおとなしい患者だったバルボラだが、アニメ版ではかなりエキセントリックに描かれていて楽しかった。ピノコと良い勝負で丁々発止やりあっていた(笑)。『ばるぼら』の主人公であるところのバルボラは芸術の神ミューズの娘なのだが、なぜだか大酒呑みのフーテンをしていて気に入った男のところに転がり込む。バルボラを側に置いた男は芸術的に成功するけれども、バルボラが居なくなった途端にダメになる。この「コレラさわぎ」では結局BJとバルボラは一言も言葉を交わしていないが、手術の後でバルボラがBJを気に入ったりしたら面白いだろうなとは思う。こういうフーテン娘を、先生はそんなに嫌いじゃないような気がする。でも、医学は芸術じゃないから、バルボラは居付かないかな?

この話で興味深いのは、BJ先生の隠れ家が出てくるところ。アニメでは、開業したての頃に使っていたとかなんとか言われていたが、原作ではまったく説明がない。電話も通じているしテレビも映る。カーテンには律儀にツギが当たっている(先生がやったんだろうな)が、医薬品や医療機器、検査道具などはひととおり揃っている感じだ。3日間外出しないで居続けられるということは、食料の買い置きもあり、簡単な調理くらいはできるようになっているに違いない。また、乾電池式と思われる卓上時計が動いているところを見ると、BJ先生ときどきはこの家に来ている様子。ピノコにも教えていない、文字通りの「隠れ家」だ。いったい何の用途で使うのかは知らないが、いろいろヤバい仕事も多い先生には必要な家なのかも。しかしBJ先生はよっぽど崖っぷちの家が好きなのだなぁ(爆)。

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最後に、シンポジウム『永遠の火の鳥』について詳しく記事を書いてくださったCh-I様に心から感謝を! 岡野氏が指摘していらっしゃったというあのナメクジいっぱいのシーンは私も忘れられません。またあの気も遠くなるような長い歴史をたった独りで見ていたマサト(だったかな?)の気持ちはどんなものだったのかと想像すると、こっちの気がオカシクなりそうです。いやはや、やっぱり『火の鳥』というのは凄い話です。自分がどこまで理解しているのか甚だ心もとないですけれども……。

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人間としての免許

BS2の『週刊手塚治虫 創刊準備号』を、Mのおかげで観ることができた。(ワクワクしてテープをセットしたらいきなり『冬ソナ』が始まったので「?」と思いつつだいぶん観た。いつまでたっても始まらないのでメールしたら「巻き戻したか」と。あ、巻き戻すのね。キューンと巻き戻したら、始まった。よかった。思わぬところで『冬ソナ』初体験もさせてもらった。ありがとう、M)。なお今後の予定としては、6月に「いのちとヒーロー」として『BJ』が取り上げられるようだ。そのときはまた頼むよ、M。

司会は石澤典夫アナウンサー、アシスタントは渡辺謙の娘でモデルの杏さん(←この人はきちんと喋れる頭の良い人だ)、ゲストは石坂浩二さん。『ジャングル大帝』で手塚マンガに親しんだという石坂さんだが、一番好きな作品は『BJ』ということで、『BJ』に込められたメッセージを熱く語っていらっしゃった。

抜粋してみると……。まず、BJが無免許であるということから、これは我々の倫理や哲学を問うているのだ、と。医師免許さえあれば医者は倫理を問われない、哲学なんて持っていなくてもいいなんて、それはおかしい。BJは自分の倫理や哲学に照らして手術を引き受けたり断ったりしている。医師免許を持たないBJを通して手塚治虫が問うているのは「人間としての免許」である、と。更には、倫理と哲学を結ぶものは宗教、だとか、最近の人間はそういうものを捨て去りすぎているし、またそういうものに気付かせてくれる本もない。『BJ』を10冊読んだほうがよっぽど人生を考えさせてくれるし、どうしてもそういういろんなことを考えざるを得ない作品だ、等々。ブラボー!! そのとおりだ! 『BJ』を読んで、何も考えないでいられることのほうがおかしいと、私も思う。

あとは、「モーション漫画」として、5分ほどの「目撃者」が放映された。原作のコマに吹き替えや効果音を付けたもので、これはまぁ出来の良い紙芝居のようなものだ。2月に放送された番組での「ふたりの黒い医者」も、同じ手法だった。セリフもほとんど原作のままだから、原作の風合いを損なうこともない。今回の大塚さんは割りと静かでソフトな声を当てておられたが、違和感なし。それぞれのエピソードの雰囲気に合わせて演じ分けておられるのはさすがだ。

番組後半は『火の鳥~復活編~』後半が放映されるなど、話題は『火の鳥』へ。いまの人に読んでもらいたい、石坂さんお勧めの作品だそうだ。オーラスで、矢野顕子さんが再び『BJ』について語っておられた。自分がピノコと性格が似ていることもあり、ピノコが誕生する「畸形嚢腫」がお好きだとか。また、2日間何もしないと決めてソファに寝転がって『BJ』を読みふけった幸せといったらなかった、というお話もされていた。わ、それ、私もやってみたい(笑)!

石坂さん、矢野さんのお話を通して、数ある手塚漫画の中でも『BJ』というのは大人が読むに堪えうる作品であることを改めて認識できた。『火の鳥』ほど大上段に振りかぶっているわけではない。日常生活の中で、自分と等身大の登場人物たちが様々な生き様を見せる。大きな問題もあれば小さな問題もある。突拍子もない出来事もあればいたって卑近な出来事もある。そのいろいろな瞬間ごとに、読者はわが身に振り替えて考える。いや、考えざるを得ない。それだけの、読ませる力を持った作品であることが、ファンの口から語られるというのがまた嬉しい。

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口説き文句バトン(仮称)

トーレスさんからバトンを頂戴しました。人様が力の入った回答をなさっているのを、きゃーきゃー喜んで読ませていただいていたら、私にも回ってきてしまいました。おおおおお。orz
創作のできない人間ゆえ、これはよっぽどスルーさせていただこうかとも思いましたが、日頃お世話になりっぱなしのトーレス様からとあっては、お断りする無礼は許されまいと思い、恥を晒すことにいたしました。

誰が誰を口説くんだ? と考える段階ですっかり煮詰まり、先日の夢には「BJがピノコのパンツを買いに行った店の売り子さんを口説く」という、かなりシュールなシチュエーションまで現れました。BQ、清水きよみ、ギッデオン伯爵夫人、竹中未亡人等々、BJに思いを寄せた多くの女性たちをBJの方から口説かせようとも試みましたが、キーワードとうまく結びつかず……。でも、最後に「おしあわせに 奥さん」を付けるだけで、どんなセリフでもものすごく恥ずかしいものになるという法則を発見できたのは収穫でした。マダム・キラーなんですよね、BJ先生は。

ま、それは置いといて。結局、無難な線に収まりました。
先日から風邪を引いて、38度線あたりをウロウロしながらいつもに増してぼーーーーっとした頭で考えたので、恥ずかしい上に支離滅裂なことになっております。回答が遅くなった上に、この体たらく。すみません、トーレスさん。m(_ _)m
次にはつなげませんけれども、バトンパスありがとうございました~♪ あー恥ずかしッ///

【注意】
これは常人には精神ダメージがかなり大きいバトンです。
見る時は4回ほど深呼吸をし、覚悟を決めてから見てください。
以下のキーワードを絡める(もしくは連想させる)
口説き台詞を自分で考え、悶えながら回答して下さい。
答える生け贄もとい勇気ある人々にこの言葉を送ります。
【恥を捨てろ、考えるな】
*リアルで言ったら変人扱いされるようなキザ台詞推奨

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英語でも舌足らず

“DOCTOR, DON'T WOWWY ABOUT IT TOO MUCH OR YOU'LL GO GWAY, YOU'RE ALWEDDY HALFWAY THERE.  EAT UP OR I'LL CLEAR THE TABLE ...”

上は某所で見つけた『BJ』英語版の中のピノコのセリフ。どのエピソードのどの場面かお判りだろうか。

正解は「ときには真珠のように」の「先生 気にちてたら シヤガになゆわのよ れも もう はんぶんシヤガらけろね はやくたべないと かたじゅけまちゅのよ」である。

worry → wowwy
gray → gway
already → alweddy

となっているところをみると、英語版ピノコはどうやら「r」の発音ができないらしい。また、musn't get upset → mushn't get upshet のように、余分な「h」が入っていることが多いとか。いわゆる幼児語ではなくて、文法も単語も正しい、ただ舌足らずなだけ、というピノコのセリフには、こういう英訳がされるのだなぁと興味深かった。

ちなみに「アッチョンブリケ」は訳されていないそうだ。「アッチョンブリケ」「しーうーのあらまんちゅ」「あちーのぷあんさー」「トンデモデレデのテッチョーブクロ」……日本語でさえ意味がわからないのだから、英訳のしようがないんだろうな(笑)。

【きょうのエントリは、愛するrさんが「ピノコの舌足らずは可愛い」と書いていらしたのを読んで、急に思いついて書いてみました。本当はお休みしようかと思っていたのですが、つい(笑)。

片付けてしまいたいこともあり、今月はちょっと忙しくなりそうなので、明日からの日記は不定期になります。また完全復活した暁には、遊んでやってください。m(_ _)m】

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お休み、だけど…

きょうは『BJ』語りはお休み。でも、話題はみんなどことなくBJ関係(笑)。

●なんとかして「たちばな出版」の本を買って「ブラック・ジャックの日清焼そばプチU.F.O」をゲットしたいと思うのだが、近辺の書店ではどこもこのキャンペーンを張っていない。7月いっぱい探してみよう。あるいは、書店に本を注文すれば付いてくるかも。よ~~し! 余談だが、この出版社、なんだかいつもヘンテコなことをする。営業マンがコスプレ(と言うより仮装だアレは)しているのも変だし、営業車も変だ。そもそも本を買うとそれとはまったく関係のないオマケが付いてくること自体、変だ。今回の「焼そば」もその一環なのだが、グリコのオマケより唐突だ。

Photo しかしこの出版社、どうやら私とは浅からぬ因縁があるらしく、2004~2005のキャンペーングッズだった「赤影ラーメン」を、私は箱ごと(15個)ゲットすることができたという過去がある。『仮面の忍者赤影』で青影を演じた金子吉延さんのサイトでキリ番を踏んで、金子さんからサイン入りの本と一緒に頂いてしまったのだ。うん。今回も頑張ってみよう。「求めよ、さらば与えられん」だ。でもBJ先生には焼そばよりボンカレーのほうが似合うと思うんだけどな……。

●『チーム・バチスタの栄光』(海堂尊著)読了。私はTVドラマも映画も観ておらず、犯人を知らないので、ワクワクしながら読んだ。文章のキレとリズムが良く、一気に読ませる力を持っている。この上なく深刻なストーリーにもかかわらず、登場人物の描写が面白く、ところどころで大笑いもできる。心臓外科のお医者さんに言わせると取材不足な点があるそうだが、この作品の場合、要は登場人物それぞれの心理だと思うので、門外漢にはまったく気にならなかった。却って専門用語を並べて説明されたりしたら、こちらの読むリズムが崩れてしまいそうな気がする。以前読んだ『孤高のメス 外科医当麻鉄彦』(大鐘稔彦著)より楽しく読めた。

後半、破天荒な厚労省の役人・白鳥が出てきて話は一気に盛り上がるが、この人物に対しての好みは分かれるところだろう(笑)。嫌いではないが、私はそれよりもチームを背負って立つ桐生に惹かれた。外科医としての悩みやジレンマなど、BJを彷彿とさせるものがある。BJ先生が「けいれん」や「20年目の暗示」で経験した恐怖というのも、こういうことだったのかなと思う。

2009kanchu ●トーレスさんから「寒中見舞いフリイラ」を頂いてきました。(^m^)ぷぷぷ。画面にぎっしり総勢11名がつまった力作です。きっと42.195㎞先に患者が待っているのでしょう。BJとキリコ、どっちが先にゴールするかで患者の運命が決まるのかもしれません。どちらも必死の形相です。どっちも頑張れ。第2グループに白拍子と琵琶丸がいますが、琵琶ちゃんの余裕綽々ぶりに引き換え白センセはもはやバテバテの様子。脱落も時間の問題のようです。白バイに乗っているのは友引警部(ばんざ~い)。トレードマークのローソクをあしらった特注白バイで粛々と先導しております。渋いです。そして実況解説が山田野・本間コンビ(最高だ!)。浅草先生あたりだと「20㎞も走ればBJの脚は動かなくなる」なんてとんでもねーこと言い出すに決まっているので、この人選は嬉しいですね。でも興奮しすぎて血管切れないかちょと心配。そしてそして、中央部で盛んに声援を送っているのが、めぐみさん、ピノコ、小蓮、ユリの美女連。可愛いです美しいです。どの部分を見ても微笑ましくて見飽きません。トーレスさん、楽しいイラストをありがとうございます~~♪

ゴール直前、BJが先を行くキリコにタックルかまして転ばして、その隙にテープを切るような気がします(笑)。

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命の値段

先日の『いのちとヒーロー ブラック・ジャックからの問いかけ』で、「医は仁術」を期待するわれわれの意識が現代の医療崩壊を招いているのではないか、との指摘が海堂氏から出た。と同時に、BJが法外な報酬を要求することは「当然でしょう」とも(←もちろん、患者がどれだけ生きたいと願っているかを量る「踏み絵」であることにも言及しておられたことは書き添えておく)。

もしも私がBJ先生以外の医者には治せない病気にかかったとして、いくらまでなら出せるかを考えてみた。借金してでも払えるのは1000万円までだ。生きる意欲も含めて今の私の価値は決してそれ以上ではないと思う。自分がもっと若くて20代の年齢だったとしたら2000万円くらい。しゃかりきに働いて返す。3000万円、なんて言われたら、諦める。そしたらBJ先生は「フン」と鼻で笑って去っていくのだろう。嗚呼。

BJが請求する額について、「患者が交通事故で亡くなった場合に受け取れる賠償金と、ほぼ同じくらいの金額を請求しているのではないか」という説を見たことがある。まったく過失のない人が交通事故で死亡したとき、もちろん年齢にもよるが、2~3千万円の慰謝料と遺失利益でだいたい1億円という賠償額になるらしい。つまりこれは、交通事故に遭って担ぎ込まれた病院にBJがやってきて「手術料は1億円だ。手術を受けずに死んで1億円の賠償金をもらうか、手術を受けて生きて私に1億円払うか、どっちにする?」と問うているようなものだ。死亡ではなく怪我の場合の治療費も当然賠償されるだろうが、まさか1億円も出るわけはなかろうから、あとは自分が稼いでBJに返していくしかない。究極の選択だ。日頃から自分の死生観を培っておかないと、咄嗟に判断なんかできないだろう。

これと同じような場面が展開するのが「ふたりの黒い医者」だ。BJがドクター・キリコに言う。「ここに百万円ある。もし手術に失敗したら おまえさんがとれ。手術がうまくいって助かったら 私のものだ……いいなっ」。まさに「生」と「死」の代理戦争である。命の値段が100万円とはまたずいぶん安いが、この際金額の多寡は問題にしないとして、生き続けることと、安楽に死ぬことが同じ値段だと描かれていることには注目しなくてはなるまい。ちなみに他のキリコ登場作品で彼がどれだけの報酬を得ているのか調べてみたが、はっきり値段が書かれている作品はこの「ふたりの黒い医者」以外には、ない。しかしこの作品でBJとキリコが得る報酬が同額であるということは、その他の作品でもおそらく同じくらいと見てよいと思う。「恐怖菌」でBJは1億円受け取っている(ただし後金の5千万円は受け取ったかどうかわからない)が、キリコもきっとそれくらいで雇われていると推測できる。

今までは、なんとなくBJの報酬のほうが高いような気がしていた。これはBJが長時間オペするのに対してキリコはピーーーで終わるので、その労力の差ということからの思い込みであったようだ。ただし「浦島太郎」でキリコは「いかに相手がらくに気持ちよく死ねるかということで値段が決まります」と、依頼主に各種安楽死の値段表を見せているから(←ここはブラックジョークとして笑うべきところなのか、いつも悩む)、値段に多少の幅は持たせてあるようだ。この値段表は一度見てみたいと思うものだが、どんな手段にしろ口止め料という内訳が一番高価そうな気がする。

「浦島太郎」といえば、これまたよく似たケースがごく最近イタリアであった。交通事故から17年間も昏睡状態が続いていた一人の女性に対して、生命維持装置を取り外し尊厳死が実行されたのである。長期裁判の結果、尊厳死が認められたのは2006年のこと。しかし病院が実行をためらったため、今月になって老人ケア施設に移送されて後の実行となった。イタリア政府は尊厳死に対して条例を制定しようとしているらしい(どういう内容なのかは不明)が、一方でヴァチカンは「殺人行為」と決め付けている。

そんなの、国や宗教が一律に決めてよいはずはない、決められるはずがないというのが私の持論である(これは以前に「キリコ考」に書いた)。ただ、患者や家族の負担、医師の裁量権の限度等に鑑みて、医療現場には必要なガイドラインであろうことは理解できる。それが正しいかどうかは別として。

話を元に戻す。生き続けることと、安楽に死ぬことは同価値。ならばそのとき「生きよう」と思うか、「もういい」と思うか。生死の境目で患者本人が選択しなくてはいけない(海堂さんは医療崩壊の話題に際してこのことも指摘しておられた)。ここで迷うことなく「生きろ!」と言うのがBJだ。それでなくたっていずれ必ず死神はやってくる。ならばそれまでは精一杯生きようと努力しろ、と。森山直太朗ではないが、「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」に近い感覚ではないかと思う。

