黒医者にはNYがよく似合う
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何かネタはないかな~と思案していて、思い出したのが『BJ2D』。2005年12月17日に劇場公開されたけれども、あれからもう4年も経ったとは感慨無量である。そのときの映画館のチラシも座席券の半券もいまだに取ってある(笑)。その後、一回もTVでオンエアされていないというのも、考えてみれば悔しいことではあるよなぁ。宮崎アニメはあれだけ繰り返しやってるのに。
真っ黒な落書き1枚。慌てて描いてどこかしこおかしいので、隠します。こんな胡乱げな奴らがこんな人通りの多いところで、殺すの殺さないのと普通に会話しているというギャップが好きなシーン。いつかちゃんと描いてみたいな。
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出崎OVA版『BJ』のDVDを入手したちょっと後に、実は『BJ 劇場版』(1996)も買ってしまった。ストーリーはコミカライズ本を読んで知っていたし手塚治虫の原作にはない話でもあったから、それほど欲しくてならなかったというわけではないのだが、この再版を逃したら入手できなくなるかもしれないと思って、奇貨居くべしとばかりに買った。
始まって間もなく、夫が「この顔は『あしたのジョー』だ」と指摘。うん、確かにね(笑)。両方を手掛けた出崎・杉野コンビだから、BJとジョーがドッキングするのも無理はないのだけれども、アニメなどまったく見ない夫でもわかるくらい、やっぱり似ているんだよね(笑)。似ているといえば、主題歌の一部分のメロディが松田聖子の『SWEET MEMORIES』とそっくりである。
おおまかなあらすじは次のとおり。
--世界中で超人類ブームが起こっていた。従来の人間では考えられない集中力でパワーを発揮する彼らは、オリンピックや芸術の分野で次々に驚異的な活躍を見せる。ところが、実は彼らはある共通の病気に冒されていた。超人類と呼ばれる人達の入院管理をしているブレーン製薬のジョー・キャロル・ブレーンから、彼らの体に巣喰う病原菌の原因究明と手術を依頼されたブラック・ジャックは、その病原菌が脳下垂体の中に入り込んで、大量のエンドルフィンを分泌させていることを発見する。しかし、そもそも病原菌を彼らに移植して人体実験を行っていたのがジョーの仕業であることを、戦う医師団“M・S・J"のメンバーによって知らされたブラック・ジャックは、その非人道的なジョーのやり方に腹を立て、研究を降りようとした。ところが、ジョーはピノコを人質に取った上に、ブラック・ジャックの体内にその病原菌を植えつけてしまった。研究を続行しなければ、ピノコと自らの命も危険に晒されてしまうことになる。ブラック・ジャックはジョーがその菌を発見したという砂漠に赴いて、それがフルジウムという花の花粉であることを突き止める。しかし、ジョーは行き過ぎた研究を非難されて、ブレーン製薬の会長の刺客によって射殺された。ブラック・ジャックも体に入り込んだ病原菌に次第に蝕まれていく。だが、彼は長い間砂漠に住んでいる砂漠の民によって、命を救われた。彼らは、その花粉の抗体の存在を知っていたのである。抗体を手に入れたブラック・ジャックは、瀕死の状態の超人類達を救うと、ピノコとふたりで再び闇の医療の世界へと戻っていった。--(Wikipedia より)
どことなくTVアニメ『BJ21』に似ていると思うのは私だけではあるまい。大量のエンドルフィンを分泌させて人を超人にする試みは、人を不老不死にしようとするノワール・プロジェクトと同じ匂いがする。それらが新たな病気を生み出してしまうところも同じ。最後に見つかる特効薬のフルジウムに相当するのは「本間ワクチン」だ。そして何よりも、BJを後がないところまで追い詰めて事件の核心に迫っていかざるを得ない状況を設定するという手法がそっくりだ。『BJ21』では岬の家を爆破されて帰るところもなく、21年前の爆破事故の真相を探らなくてはならなくなり、最後にはBJ自身がフェニックス病に感染するが、この劇場版ではピノコが人質に取られ、BJ自身も超人類にされてしまい、何としても治療法を見つけ出さなくてはならなくなる。
