カテゴリー「雑考」の記事

浦島太郎

きょうは七夕。雨こそ降っていないが空は雲に覆われていて、天の川どころか星のひとつも見ることはできない。はたして恋する二人は会えただろうか。

PhotoPhoto_2Photo_3ところで、いまニコタでは「竜宮城イベント」が行われている。浦島太郎のように亀に乗って竜宮城へ行くのだが、その道中が涼しげで気に入っている。竜宮城の前にいる乙姫さまも、ちょっとニコタでは見かけないような味のある顔立ちでなかなかよろしい。というわけで、きょうは浦島太郎について。七夕なのにね(笑)。

浦島太郎 (文部省唱歌)

一、
  昔昔、浦島は
  助けた龜に連れられて、龍宮城へ來て見れば、
  繪にもかけない美しさ。
二、
  乙姫様の御馳走に、鯛や比目魚の舞踊、
  ただ珍しくおもしろく、
  月日のたつも夢の中。
三、
  遊にあきて氣がついて、
  お暇乞もそこそこに、歸る途中の樂しみは、
  土産に貰つた玉手箱。
四、
  歸つて見れば、こは如何に、
  元居た家も村も無く、路に行きあふ人人は、
  顔も知らない者ばかり。
五、
  心細さに蓋とれば、
  あけて悔しき玉手箱、
  中からぱつと白煙、たちまち太郎はお爺さん。

『丹後国風土記』によれば、浦島太郎(本名を筒川島子、または水の江の浦島子。「人となり、姿容秀美しく、風流なること類なかりき」とある)は、童たちに苛められていた亀を助けたわけではない。釣りに出て五色の亀を釣り上げて舟に置いておいたところ、それがいつのまにやら美しい仙女になっていたという。

その亀比売(かめひめ)という名の仙女に惚れられて、そのまま蓬莱山に連れていかれ、彼女の両親兄弟姉妹にも歓待され、愛の日々を過ごすこと3年。ある日、望郷の念にとらわれる。亀比売が引き止めるのを振り切り、玉匣(たまくしげ)を土産にもらって元の村に帰ってみると、なんとそこでは300年の時が経っていたのだった。

室町時代に成立した『御伽草子』では、村を歩き回っていて自分と両親の墓を発見して絶望したとも言われているが、とにかく10日ばかりそこらをうろついた挙句、彼は開けてはいけないと言われていた玉匣を開けてしまう。もくもくと白い煙が立ち昇り、彼は白髪の老人に……(『万葉集』では、老人になった後すぐに死んでしまい、『御伽草子』では、鶴となって飛び去り、『丹後国風土記』では、玉匣を開けたことを悔いて歌など詠んでいる)。

しかしそれにしても、どうして亀比売は開けてはならない玉匣なんぞを太郎に渡したりしたのか。彼女は箱を渡すときにこう言っている。

「君、終に賎妾を遺れずして、眷み尋ねむとならば、堅く匣を握りて、慎、な開き見たまひそ」
----あなた、これからずっと私を忘れず、もしまたここに戻りたいと思うなら、しっかり箱を握って、決して開いて見たりなさらないでください----

つまり、未開封の玉匣は蓬莱山へのパスポートなのである。元の世界に戻って途方に暮れる太郎を、亀比売はどこからか見ていたのではなかろうか。そして再び亀比売のところに戻りたいと思ったならば、彼女は喜んで迎えに来たに違いない。しかし、太郎は約束を忘れて玉匣を開けてしまった。二人の契りの深さを信じたいと願っていた亀比売の思いは叶わなかったのである。突然老人になってしまった太郎も気の毒だが、恋する相手を永遠に失った亀比売もまた哀れだと思う。まったく男ってやつぁ……。

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いちご

「いちご狩り」は何故「狩り」というのかを調べていたら、いつの間にか横道に逸れて「いちご」そのものについて調べることに……。以下、覚え書き。

・『日本書紀』には「伊致寐姑(イチビコ)」、『新撰字鏡』には「一比古(イチビコ)」、『和名抄』には「伊知古(イチゴ)」とあり、「イチビコ」が転じて「イチゴ」になったと考えられる。

・枕草子(三九段)
 「あてなるもの。薄色に白重の汗袗。かりのこ。削氷のあまづらに入りて、新しき鋺に入りたる。水晶の珠數。藤の花。梅の花に雪のふりたる。いみじう美しき兒の覆盆子くひたる」
(「覆盆子」=いちご)