考えてみれば、これはキリコよりもハードな考え方だ。海堂さんは、医者という仕事の範疇には患者の希望に沿ってどこかで医療行為を終わらせることも含まれると言っておられた。ある意味、不遜とも思える言葉だが、現代の実際の医療は人をただ生き長らえさせることができるレベルにまでは既に達しているのだろう。しかし一方の選択肢として、死なせることはもっと簡単にいつでも出来る。その意味で医者はいつでもキリコになれるわけだ。そんな中で、常に「生」に向かって進むようにプログラミングされているのがBJという存在だ。これはハードだ。時の流れを遡行するような無謀。現実的には必敗の戦いであることは歴然としているのだが、しかしそこにこそ『BJ』という作品が持つ夢と希望があると言っても過言ではない。苦悩してのたうちまわりながらも無謀な戦いに身を投じるからこそ、BJはヒーローたり得るのだ。BJは患者の代わりに戦っているのだ。(……あ、そうか、これが「患者とともに」でも「患者のために」でもないところがBJなんだな。だから肝心要の患者が死を望んだらオシマイなのだな……。本間先生が心配しているのもそこんとこだし、BJが纏っている孤独な寂寥感もそれなんだな……。←メモ書きでした。)

キリコが登場するまでは、BJは「生と死」の両方を担っていた。BJから滲み出たようなキリコという人物に「死」を分担させたことによって、BJは「生」一本に邁進できるようになった。実際には「死」という選択肢を放棄したぶんだけBJは弱くなっているはずなのだが、シリーズ中、BJがキリコにコテンパンにやられる話はひとつもない。「弁があった!」でのみキリコに後れを取っているが、これは患者がキリコの父親であったという設定だから、どちらかといえばキリコのほうがより深く傷ついている。こういうプロットにこそ、手塚治虫の意図は見え隠れしていると思う。決して簡単に「死」に軍配を上げたりはしないのである。

生き続けることと、安楽に死ぬことは同価値。ならば生きてほしいというのが、手塚治虫の祈りなのだと思う。

最後に。先日の番組で改めてシリーズ第1話「医者はどこだ!」の扉絵を観て、気付いたことがあった。お馴染み、ダイヤのジャックのカードだ。扉絵にはよくいろんなカードが描かれていて、印象としてはスペードのジャックが一番多いような気がする。だが第1話はダイヤのジャックなのだ。ダイヤの意味するところ、それは「商人(貨幣)」。『BJ』は第1話の扉絵からして「金儲けのジャック」を的確に表していたのだ(ちなみに、連載初期のアオリ文句やハシラでのBJ先生の呼び方は「B・ジャック」または単に「ジャック」だった)。う~む、初めて気付いた……。手塚先生のことだから、他にもどこにどんな仕掛け(?)をされているかわかったものではない。とりあえず、扉絵については今後調べてみようと思う。

そんなことも含めて、今回の番組はとても参考になった。医者から見た『BJ』、というのは私には絶対に持つことのできない視点だから、医者である海堂さんが語られた内容からは大いに得るところがあった。原作をありのままに読んでその意味するところを考えるだけで、あんなに深いお話になって、しかもそれがとてもおもしろかったじゃないか! 『BJ』という作品はまだまだ掘り下げられる。自分はまだまだ読みが浅いことを痛感した。今後もこのような番組があって、もっとたくさんの考えるヒントを与えてくれないものかと思う。キリコについては、手塚眞さんが海堂さんに食らい付いて共に語ってくださったのが嬉しかった。眞さん、キリコに興味がおありのご様子に見受けられたが、新作を考えてくださらないかな。原作のキリコ登場作品を丹念に繋いでいくだけでも、ものすごいものが作れると思うけどなぁ。「善悪」がテーマの『MW』よりも、やっぱり私は「生死」の間(はざま)でのギリギリの攻防が観たい。

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必敗の戦い

Mから、最後の5分間が録画されていない(石田衣良さんが「奇子」について語っている部分だったらしいので、許す。)『手塚治虫2009 現代への問いかけ<第3夜>いのちとヒーロー ブラック・ジャックからの問いかけ』のテープを受け取って、さっそく観てみた。

ゲストの海堂尊さん(作家・医師)は手塚眞さんと同い年。ということは私より2学年ほど下だと思うが、当時「少年チャンピオン」を立ち読みしたという話に思わず「同志!」と親近感を抱いた。誰もが読んでいたから(それこそ基礎教養として)、格別話題にも上らなかったという述懐にも頷くことしきり。読者は皆それぞれの思いを胸に秘めて、大っぴらに語ることなどほとんどなかったのだ。ましてや妄想など。今とは隔世の感があり、また今と当時とどちらが良かったのかつらつら思うところもあるが、まぁそれは別の話。海堂尊さん、とても感じの良い方だったので、今度『チーム・バチスタ……』読んでみよう。

「空からきた子ども」のアニメが観られたのは収穫だった。2000年の制作だというから、2003年の「少年チャンピオン」の応募者全員サービスだったやつとは違うのかしら? いずれにせよ初見だった。BJ先生の住居はやはり房総半島付近という設定になっていた。それにしても、ガガノフ少佐といい、追跡してきた6~7機のレポールといい、平気で日本近海上空を飛んでいるようで、日本の防衛監視体制に非常に不安を覚えたが(笑)、それもまぁさておき。原作よりガガノフ少佐の描写が多く、より感動的に仕上がっていた。良い出来だったとは思う。しかし原作の淡々とした味わいとどちらが良いかと言われると、それはやっぱり原作なのだなぁこれが。あまりに劇的で感動的だと、重すぎて繰り返して見ようという気が起こらない。情報量が多すぎるアニメのこれが弊害だと思う。こちらの想像の余地がない。

父としての思いと、軍人としての立場の葛藤。それを押し隠して冷静かつ毅然とした態度を崩さないガガノフ少佐と、その心中を察して何とかしてやりたいと思いながらも医学の限界にのたうちまわるBJ。この2人の醸し出す重圧感や無力感や悲愴な覚悟、そういったものがこのお話の肝だと思うのだ。アニメのガガノフ少佐はちょいと頭に血が上りすぎていたように感じたが、でもまぁ良い出来ではあったと思う。

また、ガガノフ少佐がレポールとともに自爆して果てた後、彼の思いと最期の記憶をBJは一人で受け止めて生きていくのだなぁと感じられたのは、このアニメのおかげだ。重いな、これは……。原作からはそこまでは感じ取ることができなかったから、これは素直にアニメに感謝したい。監督は瀬谷新二さん。原作に一番近い絵柄を描かれるということで、テレビアニメシリーズでも多くを手掛けておられた。また因みに、手塚治虫公式ページの「手塚マンガあの日あの時」で、今ちょうど「空からきた子ども」が取り上げられている。いやホント、あの素早さには驚いたよ!

そして嬉しいことに、番組ではドクター・キリコにも焦点が当てられていた。海堂さんは「キリコは死の象徴。BJはキリコには絶対に勝てないことを知っている」とか「医者というのはキリコの心を少しは持っていないとやっていけない」とか「医療現場は必敗の戦い(人間は必ず死ぬものなのだから)」と語っておられたのが印象深かったが、だからといって『BJ』という作品は夢も希望もない方向性では描かれていない、とまとめられていた。時間の不可逆性からいっても、BJがキリコに敵わないという点は、以前にTさんも考察しておられたし、二次創作の世界でジャキリよりキリジャが多いという現象にも現れているように思う。だから取りたてて新しい知見ではないと思うけれども、天下のNHKでそう解説されたとなると、今後はこれが公式見解になっていくんだろうなと思った。「ドクター・キリコが登場したことによって作品の格が一段も二段も上がった」と指摘しておられたのが嬉しかった。キリコはやっぱり怖い存在なのだ。「ふたりの黒い医者」の原作絵に合わせて大塚BJとキリコ(山路さんのような若本さんのような?)の吹き替えも聞くことができた。あのキリコの哄笑とBJの叫び(と、その前の「……ち…く…しょー」)は、なかなか聞き応えがあった。

あとは、OVAの「しずむ女」が紹介されていた。久しぶりに観たが、いや~濃いな、OVAは(笑)。シリアス路線なので、先生が体操なんか始めると笑うべきかどうか悩んだりするが、ヨーコ改め月子ちゃんの語りに涙ぐんだ。初めて観たときは号泣したが、やっぱり慣れてしまったのだろうな……。私にとって「しずむ女」は思い入れの深い作品なので取り上げてくれて嬉しかったが、これだけ観た人にはBJ先生がえらくイイ人に勘違いされそうな気もする(笑)。

なかなか充実した2時間だった。いやもう、テレビの画面にBJ先生が映ることがこんなに嬉しいものだとは、アニメが終わってから忘れていた。テレビアニメとOVAの中間くらいのテンションで、また新作を作ってもらえないものかなぁ。原作絵、アニメ、OVA、それぞれのBJに合わせて声を使い分けておられた大塚明夫さんにも拍手!

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アトムの子

太宰治は「桜桃忌」、藤沢周平は「寒梅忌」、司馬遼太郎は「菜の花忌」……。文学者の命日にはその作品に因んだロマンティックな呼び名が付けられることがあるが、手塚治虫の場合はどうなのだろう。一説には「アトム忌」とも聞くが、これではまるでアトムが死んだようでイタダケナイ。個人的には「オサムシ忌」あたりが良いように思うのだが。手塚治虫が亡くなって、きょうで20年だ。

1989年2月9日、訃報に接したのは夜のニュースでだったと思う。思わずテレビの画面に向かって合掌した。入院しておられたことも知らなかったけれど、「BJは来なかったのか……」と悲しく思ったことを覚えている。その後、追悼番組が組まれ特集雑誌などがたくさん刊行されたけれども、一時代の終焉を見せつけられるのが嫌で、私はほんのわずかしか見ていない。個人的にも仕事の異動があったりその他何やかやで慌しく混乱していた時期だった。

PhotoPhoto_2私がちょうど物心付いた頃、テレビでは『鉄腕アトム』(フジテレビ系 1963~1966)を放映していた。雑誌では読んだことがなかったが、明治製菓のマーブルチョコに入っていたアトムのシールやマジックプリントを柱にペタペタ貼っては親に叱られたものだ。シールといえば、同時期(1965~1966)にやはりフジテレビ系で放映された『W3』のシールがロッテのフーセンガムに入っていて、私はボッコ隊長がお気に入りだった。そして『W3』の後番組が、たしか『マグマ大使』だったと思う。いまから思えば、アニメと実写でずっと手塚マンガ漬けだったわけだ。もちろん同時に『宇宙エース』『スーパージェッター』『エイトマン』なども観ていたから「手塚」というブランドに特別惹かれていたわけではなかった。しかし当時はSF風味の夢のある子供番組が充実していたのだなぁ。『ジャングル大帝』『どろろ』『海のトリトン』『ふしぎなメルモ』などもすべてアニメで知った。

私が雑誌で初めて読んだ手塚作品は「COM」の『火の鳥』だった。我が家ではマンガは買ってもらえなかったから、兄が友達から借りたものだろう、部屋に置いてあったのを読んだ。いま思うと、たぶん「COM」の創刊号だったと思う。ネットで見る表紙に見覚えがある。小学1年生の頃。そして正真正銘、これが私のマンガ雑誌初体験であった。それまでは絵本の類しか読んだことがなかったから、フキダシの中にセリフが書いてあることがまず珍しかったことを覚えている。『鉄腕アトム』や『W3』と同じ人が描いているなんてことは知らなかった。ただ『火の鳥』というのは難しい、という印象を持っただけだった。そりゃあ小学校低学年には難しいに決まっている。いまでもあの作品は難解だというイメージがあるが、それはこのときのファースト・インプレッションに拠るところが大きい。「手塚治虫」の名前は『火の鳥』で覚えたのだと思う。

その後、少女マンガでは「りぼん」、少年マンガでは「少年チャンピオン」や「少年サンデー」「少年マガジン」などを、友達から借りて読む時代に入る。「りぼん」では手塚治虫の作品は読んだ記憶がないように思う。『リボンの騎士』は当時身体が弱くてしょっちゅう病院に掛かっていたその待合室で読んだが、あれは「なかよし」だったのだろうな。「少年チャンピオン」に掲載された『ザ・クレーター』(1969~1970)は印象深く覚えている。当時の私にとってはとても怖かったのだ(ぶるぶる)。そして1973年から「少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』が始まるのだ。虫プロの倒産だとか、手塚の死に水を取るつもりで始まった連載だとか、そんな裏事情など一切知らなかった。長期連載マンガが多い中で、一話完結の形で語られる医療を巡るストーリーがとても新鮮で面白かった。少年ではなく大人の男が主人公というのにも心惹かれた。書店やスーパーで立ち読みすることが多かったが、全部暗記するほどの勢いで真剣に読んだものだ(笑)。

私が大学を卒業して社会に出るのとほぼ時を同じくして『ブラック・ジャック』は掲載されなくなり、自然消滅した。それがきっかけというわけでもなかったが、それ以降はとんとマンガやアニメに興味がなくなって、マンガとは完全に縁が切れた。だから私のマンガの歴史は、『鉄腕アトム』に始まり『ブラック・ジャック』に終わったと言っても過言ではない。それも、自分の生活の節目節目で、何故だか手塚マンガとシンクロするめぐり合わせになっていることが不思議でならない。詳しくは書かないが、人の死が悲しくてならなかったときに偶然『ブッダ』に出会ったという事実も私の中では大きな救いだったし、アニメがきっかけでいま再び『ブラック・ジャック』にのめり込んでいることも親の老いを見る日常とリンクしているのかもしれないと思う。そんなふうに考えると、このさき自分がどんな手塚作品を読むようになっていくのか興味津々だ。きっといずれの場合も、そのときどきの私を勇気づけて導いてくれるに違いないと信じている。

先日の『プレミアム10』で山下達郎がいみじくも言っていたが、彼らの世代および彼らよりちょっと年少のわれわれの世代にとって、手塚治虫はまさに基礎教養だった。手塚マンガの洗礼を受けずに育った者のほうが珍しいだろう。『鉄腕アトム』でテレビアニメ初体験をし、『火の鳥』でマンガ雑誌初体験ができた私は、山下達郎風に言えば間違いなく「アトムの子ども」だ。差別や戦争を憎み、自然のかけがえのなさと生命の輝きを描き、たとえ報われることがないとしても懸命に生きることの尊さを語った手塚治虫の遺伝子を、我々の世代はごく自然に受け継ぐことのできる環境にあったのだ。彼の哲学がまさにわれわれの基礎教養だったという幸運には、いくら感謝してもしたりない。私がいつも「人間だけが特別であってよいのか」と考える根底には間違いなく幼い日に読んだ『火の鳥』や『ジャングル大帝』の影響がある。人間の醜い部分や狂気を思うときには『アドルフに告ぐ』や『MW』がある。なんと贅沢なことだろう。

まだ読んでいない手塚作品は山とある。そのことにも感謝しつつ、20年目の命日に改めて合掌する。
手塚先生、ありがとうございます。(-人-)

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祝・復活!

「ブラック・ジャック オフィシャル・サイト」が復活していました!
いまのところ更新はされていませんが、またあの実写シルエットの先生に逢えて嬉しいです♪♪♪

【追記(5日0時過ぎ)】
あ……あれ? いま見たら、また無くなっています。しょぼん。
同じ不幸を二度味わった気分です。orz
「きれいねBJサイトって。あたし一生忘れないわ」

【さらに追記(5日14時過ぎ)】
さっきまた見られました。わけがわかりませんが、しつこくアクセスしてみたいと思います。

・覚え書き
更新情報……大きく腕組み仁王立ち マントはたはた
手塚治虫とブラック・ジャック……ロッキングチェアで読書
カルテ……カルテを見る
マンガ……捨て犬を抱き上げる
TVアニメシリーズ……いきなり素手で手術!
モバイル……電話に向かって怒鳴る
いろんなB・J……カバンを探ってドクロ(?)を見つけて放り投げる
お知らせ……木にもたれてセンチメンタル
おまけ……屋台でコップ酒
 (どこにいても、どこでもドアを開けて出ていってしまう。)

【しつこく追記】
↑にアップしていたトップページの画像は、取り下げます。
著作権を侵害しちゃいけませんから(ドキドキ)。

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マギーとおじさま

Photo 「ただですむと思うの おじさま」
「おじさまはよしてくれ! 家へこい これが場所だ」

全然似てないけど、「赤ちゃんのバラード」のマギーちゃん。原作でもけっこう眼と下睫毛に力が入っているので、私も頑張ってみた。本当は、もっと大人っぽくて色っぽい。orz 
背景をなんとかしたいが、ここで時間切れだ。

スケバンなのだが、コインロッカーに捨てられた赤ちゃんを助けようとする心優しい少女だ。だがそんな大事なことよりも、BJ先生を「おじさま」と呼んだことと先生の名刺をもらっていることのほうが大殊勲だ。よくやったマギーちゃん! それに、天下の無免許医を強請ろうたぁ、いい度胸だぜ! パチパチ。

いま、スケバンっているのかしら? 私は今も昔も実物を見たことがない。連載当時、私が知っているちょっと不良の女の子は、若干長めのスカートをはいてとても身綺麗にしていた。顔もスタイルも頭も良くて、ちょっと虚無的で、ちょうどマギーのようだった。桜塚やっくんのような引き摺るほどの丈のスカートとか黒くて六角形のマスクなんていうのは、もっと後の時代だ。スケバンファッションにもいろいろ歴史があるんだろうなぁ。

「トッポイ」なんていう言葉にも時代を感じる。普通は「ずる賢い」「抜け目がない」、転じて「気障で不良じみたこと」「生意気」という意味で使われるようだが、このストーリーでは「間抜け」という意味合いが強いし、私もその用法しか知らない。「抜け目がない」と「間抜け」では意味が正反対なのだけれども、抜け目なく人を出し抜いたつもりで実は間が抜けていることが多い、ということを揶揄した言い方ではないかと思う。

ところで、マギーが仲間たちと行ったビアホールで流れている曲は、その歌詞からカーペンターズの“Sing”ではないかと思う。「赤ちゃんのバラード」が発表されたのは1974年。同曲はその前年に大ヒットしている。先日観た『プレミアム10』でも、手塚治虫のレコードコレクションの中にカーペンターズのアルバムを見つけることができた。きっとお好きだったのだろう。

……先生は、「おにいさま」と呼ばれたかったのかな……(笑)?