決して進んで人前に出ようとしないBJを活躍させようとすると、どうもこういうストーリーになってしまうようである(笑)。描こうとしたテーマも、医学がどこまで人間(を含む自然)や生命の問題に関与してよいのかという、同じものだったと思う。手塚治虫が原作で繰り返し描いたのもそういうテーマだから、その点では原作をスポイルするものではない。しかし、原作では、BJはそういう医学(医療)のあり方について悩むのである。その姿がBJには欠かせない大きな魅力なのだが、この2編のように追い詰められた挙句に他人がやった研究の失敗の尻拭いをせざるを得ない状況のBJには、その悩みがない。悩んでいる余裕がない。だから何かこう……、物足りないと思うのだろうな。BJにどのように悩ませて、どのような結末を持ってくるかということは、やはりオリジナル作者の手塚治虫にしか考えられないことなのかもしれない。
作画は文句なしに素晴らしい。ピノコがOVA版よりも可愛くなっているのも嬉しい。ストーリーも充分に面白いのだが……。なにぶんにも話がデカすぎる。BJ先生にはもっと我々に身近なところで、我々と等身大で、命の問題に悩んでのたうちまわっていてもらいたいと思うのは、私のわがままかなぁ。
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神無月さんから回していただいたバトンに四苦八苦しました。
何故かというと、これは人選がすべてを決するバトンだと言ってよいかと思うのです。ところがですね。本来なら問題文を読む前に登場人物を任意に選んで思わぬ成り行きを楽しむべきなのでしょうが、既にワタクシ多くの方々の回答を見てしまっておりまして(第一、神無月さんのご回答を最後まで読まないことには自分にバトンが回ってきたこともわからないわけですから)、もはやおおよそのストーリーが私の頭にインプットされてしまっているわけです。と言いつつ流れ図など作成してみましたが……。
そうすると、1は主人公より年上の人物を選ばなくてはならず、且つ「男」でなくてはならない、とか、2は「女」でなくてはならないということがわかります。
問題は3と4で、3には主人公が一目惚れをするわけですから(常識的に考えて)違う性別の人物を当てはめると、その恋人であるところの4と主人公は(常識的に考えて)同性ということになります。ところが主人公が4にキスするというところで崩壊してしまうわけですな、常識が。
とすると、3と4を両方とも主人公とは異性にすればよいかというと、(常識的に考えて)主人公が4とキスするのをその恋人である3が黙って見ているはずはなかろうと思うわけです。ことに私の場合、ご指名の主人公が友引警部なのが大問題でして、これがピノコあたりだったら誰とぶっちゅしようが3も微笑ましく見ているだろうと思うのですが、友引警部だと合意の上とはいえ婦女暴行にしか見えません。
というようなことで、注意書きに「組み合わせによっては、BL、GLになっちゃいます」とありますが、人類で考えると必ずどこかでBL、GLになっちゃうんです、このバトンは。
そこでいっそのこと、性別不詳のブタナギとかロロールルとかヒョウタンツギなんかを持ってこようかとも考えましたが、大方の予想どおりまったく面白くないんですなこれが。友引警部とスパイダーがキスしようが、「ホーサヨカ」ってなもんです。
それで……。もう性別を考えるのやめました(笑)。全部同性にしてやりました(なげやり)。それも全部犯罪者です(やけっぱち)。もう誰にでも一目惚れしてくれ、誰とでもキスしてくれ、の境地です(疲れた)。友引警部、ごめん。
前置きが長くなりました。では、いってみます。
