BJと赤ひげ
OVA版『BJ』を少しずつ観ている。この出崎統監督のOVA作品は、BJ先生があまりにも美形でカッコよくて言動もスマートなためにちょっと私が抱いているイメージとは違うのだが(笑)、ストーリー構成、作画ともに非常に優れた作品だと思う。欲を言えば、BJ先生が優しくて良い人すぎて誰にでも好かれるところをもうちょっとダーティーにダークに描いてもよかったと思う。
私のイメージするBJというのはもっとヤサグレている。女性の目から見るとたいそう魅力のある男だが、社会的には受け入れられ難い、というか男の世界では敵だらけだろうと思う。秩序を乱すからである。性格的に人に歩み寄れないのか意図的にそういうふうに自分を持ってきているのか知らないが、人から距離を置いたところで生きざるを得ない一匹狼である。
ところで先日のNHK-BS2の『特集わたしの手塚治虫』では、「BJは最後には赤ひげになるんだけれども……」と評されていた。赤ひげとはもちろん山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に出てくる小石川養生所の医師・新出去定のことだが、一般的には貧しい人から治療費を取らずに診療する名医の代名詞になっている。かたやBJは外科手術の腕は超一流だが貧乏人に対しても法外なお金を要求する悪徳医師の代名詞と言ってもよい。原作では確かにそうなっていて、本人もそれを自覚している(読者はときどきそれを忘れてヒーローとして見てしまうのだけれども)。ただ、赤ひげだって強請りまがいのことをして金のあるところからふんだくったりもしている。
では、BJは赤ひげとどこが違うのか。きょうはそこのあたりについて。
まず赤ひげだが、彼が憤慨してやまないのは、当時の医療の不公平さである。金のある奴は贅沢に飲み食いしてそのせいで健康を損ない大金を払って治療してもらう。しかし日々の生活に追われる大多数の貧しい者は満足な医療を受けることができない。だから最下層の人々が最後の拠り所とする養生所の予算が更に削られると聞いたときの赤ひげの怒りはすさまじい。彼はいまで言うところの皆保険制度を医療制度の理想としていたように思う。最大公約数的に誰もが満遍なく一定水準の医療を受けられるように心をくだいている。そして彼の怒りは権力者や社会構造に向けられ、医療行為そのものについては当時の医療水準の低さもあってそれほど問題にされていない。助かりそうもない患者をどうにかして生かそうなどとは考えてもいない。赤ひげというのは、「貧しい人から治療費を取らずに診療する名医」であるというよりも、当時の医療制度のお粗末さに必死の思いで抵抗している医者の良心であり社会的正義であるような気がする。
一方のBJはというと、患者のためという正義によって動いているのではない。彼の場合、自分が医者であることが第一義で、腕が良いために結果として多くの患者を救うことになっているだけだというふうに私は考える。患者のために手術をするのではなくて、手術をすることによって患者の代わりにBJ自身が闘っているのだと思う。そしてそういう意味合いこそが彼のレゾンデートルなのだと考える。逆に言えば、医者でないBJ、患者を治せないBJに存在価値はないということだ。
「水頭症」(#76)の中に、「あいかわらずがめついな……」とぼやく手塚医師に向かってBJが食って掛かるシーンがある。「ほかの分野ならいざしらず…患者のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」。あまりにヒューマニストなBJ像を抱いていると、この部分を「自分のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」と読み違えそうになる。そうではない。BJ先生は「患者のいのちをかけて」いるのであって、決して「自分のいのちをかけて」いるのではないのだ。ここにおいて、「患者を間に置いて一騎打ちするBJ先生と病気(怪我)」という構図が鮮明になるのではなかろうか。患者の「生きたい」という願いを金に換えて、BJは患者の命を請け負う仕事人なのだ。
しかし一方で、彼は「報復」(#88)の中で「私は自分の命をかけて患者を治しているんです。それで治れば1千万円が1億円でも高くはないと思いますがね」と発言している。ここでは「自分の命をかけて」と言っており、先の言葉と矛盾するようにも思われる。またこのセリフは彼の医療にかける情熱の証しとして名セリフの一つと数えられているようで、それは確かに間違いではないと思う、結果的に。しかしここでの「自分の命をかけて」という意味を細かく考えると、私ァそれで生計を立てているんだ、という意味合いが大きいように思う。つまり、「通り一遍お決まりでおざなりの治療をやっているあんたたちと違って、私はそれくらいの金に換算できるような大きな仕事をしているんでね。これが私の商売なんだから口を出さないでもらいたいね」という意味なんじゃないかと。「自分の仕事には(あんたたちと違って)1千万円とか1億円の価値がある」と言っているわけで、突き詰めれば、そういう仕事ができるBJの存在には(あんたたちと違って)それだけの価値があると自分で言っているのだ。ものすごい大言壮語である(笑)。そんなこと言われた医師連盟会長が激怒するのも道理。「きみは思い上がりだ!」と罵倒するのは正しい反応であろう。先に書いたような「医療にかける情熱の証し」としてこのセリフを捉えると、会長のこの怒りが頓珍漢なものになるんじゃなかろうか。
BJは患者のために手術をしているのではない。どちらかと言えば自分の信念のためだ。しかし先のような大口を叩くためには彼に失敗は許されない。1千万円とか1億円とかいうのは確かに患者の命の値段だが、同時にそれはBJの存在理由の値段でもある。彼は常に手術の腕を上げ、患者の命を救い続けなくてはならないのだ。これは彼の信念が仕掛けた自縄自縛だ。そしてBJのストイックさはここにある。「おばあちゃん」の中で、自分と同じように貧乏人からも大金を取っていた医師がいたと知り、「さだめし……名医だったんでしょうなあ……」と言っているが、このときBJはこの医師の覚悟のほどに共感を覚えているのだと思う。患者の命、全存在を引き受ける責任の重さに耐えられることこそが名医の条件だと考えているのではなかろうか。
そんな彼の(一般的には正義とは言えないかもしれない)信念の表れが、「ふたりの黒い医者」(#56)での最後のセリフ…「それでも私は人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」であろう。どんなに医者が頑張ろうとも人はいつか必ず死んでいく。その事実を眼前に突きつけられたとき、骨の髄から医者である彼に言えるのはただこの言葉しかない。なまっちょろいヒューマニズムなんか入る余地のないギリギリの彼の叫びだと思う。(この「医者であること」が神の摂理に反するのではないかという更に深い苦悩をテーマにしたのが「ちぢむ!!」であり、ここで続けて見ていきたい気持ちはやまやまなのだが、きょうはもう時間がない。)
……赤ひげと対比するつもりだったのだが、だいぶんズレたような気がする(汗)ので、最後にちょっと軌道修正。
赤ひげとBJの一番の違いは、その勤務形態にあると思う。赤ひげは幕府が開設した小石川養生所で働いていたのだから、勤務医であり公務員である。BJは一介の町医者、しかも無免許。言葉は悪いがたとえ患者を何百人死なせたとしても赤ひげは食べていける。しかしBJの場合はそうはいかない。自分の腕一本で稼いでいくためには、常に研鑽を怠ってはならないわけだ。その発奮材料となるのがライバルや同等の力量を持つ医師の存在である。キリコとはも一つ上の次元でのライバルだが、「はるかなる国から」や「過ぎさりし一瞬」で腕の良い外科医と競争したり会おうとしたりするBJの姿が描かれている。しかしそのいずれもで、現在世界一の外科医はBJということを再確認する結果となってしまう。歌の文句ではないが「最後はいつも独り」になってしまうBJには、更に濃く孤高の影がしみついていくようである。(ああ、全然軌道修正になってない……。)
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