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天才は天才を知る

昨日触れた『手塚治虫クラシック音楽館』に、ストラディバリウスを弾くモロゾフ氏の場面が取り上げられていたので、きょうは第55話「ストラディバリウス」について。

BJの乗った飛行機が、計器の事故で北極近くに不時着する。外は猛吹雪。暖房も切れ、乗客は騒然となるが、そこに流れてきたバイオリンの音色に平静を取り戻す。弾いたのは乗客の一人で、世界的なバイオリニストのモロゾフ氏だった。やがて乗客は近くのエスキモー村へ避難することになったが、乗務員の指示で荷物を持ち出すことは許されず、BJ先生は医療器具が入ったカバンを持っていくことを諦める。一方、モロゾフ氏は指示に従わず無理矢理ストラディバリウスを持っていくのだが、移動の途中で風に吹き飛ばされてしまう。いったん村へ落ち着いてから、モロゾフ氏は吹雪の中をストラディバリウスを探しに行き、凍死寸前になる。命は助かったが、凍傷を負った指をBJが治療しなくてはならなくなる。しかし手元に医療器具がないためにどうすることもできない。結局、3本の指を失ったモロゾフ氏が言う。「自分が生きるためには 大事なものはいつも身からはなさぬことですて…… たとえば先生にとっては手術器具でしょうな…… あれは先生……飛行機の中においてくるべきではなかった」……

モロゾフ氏の機内での感動的な演奏(原作では何を弾いたのか不明だが、アニメ版では『G線上のアリア』が使われていた)や、「大事なものはいつも身からはなさぬこと」という説教めいたセリフに、なんとなく上手く丸め込まれてしまいそうになるが、元はと言えばモロゾフ氏の身勝手な行動が招いた自業自得の悲劇である。と、言えなくもない(笑)。しかしそんな皮肉な見方は手塚先生の意図とはかけ離れたものになるであろうから、\(・_\)こっちに(/_・)/置いといて。

大きく2つのテーマが描かれていると思う。一つは音楽の素晴らしさ、もう一つは人をその人たらしめるものの大切さ、である。「音楽の素晴らしさ」については改めて言うこともない。機内での名演奏のシーンに象徴されている。音符に花が咲き、人々は非常事態であることも忘れて感涙にむせび喝采を送るのだ。BJ先生とモロゾフ氏は隣り合わせの座席なのだが、演奏を終えたモロゾフ氏に先生が満足そうな顔でべったりもたれ掛って懐いているように見えるのは私だけか(笑)。氏の名演奏は乗客の不安や恐怖を取り除いたばかりか、このクールで仏頂面の外科医の心まで蕩かすほどのものだったのである。

そしてもう一点の「その人をその人たらしめるもの」だが、モロゾフ氏においては愛器ストラディバリウスを奏でること、BJ先生においては手術、である。実際、それらを欠いた彼らというのは、彼らであって彼らではないと言えるだろう。単に身に付いた技術のことではない。生き甲斐というのでもない。個性というのともまた違う。それがないと自分自身ではなくなってしまう、というようなもの。自我の一部というような深い領域のものかもしれない。モロゾフ氏は「自分が生きるためには」と強い言葉を放っている。言葉を補うとすれば「自分が『自分として』生きるためには」ということになると思う。モロゾフ氏とBJ、この2人の天才は、この極限状態でそういうものの大切さに気付き、共感し合っていたのではないかと想像する(凡人には想像するしかできぬ…)。

後にエスキモーの夫婦によって発見されたストラディバリウスが、モロゾフ氏の3本の指に寄り添うように埋葬されたというラストシーンは、美しく神秘的であり、せめてもの救いでもあった。凍える氷の下で、ストラディバリウスは今も美しい音楽を奏でているのかもしれない。

最後に蛇足を。猛吹雪の中をカバンを取りに飛行機へ向かうBJ先生。さすがにコートの袖に腕を通して着ておられます。肩にひっかけるだけのいつものスタイルではなくてコート本来の着用方法でお召しになっているのは、シリーズ中このシーンだけではないでしょうか。また、飛行機に乗るからと、いつもはコートの内側にしのばせているメスも外してしまわれていたのでしょうね。

こんな強風なのにやっぱりデコが見えない……。orz

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クマ

『BJ』シリーズには主役級の役どころで2頭の熊が登場する。「クマ」のジンベエと、「一ぴきだけの丘」のタローである。ジンベエは5人もの命を奪った凶暴なクマ、タローは人間に懐いた優しいクマ。タローは北海道産だからエゾヒグマ、ジンベエはおそらくニホンツキノワグマである。(注:ジンベエが北海道以外には生息しないエゾヒグマだとすると、ジンベエを狙うマタギの矢口冬造さんも北海道に住んでいることになり、その妹の夏江(ナッちゃん)も北海道民ということになる。そうなるとナッちゃんと同じ中学に通っていたBJはますますもってどこに住んでたんだアンタ?状態になってしまうので、ここはどうしてもジンベエにはニホンツキノワグマであってもらわないと困るのである。ニホンツキノワグマは北海道にはおらず本州、四国に広く生息している。)きょうは「クマ」について。

「クマ」では、雪深い山中へナッちゃんを訪ねていくBJ先生。ジンベエを仕留めようとする兄・冬造を心配して思い留まらせようとするナッちゃんの相談に乗ろうとしたようだが、ナッちゃんは半年前に町へ行ったきり帰ってきていない。いったいその手紙はいつ届いたものなんだ? それとも、自分抜きで男同士の話をしてくれというナッちゃんの算段だろうか。それにしても、中学時代のガールフレンドの頼みを聞いてやろうとするBJ先生の義理堅いこと(笑)! 

戸口を開けてBJに応対する冬造さん。夏江さんはどこに?と問うBJを無遠慮にジロジロ見ている。どうやら矢口兄妹には両親がいないようで、冬造さんはナッちゃんの親代わりのつもりなのだろう、可愛い妹を訪ねてきた男(BJ)を何者だ?とばかりに品定めしている。そしてどうやらBJ先生は冬造さんのお眼鏡に適ったようで「まあ あがんな」と言ってもらっている。外見はじゅうぶん胡散臭いと思うけどな(笑)。

ナッちゃんから来た手紙を見せると冬造さんは俄かに人懐っこくなる。自分のことが書いてある、と嬉しそうである。仲の良い兄妹のようだ。そしてBJに濁酒を勧め、ジンベエについて語り始める。BJ先生はひたすら聞き役に徹していて、ほとんどセリフがない。冬造さんは人里離れた山中で一人暮らしだから、きっと話し相手がいなくて淋しかったんだろう。「ジンベエをあきらめるってことは おれから人生取りあげるってことだぜ」と言う冬造さんに、BJは説得を諦める。……というか、最初から本当に説得する気があったのかどうかもよくわからない。逆に、ナッちゃんに「お兄さんの生き方を変えるのは無理だ」と言おうとしていたのかもしれない。少なくとも、BJ先生には冬造さんの生き方に共感するところがあったのだろうと思う。

「そこんとこが 夏江は女で わかンねえンだな」。うん、冬造さん、よくわかってらっしゃる。男と女の間の一番深い溝はそれなんじゃないかと私も思う。男って何故か危ない冒険をしたがる生き物なんだよね~。女はそんな男をひたすら心配する。もうちょっと楽で安全な生き方があるだろうに、と思う。そんな冬造と夏江と同じ構図で、ドクター・キリコとユリの兄妹がいる。BJとピノコも同じと言ってよいかもしれない。命懸けで危ない道を行く男達と、ハラハラする女達。埋めようのない溝、男と女の違いだ。

詳しい説明は省くが、ストーリーはこの後かなりとんでもない方向に展開する。おいおい、それはいくらなんでも……と思うのだが、ナッちゃんの文字通り命懸けの行動で、冬造は命を永らえる。冬造さんが真相を知ったときのことは、あまり考えたくない…。 

さてさて、この話の季節は真冬のようだが、読むたびにいつも不思議だった。クマってのは冬眠するんじゃないのだろうか? で、調べてみたら、クマの場合は完全な冬眠ではなく「冬ごもり」というほどのもので、確かにその期間外に出てエサを獲ることはないが、すぐに目覚める程度の浅い眠りらしいのである。ジンベエはというと、眠る気なんぞさらさらないようである(笑)。あるいは、冬造さんの存在がジンベエを寝させないのかもしれない。ジンベエの方も、冬造と闘うことを生きがいとしていたのかも。冬造とジンベエの間には同じオスとして通じ合う、本能的な何かがあったのかも。そしてそれは冬造さんにとって、夏江と通じ合うものより強力なものだったのかもしれない。ヒトだのクマだのという生き物の種類による分類よりは、男と女という2分類のほうが、はるかにしっくりくるものなのかもしれないと思ったりする。

最後に余談だが。「クマ」を初めて読んだとき、私は石川球太の『牙王』を思い出した。ここに出てくる「片目のゴン」は凶暴なエゾヒグマで、馬でも人でも襲って食べてしまう。人々はオオカミと犬の血を引く「キバ」を使ってゴンを仕留めようとするのだが、結局はキバが自分の家族や仲間達とともにゴンを斃す。その死闘が圧巻なのだ。『牙王』が「マガジン」に連載されていたのは昭和41年らしい(私はコミックスになってから読んだのだが)ので、「クマ」に先立つこと10年である。石川球太と手塚治虫はどうやら旧知の間柄のようで(写真)、「クマ」には『牙王』の影響が多少はあるのではないかと思ったりする。ちなみに『牙王』にはおとなしいクマ「タロー」も登場するのである。イヨマンテ(クマ祭り)の捧げ物になってしまうのだが…。

  片目のゴン と ジンベエ

Photo_4Photo

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リボンの騎士

『BJ』に頻繁に出てくる手塚キャラ(女性)にメルモとサファイアがいる。『BLACK JACK 300 Stars' Encyclopedia』によれば、メルモが7話、サファイアが6話に登場している。サファイアは登場回数ではメルモに及ばないが、主役級の役を当てられることが多く、また連載開始早々の第4話目に登場していることからも手塚治虫の思い入れの深さが窺えるキャラである。

・サファイア登場エピソード
#4  「アナフィラキシー」  
#15 「ダーティー・ジャック」  
#49 「二つの愛」  
#94 「サギ師志願」  
増刊「U-18は知っていた」 
#212「ある女の場合」

特に印象深いのが「ダーティー・ジャック」と「ある女の場合」の2編だ。
「ダーティー・ジャック」では幼稚園の先生役。園児を引率してバスに乗っていてトンネルの落盤事故に遭うが、子ども達を怖がらせないよう、優しく、そして毅然と事に当たる女性である。最期は差し入れられた医薬品に火が燃え移るのを身を呈して防ぎ、子ども達をBJに託して死んでいく。
「ある女の場合」では浮き沈みの激しい人生を歩む女性役。駅のホームで倒れたところをBJの手術によって一命をとりとめ、その後幸せを掴んだかに見えたがまた没落し……。それでも健康な身体を手に入れた彼女は強く生きていくのであった。

「アナフィラキシー」でも人に向かって発砲するという(緊急事態だったので)思い切った行動に出る看護師を見事に演じているし、男勝りでちょっと気は強いがそこが魅力的……という女性を演じさせたらサファイアの右に出る者はいない。まさに男と女両方の心を持つリボンの騎士の面目躍如である。

で、BJ先生が何故かサファイアにはいつも好意的なのである。「ある女の場合」の手術料がラーメン1杯分とは破格の安さである。プラットホームで倒れたのがサファイアでなくスカンク草井あたりだったら、見て見ぬふりをするか(をいをい)、5千万円ローンで払え、くらいは言うはずだ。美人は得だなあ(笑)! サファイアの屋敷での、手術料を払う、いらない、の応酬もなんだか楽しそうだし、BJ先生は自分に対等に向かってくる相手がお好みなんじゃないかと思う。その一途さとか懸命さとかその底にある譲れない信念とかプライドとか、悪く言えば頑固さとか、そういう部分で相対することのできる数少ない女性キャラであるように思う、サファイアは。

そしてこのサファイアの性格と非常によく似ていると思うのがピノコである。BJと対等に物を言い、一途で頑固で、優しい。逆に言えばサファイアがピノコのポジションにいてもBJとは上手くやっていけそうな気がするが、それだとサファイアが妙齢の美女なのですぐにBJと恋愛関係になりそうな気がして……、だからこれは却下。やっぱり孤独な影をまとう男であるところのBJの傍にいても良いのは「小さい」ピノコだけだ。話が逸れたが、サファイアとピノコは似ていると思うのである。手塚治虫が生み出した最大の女性キャラ・サファイアのキャラクターを踏襲しているのがピノコなのかもしれないと思う。ピノコの髪やスカートに「これでもか」とばかりにたくさんついているリボンは、その目印なのではないのかな。

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「この坂は苦しいぞ」

さて、新年一発目の『BJ』語り。

BJ先生は医学書以外にどんな本を読んでいるのか。『ハムレット』や『シラノ・ド・ベルジュラック』などは知っているようだし、俳句だってすぐに思い出しているから、理科系の人間とはいえ一通りの古典等は読んできているようだ。自宅の書棚はきちんと整理されているようで、少なくともめぐみさんの写真が貼ってあるアルバムの位置は把握できている様子だ。その他にどんな本が並んでいるのか見てみたいものだが、確実にこれだけは所蔵していると思われる本が『ある身障者の記録』(本間丈太郎著)である。きょうは「アリの足」について。

この年末に私はテレビアニメ版の「アリの足」を横目で観ながら大掃除をしていた。「挫けるもんか!」と思いながら(笑)。読むたびに、自分も頑張らなくてはと思うストーリーなのだが、おおよそのあらすじは次のとおり。

ポリオによって足が不自由になった光男少年は、この病気の患者がどんなに努力しているかを伝えようと、広島から大阪までを歩く旅に出る。そのルートの参考になったのが『ある身障者の記録』である。そこに書かれた患者が、過去に同じルートを歩き通しているのだ。山火事に巻き込まれそうになったり不良少年に財布を奪われたりしながら、光男の苦難の旅は続く。そんなとき陰になり日向になって彼を助けるのがBJである。しかし高額な報酬を取る医者であるという認識から、光男はBJを軽蔑しており「自分をつけまわすな」と怒る。ルートの最後の難所で再び現れたBJは彼に最後の助言をし、『ある身障者の記録』に書かれている患者は幼い頃の自分であることを明かす。ある事故で身体がバラバラになり、それをつないで治してくれたのが本間先生。そしてリハビリに励む自分のことを記録してくださったのだ、と。BJと話をしたがる光男だったが、BJはそのまま去っていく。そして、光男は無事大阪までを道のりを踏破するのだった。

ストーリーの良さもさることながら、『BJ』ファンにとってはBJの過去が明かされる一編として欠かすことのできないエピソードである。アニメでは、旅を終えた光男と自宅でそのニュースを見るBJが画面越しに微笑み合うラストがなかなか良かった。黒男少年が昔同じルートを歩いたときには、光男少年のようにマスコミに騒がれることもなく、おそらくひっそりとした孤独な旅だったろうと思う。人の助けは借りない、自分一人でなんとかするんだ、という気概だけで歩いたんじゃないだろうか。つきまとわれて苛立つ光男の気持ちを、BJほどよくわかる人間は居まい。きっと危ない目にも遭ったことだろう。しかし反面、黒男少年だって行きずりの人から数知れぬ親切を受けたのではないのかな。でなければ、光男少年にあれだけ親切にはせずに放っとくんじゃないかと思う。あるいは、自分の他に誰か親切にする人がいたら、BJは手を貸さなかったのではないかと思う。自分があのとき人から受けたと同じくらいの親切を、BJは光男に返したのではないのかな。

ところでここでちょっと整理しておくが、この54話「アリの足」以前には、29話「ときには真珠のように」で、大怪我をした黒男少年を手術で治したのが本間先生であることがわかっている。このときに描かれた黒男は車椅子に乗っていてなんらかの事故に遭っている。さらにその前の28話「指」では間久部との会話に「おぼえてる……中学のときだ…(中略)…わたしは身体障害者 きみは不具者だったんだ」とあり、車椅子に乗った黒男が間久部と仲良くしている。このときの黒男は顔に傷もないし髪も全部黒いので、まだ事故に遭う前だということがわかる。つまりシリーズのこの時点での設定は、黒男はもともと何かの事情で歩くことができず、間久部と出会った中学時代までは車椅子で生活しており、その後に身体がバラバラになるほどの事故に遭い、本間先生の手術と過酷なリハビリによって歩けるようになった、ということになる。よって、黒男少年が広島~大阪の旅をしたのは中学高学年~高校生の頃と考えられるのだが、後に、この「身体がバラバラになるほどの事故」が「不発弾の爆発事故」になり、更には事故に遭った年齢も「8歳」と前倒しされ、幼少の頃から脚が不自由だったという設定が曖昧になっていくので、「アリの足」までとそれ以降では、BJの生い立ちの設定が違うことは頭に入れておかなくてはなるまい。