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先週書いたOVAの感想の中で、BJ先生およびドクター・キリコは1921年に出版された本まで読んでいることにびっくりしたというようなことを書いた。医学の世界は日進月歩だから、自分の専門分野に関してカレントの記事を読むだけでも大変なことなのに。BJ先生、家ではいつも机に向かっているので勉強家であることは間違いない。書棚だけでは収まらないのか、暖炉の上にまで分厚い本が並んでいたりもする。しかし、いったいどんな本を所蔵しているのか、背表紙にタイトルが書かれていないのがすこぶる残念である。
それでも何か手がかりはないかと、『BJ』シリーズ中に医学の本を探してみた。
●「ブラック・ジャック病」で、自分の名前を病名につけられて怒り心頭に発しているBJ先生。病名を変更できないものかと山田野先生に相談したとき、山田野先生が持ち出したのが病名がたくさん載っている本で、「万国命名規約という規則があってのう。一度命名した病気は雑誌に発表されて 登録されるんじゃ。ブラック・ジャック病も登録されとる」とのこと。しかしこの「万国命名規約」というのは書名ではないらしく、現実には見つからない。
いろいろ検索してみると医学関連では『国際細菌名規約』というのがあるが、病名ではないしなぁ。現代では、WHOの疾病及び関連保健問題の国際統計分類ICD-10に基づいた『ICD10対応電子カルテ用標準病名集』というのがそれに当たるかもしれない。まあいずれにせよ、BJ先生は所蔵していなかったから山田野先生に見せてもらっているのだが。
ちなみに山田野先生の本に載っている病名は“BLACK JAC…CH KRANKHEIT”。「…」の部分が山田野先生の指に隠れていて読めない。ドイツ語にお詳しい方、ここにどんな綴りがくるのかご教示ください。m(_ _)m
●「ピノコ・ラブストーリー」で、ピノコからのラブレターを引き出しにしまうBJ先生。このとき手紙の下にある右側の本。これは見つけたどーーー!!
『臨床応用局所解剖図譜(胸部・腹部・四肢)』Eduard Pernkopf著 Helmut Ferner編 小川鼎三 石川浩一訳 医学書院 1966
たぶんこれに間違いない。実在する本をBJ先生が読んでいるというのは、先生をいっそう身近に感じられて嬉しい♪
●原作ではないが、アニメのBJ先生は“Lancet”を読んでいた(たしかゲラの話のとき)。総合医学雑誌としてはインパクト・ファクターも高いし、また両刃のメスを表す Lancet がいかにも外科医らしいから、この雑誌が選ばれたのではなかろうか。週刊の薄い雑誌なのだが、先生が読んでいたのは製本してあったから、定期購読しているのかもしれない。いまならHPでカレントの記事も読めるようだ。→ http://www.thelancet.com/
BJ先生の時代にはネットなんかなかったわけだから、文献を集めるのは大変だっただろうと思う。白拍子先生などは所属する大学図書館を利用できるから良いが、BJ先生の場合はどうしてたんだろうか。最寄の医学図書館を利用できていたらよいのだけれど、母校でも評判が悪いくらいだし、悪名高いモグリの開業医にはなかなか門戸を開いてはくれなかったかもしれない。私が現役の図書館員だったら、自分の仕事はおっぽり出してでも張り切って文献集めをしてあげたのになぁ。
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せっかく買ったのだからOVA版の感想を書いてみよう。きょうは「KARTE4 拒食、ふたりの黒い医者」。あらすじは公式ページに譲るとして…。
ドクター・キリコが登場すればサブタイトルは「ふたりの黒い医者」がお約束。ひとりの患者を巡ってどっちが「救う」かが描かれるわけだが、冒頭のエピソードではBJ先生がかわいそうだ。患者である老人本人が「充分生きたから、もういい」と言い、老人の息子までがすすんでドクター・キリコに金を振り込んだのでは、BJ先生はいったい誰の依頼を受けてオペしようとしたのやら、と思ってしまう。先生をフランスくんだりまで呼ぶ必要なんかないじゃん。せっかくキリコを出したのに、そしてキリコが絡むと俄然やる気になる先生なだけに、全然勝負になってないのが残念。