・枕草子(一四七段)
 「見るにことなることなき物の文字にかきてことごとしきもの。覆盆子。鴨頭草。みづぶき。胡桃。文章博士。皇后宮の權大夫。楊梅。いたどりはまして虎の杖と書きたるとか。杖なくともありぬべき顏つきを」

・万葉集、古今和歌集~新葉和歌集の勅撰集に「いちご」「いちびこ」無し。

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Viewimage100501本日のニコタのわかばさん。
雨上がりの虹を庭から見ました♪

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トロッコ問題

ココログニュースで取り上げられていたのだが、「トロッコ問題」という古典的な問題があるそうだ。こういうのもパラドックスと言うのだろうか。ジレンマを発生させる思考実験と言ったほうが良いような気がする。また哲学の領域というより倫理学の領域に思われて、たとえばゼノンの「アキレスと亀」のパラドックスを考えるときのような思考遊戯的な楽しさが無い。私のこれからの人生においてこんな場面には絶対に遭遇したくないと思うような究極の選択を迫る問題である。

もしも実際にこんな立場に立たされたら……私ならきっと何も行動を起こさないのではないかと思う。それはパラドックスを考えるというそもそもの姿勢からは大きく逸脱するし、思考を放棄することに他ならないのだろうけれども、きっと自分自身の関与というもの自体を避けるのではないかと思う。一番ズルい方法かな。しかし自分自身を関与させるならば、例えば2番目の設問においては自分自身が線路に飛び降りてトロッコを止めるという方法も選択肢に入れなくてはならないと思う。しかし、私にはとてもそんな『塩狩峠』のような自己犠牲はできそうにない。

これは何を問うためのパラドックスなのかな? 確かに「1人をトロッコの前に突き落とすことと、トロッコを1人の方へ向かわせることとは、なにかが異なるようだと直感的に感じる」のだが、上でリンクした記事の最後の部分(“Science”と“Nature”の論文)によると、それはその際に活発に働く脳の部位が異なっているからであるらしい。だから医学的にはたいへん有意義な思考実験ではあるようなのだけれども。倫理学のパラドックスとして見た場合、「道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない」という結論しか出ないのであれば、なんだか釈然としないものが残る問題だなぁと思う。

ふと、神様ならばどうするだろうかと思った。そのとき思い出したのが、以前ひろさちやさんがテレビで言っておられた言葉だ(ひろさんは仏教哲学者なので「神」ではなくて「仏」だったし、そのときの例題は「カルネアデスの板」の状況に近いものだったけれども)。仏様が誰かを助けようとされる場合、それは手近なところから助けられるのである、とひろさんは言っておられた。つまり仏様には人間個人個人の命の軽重(や人数)など関係ないのであって、助けられる人から助けるのだということだ。だとすれば、だ。いま自分が何も行動を起こさなくても1人の人は確実に助かる(その代わり5人は助からないが)という状況は、仏の意思にも沿うものではないかと思ったりする。イエス様だって99匹の羊を放っておいても1匹の迷える羊を探しに行かれるというから、やはり「数」ではないのだ(とするのはいささか強引か)。だからというわけではないが、やっぱり私ならいずれの場合も1人を助けられるなら何も行動を起こさないような気がする。

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破壊願望(メモ)

某さまのところで「一度くらい皿をぶん投げる八つ当たりというものをしてみたい」というのに賛同したら、お金を出せばそういうことをやらせてくれるところもあるようだという情報を得た。思わず笑ったが、なるほど商売として成り立つかもしれないとも思う。私はしないけど。

人には破壊願望がある。ムシャクシャしているときに皿をぶん投げて、それが派手な音とともに木っ端微塵になるのを見たらスッキリするかもしれないというのは、容易に想像できる。冬の朝、まだ誰も踏んでいない真っ白な処女雪を最初に自分が踏みしめるときの、あのなんとも言えない高揚した罪悪感も、それに通じるものかもしれない。

あるいは、何故「ゴジラ」は人気があるのかを考えてもよい。ヤツは破壊行動しかしない。高層ビルをなぎ倒し高圧電線を引きちぎりながら進む。なんとか止めようとする人間の行為など簡単に粉砕する。面白いのは、観客は人間がゴジラに勝つことなんか期待していないということだ。人間が営々として築き上げてきた都市がめちゃくちゃに破壊され荒らされる、ただそれだけを観るために映画館へ足を運ぶ。