さて次に、広島~大阪というルートなのだが……。広島のどこが出発点なのかは絵を見ても判然としない。広島在住の方ならお判りになるだろうか? 終着点は判る。JR大阪駅前の、阪急百貨店と新阪急ビルと曽根崎署に囲まれた三角形の部分だ。地下街の「通風塔」が何本も地上に突き出しているところで、これは私が10数年前に実際に見て確認した。「Yahoo! 地図」の航空写真で調べたら今もあるようだ。ところで謎なのは、どうして広島~大阪なのかということだ。身体の不自由な少年が、縁もゆかりもない土地を起点や終点に選ぶだろうか。そこまでの移動だって大変だろうに。というわけで、このとき黒男少年は広島に住んでいたと考えてみる。ここからは一気に想像の世界に突入するのだが、黒男がそもそも歩けなかった理由を原爆だと考えるのは無理があるだろうか。まだ彼がほんの子どもだった1945(昭和20)年8月6日、爆風によって倒壊した家屋に押しつぶされて怪我をしたという可能性は考えられないだろうか(胎内被爆ということも考えたが、生後脚に障害が出たという例を見つけることはできなかった)。

広島だから原爆、というのでは短絡的に過ぎるかもしれない。しかしその後「身体がバラバラになるほどの事故」が「アメリカ軍の不発弾の爆発」に設定されたことを見ても、BJの生い立ちと戦争を結びつけることはそれほど不自然なこととは思わない。シリーズ全体からも戦争の匂いは色濃く感じられるし、手塚治虫が『BJ』で描きたかったテーマの一つは「戦争」であると信じる。よって、BJは戦争の被害者であるという設定が手塚の頭の中にはあったのではないかと想像するのである。そうするとBJの年齢は、ぎりぎり1945年生まれとして、シリーズ開始の1973年には28歳。うん、それくらいなんじゃないのかな。ということで、今まで私はBJ1948年誕生説をとってきたのを訂正して(…というか、どうして1948年という計算になったのかもはや覚えていない)、誕生日を1944年11月3日に勝手に決めることにする。手塚先生と同じ誕生日という妄想だけは捨てられない(笑)。

黒男少年は当時広島に住んでいた……となると、不発弾が埋まっていた場所も広島近辺で探さなくてはならないことになるのだが、それはまたの機会に。

「アリの足」に話を戻す。旅を終えた黒男は何を思ったのだろう。想像するしかないが、いちだんと逞しく成長した少年像が眼に浮かぶ。やきもきして待っていた本間先生に「よく頑張ったな」と暖かく迎えられて、はにかみながらも旅の思い出を夢中で語る黒男少年……(激しく妄想中)……は、後に先公をダーツの的にする不良少年になり、さらには法外な手術代を請求する闇の無免許外科医になるのであった。あらあら。だからBJって男はおもしろいよ。

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本日休診

きょう大掃除をやる予定でしたが、年賀状のラストスパートやら(まだ書いてたんだなこれが)、今は無人になっている実家の手入れやら、母のご機嫌伺いやらで、まったくできませんでした。明日と明後日、頑張ります。

Photo 掃除に勤しむ先生とピノコ嬢(「肩書き」より)。お~い、ウチも頼むよ。

さて、月曜日は『BJ』語りの日なのですが、きょうはネタを考える暇がありませんでした。また新年に頑張って書こうと思います。いや、「頑張って」というのは実は当たっていません。月曜日の記事は、毎日の記事より楽しんで書けます。なにしろ好きな人、好きなお話についてのことなのですから。

いまちょっとこの一年の間に何を書いてきたのかざっと目を通してみたのですが、まぁ大したことは書いてなかったです(大汗)。ただ、私の中ではめぐみさんの存在が大きいなぁと改めてわかった一年だったかもしれません。私が歳を取っていくにつれて、その存在感は一層大きくなるかもしれないと思ったりします。『BJ』の中で、女の一生とか、女の生き方とか、あるいは女の魅力とか、そういうものを私に考えさせてくれるキャラです。「女」という性を捨てた人なのに、ね。これが手塚先生お得意の、欠落させておいてその部分に目を向けさせるという手法なのかもしれませんが。

しかしまあ、『BJ』という作品については、考えるネタが尽きるということはまずありませんね。めぐみさんのことも然りなのですが、BJ自身は狂言回し的な役割を担っていますから、本当に目を向けなくてはならないのは毎回のゲスト出演者の方なのでしょう。数え切れぬほどの登場人物の、それぞれの思い等々、来年からはそういうことも書けたらいいなと思っています。

今年も『BJ』関係で新しくお知り合いができました。本当に嬉しいことだと思います。30年以上も前のマンガなのに(感涙)。また来年からもここでグダグダと語って参りますので、今後ともどうぞよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。m(_ _)m

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父子の愛憎劇

きょうはBJの父親について考えてみる。アニメでは「影三」という名前と新たな設定が加えられたが、原作では名前も明らかではない(ちなみに「かげみつ」という名前で思い出されるのは「どろろ」の百鬼丸の父親・醍醐景光である。もひとつおまけにアニメでBJの母親の名前だった「みお」は、百鬼丸の彼女の名前である。BJと百鬼丸の類似点については以前に書いたことがあるので割愛)。BJの父親(以後、間氏と呼ぶ)は68話「えらばれたマスク」と233話「骨肉」の2編に登場するが、「骨肉」では脳卒中で倒れて既に意識もない状態である。さて間氏という男、どういう人間であるのか。

原作中、間氏のことに言及された最初は39話「純華飯店」と思われる。ちなみにBJの少年時代が描かれている28話の「指」ではまったく触れられていない。「純華飯店」のラスト、「あなたはまだ父親がいてしあわせだ……」という独白で初めて、BJには既に父親がいないことがほのめかされる。いや、このときはまだ外国で生きていたのだろうが、39話目ではまだそこまではわからない。ただ、父親はもういないのだなと察せられるだけである。このBJの台詞からは、父親を慕う気持ちが窺える。父親孝行ができる息子を羨ましく思い、それができない自分の境遇を淋しがっている様子がありありである。

Photo そして68話「えらばれたマスク」で間氏は初めてその姿を現す。父子再会の緊迫したシーン。
間氏が、ほぼ20年振りの再会なのに面変わりした自分の息子をちゃんと識別しているのが興味深い。やはり血のなせるわざか。確かに似てはいるのだ。瞳の描き方やボサボサの髪質がそっくりだ。BJは少年時代は母親似だが、だんだん父親に似ていったようだ。あ、ちなみに、BJの本名が「黒男」であることはこの話で初めて明らかにされた。

このとき間氏は現在の妻である蓮花を手術して欲しいとだけ言ってBJを滞在先であるホテルへ呼び出している。まだ顔の整形手術であることはわかっていない。「りっぱなドクターぶりじゃなァ」と息子を褒めたまではよかったが、その後に「そ その顔のキズはどうしたのだ」と言っている。つまり間氏はまだキズのない頃のBJの顔しか知らなかったことがわかる。ずいぶん薄情な、と思うが、実際、99話「友よいずこ」でBJの顔面の皮膚の色が違う理由、115話「不発弾」でやっとBJの身体に残る傷痕の理由が描かれるまで、それはずっと読者にとっても謎だったのだ。

手塚治虫の頭の中でもまだ設定されていなかったのかもしれないのだが、これらの事実が明らかになった後で間氏の「その顔のキズはどうしたのだ」発言を読むと、あの爆発事故のあと一度も息子(と妻)に会っていなかったとしか思えない。いや、事故のことさえおそらく知らなかったのだ。「えらばれたマスク」では外に女性を作って妻子を捨てたという(まぁそれだけでも充分ロクデナシなのだが)浮気性の男というイメージだったのが、「友よいずこ」や「不発弾」で更にりっぱなロクデナシに昇格した感じだ。

「えらばれたマスク」に話を戻す。間氏とBJとの会話でわかることは、20年近くも間氏からは音沙汰がなかったこと、その間に間氏はマカオで事業を興し成功を収めたということである。そして間氏はハンセン氏病を患って顔が崩れた蓮花の美容整形手術をBJに依頼する。そしてこれを機会にBJと仲直りをしたいこと、蓮花は病気のせいで子どもが産めないからBJに自分の跡を継いでもらいたいこと、等を話す。対するBJは、あれからお母さんがどんなに悲しんだか、自分がどんなにあなたを憎んで殺そうとまで思ったか、でも最期のときにお母さんはあなたを許したんだ、「あんなすてきなりっぱなおかあさんを なぜすてたんです!!」と思いのたけをぶちまける。間氏には返す言葉がない。

この父子の応酬は凄絶だ。自分の遺産は蓮花とBJで分けろという間氏からは、父親として息子を思う気持ちの一片を読み取ることができるし、間氏から母親に対する誠実な言葉を引き出したいBJからは、まだどこかで間氏を信じたいという気持ちが感じられる。父子の愛情と慕情を交錯させながらの応酬は、しかし結局すれ違ってしまうのだ。

ここで一転、話はビジネスの様相を帯びる。手術と報酬の話題へ。父子の情愛では埒が明かないと、男同士の取り引きへと持っていったのはBJの方だ。父親としては失格だが、では仕事ではどうなのか。
「世界一の美女にしてほしいのだ…(中略)…おまえならできるだろう」
「そりゃあできますよ しかし もしまんいち世界一みにくい顔に仕上げたらどうしますか 復讐のためにね!」
「そんなことはおまえのプライドがゆるしゃあしないよ」
「信じますか?」
「信じてるよ」
(顔に汗を浮かべながら見詰め合う父子。やがてBJが「フフ…」と笑う)
「七千万円いただきましょう」
これで商談成立である。

間氏という男、ビジネスではかなり敏腕なようである。己のプライドを賭けて仕事をすることの尊さを知っている。BJはここで間氏を信頼に足る男だと判断したのではなかろうか。と同時に、自分との共通点をも見出したのだろう。「フフ…」という笑いは(父子だなぁ……)という実感から生じたものではないかと思う。

BJは手術を始める。「ああ 一つだけ聞いておきたい……いまでもおかあさんをすこしは愛していますか」と問うBJ。しかし間氏の答はこうだ。「黒男……わしはおまえの母親にすまなかったとは思う……だが いまは愛してはいない! わしがいま心をこめて愛しているのは……家内だ! この蓮花ひとりなのだ わかってくれ 愛情とは残酷なものだよ」。そして一ヵ月後、包帯が取れた蓮花の顔はBJの母そっくりに整形されていたのである。
「なぜ まえの妻の顔なんかにしてしまったっ わしは世界一の美女にしろといったはずだぞっ」
「私はおかあさんこそ世界一美しい人だったと信じていますのでね これから一生 あなたはいやでもおかあさんの顔とむかいあってくらすんだ あのときひとことでも おかあさんを愛しているといえば 別の顔にかえるつもりだったのです」
そして、夜の街に車を駆るBJが一人つぶやく。「さようなら おとうさん」

なんともはや、凄い復讐劇である。解説本等で指摘されているように、これはBJのエディプス・コンプレックスを描いた話に間違いはないと思う。「さようなら おとうさん」という台詞から、BJはここまでやってキッパリ父親の影と訣別できたのだということがわかる。愛憎相半ばする父親という存在を、自分の中から抹殺できたのだろうと思う。

しかし私はこの話からエディプス・コンプレックスよりはマザー・コンプレックスの方をより強く感じてしまう。「いまは愛していない」とはっきり言われてしまった母親を、BJは限りなく哀れに痛ましく感じたのではないかと思う。母親を自分のものにしようとして父親に反抗心を抱くのがエディプス・コンプレックスだが、その父親が母親をもはやまったく愛してはいないのだ。競争相手にもならないのである。だからこれは「父親に対する復讐」というよりは、「母親を愛するがゆえの復讐」なのではないかと思う。

いや、結果は同じなのだが、母親を愛したのが自分一人だったという事実が、あのすてきなお母さんを覚えているのは自分一人しかいないという事実が、BJには耐え難いことに思われたのではないかと思うのだ。お母さんが忘れられていいはずはない! という思いに突き動かされて、こんな復讐を思いついたのではないのだろうか。前々から準備された復讐ではない。BJはホテルに行って初めてどんな手術をするのか聞いたのだから。父親を信じたい、でも憎い。微かな希望を探して間氏の心を探りながら、「父親への復讐」という気持ちはある程度失せたのではなかろうか。しかし最後まで捨て切れなかったのが、「母への愛」だったのだと思う。

この話で幸せになった人物は誰一人としていない。忘れたい先妻の顔とずっと向き合って暮らすはめになった間氏も、知らぬ間にそんな顔にされてしまった蓮花も、そして最期には間氏を許して死んでいったBJの母親もおそらく喜んではいまい。あの気高いおかあさんはこんなことを望んではいない、と、BJにもそれはよくわかっているはずだ。それでもやらずにはいられなかったBJの心を、哀れに思う。

最後に、これは以前にも書いたことだが、ちょっとアニメ版について触れる。アニメでは影三がとても良い人になっていて、もうどうしようかと思った。BJのあのちょっと捻じくれた性格は、原作のこの女好きで家庭を崩壊させても省みない、しかしビジネスでは有能な間氏でないと辻褄が合わないと思うのである。自分と母を救うために家庭を捨てたといういやにカッコいい影三の秘密が明かされた後、BJはいったいどうするのかと、他人事ながら心配になったりしたものだ。私は影三よりは間氏のほうが断然好みだ(笑)。

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BJ先生の身体能力

BJ先生がbjリーグのマスコットキャラ(?)になられたということで、来年は「にわかバスケファン」になりそうな予感がします。とりあえず、バスケ関係の雑誌には目を通そうと思います。ピノコが持っている先生の人形が欲しいですが、これは売っていないんでしょうか。この際、バスケットボールの模様も縫合痕仕様にすればよいのに。
http://bjleague.livedoor.biz/archives/51268197.html
佐藤公威選手(186cm)とそんなに身長が変わらないBJ先生。背ぇ高~い!(いや、それを言ったらピノコは……)。でもBJ先生にバスケットボールって似合わないですね。選手じゃなくて監督という感じです。以前は西武の試合で始球式なんかもしておられましたが、やっぱこの先生にはめっちゃキレよく踊っていただくのが一番かと(笑)。

さて、月曜日は『BJ』語り。きょうは、では、BJ先生とスポーツということで。

幼い頃から車椅子の生活で、爆発事故遭遇のあとは歩けるようになるまでに3年かかったというBJ先生。高校時代(だと思う)には授業にも出ずに(でも一応学校には来ているところをみると出席日数は欲しかったのだろう)ダーツの練習に明け暮れていたBJ先生。ダーツ以外にはおよそスポーツとは縁遠い印象がある。特に団体球技などのチームプレイは苦手そうな感じ……というか、高校の体育の授業以外ではやったことがないかもしれない。小学校中学校の体育はいつも見学だったのではなかろうか。一緒に遊ぶ友達も極めて少なそうだし、部活やっていた気配もないし。

しかし大人になってからのBJ先生が身体能力や運動能力に劣っているかというと、決してそんなことはない。シャチのトリトンから教わったスピード泳法で水泳は得意そうだし、悪漢との闘いでは見事な巴投げや手刀を決めていて柔道空手ボクシング等の格闘技にも強い。練習の甲斐あってダーツ改めメス投げの腕も抜群だし、どこで習得したものか射撃も抜群の腕前である。馬にも乗れるし『BJ2D』では大型バイクにも乗っていた。いやホント、いつ、どこで練習したのだ?

格闘技は不良少年時代のストリートファイトの実践で身につけたのかもしれないと思う。ピノコを人質に取られない限り、難局をその腕っ節の強さで切り抜けることも多いなかなかの武闘派だ。相手の攻撃を避ける瞬発力にも優れている。裏の世界とも交流の深いBJ先生のことだから、喧嘩の強さは必要不可欠なのだろう。

おまけに怪力の持ち主だ。「ハリケーン」でクロスワード氏をストレッチャーごとロープで井戸に吊るしてまた引き上げるという離れ業をやってのけている。いくら男でも一人では無理なんじゃないかと思うのだが、いわゆる火事場(台風場?)の馬鹿力ってやつだろうか。

足は速いのかな? 「ふたりのピノコ」では病身のロミちゃんに追いつけなかったが(笑)、「B・Jそっくり」では車に追われてもそこそこ逃げているから逃げ足は速いのかも。

また手先の器用さにおいては群を抜いていると思われる。でなきゃ、外科医なんてできないだろう。映画ではたしかピアノを弾いたりしていたのじゃなかったかな。

こうして見てみると、BJ先生の身体能力および運動能力は人並み以上と思われる。動かない身体に鞭打ってリハビリに励んだ成果であろう、見事に身体的ハンデは克服されている(精神的ハンデが残っていたことは「けいれん」や「20年目の暗示」に描かれたが)。また実際の整形外科の先生から伺ったことがあるのだが、2時間くらいの手術を毎日やっているとかなり足腰が鍛えられるのだそうだ。その先生はちょっと小太りだったので、内心(4時間やったほうがいいよ)と思ったものだが、そう言われてみれば一般的に内科の先生より外科の先生のほうが体育会系の体つきの方々が多かったように思う。毎日の手術という立ち仕事で基礎体力は鍛えられているのかもしれない。BJ先生なんか18時間なんてのもあるもんなぁ。この先もBJ先生はきっとメタボとは無縁だろう、というところで、本日はこれまで。

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苦し紛れの雑考

きょう午後自宅へ戻って来ました。この4日間ですっかりペースが狂ってしまいました(健康的な方に・笑)。ブログも書こうと思えば書く時間はあったのですが、ほとんど家の中にいたのでネタがなくて結局書きませんでした。また今夜から不健康にブログを書く生活に戻りたいと思います(笑)。

さて『BJ』語り……と思ったのですが、な~んにもネタを考えておりません。う~む。先日は雪が数cm積もって舅殿が「寒い寒い」言っていたので、寒い話にしてみようかな。

BJ先生は結構寒がりだと思います。「ネコと庄造と」で、雪が降った夜の往診を「こんな寒い夜は往診できん! 一千万つんでもいけないといえ」と言っています。結局「五千万でも六千万でも」と言われて行くんですが(笑)。「奇妙な関係」で暖炉に薪をくべていたり、「ピノコ西へいく」でだるまストーブに当たっている姿が妙に似合っていたりします。真夏でもあの黒装束をやめない男ですから暑さにはきっと強いのでしょう。