そしてその後のドクター・キリコは一転してBJ先生に協力的である。拒食症になって自暴自棄になった女優ミシェルを助け、BJに「そのエリテーマは見たことがありますよ」なんて助言まで与えている。挙句に『第一次大戦後に禁止された化学および細菌兵器のすべて(Tragedy of Biological and Chemical Weapon)』なんていう本まで提供して、BJ先生に「頑張れ」と言わんばかりである。(ちなみに、こういう書名の本は現実にはないようで見つけられなかった。1921年発行の本まで知っているなんて、キリコもBJもすごい読書家だと思う。)
このOVA版のキリコに関しては賛否両論あるそうだが、このあたりの描写については私は賛成派ということになるだろう。BJにやるだけやらせてみて、それでダメだったら自分が救うというポジションにいて、私のイメージ通りだ。ただ↑の本を手渡した時点でBJのオペが成功することを見越したのか、どこかへ去っていってしまったけれども。BJ先生、本はいつ返すんだろう……。
もしもミシェルの拒食の原因が掴めず、BJが立ち往生するようなことがあれば、キリコはミシェルの安楽死の依頼を受けただろうと思う。ミシェルはBJに渡すはずだった報酬をキリコに渡すよう遺言すればよいのだ。なにしろBJは治せなかった場合には報酬を受け取らないのだから(原作でそうだから、OVA版でもたぶんそうだろう)。
これはBJとキリコによる究極のチーム医療なのだろうなと思う。いや、チームなんて絶対に組むはずないのだけれど(だってBJがキリコに患者を譲るはずはない)、患者にしてみればベストなあり方なんじゃなかろうか。BJのやり方をキリコは密かに背後から見ている。そしてイザというとき(BJにも治せないとわかったとき)に注射1本打てばよいのだ。ここらへんの諸々の事情とか駆け引きとか喧嘩とか必死の攻防戦なんかを描いてほしかったと思うのだけれど、なにしろBJの天才ぶりが遺憾なく発揮されて、一件落着である。出崎監督の中ではドクター・キリコはBJの敵ではないということなのかもしれないな。
このストーリーの原作となっているのは「ふたりの黒い医者」だが、擬態する寄生虫は「99.9パーセントの水」にも通じるものがある。しかしこれら『BJ』の原作以上に影響を強く感じさせるのが映画『禁じられた遊び』である。カティナとミシェルが秘密の場所で行っていた動物の埋葬ごっこは、ミシェルとポレットの禁じられた遊びと同じだ。ドクター・キリコが作曲したというギター曲もナルシソ・イエペスを彷彿とさせる。
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OVA版『BJ』を少しずつ観ている。この出崎統監督のOVA作品は、BJ先生があまりにも美形でカッコよくて言動もスマートなためにちょっと私が抱いているイメージとは違うのだが(笑)、ストーリー構成、作画ともに非常に優れた作品だと思う。欲を言えば、BJ先生が優しくて良い人すぎて誰にでも好かれるところをもうちょっとダーティーにダークに描いてもよかったと思う。
私のイメージするBJというのはもっとヤサグレている。女性の目から見るとたいそう魅力のある男だが、社会的には受け入れられ難い、というか男の世界では敵だらけだろうと思う。秩序を乱すからである。性格的に人に歩み寄れないのか意図的にそういうふうに自分を持ってきているのか知らないが、人から距離を置いたところで生きざるを得ない一匹狼である。
ところで先日のNHK-BS2の『特集わたしの手塚治虫』では、「BJは最後には赤ひげになるんだけれども……」と評されていた。赤ひげとはもちろん山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に出てくる小石川養生所の医師・新出去定のことだが、一般的には貧しい人から治療費を取らずに診療する名医の代名詞になっている。かたやBJは外科手術の腕は超一流だが貧乏人に対しても法外なお金を要求する悪徳医師の代名詞と言ってもよい。原作では確かにそうなっていて、本人もそれを自覚している(読者はときどきそれを忘れてヒーローとして見てしまうのだけれども)。ただ、赤ひげだって強請りまがいのことをして金のあるところからふんだくったりもしている。