あるいは、お札を燃やすという行為。ちょうどいま竹熊健太郎氏のブログ(興味のある方は「たけくまメモ」で検索プリーズ)で様々に議論されている問題なのだが、ちなみにこれ、自分が所有しているお札なら燃やしても罪にはならない。貨幣損傷等取締法は「硬貨」にのみ当てはまり「紙幣」には適用されないからで(『BJ』で1000万円を燃やした馮二斉はセーフである)、だからこれは法律上の問題ではなくて、芸術性とか社会的主張、あるいは価値観の問題として、かのブログでは議論されている。

要らない紙くずを燃やしたとき破壊願望が満たされるかといえば、答えはNOだ。ゴミがなくなったという意味で爽快感はあるかもしれないが、紙くずを破壊してやったという捉え方はおそらくしない。ところが同じ紙でもお札となると、たいていの人は燃やすことを躊躇するだろう。価値が違うからだ。自分が価値があると認めたものを破壊してこそ、破壊願望は満たされる。

また、実際に破壊行動に至るか想像内で納まるかの違いは大きいと思うけれども、たとえば梶井基次郎の『檸檬』にあるように、想像内で十分なカタルシスを得られる場合だってある。たいていの人間は想像内で納めているのではないかな。

人はなぜ破壊したいのか。おそらくその先に「再生」を願うからだと思うのは楽天的発想だろうか。しりあがり寿の『ジャカランダ』を読んだときに強くそう思ったのだが。都市が破壊されればまた新しい都市を再生させようとする。またそういう目に見えるものだけではなくて、ムシャクシャした気分を仮託した皿を割ることによってムシャクシャしていた自分そのものを破壊し、新たな自分を再生させようとする。破壊というのは再生のための儀式ではないかと思う。

……破壊→再生→破壊→再生……このエンドレスの循環の中で「破壊→再生」の部分を意識するか、「再生→破壊」の部分を意識するか、二通りの人間がいるかもしれない。破壊するために創造するのだという極論も存在するだろう。創造、再生できるものならまだ良い。取り返しのつかないものを破壊することだけは自重しなくてはならないと思う。その最たるものが、命だ。

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拈華微笑

ちょっと先日から考えていることがあって……。

何かを伝えようとして言葉に出したり文章を綴ったりする。できるだけ正確に伝えようと言葉を選ぶのだが、選んだ瞬間から「いや、これは違う」という思いが湧き上がる。大きくはずれてはいないかもしれないが、自分の思っていることと決してイコールではないという感覚。なんとか立て直そうとすればするほど、どんどん離れていく感覚。

人様は頭の中で、これはこうだからこうなって……と言葉によって思考を組み立てていらっしゃるのだろうか。理詰めで、ということだが。私の場合は感覚とか感情によって、たいてい結論が先に出る。人に語る必要があるときには、後からそうなった理由を考えねばならない。しかしどうしてそういう結論になるのか自分でもわからないことも多い。それはたとえば、誰かを好きになるときと同じで、そこに理由なんか無いからである。気付いたらそう思っていた、としか言いようがないのだ。そういうものを言葉で説明しようとすると、言葉に託すそばからことごとく嘘くさくなって分散していってしまうような気がする。

気付いたらそうだった……、これはつまり、意識として自覚する前に何らかの力が働いて既に意思決定をしてしまっているということだろうか。また、負の例で言えば、初めて出会う人でまだ一言も交わしていないのに(この人はなんかアヤシイ)などと思ったりする場合のそれはいったい何なのか。五感を超えた第六感、あるいは直感、霊感、啓示などとも言えるものかもしれない。あるいはそれよりもっと原始的なもの……危険回避の本能とでもいうべきものかもしれない。仏教の唯識で言えば末那識、あるいはもっと深い阿頼耶識か。

良いものと悪いもの、美しいものと醜いもの、人はほぼ瞬時にそれらを識別しているような気がする。意識に上る以前に。いや、ヒトだけでなく生き物はすべてそうなのかもしれない。