寒い話が終わりました。えーと……。次。

ドクター・キリコとの触れ合いについて。意味深ですが、そのままの意味です。

この2人の関係は、キリコの姿を見つけたBJが突っかかっていくというパターンが多いわけですが、取っ組み合いの喧嘩が描かれたことはありません。そこでどの程度のことをやっているかというのを調べてみました。要するにどれくらい接近しているかということです。

・恐怖菌(『死神の化身』改訂)
 「ドクター・キリコ おまえさんの見立てではどうだね?」「正直のところ こいつはお手上げだ」の会話シーンでの二人が妙~~に近いというのは皆様ご承知のことでしょう。なぜそんなにひっつく必要があるのだ?と思います。

・弁があった!
 「どこにかくした?」左手でBJの胸倉を掴むキりコ。なんと、最初に相手の身体に触れたのはキリコのほうからだったんですね。
 毒薬を注射しようとしたキリコの腕を掴んで止めるBJ。これがBJがキリコに触れた最初。
 毒を注射してしまったキリコの顔を殴るBJ。「バチッ!」という音から察すると平手打ちでしょうか。アニメではグーで殴っていたようでしたが。一瞬ですが触れ合っています。

・99.9パーセントの水(原題『限りなく透明に近い水』)
 グマにかかったキリコを手術。とうとう内臓に触れちゃいました。

・死への一時間
 「そんなものを使うことはゆるさんぞっ」右手でキリコの胸倉を掴むBJ。
 ペースメーカーを埋めて縫合をしていると思われるキリコのすぐ左隣で指示を出すBJ。近い(オペ中ですから)。
 屋上からニューヨークの夜景を並んで見ている2人。近い(オペ後ですから)。

・小うるさい自殺者
 「おれの仕事は神聖なんだ!!」「からかいにきたんなら出てけっ」左手でBJの胸倉を掴むキリコ。わぁ、湯気まで出して怒ってら(笑)。顔が至近距離です。外人さんはよくこんなふうにして怒りますよね。それじゃ目の焦点が合わんだろうってくらい顔を近づけてます。「出てけ」と言ったり「待て」と言ったり(笑)。

……というような結果になりました。あとのキリコ登場作品では口喧嘩はしていますが、ボディタッチはありません。以上、何ら得るところのない調査でした(ガッカリだよ)。
一つ意外だったのは、相手の胸倉掴んだ回数はキリコの方が多いということでした。キリコは右利きですが、左手で掴んでいるということは右手でいつでも殴れるということで、よっぽど頭にキているのだなぁと思います。まず最初に散々キリコを罵って挑発するのがBJ先生。我慢の限界にきて先に手が出るのがキリコ。そして本格的な喧嘩へ……ということになるのかもしれません。以上です。

来週は何かちゃんとしたことが書けるとよいなァ。

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「もう治せないんだ!!」

月曜日は『BJ』語り。きょうは「シャチの詩(うた)」について。

私にとっては5本の指に入るくらいに大好きなお話なのだが、泣くのがわかっているのでその覚悟をしないと読めないお話でもある。

BJが岬に診療所を構えたばかりのころ、外見を嫌ってか誰も彼に近寄る人間はいなかった。孤独に何時間でも海を見つめていた毎日に、ある日変化が訪れる。怪我をしたシャチがやってきたのだ。BJはシャチの怪我を治してやる。シャチはその後も何度も怪我をしてやってきた。報酬となる真珠や珊瑚を咥えて。BJは彼に「トリトン」と名前を付けて、カルテまで作成するようになる。BJはトリトンと友情を育むが、町の噂でシャチが漁場を荒らしていることを知る。大海原へ帰るようトリトンに話すBJだったが、遂に子どもが3人シャチに殺され、大掛かりなシャチ狩りが行われる。トリトンは傷つき、またもBJのところへやってくる。BJはもう彼を治すことができなかった。毎日報酬を咥えてBJの元へやってくるトリトン。BJは見て見ぬふりをする。岩陰に隠れて「もう治せないんだ!!」と叫ぶBJが哀しい。そして、最後の一粒の真珠を咥えたまま、トリトンは死んでいった。

誰も悪くないのだ。他の動物を食べて生きているシャチ。子どもを殺されてシャチ狩りをしようとする人間。誰も悪くない。いや、唯一悪い奴を探そうとすれば、それは最初にトリトンを治療したBJ先生だということになる。これでトリトンがBJに懐いてしまった。怪我をしてもここに逃げ込みさえすればBJに治してもらえると思い込んでしまった。だからトリトンと縁を結んでしまったBJ先生が一番悪い。しかしそれを責めることができるのだろうか。目の前に傷ついて死にそうな生き物がいるとき、思わず手を差し伸べてしまうことは果たして自然の摂理に反することになってしまうのか……。

トリトンのことをピノコに話して聞かせるBJは、悲しさを押し隠して淡々としているように見える。彼が泣けないのを、代わりにピノコが泣いてやっているようにも見える。自分が犯した罪とそれに対して与えられた罰を、BJはしっかり自分の身ひとつに受け入れている。トリトンに対してもずっと許しを乞い続けてきたのかもしれないと思う。

後に「戦場ガ原のゴリベエ」というお話が描かれた。連れ合いを亡くしたゴリベエという猿が、残された子ども達のために乳を得ようとして人間を襲い乳製品を奪う。地元の猟師に撃たれたゴリベエを追ったBJは、ゴリベエの巣穴で事の顛末を知り、彼を治療してやる。一週間後、車で去ろうとするBJに、巣穴に置き忘れたメスを届けるゴリベエ。親しく言葉を掛けるBJとちんまり座ってそれを聞くゴリベエ。しかし次の瞬間、ゴリベエは再び猟師の銃弾に倒れるのだ。慌ててゴリベエに駆け寄ったBJが猟師に向かって叫ぶ。「クソッタレめ!!」。

トリトンが死んだときにはBJの感情は描かれなかったが、ゴリベエのときには感情を爆発させている。怒りと憤りともどかしさと……。BJにはこの猟師を糾弾することはできない。人間を襲う凶暴な猿を放っておくことはできないのだから、猟師の行いには正当性があるのだ。子どもを3人も殺したシャチを狩ろうとした漁師たちと同じである。野生動物と人間の関係を描いた同じようなストーリーの中で、BJは2度も同じような苦い悲しみを味わう。

しかしこの「クソッタレめ!!」というラストのコマから察するに、BJの心情は人間側よりは動物側に近いところにあるように思う。『BJ』シリーズを読むたびに思うのだが、BJの視点は常に弱者の側にある。野生動物と人間の関係で「弱者」というのはおかしいかもしれないが、人間は少なくともシャチや猿よりも思考能力において勝っていて、自然や社会の全体像を把握できる立場に居り、自然界に介入できる力をも持っている。そういう点で野生動物は人間より「弱者」の立場に置かれていると言ってもよかろう。だからこの場合も、BJの視点が動物側にあることは頷ける。

トリトンのときにはどうすることもできない運命を嘆くことしかできなかったBJだが、ゴリベエの最期では、人間を害するものは皆殺すのか、なきものにするより他に方法を思いつかないのか、このクソッタレめ!!という気持ちだったのではないかと思う。人間ならば、その思考能力の高さを誇る人間なればこそ、彼ら野生動物との共存の道を探らなければならないのではないのか。

「シャチの詩(うた)」では切ない結末にただひたすらに泣くことしかできないが、「戦場ガ原のゴリベエ」では「クソッタレめ!!」というラストの台詞から、手塚治虫はそういうことを描きたかったんじゃないかなぁと感じるのである。

(もうちょっと書きたいことがあったような気がするのだが、泣きながら書いているうちに忘れてしまった。時間がきたのでここでアップします。)

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大きなスペードと小さなハート

Photo_2 すっかり黒背景と化したBJ先生……。orz

細かい雨を降らせていたのですが、画面がうるさくなったので消しました。そしたらなんでピノコをコートの中に入れているのかわからなくなりました。orz

先生とピノコを同じ画面に立たせることがいかに難しいか、初めて知りました。そういえば、アニメでも「このピノコは宙に浮いてるな~」と思われるシーンがいくつもあったのを思い出しました。この身長差は難しいです。

そしてそして、romiさんが描いていらした素敵なイラスト「ピノコとロミの秋冬model 2008」でピノコ嬢がしていたペンダントを、無断でパクらせていただきました。romiさん、すみませんッ(土下座)。ファッションもそれはそれはシックで素敵だったのですが、大きなスペードと小さなハートのペンダントがあんまり可愛らしかったもので、目が釘付けになってしまいました。ピノコ、こんなペンダントさせてもらったら嬉しいだろうなぁとこっちまで嬉しくなって……パクりました。というか、それが描きたくて描いた一枚です。

えーと、もう他に言い訳することはないかな? ピノコが描けないこととか……(致命的)。orz

【追記】タカシを描き忘れていましたッ(汗)。点々と追加。

以下、romiさんに私信です。

続きを読む "大きなスペードと小さなハート"

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歯医者

きょうは歯医者へ行って1本抜歯しました。先週から歯茎および頬ならびに顎が腫れてえらいことになっていましたが、きのう夜中に歯茎が破裂して血がどばっと出てからはいくぶん楽になっていました。それでも歯がグラグラしているので一大決心をして歯医者へ行きました。診てもらったら「抜きましょう」と。私にも異存はなく麻酔をされて椅子の上に横たわっておりました。あれだけグラグラして自分でひっぱっても抜けそうな感じがしていたくらいだからすぐに終わるだろうと思っていたら、どっこい、先生悪戦苦闘の末「あんがい根元はしっかりしていますね」と、なにやら息を切らしておられるような。でもまだ抜けた気配はありません。ワタクシも肝心な部分はまったく痛くはないのですが緊張と不安で全身硬直して脂汗が出ました。そして私の人相がすっかり変わってしまうのではないかと心配になるほど、先生渾身の力を込めて私の顎やら頬やらを押さえつけ、どうにかすっぽりと抜けるまで5分以上かかりました。ワタクシ顔じゅう痛くてぐったりです。抜いた歯のところやその周りの歯茎などの痛みはすぐになくなりましたが、押さえられた反対側の頬やら顎やらが痛くなって処方された痛み止めを飲んだりしました(笑)。

そんなこんなで、きょうの『BJ』語りはお休みさせていただきます。m(_ _)m

BJ先生は外科以外の領域(眼科や耳鼻咽喉科)の手術もしておられますし、何回か自分の身体にメスを入れるということもしておられますが、それが背面や顔面だったらとても自分では手術できないでしょうね。しかしBJ先生が他の先生のところへ行ったというのは、手が痙攣したときの精神科と、「上と下」の歯医者くらいしか思い当たりません。それも文庫版の「上と下」ではその台詞も変更されてしまっていますが。先生でも歯医者に掛かるんだなぁと妙に可愛らしく思ったものです。

11月3日付け記事「『BJ』のサブタイトル」に若干追記。(赤文字部分)

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おくたんなんらかや

手塚治虫のマンガには、男女のペアを主人公にしたものがいくつかある。『ドン・ドラキュラ』の父娘、『どろろ』の百鬼丸とどろろ、『七色いんこ』のいんこと千里刑事など。大人の男と小さな女の子という言い方もできるかもしれない。百鬼丸は大人というにはちょっと若いけれども自分の目的のために突き進むというスタンスを確立している一人前の男だし、千里刑事は立派な大人の女性だけれども鳥を見ると体が小さくなるという特異体質を持っている。いずれの場合も、ペアとして協力態勢にあるときは息の合ったところを見せてくれるが、二人きりになると小さな女の子に振り回されて大弱りする大人の男……という構図も垣間見えて楽しい。ドラキュラ伯爵とチョコラではチョコラのほうが断然しっかりしているけれども(笑)。

『BJ』においても然り。ピノコという存在がなかったら『BJ』という作品はどんなに違ったものになっていたことだろう。BJは天涯孤独のクールでやさぐれた医者のままだったかもしれない。ピノコとの掛け合い漫才のような会話が描かれなかったらBJの内面描写はもっと薄っぺらなものになっていたのではないかと思う。BJの性格もピノコのおかげでだいぶん変わったと思うが、ピノコもまた回を追うごとにずいぶん変わったように思う。

そこで改めてピノコの登場する話だけを順番に読んでみた。最初の頃のピノコはかなり痛々しい。顔つきも険しいし言動も荒い。自分を認めてもらいたくて、自分の居場所を確保しようとして、18年間のブランクを埋めようとして、求められる存在になろうとして、かなり急いでいる感じがする。無理もない。(無理もないが、正直、最初の頃のピノコはあまり好きではなかった。)そしてその一番手っ取り早い解決策が「BJの奥さん」であるという自己主張であったような気がする。なぜ「BJの娘」ではないのか? BJがまだ若くて独身だったからだろう。もしBJが馮二斉くらいの年齢だったり妻があったりしたなら、素直に「娘」で納得していたような気がする。

「ピノコ愛してる」で初めて「奥たん」発言が飛び出し、それはシリーズが終わるまで延々と続く。その間、そのピノコの言葉を受け入れたのはピノコの姉ただ一人だ。お姉ちゃん、このとき頭打ってるもんなぁ(笑)。普通の人間ならそんなこと言われて信じる奴はまずいない。せいぜい「ああ、将来そうなりたいと思っているんだな。よしよし」と子供の夢として聞き流すくらいだろう。だからこれはただ一人BJに向けられた言葉だと私は解釈している。誰彼なしに「奥たん」だと言っているような印象があるが、そのほとんどはBJに向かって、あるいはBJが傍にいる状況で誰かに向かって言っていることが多いのである。例えば一人で買い物に行ってお店の人に「おじょうちゃん」と呼ばれてもピノコはそれをわざわざ訂正したりはしていない。BJにだけ聞いてもらえればよいと思っているのだと思う。

「奥たんだ」「愛ちてゆ」とピノコは繰り返す。BJもまたいちいちそれに言葉を返したりしない。そう思うことがピノコの幸せならば、と考えているからだろうと思う。幸か不幸か、どうやらBJは生涯結婚しそうにない男だ。「人生という名のSL」に描かれたとおり、ピノコは今のまま(法律上、BJとピノコは結婚できない)末長くBJの傍にいるのではないかと思う。ただBJにとって結婚と恋愛は別らしく、ピノコがいても(まだいなかったという証拠がない)BQを口説こうとした実績もある。私としてはそのほうがありがたい。ピノコを恋愛対象として、つまり性的対象として扱われるよりは遥かに健全だと考えるからだ。年齢など関係なく、幼くて小さな身体を傷つけるような行為は決して許されるべきものではないと思うからだ。もしもピノコが女性の身体として十分な機能を持っていて妊娠でもしたら、子宮は破裂する。そんなもの愛の行為でもなんでもない。逆に女性としての機能が無いなら、それは単なる淫行だ。どちらにしても、幼い身体のままのピノコがBJと性行為をする理由を、私は見つけることができない。

……話がずれた。BJとピノコの間に強い愛情があることは間違いない。しかし「奥たん」というのは文字通りの「奥さん」ではなく、BJに最も必要とされるポジションという、象徴的な意味合いだろうと思う。娘、助手、家族、相棒、それらのものを全て含んでいるように思う。ピノコはただただBJに必要とされたいのだ。私を見て。私を愛して。最初の頃のピノコは確かにそう主張していた。しかしピノコの思いはもっと力強くて無条件で母性的な愛に変容していく。そしてBJを癒すことのできる精神的な拠り所になれたとき、BJもまた「最高の妻じゃないか」とピノコを認めるのである。姿形がなんだ! ピノコがいつまでも小さいままなのを可哀相に思ったりするのは自分の傲慢なんじゃないかと、私はピノコを考えるたびにそう思う。

【ピノコ登場作品】

畸形嚢腫              
ピノコ愛してる  

 「ピノコ 先生のおくたんになゆんだ!!」「(患者の父親に、先生の子かいなと言われて)おくたんらよ!!」。←これが「奥たん」発言の初出例。最初は「奥たんになゆ」だったのが「奥たんらよ」に変化している。
後遺症          
ピノコ再び
    
 「もうおまえはあの医者のこどもだ うちの子じゃない もどってくるやつがあるかっ」「ピノコ 先生とこにいたいんだアー」    
灰色の館     
 「おくたんとちて ついてきたの」…「ウワキはゆうちまちぇんっ」「よけいなおせわだ」   
発作       
 「(おじょうちゃんと言われたのに対して)ちゃんらないの さんって いいなおしなちゃいっ」←ふ~ん、「奥さん」でなくてもいいんだ?    
誘拐       
 「部屋から出るなっ」「おくたんがおくゆぐやい いいじゃないのよさ」
 「らいとうよう(大統領)なんてかんけいない人れちょ ピノコはなんしよおくたんなんらかやね!」
 「ちがうわ! らいとうようのほうがたいせつらかやよ!! ピノコなんかよいも!」「らいとうようってらいじな人らもん この国にとって」「ピノコなんか ろうなったっていいのよさ」。このBJへの盲信ぶり! そしてそれが裏切られたかもしれないという場面でもBJを一切恨んでいないピノコ。健気で潔い。颯爽と大統領もピノコも両方助けるBJもカッコいい。「キチュしてあげゆ」。    
万引き犬         
ときには真珠のように     
ピノコ生きてる  

 「そよそよピノコ大きくしてくえたっていいれちょ」…「ピノコもいつかは結婚するんだ!」
なにかが山を…  
 「ピノコ歩けよ! 十八だろおまえ」「オンブーッ いつも0歳だ0歳だっていってゆくせにーーい」    
ピノコ還る!   
 「おくたんのヘチョクイはあんまりきかないもんでちゅ」    
赤ちゃんのバラード       
白いライオン   