では、BJは赤ひげとどこが違うのか。きょうはそこのあたりについて。
まず赤ひげだが、彼が憤慨してやまないのは、当時の医療の不公平さである。金のある奴は贅沢に飲み食いしてそのせいで健康を損ない大金を払って治療してもらう。しかし日々の生活に追われる大多数の貧しい者は満足な医療を受けることができない。だから最下層の人々が最後の拠り所とする養生所の予算が更に削られると聞いたときの赤ひげの怒りはすさまじい。彼はいまで言うところの皆保険制度を医療制度の理想としていたように思う。最大公約数的に誰もが満遍なく一定水準の医療を受けられるように心をくだいている。そして彼の怒りは権力者や社会構造に向けられ、医療行為そのものについては当時の医療水準の低さもあってそれほど問題にされていない。助かりそうもない患者をどうにかして生かそうなどとは考えてもいない。赤ひげというのは、「貧しい人から治療費を取らずに診療する名医」であるというよりも、当時の医療制度のお粗末さに必死の思いで抵抗している医者の良心であり社会的正義であるような気がする。
一方のBJはというと、患者のためという正義によって動いているのではない。彼の場合、自分が医者であることが第一義で、腕が良いために結果として多くの患者を救うことになっているだけだというふうに私は考える。患者のために手術をするのではなくて、手術をすることによって患者の代わりにBJ自身が闘っているのだと思う。そしてそういう意味合いこそが彼のレゾンデートルなのだと考える。逆に言えば、医者でないBJ、患者を治せないBJに存在価値はないということだ。
「水頭症」(#76)の中に、「あいかわらずがめついな……」とぼやく手塚医師に向かってBJが食って掛かるシーンがある。「ほかの分野ならいざしらず…患者のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」。あまりにヒューマニストなBJ像を抱いていると、この部分を「自分のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」と読み違えそうになる。そうではない。BJ先生は「患者のいのちをかけて」いるのであって、決して「自分のいのちをかけて」いるのではないのだ。ここにおいて、「患者を間に置いて一騎打ちするBJ先生と病気(怪我)」という構図が鮮明になるのではなかろうか。患者の「生きたい」という願いを金に換えて、BJは患者の命を請け負う仕事人なのだ。
しかし一方で、彼は「報復」(#88)の中で「私は自分の命をかけて患者を治しているんです。それで治れば1千万円が1億円でも高くはないと思いますがね」と発言している。ここでは「自分の命をかけて」と言っており、先の言葉と矛盾するようにも思われる。またこのセリフは彼の医療にかける情熱の証しとして名セリフの一つと数えられているようで、それは確かに間違いではないと思う、結果的に。しかしここでの「自分の命をかけて」という意味を細かく考えると、私ァそれで生計を立てているんだ、という意味合いが大きいように思う。つまり、「通り一遍お決まりでおざなりの治療をやっているあんたたちと違って、私はそれくらいの金に換算できるような大きな仕事をしているんでね。これが私の商売なんだから口を出さないでもらいたいね」という意味なんじゃないかと。「自分の仕事には(あんたたちと違って)1千万円とか1億円の価値がある」と言っているわけで、突き詰めれば、そういう仕事ができるBJの存在には(あんたたちと違って)それだけの価値があると自分で言っているのだ。ものすごい大言壮語である(笑)。そんなこと言われた医師連盟会長が激怒するのも道理。「きみは思い上がりだ!」と罵倒するのは正しい反応であろう。先に書いたような「医療にかける情熱の証し」としてこのセリフを捉えると、会長のこの怒りが頓珍漢なものになるんじゃなかろうか。