たとえば人は人を殺してはいけないとされている。しかし何故いけないのかを言葉で説明することは非常に難しい。信仰の篤い人ならば神や仏や教祖がそうおっしゃったからという説明で充分なのだろうが、信仰心の薄い現代日本人に対しては説得力があるとは思えない。また何故神や仏がそうおっしゃったのかまでは普通誰も考えようとしない。たぶん説明できないからだ。だがその教えがほぼ万人の腑に落ちるものであるからこそ人はそれを守ろうとする。意識に上らない領域で、人は人を殺さないことを「是」としているのだろう。

五感や意識は簡単に騙されるし、意識的に歪曲もできる。「般若心経」でも「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」として「目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった感覚の対象も様々な心の思いもありません」と、五感とそれによって喚起される意識までは絶対的なものではないと否定されている。本当に確かなものは、その下にある。

たとえば私が「憲法9条」を変えてはいけないと考えているのは、五感を使った情報収集および論理的思考というような意識上のこととしてではない。おそらく本能に近い無意識の部分がそう言っている。現在の世界情勢や防衛上の問題点などに鑑みて縷々述べられたら、私にはそれを論破することなど到底できない。私のできる反論はすべて後からの付け焼刃であって、言っている本人が「いや、こんなことが言いたいんじゃないんだ」とオロオロするようなものだからである。言葉が逃げていく虚しさを感じるのはそんなときだ。しかし私にとって無意識の叫びは絶対的で譲れないものなのである。

人間なのだから思いや考えを言葉に託すことの重要性と必要性は判っている。しかし実際に何かの問題についてディベートが成立するとしたら、それは本来どっちでもよい類の事柄ではないかと思う。どっちに転んでも私の本能は沈黙している。そんな問題においては、だからたとえ負けても、にっこり笑って相手と握手できる。

本能が警告を発している問題にはときどきぶち当たる。理由をこじつければいかにも説得力のないシロモノになってしまうが、人間として、生き物として、宇宙の星屑のひとつとして、それだけはいかんゾというような……。そしてそんな問題ほど、言葉では足りないのだ。ディベートでの結論や多数決など意味がないもの。そもそもディベートという方法が相応しくないもの。

本来、日本人というのはディベートで結果を出すことが苦手だ。多民族が往来する欧米の国々では、自分の意見を主張することは大事だったんだろうが、相手を論破していくことが最善の方法でもないと思う。たとえばこの世から音楽や美術がなくならないのは、言葉で表せないものを表現できるからだろう。言葉は決して万能ではない。表現できないことが山ほどある。

私はそういう言葉では表すことの出来ない無意識や本能の叫びを大事にしたいと思うのだ。五感や思考に心を遊ばせながらも、もっと深い部分を研ぎ澄ましておきたいと思う。この部分だけはどう繕うこともできない本当の自分だと思うから。そしてそれは他の人たちとあんまり変わらない部分でもあるんじゃないかと信じている。

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漫画の日

きょうは「漫画の日」なのだそうである。ところが「漫画の日」というのはなんでも1年に3回もあるそうで。それぞれの故事来歴はこちらで。

日本の漫画が海外にも広く進出しているというのは以前から聞いていたが、最近ではデンマークで日本大使の発案でコスプレの集りがあったとか、フランスで日本の漫画(アニメ)フェアが開かれて多くのフランス人がコスプレして集ったとかがニュースになっていた。

まあなんとなくここまでは自然発生的な趣味の範囲ということで納得できないこともないが、麻生外相が音頭を取って「ジャパン・ブランド」の一角を担うようになった漫画やアニメを更に世界に発信しようとしている、というニュース(いささか旧聞だが)などを聞くと、なんだか違和感を覚えてしまうのだ、私は。漫画というのは、本来そういうものであってはいけないのじゃないか。

私は「漫画を読むとバカになる」と言われて育った世代だ。それが一因かどうかわからないが、漫画を読んだりアニメを観たりすることには今でも若干の抵抗がある。私にとってはバイブルとさえ思っている『BJ』も人前では読めない。

しかしつらつら思うに一番大きな原因は、私にとって漫画を読むということが秘めたるヨロコビであったからなのだ。それはホームズなら親の前で読めるがルパンは読めないという感覚と似ている。漫画というのは、読んでいるところを絶対に人に見られてはいけないと思うような類のモノだったのだ。