 「ピノコおまえはどうだ おまえはまともなからだになりたいと思ったことはないのかっ」「おまえは半分以上つくりもののからだだっ」「ちゃんと一人前のからだの女の子になりたいと思ってはいないのかっ」「そやあ ないたいわのよ……」。これは辛い会話だなあ……。    
めぐり会い    
 「これは…わたしの助手でピノコというんだ」「おくたんれちゅ」。こんな紹介されたら、誰だって面食らう(笑)。    
アリの足         
ふたりの黒い医者
 
 「うわきしちゃあいけませんっ 男なら会ってもいいけろね」。ウン、だからキリジャはピノコ公認なんだよな…(違)。   
にいちゃんをかえせ!!     
コルシカの兄弟
  
 「そんなにおくさんぶりたいんならクチャクチャスルメかむのやめろ」「やめさせたら泣くもんね」    
ネコと庄造と       
のろわれた手術        
えらばれたマスク     
ガス           
スター誕生
    
 「ね ピノコしうつして大きくちて!」「いまのままがいいよ」    
弁があった!       
ピノコ・ラブストーリー 

 「あれはすばらしい助手です」    
デベソの達        
報復         
シャチの詩
    
 「ピノコ 先生のおくたんなのよ!」…「ね 先生 いまは ひとりぼっちじゃないわよね」
水とあくたれ     
犬のささやき        
奇妙な関係
    
 「いいや 二十歳の名医だ」  
ピノコ西へいく  
 「ピノコ二十歳よのさ!!」  
小さな悪魔    
 「小さいときには男の子なら母親を 女の子なら父親を愛するもんだ…」…「アッチョンブリケ」  
もう一人のJ       
U-18は知っていた     
ハッスルピノコ
  
 「くよくよすんな!」「幼稚園や学校なんざゴマンとあるさ」…思い悩むBJ。  
悲鳴         
老人と木       
座頭医師
     
 「らんなちゃまのちごのにケチつけやえたや」「おくたんとしては ぐやじいわのよ!!」 
殺しがやってくる  
研修医たち    

 「結婚記念日よのさ」「あのなあ 結婚式もあげてないのに なんで結婚記念日なんだ」「らっておくたんらもん 結婚記念日ぐやいあゆわのよ」「ウーン そう決めてるんならやむをえないな…」「さ らちて」……この後BJは「わがむすめピノコへ」と書いたメキシコのひょうたん人形を出してピノコの逆鱗に触れることになる。
あるスターの死      
畸形嚢腫パート2 
空からきたこども      
99.9パーセントの水   
落としもの        
やり残しの家     
約束           
フィルムは二つあった  
失われた青春  
      
コマドリと少年  
 「おくたんのやゆことに いちいち口出さないれちょーらい!!」
音楽のある風景    
B・J入院す
   
 「(女医さんにおじょうちゃんと言われて)おくたんらってのに!!」「あの女医ちゃんね 先生を愛ちてゆ」。鋭いなーピノコ! びっくりしているBJの顔がなんとも…(笑)。する前からバレてちゃ浮気しようにもできまへんな。    
白い正義     
 「この子は私のものだっ」  
本間血腫     
おとずれた思い出
 
 「らってピノコはね 先生のおくたんらもん」「ピノコね ほかの人におくたんってみとめやえたのは はじゅめてよのさ!」。ウンたしかに!
信号           
土砂降り

 「(BJと電話で)そこに女医ちゃんいゆんれちょ きよみとかゆー……」「いいれちゅか ウワキはらめれちゅよ わかっちゃうんらかや」。なんで名前までバレてるのかな?    
六等星          
キモダメシ    

 「おまえ二十だろう そんなお子さま向きのサービスは幼稚じゃないのか」  
肩書き        
命を生ける        
二人三脚
     
 「おまえそろそろ発声練習したほうがいいんじゃないか」  
腫瘍狩り        
浮世風呂       
助け合い         
20年目の暗示      
消えさった音       
しめくくり        
ブラック・ジャック病    
コレラさわぎ       
ピノコ・ミステリー        
密室の少年
    
 「先生… ピノコがついてゆ…」    
動けソロモン   
 「(アニメーターの青年に向かって)ピノコね おくたんよのさ」「こうみえても二十なのよのさ あら 十八らったかちや」「手塚治虫たんがねー アイマイなかきかたちゅゆかや こまっちゃうわのよ」     
台風一過     
 「おまえもおとなだろう 私に頼らずにしっかり家を守ってろ わかったな」  
人生という名のSL   
 「おまえ 私の奥さんじゃないか」「それも 最高の妻じゃないか」  
復しゅうこそわが命      
されどいつわりの日々
B・Jそっくり

 「手と顔洗ってきなさい!!」「私の奥さんならそんなひどい顔はごめんだ!!」    
過ぎさりし一瞬   
短指症
      
 「としはもいかないって おまえさんはどーなんだ?」「ピノコ おとならわよ!!」このエピソードでのBJピノコペアの息ピッタリ具合といったら、読んでいて痛快である。    
オペの順番     

【上記以外でピノコに言及されている作品】

ダーティ・ジャック 
 「私にもちいさな女の子がいてね」「幼稚園へ入れようと思ってるんですよ」「おいくつ……」「十八歳だ…いや0歳かな」
ふたりのピノコ
 「うちの子がおまえさんそっくりなんだ」「おまえさんを見てるとうちの子を見てるようでね」
身代わり      
 「(スージー)じゃ……パパなの」「ンム ま…そんなもんだ」

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公式サイトが消えた……

ちょ、ま……。え? お? あ?
「ブラック・ジャック・オフィシャル・サイト」はいつ無くなったの?!
1週間くらい前までは確かにあったのに!
わ~~ん(泣)。あの実写シルエットのBJ先生が好きだったのに~~!
捨て犬を拾ったり、コートのままでオペしたり、電話に向かって怒鳴ったり、木にもたれてため息ついたり、木枯らしの吹く屋台の飲み屋でコップ酒を飲んだりするあのBJ先生……。
わ~~ん(号泣)。そりゃあもう1年半以上も更新されてなかったけど、あのBJ先生に会いたくてときどき覗いてたのに~~!
朝っぱらからショックだ……。

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『BJ』のサブタイトル

『BJ』のサブタイトルについて考えてみた。

以前アニメが放映されていたとき、アニメにつけられたサブタイトルにはかなり首を傾げるものもあってファンの間ではあまり評価が高くなかった。原作のサブタイトルは素晴らしいのに、という意見もよく見かけたものだが、原作にもよく意味のわからないタイトルがそれなりにあると思うのである。内容を一言で上手く表しているものもあれば、妙に思わせぶりだがちょっとハズしていると思うものもある(私の感覚では、だが)。そこでエピソードそのものではなくサブタイトルが意味するものを考えてみたいと思った。

サブタイトル全体をつらつら眺めて思うことは、どことなくバタ臭くて洋画につけられた邦題を見たときに感じるような気恥ずかしさが漂うものが多いということである(私の感覚では、だが)。1年に300本もの映画を観ていたというほど映画好きな手塚治虫のこと、映画のタイトルをもじって使うことだってあったに違いない。『ダーティー・ジャック』なんかその顕著な例だ。

そんな例がほかにもないかと思いつくままメモ書きした。本当にそれを意識してタイトルがつけられたかどうかは、もちろんわからない。ただここに挙げたのは私が知っているくらいの大作や名作だから、当時のたいていの読者も知っていて、当然手塚治虫は知っていたはずだ。そのあたりのことについて何か情報をお持ちの方があったら是非ご教示願いたい。「他にこういうのもある」という情報も是非。m(_ _)m

映画について調べるのに時間を食ってしまって、本来の目的である「サブタイトル考」まで行き着くことができなかった。どこまで行ってもキリがないような気がしてきたので、ひとまずここでアップする。私が「意味がわからん」と書いているものについて、「それはこれこれこういう意味だぞよ」というご教示も是非賜りたく。また全然見当違いなことを書いていたら、それもご指摘願いたく。よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m 【このエントリについては、今後も加筆修正していくつもりです。】

というわけで、以下、全243話のサブタイトルをずらーーーーっと並べてコメントをつけてあるので、興味のある方だけご覧くだされば幸い。

最後に……、

天国の手塚先生、80回目のお誕生日おめでとうございます♪♪ 
そして『BJ』という作品を生み出してくださって、本当にありがとうございます。
私の生涯の宝物です。大事にします。

続きを読む "『BJ』のサブタイトル"

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手塚治虫生誕80周年記念出版物いろいろ

書店で『手塚治虫大全1,2』を引っ掴んでレジへ行ったら、店員さんが「これもでしたよね」と先日注文しておいた『手塚治虫アートコレクション』を既に用意して待っていてくださって恐縮した。先日の店員さんとは違う人だったのに。手塚関係図書が出ると目の色変えて買っていく客として覚えられてしまっているかも(汗)。それならば、と居直って「『芸術新潮』は入りましたか」と尋ねたら「ちょうどきょう入りました」とそれも即座に出してくださった。う~む、行動を読まれているような気がする(汗)。今月号は予約もたくさん入っていて売れ行きが良いそうだ。

というわけで、きょうは手塚関係の本に囲まれて嬉しい限り。以下、ちょっとだけご紹介。

・『手塚治虫大全1,2』は、以前にマガジンハウスから刊行された同名の本を光文社が文庫化したもの。全3巻に手塚のマンガ、小説、エッセイがまとめられている。まだパラパラとしか眺めていないが、BJ関係ではあのBJのマントについて書かれていた。そうか、あのマントは本来美女を2~3人包み込むためのものだったのか(笑)。

・『手塚治虫アートコレクション』は10月24日~11月10日にパルコファクトリーで開かれる「アート展『手塚治虫の遺伝子 闇の中の光』公式出展作品解説」だが、おなじみの手塚キャラが様々に表現されていて、とにかく眺めていて楽しい。BJ先生は……女だよなコレ。女体化ってやつだろうか。スペード型の泣きボクロに真っ赤なルージュ。わざと大げさに描いた傷。某様の女装BJを彷彿とさせる妖しい魅力満載の作品が1枚ある。他にも抽象画なのだけれども見事にBJ!という作品や可愛いピノコを描いたものなどがある。みんな手塚治虫が好きなのだなぁと嬉しくなる。

・『芸術新潮』11月号は「特集 生誕80周年記念 手塚治虫を知るためのQ&A100」。表紙はオレンジ色をバックに手塚キャラが大集合。あ~、ドクターキリコまではぎりぎり載っているが、彼の左、あと2人のところにBJ先生がいるはずなのに~。切れてる~。orz  というわけで表紙にBJ先生はいないが、中身ではちょこちょこ登場している。手塚ファンなら買っておいて損はないかなと思う1冊。

きょうはこれらの本の誘惑に抗しきれず、『BJ』語りをお休みして、ガンガン読みたいと思います。来週はちょっと気合を入れて頑張って書こうと思ってます。

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BJ先生だって恋愛するだろう

BJ先生を巡る女性達については以前も取り上げたことがあった。こういう話題は大好きなので再び触れてみる。多少なりともBJに好意を寄せた女性を順不同で並べてみると、

ジェーン・ギッデオン伯爵夫人
杉並井草
清水きよみ
「霧」の美江
青鳥ミチル
「BJ入院す」の女医さん
竹中未亡人
綿引十枝子
「復しゅうこそわが命」のラブロの娘
矢口夏江

それにBQと如月めぐみという面々である。(←この二人は別格)

逆にBJのほうが親切にしたり献身的な様子を見せたりしたのは、

イカル
「曇りのち晴れ」の自殺未遂の女性
ヨーコ
「ある女の場合」の女(サファイア)  だろうか。

あと、珍しいことに2度も登場している女性キャラだが2度目に会ったときにはBJにすっかり忘れられていた可愛そうな人がいる。ドクター・キリコの妹のユリである。キリコにそっくりなのに、なんで忘れるかな?

さてさて、私はBJ先生だって恋愛したっていいじゃないかという考えを持っている。独身なのだし。生涯結婚はしそうにない感じがする男だが、だから余計に、サラリとした大人の恋愛なら年頃の男性としてあって当然だと思う。実際これだけモテているのだからチャンスはけっこうありそうだ。めぐみさんに対してはウブで純情でガッチガチになっていたようだが、それ以降それなりの研鑽を積んだのだろう。BQに対しては手馴れた様子を見せている。ぶっちゃけ、普通の男と同じ程度には遊んでいるんじゃないかと思うわけだ。それを、めぐみさんに対する不貞行為だなどとはさらさら思わない。めぐみさんだって、そんなBJに幻滅することなんかなかろうと思う。性交渉がどうのこうのというような年齢でもないし、そんなことや結婚式を挙げたことを盾にしたりするのは青鳥ミチルくらいなものだ(←よっぽど嫌いらしい)。

妄想を逞しくして考えたとき、上に挙げた女性達のうち、BJとの仲がちょっとは進展しそうな気がするのは、「曇りのち晴れ」の自殺未遂の女性と「ある女の場合」の女(サファイア)である。

まずは自殺未遂の女性。彼女は「きたるべきチャンス」の綿引十枝子とそっくりな容貌をしているので、演じているのはやはり『人間昆虫記』の十村十枝子ではないかと思う。悪い男に騙されて3千万円使い込んでしまい自殺を図ろうとするが、たまたま同じホテルに居合わせた怪我人を放っておくことができない。そんな彼女の熱意にほだされて、BJは手術を行い、報酬の3千万円をそっくり彼女に渡してしまう。BJがこういう一生懸命な行いをする人間に弱いことは知られているが、それにしても偶然会っただけの女性にいきなり3千万円とは! 逆に彼女の立場に立って考えてみると、初めは最低な医者だと思っていた男が実は名医で、しかも自殺するしかないと思っていた自分をいきなり救い上げてくれたのだから、これは惚れるね! ラストの1ページ、BJ先生が妙に可愛い顔をして彼女と語らっているのも、これは彼の高等テクニックだろうか。悪魔から一転して天使の微笑みを見せられたら、そりゃあ惚れるね! 嘱託医に患者を街まで送らせてしまえば、あとはBJと彼女の二人、再びホテルへ帰っていくわけで。何か起こr(以下自主規制)。

続いてサファイア演じるところの「ある女の場合」の女性。美貌を武器に金持ちの男達を誘惑し、浮き沈みの激しい人生を送るが、結局夫に自殺され破産して、最後に残ったのは健康な身体とラーメン1杯分のお金だけ。それでもなんとか働いていくと宣言する彼女の表情はそれまでと打って変わって慎み深く美しい。ラストシーンは「駅の裏にうまーいラーメン屋がありますぜ!」と夜の街に消えていくBJとサファイアの後姿だが、ラーメン食べた後はどうするのかなと思ったりするのはいけないことでしょうか(笑)。BJが降りたのは終電のようだったから朝まではどこにも行かれないし、サファイアは一文無しだし。いや、未亡人になったばっかりなんだから、それはちょっと急ぎすぎだよ先生!とかもう何を言っているんだか私は……。

余談だが、サファイアとBJというのはよく一緒に描かれているような気がする。以前の『24時間テレビ』での手塚アニメでも顔合わせをしているようだし、プリ○スのCMでも並んでいたように記憶している。煌びやかなサファイアと黒尽くめのBJ先生は確かになかなか絵になるようだ。

こういう話は好みの分かれるところで、もしお気を悪くなさった方がありましたらごめんなさい。私にとってはこういう恋多きBJ先生のほうが好みなもんで、つい妄想をぶちかましてみました。m(_ _)m ちょっと書き足りない気もするのですが、きょうは時間切れです。またそれぞれのエピソードを取り上げるときにでも語ってみたいと思います。

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ちょっと悪あがき

『水戸黄門』『西遊記』と続けて観て時間がなくなったので、きょうのBJ語りはお休みします。

Bj_3 先月PCが壊れたときにちょうど描いていた絵……考えてみたら、その時点までをこのブログにアップしているのだから、それを引っ張り出せば続きが描けるじゃないかと気が付きました(ばんざーい!)。縮小をかけていたので、それをまた拡大したらだいぶん劣化してしまいましたが、どうにかここまで修復しました。
2代のPCにまたがって描く、私にとっては記念の絵なので、なんとか完成させたいと思います。
ちゃんとした下書きもせず行き当たりばったりで描いているので、いまは馬なんか描いていますが、気が変われば消えるかもしれません。キリコも得物が無いんじゃ気の毒なので鞭を持たせてみました。この鞭からはきっと殺傷能力のある超音波が出ます(をい)。
いつもの黒装束を脱がせると、あれもいいかも、これも描きたいと、いろいろ思い描くことがあって楽しいです♪

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「悪」標準装備

そろそろノーベル賞の受賞者が決まる季節となった。村上春樹は文学賞を取れるかな?