BJは患者のために手術をしているのではない。どちらかと言えば自分の信念のためだ。しかし先のような大口を叩くためには彼に失敗は許されない。1千万円とか1億円とかいうのは確かに患者の命の値段だが、同時にそれはBJの存在理由の値段でもある。彼は常に手術の腕を上げ、患者の命を救い続けなくてはならないのだ。これは彼の信念が仕掛けた自縄自縛だ。そしてBJのストイックさはここにある。「おばあちゃん」の中で、自分と同じように貧乏人からも大金を取っていた医師がいたと知り、「さだめし……名医だったんでしょうなあ……」と言っているが、このときBJはこの医師の覚悟のほどに共感を覚えているのだと思う。患者の命、全存在を引き受ける責任の重さに耐えられることこそが名医の条件だと考えているのではなかろうか。
そんな彼の(一般的には正義とは言えないかもしれない)信念の表れが、「ふたりの黒い医者」(#56)での最後のセリフ…「それでも私は人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」であろう。どんなに医者が頑張ろうとも人はいつか必ず死んでいく。その事実を眼前に突きつけられたとき、骨の髄から医者である彼に言えるのはただこの言葉しかない。なまっちょろいヒューマニズムなんか入る余地のないギリギリの彼の叫びだと思う。(この「医者であること」が神の摂理に反するのではないかという更に深い苦悩をテーマにしたのが「ちぢむ!!」であり、ここで続けて見ていきたい気持ちはやまやまなのだが、きょうはもう時間がない。)
……赤ひげと対比するつもりだったのだが、だいぶんズレたような気がする(汗)ので、最後にちょっと軌道修正。
赤ひげとBJの一番の違いは、その勤務形態にあると思う。赤ひげは幕府が開設した小石川養生所で働いていたのだから、勤務医であり公務員である。BJは一介の町医者、しかも無免許。言葉は悪いがたとえ患者を何百人死なせたとしても赤ひげは食べていける。しかしBJの場合はそうはいかない。自分の腕一本で稼いでいくためには、常に研鑽を怠ってはならないわけだ。その発奮材料となるのがライバルや同等の力量を持つ医師の存在である。キリコとはも一つ上の次元でのライバルだが、「はるかなる国から」や「過ぎさりし一瞬」で腕の良い外科医と競争したり会おうとしたりするBJの姿が描かれている。しかしそのいずれもで、現在世界一の外科医はBJということを再確認する結果となってしまう。歌の文句ではないが「最後はいつも独り」になってしまうBJには、更に濃く孤高の影がしみついていくようである。(ああ、全然軌道修正になってない……。)
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手塚治虫生誕80周年にちなんで、アトムのハリウッドでの映画化やジャングル大帝のテレビアニメなどはあったが、われらがBJ先生に関してはいまひとつ公式な動きがなかったのを残念に思う今日この頃。とはいえ、少年チャンピオンでの総力特集があったし、個人的にはOVA版DVDをゲットできたから良しとしよう。
さて、きょうは11月2日。11月2日というと私はキース・エマーソンの誕生日というのが真っ先に思い浮かぶのだが、キリスト教では「死者の日」ということで、全ての死者の魂のために祈りを捧げる日なのだそうだ。
こんな日は、ドクター・キリコも自分が天国へ送ってやった人々のために祈りを捧げているにちがいない。だからというわけでもないのだが、ちょいと検索していたらこんなページに行き着いた。考えてみたら手塚治虫公式ページにも紹介されリンクされているサイトなのだけれども、今まで読んだことなかったので読んでみた。ドクター・キリコはアメリカではどのように紹介されているのか。