自分の日常の生活からは想像できないようないろんな世界がそこにはあった。夢や希望もあったが、同時に毒や絶望もあった。友情や愛もあったが、暴力やエロもあった。それらのものが、本で活字を追うよりもはるかに強いインパクトを持って迫ってきた。視覚から得る情報の影響力は大きいから、一層感動的でドラマチックになる。大人の鑑賞に耐え得る作品や、下手な小説なんかよりはるかに完成度の高い作品も確かにあった。

だから、隠れて読んだ。友だちの家に遊びに行ってそこにあるコミックを読ませてもらった。歯医者の待ち時間は長ければ長いほどよかった。親の目を盗んで読み、本屋のオヤジに睨まれながら立ち読みをすることに、タブーを冒すような、背徳的な悪戯をするような喜びを感じていたのだと思う。

しかし子どもの目から見てもたしかにくだらない作品もいっぱいあった。こんなもの読む暇があったら国語の教科書でも読んでいたほうがよほど良かったと思うような。限りある時間の中で、他のもっと有益なことに使える時間をくだらない漫画を読むことに費やしてしまった、もっとお利口になれたかもしれないチャンスをあたら逃がしたという意味においては、大人たちが言った「漫画を読むとバカになる」は正論だったと今になって思う。

私の場合、自分の金で漫画を買えるようになると、漫画に対する興味もなくなった。漫画より本で活字を追うほうが数倍楽しくなった。絵として見ている分には楽しいが、登場人物の表情が描かれていることのほうがかえって邪魔に思えたりした。イメージがそれに限定されてしまうのだ。活字からの想像のほうが無限に思えた。そんなわけで、漫画と縁が切れて20数年、その間ほとんど漫画を読んだことはない。

だから、近年の漫画がどういう傾向だとか、それを巡る状況がどうだとかいうことを、私はまったく知らない。まるで浦島太郎なのだが、だからこそ昔と比べて気付くこともある。私は漫画というジャンルは本来メジャーになるべきものではないと思う。それぞれの作品自体はメジャーになってもよい。良い作品ならどんどん読まれるべきだ。先にも書いたが、下手な文芸作品なんか読むよりよっぽど良い出来のものもある(に違いない。私にとっての『BJ』がそうであるように)。

しかし、漫画というジャンル自体はいつまでもマイナーであることに意義があると考える。「ジャパン・ブランド」の一翼を担うものとして文化交流の道具として使われるなんてのは、どこかが違う。世の中に、大人に、認められないことを描く、描きたい、描かないではいられないというのが漫画家の本質なのではないのか。「漫画に必要なのは風刺と告発の精神だ」と言ったのは手塚治虫だが、私も同感だ。そういう本質を持つべき漫画が、こともあろうに政策の手段として使われようとしていることに、今の漫画家は怒りを覚えないのだろうか。

万人に受け入れられるような漫画は既に漫画ではないと私は思う。それは単にストーリーを絵で表現しただけのものだ。

昔は、手頃な「悪」が漫画だった。大人はそれを批判して読ませないようにすることで子どもを律しようとしたし、子どもは子どもで、大人の目を盗んで読むことで頃合のスリルと反抗心を味わってきた。当時の漫画にはそういう位置付けと役割があった。今は、大人が漫画を読む。そんな大人を見ていれば、子どもは漫画を読むことに後ろめたさなど感じない。皮肉な言い方をすれば、人の目を盗んで楽しむという秘めたるヨロコビを感じる機会を失っている。漫画に代わる手頃な「悪」が、今は存在するのだろうか。インターネット? これだって野放し状態で、お子様は好き勝手振る舞っている。ゲーム? 親が子どもに買い与えた時点で、もう親には発言権はなかろう。

手塚治虫は過去のNHKの番組『あの人に会いたい』の中でこんなことを言っている。「漫画に対してもっと批判的になってください」。これは彼自身を含めた漫画家を発奮させるための言葉でもあるが、漫画の本質が失われることを恐れての言葉でもある、と思う。