さて、無免許医であるところのBJ先生だが、ノーベル(生理学・医学)賞には2回関与している。「ナダレ」では大江戸博士の「大脳組織のD・O効果の発見」での鹿による動物実験を可能にし、「きたるべきチャンス」では綿引博士の食道癌を手術して、博士が癌の特効薬を開発するのを間接的に支援した。現実世界においては生理学・医学分野での日本人初のノーベル賞受賞者は1987年の利根川進だが、『BJ』界においてはそれ以前に2人の受賞者を輩出していることになる。それも2人ともBJの力があってこそだ。

きょうはその中の「きたるべきチャンス」を取り上げてみる。

BJを訪ねてきた若い女医。食道癌になった彼女の兄を手術してくれと言う。往診に行くとそこはかなり大きな病院。同じく医者である彼女の兄が病床に臥しているが、あと10日ももたない危険な状態である。しかしどうやら兄は手術を拒んでいる様子。彼女が提示した10万クローナの手術代とBJが要求する15万クローナで折り合いが付かず、いったん帰宅したBJは、あの患者の顔には見覚えがある、と新聞記事のスクラップを繰る。すると、「ガン特効薬ポリサチニン」を開発してつい最近ノーベル賞を受賞した綿引博士と判明。10万クローナというのはノーベル賞の賞金だったのである。そこへ妹(十枝子)から電話があり、兄の希望で手術は断ると返事がきた。受話器を置き、何やら思案し、ニヤッと笑ってA新聞社に電話をかけるBJ。「綿引博士は食道ガンだよ。ガンの特効薬というポリサチニンもきかなかったんだ。フフフフ……。おもしろい特ダネだろ」。

新聞やテレビは大騒ぎ。十枝子はノーベル賞は辞退したと記者会見する。博士の病室を訪れたBJに、博士は花瓶の水とともに恨みつらみの言葉を浴びせかける。「私にもメンツがあった…ノーベル賞受賞者としてのメンツだっ」。そして病状が急激に悪化して倒れる。もう10万クローナ払えないから手術は断ると言う十枝子。しかしBJは言う。「なぜ払えないんです。にいさんが助かりゃいずれ払えるじゃないか」。そして十枝子が助手について手術は成功する。

1年後、綿引博士はポリサチニンを更に改良し、ネオポリサチニンという新薬で改めてノーベル賞を受賞する。カーラジオでそのニュースを聞いたBJは綿引兄妹の病院へ直行。十枝子に歓迎されるBJだが、「手術料の請求書を渡すためでね」とすげない。しかも14万9990クローナは受賞のお祝いに贈るから、差し引き10クローナでよいと言って立ち去ろうとする。

「先生 せめて兄に会ってやってください。兄は……もうすっかり元気で…」「私はノーベル賞の人間なんか興味はないんでね」「もうお会いできないの?」「…………」

あやしいなッ!! この「…………」はあやしいなッ!! 十枝子がBJに惹かれているのは確かだが、BJの方もまんざらではないようだ。私はこの最後の意味ありげなBJと十枝子の視線の絡み合いを見るたびに、それまでのストーリーなんかどっか吹っ飛んでしまうのだが、きょうは極力そっち方面には行かないように語ってみようと思う。しかし一言だけ。「十枝子」という名前から判るように、彼女を演じているのは『人間昆虫記』の十村十枝子その人である。他人の才能を盗み、まるで昆虫が脱皮していくように次々に華麗な変身を遂げる、まぁ希代の悪女だ。翻弄される男も数知れず。「きたるべきチャンス」ではそういう悪女ぶりは一切見られず、兄を心配する健気な妹役に徹しているが、最後の最後にちょっと底力を発揮してみましたという感じかな(笑)。BQといい、十枝子といい、魔性の女にはきっちり反応するBJ先生を、私は決して嫌いではない。

さて本題。この話で印象的なのは、新聞社にタレコミする前のBJ先生の顔である。いかにも悪企みしていそうな顔でニヤッと……。解説本には「特効薬を信じた他の患者たちが裏切られることになる」から綿引博士の癌をすっぱ抜いたと書かれているが、本当にそうなんだろうか。そんな公序良俗的意識や正義感なんか欠片も持ち合わせていないような、もの凄く性悪な顔をしているぞコレ。この顔がBJシリーズ中でNo.1の「BJの悪人面」ではないかと私は思うのだが、こういう顔をたまに見せてくれるから嬉しいのだ。一見クールだが実は優しいお医者さんというような男だったら、たぶん私はここまでBJのことを好きになっていない。普段は忘れがちだけれども、この男、基本的にワルなのであって、私はそういうところも好きなのだろうと思う。

この話でも、何もそんな手段まで取る必要はないと思う。十枝子の弁によれば、ポリサチニンの効果は「予防的なもの」であって決して癌を治す薬ではないらしい。だからたとえポリサチニンの開発者である綿引博士が癌で死んだとしても、彼の研究がノーベル賞に相応しくないというわけではないし、決して不名誉なことでも恥でもない。もっとも博士本人はそれを恥だと思ってひた隠しにしているのだが、その秘密を知ったBJがそれを世間に暴露してよい理由と必要などどこを探してもない。「私ならあなたの癌を治せるかもしれない。手術が成功したら、口止め料込みで、ノーベル賞の賞金より多い15万クローナいただく。どうする?」と持ちかければよいだけの話なのだ。

似たような話で「腫瘍狩り」というのがある。白拍子医師が鳴り物入りで導入した腫瘍除去機“Cancer Hunter”は実は欠陥品だった。使い続ければ患者の自律神経がやられてしまうというのに、彼は自分のメンツに拘ってなかなか非を認めることができない。最後は結局BJが患者を救い、白拍子は器械の欠陥を認める発表を行うことになるのだが、「きたるべきチャンス」とはメンツに拘るお医者さんという共通点がある。しかし“Cancer Hunter”とは違って、別にポリサチニン自体に欠陥があるわけではないし、スクラップしてまでその記事を読んでいるBJがそのことを知らないはずはない。綿引博士をそこまで追い詰める必要は無いのだ。それなのにどうしてBJはこんな思い切った手段に打って出たのか。

解説本どおりに「特効薬を信じた他の患者たちが裏切られることになるから」という解釈は、この「ニヤッ」を見る限り、どうも違うような気がしてならない。それにポリサチニンは癌の予防には効力があるのだから、患者を裏切ることにはならないだろう。では、博士に手術を受けさせるためにはこれくらいの荒療治が必要だと思ったのか? いや、この場合、メンツを潰されたら余計に生きる気力なんか失せるだろう。たまたま博士が暴れ過ぎて急激に容態が悪化して倒れたから手術できたものの、そうでなかったらBJは金輪際手術させてもらえなかったに違いない。

理由としてただひとつ、うすらぼんやりと思うことは、ノーベル賞という権威に対する反抗ではなかったかということだ。そんな権威と命を引き換えにすることはバカらしいという真っ当な理由をつけることも可能だろうが、もっと単純に、もっと正直に、もっと醜悪に、権威の象徴となった綿引博士を引き摺り下ろしてやりたいという衝動がBJの心の中になかったと言い切れるだろうか? 最後は自分が死力を尽くして命を救ってやるにしろ、権威を地に貶めて溜飲を下げてやろうという意識はなかっただろうか? 癌の特効薬を開発してノーベル賞を受賞した男が癌に侵されて余命いくばくもない。ノーベル賞という権威には実際に人の命を救う力なんかありはしない。それを医師の免許も持たない自分が治してやる……おもしろいじゃないか。あの「ニヤッ」はそういうことを思いついた顔なんじゃないかと思うのだがどうだろう。

このエピソードは「にいさんが助かりゃいずれ払えるじゃないか」という起死回生のセリフが効いていて、BJの悪事の印象はずいぶん薄められているのだが、よくよく考えるとBJがやったことは相当にあくどい。患者は二の次で、自己満足のためだけに動いている印象がある。しかし思い通りにしてそれで気が済んだのか、あるいは綿引博士に対して少しは悪いことをしたと思ったのか、手術料は大負けに負けてわずか10クローナだ。

どんなに天才的な手腕を持っていても、無免許の彼に陽が当たることはない。自分で決めた生き方にプライドを持っていることに疑いはないが、それでも栄光のスポットライトを浴びる人々と比べて、ときどき悔しくなったりしているのではなかろうか。「誤診」のラストも私はそんなふうに見ている。

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永遠の恋人

あの、いきなりですが……。Wikipedia には如月めぐみさんが「BJのファーストキスの相手」だと書いてあります。『Treasure Book』にも「如月めぐみとファーストキスを済ませる」とかなんとか書いてあります(済ませるものなのかアレは?)。これにははっきりとした根拠があるのでしょうか? 掲載時のアオリとかハシラなどにそういうことが書かれてあったのでしょうか? どなたかご存知の方がありましたらご教示ください。ちなみに私は「めぐり会い」が掲載された号を当時買ったのですが、そういう記述があったという記憶がまったくないのです。

あのオクテぶりからすると、ひょっとするとそうかもしれないとも思えるのですが、案外ナッちゃんあたりに強引に済まされてしまっているような気もします(笑)。一方のめぐみさんの方は、BJ以前にとっくに済ませているんでしょう。彼女の方からBJにせがんでいますし、可愛らしい人だから昔からモテただろうと思うのです。

……という訳で、きょうもめぐみさんについてだらだらと語ってみます。めぐみさん好きなもんで。へへ。

「めぐり会い」において横浜“港の見える丘公園”で再会するBJとめぐみさん。日本へは「五年ぶり」というセリフから、このときBJ31歳、めぐみさん30歳ではないかと推測する。これがお互いぎりぎり最年少の設定で、これより若いということはまずないと思う。

めぐみさんは船医になっている。5年もの長きにわたって日本へ帰っていないという事実から、めぐみさんは外国に住んでいると考えるのが妥当だろう。いくら長い航海でも5年も船に乗りっぱなしということはあるまい。ということで、外国のどこかを母港とする、それも絵を見るかぎりどうやら豪華客船に乗っていると思われるのだが、今回横浜に3日停泊するというので下船したようだ(横浜まで乗ってきた船と出航していく船が違うのだが、気にしない気にしない)。

豪華客船ともなれば、膨大な人数が乗っている。たまたま調べたイギリス船籍の「クイーン・メリー2号」の定員は乗客2620名、クルー1253名となっていた。そのクラスの船で何人の船医が乗船しているのかはわからないけれども、決して多くはなかろう。BJもめぐみさんに「船医はつらいだろう」と言っているが、おそらく激務なのではないかと思う。

で、そのあたりの事情を知るべく読んだのが『北洋船団女ドクター航海記』(田村京子著)なのであった。著者は1982年に北洋船団初の女性船医となった麻酔科医である。船を所有している大洋漁業の募集に応じたわけだが、会社側にしてみればまさか女医が申し出てくるとは予想外の出来事であって、どうやらぎりぎりまで男性の医者探しに奔走したらしい。それでもなり手が見つからないので彼女に決定したという経緯であったらしい。北洋で時化と戦いながらサケマスを獲る漁船と豪華客船では事情が違うかもしれないが、あまり船医を志願する医者はいないらしいとわかる。

会社側が出した船医募集の条件は「診療科目=全科、希望医師=全科」である。これを読めば「全科目に精通した経験豊富な医師」を希望していると思うのだが、さにあらず。もちろんそれに越したことはないけれども「本当の医師免許さえもっているなら、どんな科目を専攻している医師でも結構」という控えめな意味合いなのだそうだ(BJ先生はアウトだ・笑)。小児科や産婦人科の医者でも、来てくれるならそれだけでありがたいらしい。まるで無医村と同じだナと、少々暗澹たる気持ちになった。“板子一枚下は地獄”の世界で働く方々の労働厚生環境はもっと良くしてあげないと。今は改善されていることを祈る。

初めての女性船医を乗せるに当たっての受け入れ側の慌てぶりは、読んでいてとても面白い。田村氏自身は医者に男も女もないと肝が据わっているのだが、それまで女性船医どころか女性そのものを乗せたことがない船なのだから、トイレやシャワー、風呂などが一々問題になってくる。1000人の中のたった1人の女性の扱いにてんやわんやである(笑)。散々会社側が気をもんだ女性船医誕生だったが、結局2ヶ月あまりの航海で彼女は船員から全幅の信頼を得るに至る。最初は「痔」や「水虫」の患者が恥ずかしがって診療室に来ないということもあったようだが、彼らもすぐに慣れてきたとか。田村氏のサバサバした気性も幸いしたのだろう。「ドクター、あんたになら俺、命を預けるよ。あんたが一生懸命やってくれて、それでダメだったらもう死んだってしようがない」という患者の言葉からは、男だの女だのを越えて、医者と患者の信頼関係がいかに大切なものなのかを読み取ることができよう。

本の最後に診療内容がまとめてあるのだが、診療科目は実に多岐にわたっている。風邪や胃炎等の内科疾患のほか、漁船ゆえにどうしても多くなる怪我の処置ではちょん切れかけた指をつなぐ外科手術まで行っているし、何故だか船に乗っていると多発するらしい虫垂炎の処置、うつ病、歯痛、ダイエット指導まで。鍼の技術で数年来の肩の痛みをケロリと完治させて、感謝されたりもしている。ちなみに、すぐに専門医の治療を受けることができない状況下ではとりあえず痛みを緩和させることが重要なので、ペインクリニックの専門家である麻酔科医は船医にもっとも向いているのではないかとも書かれている。

さて、漁船に乗り組んだ女性船医はこの田村氏が初めてなのだが、他の種類の船においてはどうかと調べてみたものの、それについてはよくわからなかった。しかし田村氏の書き方では、すべての種類の船の中で女性船医第1号であるように取れる。近年では南極観測隊に女性船医が加わっている例もあり、それほど珍しくもなくなってきているのかもしれないが、もしも田村氏が日本人女性船医の嚆矢ならば、めぐみさんはそれに遥かに先んじていることになる(「めぐり会い」は1974年発表)。すごいね。

いや、すごいことに間違いはないのだが、それで終わらしてはいけない。どうして手塚治虫はめぐみさんを当時日本に1人も存在しない女性船医に設定したのか。潔くBJから身を引いて距離を置くためというのなら、どこかの秘境に送り込んでもよかったはずだ。それが船医になっているということは……。やっぱりこれはめぐみさんが「女でなくなった」ということの残酷なまでの強調表現ではないかと思う。女性の船医なんてものが存在しない時代に船医になっているとすれば、それは即ち女性ではないということの証明に他ならない。女性船医がそれほど特殊なものでなくなった昨今の感覚でこの話を読んではいけないのだ。

ストーリー上では、彼女自身が船医を選択したことが匂わせてある。名前を「如月めぐみ」から「如月恵(けい)」と、男名前にも取れるように変えていることもその証拠の一つだろう。「やりがいがありますよ 男の仕事として」というセリフも。しかし、めぐみさんがどれほどの思いで船医になる道を選んだか。そうまでしてBJの前から去っていっためぐみさんの気持ちを思うと、……堪らない。ただただBJが将来幸せな家庭を築けるよう、子供を儲けることができるよう、それだけを願って身を引いたのだ、めぐみさんは。下船してすぐにBJに電話を掛けるめぐみさんの震える指先。ピノコをBJの子供と勘違いして「では奥さんをお持ちになったのですね?」と言ったときの作り笑いに貼りついた辛さ切なさ。……私は泣けて泣けて仕方がない。5年たってもこうなのだ。そして、これほど繊細に、愛しい男性を想う女心を表現した少年漫画を、私は他に知らない。

しかし、彼女は、強い。過酷な運命を乗り越えて、懸命に、堂々と、自力で道を切り拓いて生きている。BJの元へ帰ることは決してないだろう。BJもまたそんな彼女を追うことはしないだろう。BJはこの話でめぐみさんとの思い出を清算しようとしているようにも思える。しかしそれが出来なかったことは、後の「海は恋のかおり」で発覚する。めぐみさんを女性として愛する甲板員の少年が現れたとき、BJは猛烈なライバル心と嫉妬心を露わにするのだ。彼女を他の男には渡さないという思い。BJの独白部分では「めぐみさん」ではなく「めぐみ」と呼んでいることにも注目せねばならない。たぶんずっと心の中ではそう呼んでいたのだろう。今もなお、彼女は俺のものだ、と思い続けていることが透けて見える。BJにとってめぐみさんはいつまでも愛する「女性」なのである。

決して結ばれることはない。しかしどんなに遠く離れていても、たとえこれっきり再びめぐり会うことがなかったとしても、BJとめぐみさんは永遠にお互いを想い続けるのだろう。それが二人の愛の形だ。

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打診

いつだったか実家の壁に釘を打つというので、兄が壁のあちこちをコンコンと叩いて中の構造を調べていた。思わず#78「地下壕にて」を思い出した。ちなみに兄はもちろん天才外科医ではなくて、普通の設計士である。

とある社長に五千万円の報酬を請求しに来たBJ先生。証文が無いことを盾にまったく支払う気のない社長を苦々しく思いながらも、新ビルを見物していけと言われて他のお客たちと共に地下の避難用ホールに案内される。コンピュータで制御されるホールの性能を自慢げに説明する社長。試しに大地震のデータを入れてシャッターを全部下ろさせたところまでは良かったが、中からはコンピュータを操作できず、全員が中に閉じ込められることとなってしまう(アホだな~)。外部へ連絡する手段もなく、水も食料もなく(アニメではおまけに空気まで徐々に薄くなっていった)、皆が途方にくれていると、専務が「壁の裏にコードがとおっていて そのコードを切断すればどこかのシャッターがあきます!」と言う。懐から静かに3本のメスを取り出す蝶ネクタイBJ。だが、この広い壁のいったい何処を壊せばよいのか。BJが取った手段は「打診」。皆が半ば呆れてへたばっている中で、ひとり壁を打診してコードの場所を探すBJ。やっと音の違う部分を見つけてメスで掘り始めると、もし助かったら大金を出すと誰もが言う。コードはあった。切断してシャッターを開ける。我先に飛び出して喜ぶ人達は、しかし大金を出すという約束など簡単に反故にしてしまうのだった。「自分の命より紙切れの証文のほうを大事にするおかたぞろいのようだ」と皮肉を言って去っていくBJ。

危機に直面したときの人間の様々な生態が見られる作品。専務に責任を転嫁する社長(コンチック・ショオ伯爵)、キレて社長に反抗する専務(ハム・エッグ)、怒って文句を言う客(ロンメル)、水が欲しいと見当違いな駄々をこねる客(モクサン)等々。テーマとしては、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うのか(「病治りて医者忘る」のほうがズバリか)、「借りる時の地蔵顔 済す時の閻魔顔」と言うのか、困ったときには泣き付くくせに楽になれば受けた恩を忘れてしまう都合のよさってどうなのよ、という点を読み取るべき作品なのだろうが、どんな場面でも慌てず騒がずクールに問題を解決していくBJのカッコよさのほうに、まず目が行ってしまう。その手段がお医者ならではの「打診」であるところがまた憎いではないか!