“Black Jack has many enemies, but Dr. Kiriko is his only true nemesis and rival. ” 上手い紹介だと思う。ちなみにこの文章をYahoo! で翻訳すると、「ブラックジャックには多くの敵がいます、しかし、キリコ博士は彼のただ一人の本当の罰を与える人とライバルです。」となり、excite で翻訳すると「ブラックジャックには、多くの敵がいますが、Kiriko博士は、彼の唯一の本当の強敵とライバルです。」となる。キーワードは“nemesis”だが、「強敵」と訳すほうがスマートではある。しかし「勝てない敵」「かなわない相手」というニュアンスもあるようだから「罰を与える人」というのも深読みするとおもしろい。
ところで“Nemesis”とはギリシア神話における「義憤」の女神なのであるが、この女神の名前を冠せられた太陽の仮説上の伴星がある。2600万年の周期で太陽と同じ軌道を回っている太陽の双子星で、地球上に起こった過去の生物の大量絶滅にはこのネメシスが関係しているとも言われている。が、仮説上の星であってまだ発見はされていない。ここらへんのことについてはリチャード・ミューラー著、手塚治虫監修の『恐竜はネメシスを見たか』(1987)に詳しいのではないかと思うが、私は未読(誰かー!)。
同じ軌道上を運行する連星、太陽とネメシス。動きが活発になると太陽系にダメージを与えるDeath Star - ネメシス。BJとキリコの関係になんと良く符合することか。
西洋占星術では冥王星が死を司る星として使われてきたが、それは冥王星が太陽系の果てだと考えられていたからだ。実際はそんなことないし、巨大な太陽に比べて冥王星はあまりにも小さい。惑星からも外されてしまった。本来、生と死は同じ力量を持っているはずだと考えるならば、恒星ネメシスこそが冥王星に代わるものとして考えられてもよいかもしれない。どんなに頑張っても見つからない(2600万年の周期だもん)が、理論上あるはずだという神秘性も「死」の星にふさわしいように思う。
同時に、私が抱くドクター・キリコのイメージもどこか神秘的だと自分で思う。基本的に「恐ろしい」という感覚があって、これは彼が初めて登場した「死神の化身」で植えつけられたものだ。だから後に彼がどんなにBJ先生にしてやられようとも、どこかで、これは彼が本気を出していないからだというような感じがしている。「助けられればそれにこしたことはない」というセリフがあったが、自分の出番はBJの出番が終わってからだと考えているようにも思える。『BJ2D』の中だったか、BJの手術で患者の苦痛が長引いたというようなことを言っていたように思うが、ちょっと違和感を覚えたことを記憶している。やるだけやってみろ、と私のイメージするキリコなら、言う。それくらい余裕がありそうだ。それでダメだったときこそが死神の出番。BJ先生が手を出したときには出番がないこともあるが、その他の多くの場合は割りと早く引導を渡すこともやむなし。しかしそれはたぶん人間ができることの範疇を超えているのであり、そこんところが彼を神秘的に思う所以なのかもしれない。……ん~、上手く言えないが、キリコというのは絶対にBJに負けない唯一の登場人物であるような気がする。
……と、“nemesis”の一語に反応してこれだけ引っ張ってきたら、他のことに触れる時間がなくなってしまった(汗)。上で紹介した英語のページ、キリコが従軍したのは第二次世界大戦時であるとか、BJと一緒に働いていたとか、「死への一時間」での患者がジュリアーノの母でなく姉になっているなど、定説のない問題の記述や単純ミスなどもあるが、なかなかよく調べてあって素晴らしい。「恐怖菌」では二人の共謀説を採ってあるのも興味深かった。またこのキリコのページからではないが(どこからか忘れた)、アメリカでのキリジャをはじめとする二次創作界へのリンクもあって、どんどん辿っていくとなかなかにめくるめく思いもできる(笑)ので興味のある方はどぞ。コスプレ写真のページも、どすこいピノコはじめ皆幸せそうで良かったね的な……(以下文章が続かないので省略)。
あ~、取り留めのない文章ですみません。何を書きたかったのか忘れてしまって……。