今の世の、大人も子どもも大喜びで漫画を受け入れている状況というのは、何かが違うと思われてならないのだが……。

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神在月

早いもので今日から10月神無月。ここ出雲地方だけは「神在月、神有月(かみありづき)」となる。これは旧暦の10月に全国の神々が出雲大社へ集結して会議を行うからなのだが、その邪魔になってはいけないと地元では歌舞音曲を控える風習がある。神とは畏れ忌むべき対象なのであって、迎える方も何かと大変なのである。ちなみに、出雲大社の紋は「二重亀甲に剣花菱」(一説には出雲国造家の家紋ともいう)と「二重亀甲に有の字」が使われる。「有」の字は「十」と「月」からできていて、「十月」に神々が集るからだとか。ただし、何故10月に神々が出雲に集結するのかは諸説あって定まらない。これを調べたら面白いだろうと常々思ってはいるのだが…。

では、神無月には出雲以外に神様はいないのかというとそうではない。ちゃんと留守番をする神(恵比寿さんであることが多いらしい)がいたり、土地神がやってきて留守を守ったりする。あるいは、近隣の神様がローテーションを組んで、「わたし去年行きましたから、今年はあなたどうぞ」みたいなこともあると聞いたことがある。

さて、神様たちは「龍蛇(りゅうじゃ)さま」と呼ばれる海蛇に先導されて海からやってこられる。(陸路来られた神様もいったん日本海に出られるのだろうか?)出雲大社にほど近い稲佐の浜というところへ到着されるので、それを神官たちや地元民はひたすら静かに畏まってお迎えする。出雲大社にはちゃんと神々のための宿舎も用意されていて(東十九社、西十九社)、会議の期間中はそこにお泊りである。

会議は出雲大社から佐太神社へと場所を移して行われ、会議が終わると万九千神社で解散となる。(来るときは船で、帰るときは飛行機?)スケジュールをまとめると次のようになる。

旧暦10月10日夜 「稲佐の浜」現地集合 ガイド:龍蛇さま
             神在祭(かみありさい)の後 指定宿舎「十九社」へ
~10月17日   「出雲大社」にて会議
10月17日    神等去出祭(からさでさい)の後「佐太神社」へ移動
~10月26日   「佐太神社」にて会議
10月26日    「万九千神社」へ移動後、解散

連日会議会議でご苦労様なことである。いったい何を話し合っているのかというと、一番の議題は「縁結び」であると言われている。遠隔地に住んでいた男女がひょんなことから結婚したりするのは、その土地から来た神様同士で話がついたということなのだろう。(あとは、目に見えないいろいろな事柄を決めるのだとされている。これは「国譲り神話」で語られるイズモとヤマトの間の約束が元になっていると言われているが、『日本書紀』にしか記述がないことから、このあたりのことも調べれば面白い結果が出るのではないかと思う。)

出雲地方に住んでいると、「龍蛇さん」とか「カラサデさん」とか「お忌みさん」とか、神事にまつわる言葉がヒョイと耳に入ってくることも多い。出雲大社の神官を務める出雲国造家(コクソウと発音する)なんて、歴史の教科書に出てくる「くにのみやつこ」の末裔だ。律令国家以前の時代からの形態が厳然と存在し続けて、何の違和感もない。つくづく、出雲という土地はスゴイ所だと思う。

死神キリコさんも来るのかな? しかしキリコさんが神奈川県あたりのどっかの神社に祀られているなんて、……(自分で書いてキリコさんが鎮座ましましている様子を想像したら可笑しくなって以下の文章書くことあたはず…)

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これ、何て呼ぶ?

こんな記事を読んだ。私は島根県民であるが、この図が示すとおり「カットバン」と呼ぶ。こんなものにも方言があるのかと可笑しかった。記事中に出てくる『試験に出る英単語』、これも指摘のとおり「しけ単」と略していた。でも「マクド」とは言わないなぁ、「マック」だ。

以前にも触れたことがあったかもしれないが、『全国アホ・バカ分布考』という本がある。平成3年に放送されたテレビの『探偵!ナイトスクープ』の企画から生まれた本で、「愚か者」という概念を表す言葉が日本全国にどのように分布しているかを調べたものである。発端は、「東日本では「バカ」と言い西日本では「アホ」と言うが、その境界線はどこか?」というものだった。それが調べていくうちに単純に二極分化できるものではなく、このほかにも様々な言い方が存在することがわかり、全国的な調査に広がっていったというプロセスがある。