打診……叩いた音で中の様子を知る手段。一般人ならスイカを買うときくらいしか用いず、また用いてもあまり違いが判らないか、どんな音が良いのか判断できないかであることが多い。しかし一昔前までなら、風邪を引いて近くのお医者さんにかかると最初に必ずされた記憶がある。肌の上をジグザグに降りてくる先生の暖かい手のひらの感触を覚えている。一昔前と書いたのは、最近されたことも見たこともないからだ。ざっと問診が終わるとすぐに血液検査やレントゲン撮影に回される。医者の前で裸になることも滅多にない。見えない身体の内部を調べる技術が発達したから、もう打診なんて必要とされていないのかもしれない。でもお医者には、特に内科医には、熟練しておいてほしい技だと思う。画像診断設備が整った病院ばかりではないのだから。

打診には、体表を直接叩く「直接打診法」と、体表の上に手または打診板を置いてその上から叩く「間接打診法」があるらしい。また、打診音には「清音」「濁音」「鼓音」があるそうだ。BJ先生は左手の中指を叩く間接打診法で「コンコン」と「タンタン」という音の違いを聞き分けてコードを探し当てている。これは超人的なことなのだろうか? どうなんだろう? どこまでも諦めない意志の強さと集中力を持続させる能力は確かに凄いが、絵を見ると結構壁が薄いので、中が空洞であるかどうかは案外簡単に判るかもしれないと思う。最初に触れたが、兄も音によって内部に建材(というのかな。木です)がある部分を見つけている。

もうちょっと読み込んでみよう。この絵を見るとコードは横に張られている。そして先生は少しずつ横に移動しながらかなり長い時間壁を打診していたと思われる(他の客の位置等がかなり変わっている)。もしもコードの通っている部分だけが空洞であるならば、先生はもっと早い時点で横方向に走る空洞を見つけていてもおかしくない。ということは……。

壁は全面が薄壁一枚の空洞なのだろう。そして先生が見つけたピンポイントは、コードが捩れるか何かしてたまたま壁面に接触していた部分なのではないかな。だとしたら、それを聞き分けたBJはやっぱり凄い! そういえば専務は「壁の裏」と言っているのであって「壁の中」とは言っていなかった。BJは「この下に何かある」と言っていて「ここが空洞だ」とは言っていないのだった。コードが通っている空洞を探しているという私の思い込みで、BJ先生の能力を兄レベルまで落としてしまうところだった、危ない危ない(笑)。タナ落ちしたスイカの音を聞き分けるのとは、やっぱり雲泥の差がある。

最近の打診を行わない若い医者だったら、この危機から脱することはできなかっただろう。同じく身体内部の様子を知るための聴診器を持っていたとしても、この場合は何の役にも立たない。熟練と経験に裏打ちされた打診という技。BJ先生は外科医だが、内科医としても立派に通用するに違いない。

書いているうちに不安になってきたのだが……。避難用ホールがこんな薄壁でできていて大丈夫なんだろうか(重層構造であるにせよ)? 見た目は頑丈そうなのに。手抜き工事か(笑)?

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いろんな『BJ』作品

きょうは原作を離れて、映像化あるいはマンガ化された『BJ』について。

きっかけは、先日某様が紹介されていた加山雄三版BJの動画。オープニングとエンディングを観たが「そうそう、こんなのだった……」と懐かしく思いつつ、今更ながら戦慄を覚えた(笑)。BJ公式ページで確認したら1981年放映だったようで、当時私も数回は観たのだが「いやもう結構です」と途中からやめてしまった。なんかあまりにも……、あんまりだったのだ(笑)。BJ先生の造形がフリークス嗜好に走りすぎているというか何と言うか……。傷痕も隠してちゃんとフツーの格好もできるのに、なんでBJ先生になるときだけそんな昼間に人前に出られないような格好に変身するのか(爆)。あまりにも現実離れしていてサイケデリックでグロテスクでついていかれなかったのだと思う。

しかしエンディングのヒカシューの歌(「ガラスのダンス」)は結構好きだった。いま聴くと時代を感じさせてくれるけれども。

 叫びとささやき 濡れた舗道に こだまする
 皮肉な口づけ 水のにおいに 目がくらむ

 そうさ ガラスの心 溶かす薬あるなら
 気まぐれの嘘も 切り取れるはずなのに

 だけど声に出せない そんな弱気な恋さ
 だからニヒルを気取る そして奇跡を唄う

思えば、この頃くらいまでのドラマや歌やアニメにはけばけばしいほどの「毒」があった。『BJ』に限らず、日常とはかけ離れた虚構の世界であるという共通認識があって、思う存分コテコテに作り上げてあったような気がする。今は放送倫理か規制かなにか知らないが、テレビが押しなべて大人しくてツマラナイ。そういう意味では、加山BJのドロドロさ加減も時代の産物と言えるのかもしれない(でも私が原作から受ける印象はここまでドロドロではない……)。

実写版で次に観たのは2000年の本木雅弘版。ピノコが二人いたりしてこれまた違和感があり、たぶん1回しか観ていない。手術帽とマスクの間から覗く綺麗な目は良かった。のだが、原作BJ先生は手術着を素肌には着ないゾ。ビジュアル的に色っぽいBJ先生だったような覚えがある。森本レオ演ずるキリコが出る回は見逃した。惜しいことをしたと思うが、……あんまり観たくもないような(笑)。後学のために観ておいたほうが良いのだろうか。まぁこのシリーズはDVD化されているので観ようと思えばいつでも観られる。けっこうコミカルな演出だったように記憶している。

隆大介版を観たのは今年になってから。デコ丸出しオールバックBJなので敬遠していたが、いざ観てみたら実写版では最高の出来だった。雰囲気がBJ先生そのもの。デコ丸出しオールバックなのにBJ先生にしか見えなくなる。外では非常にクールなのが家ではピノコに振り回されてオタオタしている様子も可愛い。デコ丸出しオールバックなのに。何故かDVD化されていない。されたら買うよ、デコ丸出しオールバックBJ先生。まだ草刈正雄のキリコが出てくる3作目を観たことがないので、是非観たい。

あと、1977年公開の宍戸錠BJの映画があるのだが、これは未見。写真等を見ると原作通りに顔の左側が青いBJで、手塚御大が「こんな人間はいない」とおっしゃったとか(爆)。

以上が実写版。アニメではテレビ版以外には1993~2000年のOVA版全10話が有名だろう。ちなみに私はDVDを持っていないが一応全部観ている。絵が綺麗で大人向けのお話が多い印象。原作ベースよりオリジナルストーリーの方が多いかな?「しずむ女」には泣かされた。「緑の想い」のラストも好きだ。BJ先生の造形はいたってクール。突然女子高校生にデコチューかましたのにはびっくりしたが、「マリアたちの勲章」では据え膳を食わなかった。女性の方から言い寄るとたいてい拒絶するねアノ人(笑)。

あと、劇場版アニメが2本あり。インターネット版もあったな。宇多田ヒカルのピノコは(以下自主規制)。その他、以前の「24時間テレビ」には手塚アニメのコーナーがあって、BJ先生はよく出演していたらしいが、私は未見。

他の漫画家によるマンガ化では「ブラック・ジャックALIVE」と「ブラック・ジャックM」があって、総勢40名の漫画家がBJを描いている。このうち山本賢治は『ブラック・ジャック ~黒い医師~』、田口雅之は『ブラック・ジャックNEO』が単行本化されている。私は「ALIVE」も「M」も持っておらず「BLACK JACK SPECIAL」(2005)に載ったものと青池保子の「指輪物語」しか読んでいない。同じマンガという媒体なら、手塚治虫以上のものは誰にも描けないと信じているので、リメイクにはあまり興味がない。

で、何が言いたいかというと、実に様々なBJがいるということだ。みんな同じあの手塚治虫の『ブラック・ジャック』を元にしているはずなのに、エログロな加山BJから、洗練されたクールビューティーなOVA版BJ、手塚眞描くところの怪奇BJ、きくち正太の着流しBJ、やまだないとのアゴヒゲBJ、『釣りバカ』の浜ちゃんのような北見けんいちBJまで、どうしてこんなに違うのかと思うほどいろんなBJがいる。外見を変えたらBJでなくなってしまいそうなものだが、隆大介BJが見事にそれを否定した(傷痕は必須だろうけれども)。アゴヒゲがあっても、やまだないとのBJはきっちりBJだ。外見が問題なのではない。では、何がどうならばBJなのかと考えてみると、やっぱり生き様なのだ。

切るだけしかできなくて、患者のためには自分の命を懸けて、人付き合いが下手で、手術以外はほとんど不器用で、頑固で偏屈で気まぐれで、負けず嫌いで突っ張っていないと生きていけない孤独な男。強さと脆さが紙一重。孤高の天才外科医という光の部分と復讐者という闇の部分を同時に持つ。そういうところを押さえれば、外見がどうであろうとBJになるのかもしれない。

男性の創作者なら、たぶんこの光の部分と、戦って戦って勝ち抜いていく男としてのBJを描きたいだろうと思う。女性の創作者は、どちらかといえば彼の闇の部分を重視して、それを癒そうとするストーリーを考えるように思う。女性作家がリメイクした『BJ』はたいてい甘い。

加山BJほどグロくないほうが良いが、あの当時の泥臭い勢いを持ったハードボイルド風味の作品が作られないかなぁと密かに願っている。

【追記】
「ガラスのダンス」の歌詞について。
2行目「水のにおい」は「蜜のにおい」ではないかと思うのですが、「水」としてあるページを見つけたので、自分の耳よりこちらを優先しました。巻上氏のヴォーカルはメリハリがありすぎてかえって聴き取り辛いです(笑)。

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「サギ師志願」

昨日はこの本も買った。何故こんな本を買ったのか、理由は判っていただけると思う(笑)。突然この表紙が目に飛び込んできたのだ。そりゃあ買わざぁなるめぇよ。この傷痕はラテックスを用いた本格的な特殊メイクだそうで、その作り方だとか、BJの「矛盾の多い髪型」をどうするかとかが書かれている。なおご参考までに、BJメイクに関してはほんの数ページしか触れられておりません。写真は7~8枚あるかな。モデルさんはJ'zKという方。

さて、月曜日は『BJ』語り。とは言っても、ここんとこずっと『BJ』関係のお絵描きばかりしていたので、きょうは簡単に、好きなお話を取り上げてみる。

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「カミソリは いったぞ 『サイはふられたのだ』」
「あんた シーザーでしょ」

なんともハードボイルドだが、市井のとぼけた人情噺でもある#94「サギ師志願」。大好きなお話なのである。シリーズ中、最も楽しいお話なんじゃないだろうか。あらすじを簡単に言えば、川崎病を患った少年の父親(丸首ブーン)と町医者の矢武井(ヒゲオヤジ)がBJを騙して3000万円分の手術を無料でさせるというものだが、手術が終わる前から警察に自首の電話をかけて(それをBJに聞かれて)しまうサバサバして豪快な父親も、詐欺行為を画策する一癖あるがお人よしの矢武井も、そして騙されてあっさり身を引くBJも、それぞれのキャラが鮮やかに際立っていて魅力的である。

隆大介がBJを演じた実写版では、少年の父親に大杉漣、町医者に梅津栄というキャスティングで、これまた楽しかった。騙されたことがわかったときの隆BJの憮然とした表情と、警察が来たときのわざとらしい慌てぶりは何度観ても微笑ましかった。原作のセリフをそのまま使ってあるところも嬉しい。

いや、原作全編にわたってこのお話はセリフが良いのだ。少年の両親と矢武井医師のとにかく金に不自由している状況がありありとわかる話しぶりは、本来なら気が滅入るはずのものだが、「やめろ 高い薬なんだっ」とか「そー こうなりゃ医者が医者をだますの」などのセリフで笑わせてくれる。初めに挙げたカミソリ云々という少年の両親の会話もくすぐりが利いている。ちなみにこれは当時「シーザー」というカミソリがあったことからのシャレ(というか、父親の言い間違い)である。いま「シーザー」ってあるのかしら? 見たことないような気がするけど……。また、言うまでもないが「サイはふられたのだ」は、シーザーが反逆者とみなされることを覚悟の上で軍隊を連れてルビコン川を渡ってローマに入ったときの言葉。もう後には引けぬ、という心境を表している。

犯罪者になることを覚悟の上で息子を助けようとした父親と、自分の力量ではどうしようもないが何とか患者を救おうとした矢武井医師の意気に感じて、BJも小芝居を打ってそそくさと矢武井医院を後にする。普段はコマの奥に向かって去っていくことの多いBJだが、このお話では読者のほうに向かって歩いてくる。俯いていて顔は見えないが、たぶん微笑を浮かべているんじゃないかと思う。コツ、コツと靴音も高く、どうやらご機嫌の体である。もう少しこっちまで来てくれたら、照れくさがって逃げようとするのを無理やり捕まえて頭をナデナデしてあげるのになぁ(笑)。

しかしたぶん、BJが一番嬉しいのは、母親(サファイア)を安心させてやれたことだったのではないかと思う。みすぼらしい身なりをしているが、息子が治ると聞かされたときの笑顔は眩しいほどに美しいし、その後床にへたりこんで嬉し泣きをするシーンにはホロリとさせられる。息子を想う母の姿に、BJは自分の母の姿を重ね合わせていたんじゃないかと思う。

最後に。父親が持っている一升瓶のラベルが「大平山」と読める。秋田にそういう銘柄があるようだ。

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黒の日

きょうは9/6(クロ)ということで、「黒男先生の日(誕生日)」としていらっしゃる方も多いようです。それに合わせられたのでしょうか、あちこちのサイトでイラストや小説の新作が発表されていて、嬉しかったです♪ ついつい見入ったり読みふけったりしてこの時間になってしまいましたが、私も「バトン」でBJ先生の指定を頂いているので、これから頑張って描こうと思います。夜更かししても、明日は日曜日だし。お昼寝しよう。

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!!

Photo ここまで描いたところで突然ペンタブが反応しなくなったんですが、どうしたらいいですか……。(18時現在)

_ノフ○ モウダメダ

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原作至上主義

最初にちょっと愚痴を……。

いわゆる「スプログ」という迷惑ブログからの迷惑トラックバックに怒り心頭。トラックバックしてくるだけ良心的な方かもしれない(されなかったらわからない、いや調べる方法はあるらしいがそこまでしたくない)が、勝手に私の書いた文章を使わないでくれ! ロクな文章じゃないのだから恥ずかしいじゃないか! って、問題はそこじゃなくて……。人の褌で相撲を取るなよ、自分の力で読者を増やせよ、ってことだ。以下、つらつらと罵詈雑言を書き連ねてみようかと思ったが、ここに書いたとてそれらがなくなるわけでもなし、やめた。問答無用で削除するのみだ。あ~あ。

頭を冷やして……。

ここから本題。

先日いただいたバトンで「あまり頻繁には更新されていない」というなんとも失礼なことを書いたサイト様で、ごく最近更新されたところがあって、もう本当に穴があったら入りたいという気持ちでいっぱい……(大汗)。すみませんすみません。そして、新作を読ませてくださってありがとうございます! ここに書いたって伝わらないのだけれど、だから先様にコメントすべきなのだけれど、どうも圧倒されるというか気後れがするというか、恥ずかしくて、なかなかコメントができない性質(たち)なので。(これはどこのサイト様に対してもそうで、書かせていただくときは2~3日考えて蛮勇奮って書くことが多い。それなのにいざ書くとワケのわからないものになるので、ますます書けなくなるという……。_ノフ○)

新作には退役後のキリコの心情が描かれていたのだが、なるほどそういうものかもしれないなぁと、しみじみ読ませていただいた。ここのところが私にとってキリコの一番の謎なので。ストンと腑に落ちる描写に、作者様の力量を見せ付けられた思いがしたし、一つの解答をいただいたような気もした。インターン時代のBJとの一瞬の邂逅もまた鮮やかで。静のキリコと動のBJが醸し出すハードボイルドな世界を堪能させていただいた。

結局、私が読みたいのはこういう作品なんだろうなと思った。作者さんの描きたい世界が原作と無理なくマッチしているもの。『BJ』という作品はいろんな味わいがあって実に「懐が深い」(←この表現はTさんからのパクリ。深謝)ので、その二次創作はコミカルなものからハードボイルドまでほとんどイケるんじゃないかと思う。ただ私がそこに求めているのはやっぱり原作の匂いなのだ。どんなシチュエーションでもパラレルでも(パラレルに関しては、原作者以外の人間が作ったものは全てパラレルと言えないこともないんじゃないかと思ったりする)、どこかに原作に繋がる匂いを探しながら読む。

私は原作至上主義で、原作を読むときにはキリジャとかジャピノとかを一切排除して読む。ジャピノは今でも無理だが(ごめん)キリジャも最初は受け入れられなかった人間で、いわゆるそういう関係の描写を目的に読む読者でもない。創作者さん達にとっては、そうあってほしくない読者の典型だろうと思いつつ、しかし二次創作の作品を通して気付かせていただいたことは数多くて、心から嬉しいことだと思いながらこっそり読ませていただいている。最近は各作家さん達が続々と新作を発表されて、じっくり味わうのに忙しい。目からウロコが落ちる解釈で衝撃的だった作品や虚虚実実の心理戦キリジャ等々。昨晩は「もぐり」と「やぶ」のTシャツに思わず笑ったり。

こういう人間だから、ますます先様に伺ってコメントを残すことに罪悪感を覚えて、こんな辺境ブログの片隅で愛を叫ぶしかないのだけれど、二次創作をされる方はやっぱり原作の最大の理解者であり研究者であられると思う。尊敬と憧憬の思いを込めて、これからも素