写真はJ0806連星系の白色矮星の渦巻き。321秒ごとに互いの周囲を一周。太極図を思い起こすのは私だけか。(NATIONAL GEOGRAPHIC 公式日本語サイトより)
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夕方、コンビニで「週刊少年チャンピオン 48号」をゲット。BJ先生が描かれた表紙を見た途端、懐かしさに涙が出そうになった。いや、BJ先生なら毎日何らかの形でお目にかかっている。懐かしいというのは、そのシチュエーションだ。暮れていく街、買い物客で賑わう店内、雑誌コーナーで立ち読みする男の子たちの隙間から手を伸ばし「少チャン」を手に取る感覚。35年前と同じだ。これがいつものようにアイドルが表紙になっていたら感激も半減しただろうが、ちゃんとBJ先生なんだもの~。感涙モノだ。ちなみに「少チャン」は1冊しか残っていなかった。あぶないあぶない。
私にとって『BJ』は店頭で立って読むのが正式な作法だ。よって、きょうもオールカラーで再現された第1話「医者はどこだ!」をきちんと立ち読みした。「少チャン」本誌に掲載されている『BJ』を立ち読み! もうこんなことは二度とできないと思っていたことをさせてもらった。欲を言えば、中学高校時代にいつも立ち読みしていたスーパーでやりたかったのだが、そのスーパーは数年前になくなってしまったのが残念だ。
昔なら読み終わったのを元に戻して家路についたところを、きょうはそのまま持ってレジに向かい購入する。幸せな気分で帰宅して、じっくり熟読(『BJ』特集の部分だけだけど)。「全連載作家が愛を込めて描く、24人の『ブラック・ジャック』イラストコレクション!!」で水島新司が描いているBJに心トキメク。上手い! 可愛い! さすがだ! 「わたしとブラック・ジャック」で、11人の漫画家がやはりBJを描いているが、そこではちばてつやと山上たつひこのBJにグッときた。私はやっぱりこの時代の絵柄が一番好きなのだ、と再確認。1本の線に力がある。画面構成にメリハリが効いている。いまのマンガは人物も背景も描き込みすぎていて煩い感じがしてならない。
「ブラック・ジャック制作秘話」では、もうすぐ描き上がる作品の出来が気に入らず、たった8時間で再度20ページの新しいストーリーを描いたという、あの有名な逸話が描かれていた。それでなくても締め切りはとっくに過ぎていたのだから、編集者のストレスはいかばかりであったかと思う。柱に穴も開けたくなろうというものだ。手塚先生を信頼して待つ壁村耐三編集長の漢気が良い。この編集長であったればこそ「少チャン」は黄金時代を築けたのだろう。しかしそれ以上に手塚先生の執念というか、より完成度の高い作品を生み出そうとする意欲に頭が下がる。いや~、すごいドラマだ。
ところで、この、手塚先生が8時間で描いたエピソードはどれなのだろう? 1977年8月の出来事だというから、「猫上家の人々(1977/8/22号)」「六等星(8/29号)」「アヴィナの島(9/5号)」「キモダメシ(9/12号)」の4編が時間的に合う。私のカンでは「キモダメシ」なのだが、さてどうかな?
そしてそして「BJ 10大 名シーン」。「ときには真珠のように」「ちぢむ!!」「ふたりの黒い医者」のラストシーンがBEST3というのは、頷けるところだ。「めぐり会い」でのめぐみさんとのキスシーンが7位、「宝島」のラストシーンが10位というのも納得だ。私なら他に何を選ぶかな。「六等星」と「勘当息子」は入れたいところだ。
最後に「医者はどこだ!」のラストページのハシラを比べてみる。
初出時:『正体不明の医者、ブラック・ジャックとは何者なのか。奇跡を生み、人を救うB・ジャックとは!?』
今回:『天才外科医、ブラック・ジャック!! 奇跡を生み、人を救うその姿は時代を越えてなお輝く。』
ちゃんと同じフレーズが使われているのが嬉しいね♪
「ブラック・ジャック制作秘話」が続くので、来週も買わねば!
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