結果的には、同じ言い方は京都を中心とした同心円上に存在するという、柳田國男の『蝸牛考』を裏付ける結果になった。つまり、新しい言葉は当時の文化の中心地であった京都で生まれ、それが周辺地域に伝わり更に遠方にまで伝わっていく。そのうちにまた京都では新しい言い方が生まれ、前の言葉を上書き修正しながら周りに伝播していく。だから、水面に石を投げ込んだときにできる丸い波紋のように、幾重にも同心円を描いて同じ言葉が存在するのである。そこから考えると、関東まで伝わった「バカ」はかなり古い言葉であり、関西で言われる「アホ」は一番新しい言葉であるということがわかる。

ちなみに、私が住む島根県出雲地方では「ダラズ」「ダーズ」「ダラ」「ダー(ーにアクセントがある)」と表現するが、同じ表現は北陸地方に残っている。同じような時代に京都からの情報が伝わったということになるのだろう。

最初に紹介した絆創膏の記事であるが、この例にはもはや『蝸牛考』は適用できないだろう。地域的なまとまりは見られるものの、どこかを中心とした同心円上には分布していない。その地方で流されるテレビラジオのCMとか、普段の会話に出てきた言い方をそのまま真似して使っているのかもしれず、いろいろな要素が絡み合って定着しているように思える。

何十年何百年という単位でゆっくり言葉が変化し定着していた昔と違い、情報の伝達が速いぶん、現代の言葉の変化は局所的で刹那的で爆発的な印象がある。だから、おおもとの日本語自体が変わることはおそらく無いと思うが、古くからの方言(語彙やアクセント)は駆逐されてしまう可能性があるのではないかと、それを憂う。

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不老不死と富士山

日本人の中に、不老不死の薬を手にしたものが、過去にいる。9~10世紀に成立し「今は昔」で始まる、ご存知『竹取物語』に出てくる帝である。かぐや姫が石作の皇子をはじめとする5人の求婚者達をことごとく振った後に登場して、やはり振られるものの姫と文の遣り取りだけは続けているという帝である。いよいよ姫が月に帰ってしまうというとき、帝は2000人の軍勢を繰り出して阻止しようとするが叶わなかった。しかし姫も帝のことは憎からず思っていたのか、別れに際して文とプレゼントを残す。それが、月よりの使者が持ってきていた不老不死の薬だったのだ。姫は月へ帰ってしまい、帝は悲しくてたまらない。天に一番近いところはどこかと尋ね、駿河国の高い山の頂上でその薬を燃やしてしまうのである。「逢ふ事も涙に浮かぶ我が身には 死なぬ薬も何にかはせん(もうあなたに会うこともなく涙にくれる自分には、不死の薬なんか何の役にもたちません)」。以降、その山を「ふしの山」と呼ぶようになり、薬と文を燃やした煙が噴煙となったという。もちろんその山とは富士山のことである。

ここで注目すべきことは、帝が富士山で薬を燃やした理由である。富士山が不死と関係があるという説が当時あったからというのではなく、ただ月に一番近いからという理由である。ということは、この『竹取物語』が、富士山と不老不死を結びつけた初出例ということになる。いったい、この帝というのは誰のことなのだろう?……などと、フィクションと史実を重ね合わせようとすることは野暮の骨頂か。

一方、不老不死の薬といえば忘れてはならないのが徐福である。秦の始皇帝の時代に、はるか東の海上に蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)という三神山があるからそこに薬を取りに行きたい、と船出した人物である。3000人の若者を連れ、どこかに辿り着き、そして二度と中国へは戻らなかったという。どこに辿り着いたのか。日本各地に徐福の足跡が残っている(佐賀市、和歌山県新宮市のそれはかなり信憑性も高いと聞く)ことを思えば、それは日本であったのかもしれない。そして、彼が最終的に目指したのは富士だったのかもしれない(富士吉田市には、徐福はここで没したのだという碑文があるらしい)。

今から2200年も前に、富士山には不老不死の薬があると中国で言われていた、つまり後に『竹取物語』に書かれることになる伝説が既に中国に伝わっていたというのは、なんだかスゴイことのように思われる。日本はまだ弥生時代だったのだから。また中国においては、徐福は神武天皇であるという説もあるやに聞く。ははッ♪ これではますます『竹取物語』の帝が誰やらわからなくなる。

しかし何はともあれ、不老不死と富士山は切っても切れない関係にあるようだ。富士山の北、富士山の眺望天下第一と謳われた御坂峠の天下茶屋において、太宰治が『火の鳥』を執筆(未完)したのも何やら象徴的な出来事に思われる。

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